チェスの国
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朝、ファイさんと話したっきり彼らはまた命がけのチェスバトルへ赴いた。
例の通り、わたしとモコナはお留守番。
戦いなんて出来ないし、マスターはさくらさんなのだから仕方ない事だけれど。
『…待っことしか出来ないのは、辛いね』
「うん…。でも、モコナ待つよ!
待って、みんなが帰ってきたら一番におかえりって言うの!」
『それ、すごく素敵』
そう言うと、モコナはうふふーと笑い、わたしもつられてしまう。
『あ、また雨…』
「やーーん、今朝は止んでたのにーー」
この国は、降水量が多いのか雨が続いている。窓を伝う雫が誰かの涙に見える。なんて、安いメロドラマのようなことを考えながら。
『もう夕暮れ時だし、皆さんも帰ってくるだろうから晩御飯用意するね』
「うん!モコナもお手伝いするっ」
ぴょこんとわたしの肩にモコナを乗せてキッチンまで歩く。
ふと、今朝のファイさんを思い出した。
『ねぇ、モコナ。
メイリンさんって、歌上手だったの?』
「そーだよ!メイリンはお歌とっても上手で、ピッフル国ではドラゴンフライレースの前にライブもしてたよ!」
『わぁ、ちゃんとプロの方だぁ…』
そんな身に覚えがなさすぎて、若干引いた。旅の道中で何やってるんだろう、メイリンさん。
じゃあ、これ歌ってた?と、今朝の歌を口ずさむ。けれど、モコナからは否定の言葉が出るだけだった。
『そっか…、じゃあこれが記憶の欠片なのかな』
わたしに残された残り滓ような欠片。
ファイさんを見るたびちくりと痛む心も、この歌も。山のようにあるメイリンさんの記憶の欠片。ぎゅうっと胸が締め付けられる。
まだ、残ってる。
大丈夫、大丈夫。メイリンさんは、まだここに残ってるんだ。
そう言い聞かせて、コンロに火をかけた。
みなさんが帰ってくると、ご飯は後回しになってしまった。
今回のバトルで不正があったようで、小狼さんが血まみれだったのだ。こちら側が勝てたらしいが不正は取り締まられる事はなかったらしい。
不幸中の幸いなのか思ったよりも傷は浅く、病院にかかるほどでもないのだが…。
『手当てするのが不器用なわたしでごめんなさい』
「いや、すごく丁寧だ」
とんとん、と。消毒液を染み込ませたコットンで傷を殺菌する。傷は浅い。けれど、箇所が多く、傷口も広い。年の近い、普通の男の子が背負うような傷ではない。
こんな拙い治療じゃ、跡が残ってしまうかもしれない。
「…小狼を通じて見ている時も、こんな事があった」
『あ、えっと…。居なくなっちゃった方の、小狼さん、ですよね』
「あぁ。貴方の記憶が無くなる前。
ある国で小狼が戦に出た時、治療は要らないと言ったけれど、貴方が無理矢理手当てをしていた」
『あ、ははは…』
思わぬ所から出てくるメイリンさんの思い出話に、またもや苦笑するしかない。少しだけ笑う小狼さんは、やっぱりどこか寂しそうだった。
包帯をぐるぐると巻きつけると、小狼さんが後は自分でやる、とわたしの手から包帯を受け取った。
『それでも、わたしが“今の”小狼さんを手当てするのは初めてなんですね』
「……そうだな」
『あ!救急箱、ここに置いておきますね』
わたしは立ち上がると、晩御飯を温めなおすためにキッチンへ向かう。
そこには大きな影が一つ。何やらきょろきょろしたり、大きい背をまた伸ばしたり縮ませたりしている。
『…ガサ入れですか?』
「うるせぇ!…ッチ、酒どこだ?」
『一番下の棚です。上に置いてたら黒鋼さん無制限に飲んじゃうから』
「そんなにすぐ空にしねぇ」
『…と、言いつつそれこの国に来てから4本目ですけど。って、なにもお腹に入れてない状態でガバガバ飲まないでくださいよ!今からシチュー温めなおしますから!』
慌てて言うものの、「おー」と生返事しか返って来ず、黒鋼さんは酒瓶とグラスを二つ持ち、小狼さんがいるソファへドカリと腰掛けた。
モコナが酒瓶に擦り寄る所を目撃し、今日晩御飯いらないんだろうなぁ、とポツリと零す。
『おつまみでも作るか』
英国風なこの国にちなんで、ベーコンとか、肉類を適当に焼こう。何かは食べてくれるだろうことを祈って。
ふと、小狼さんがさくらさんの部屋の扉を見ていることに気がつく。
帰ってくるなり、部屋に篭ってしまったさくらさん。その後をついていったファイさん。
きっと彼らにシチューを持っていっても、食べてくれないどころか、受け取ってくれさえしない事は、帰宅した時の表情で分かってしまった。
ーーーーーーーー
「分かってるんです」
ベッドにうつ伏せになるサクラちゃんから、くぐもった声が聞こえる。
後悔と、罪悪感と、そしてなにより自分の汚さに嫌悪している声。
「あのひとは、…小狼君じゃないって。
たとえ、あのひとを素に創られたとしても、今まで色んな世界で会ったように…。
姿は同じでも違うひとだって、…でも、駄目なの。
顔だけじゃない…。声も、仕草も、あの真っ直ぐな瞳も。同じ所を、似てる所を見つける度に、駄目なの…」
痛い程よく分かるその言葉が、オレの心にも突き刺さる。
「どうして……今目の前にいるのが、小狼君じゃないんだろうって…」
そうだ。オレも、何度思ったことか。
朝起きたら全て嘘で、あの子の口から「おはよう、ファイ」と紡がれる事を望んだことか。結い上げた黒髪や、強気な瞳、挑むように前に出る脚、釣り上げられた眉。勝気なその口調や、優しい表情。どこを一つとってもあの子じゃない。
けれどその全てが、もはや懐かしいとすら感じてしまう。
目の前のサクラちゃんも、同じなのだろう。
いや、サクラちゃんの側にいる“小狼君”は、今までの事を知っているから、余計に似た所が目に付いてしまうのだろう。
……オレが支えてあげないと、この強くて気高い姫君は、行くところまで行ってしまって、壊れるような気がする。
壊れないように、何処かへ行ってしまわないように、キツく握られた手にそっとオレの手を重ねる。
その刹那。
忘れられない、忘れもしない声が脳内に響く。
〈ーーファイ、〉
オレが創って、セレス国に置いてきた少女、チィの声だ。鈴のような声が聞こえて、ざわりと胸が騒ぐ。
〈ファイ。-----王様、起きたよ〉
眼を見張るような言葉に、どこかすとんと納得する自分がいる。いいや、かの王がいつか目覚める事は初めから分かっていた事だ。
念押しするように聞こえている?と尋ねるチィに、聞こえているよ、と心の中で返事を一つ。
「……ファイさん、」
「なぁに?」
「何か、あったんですね」
サクラちゃんに、今負担をかけちゃ駄目だ。
元々、オレの問題なんだから。だから、いつも通りに、欺け。全てを。
なにもないよ、と口だけ笑って見せると、綺麗な白魚のような手が伸びてきた。
「言いたくないなら言わないでもいいんです。でも、笑いたくない時に…笑わないで」
よく、あの子にも言われていた言葉が蘇る。
いいや、あの子はもっとキツい言葉だったけれど。そのお陰か冷静になれたから、オレの口元からは笑みは消えていた。
「だったら、サクラちゃんもオレの前ではそうして欲しいな。この国に来てサクラちゃんがチェスに参加すると宣言した後、気になってたんだ。サクラちゃんの様子」
握った手はオレより冷たくて、心配になる。
俯いた表情は、読めない。けれど、続ける。オレがサクラちゃんの共犯者になる為に。
「君はもう迷わないって決めた。その後の小狼君を捜す旅でどんなに辛い事があっても、それをオレ達に見せなかった。
でもこの国に来てからサクラちゃん、部屋に閉じこもることが殆どで。
特に、“小狼君”を避けて」
彼女を避け続けているオレに言われたくない、と非難されるだろうか。そう思うと、凍て付いたような笑みが浮かぶ。
「そして、今日の対戦。
オレには君がわざと迷っているように見えたんだ。オレ達にそう思わせる為に。
自分の決心を、オレ達といる事を迷ってるんだ、と伝える為に。
だからね、あの忍者さんにも言っておいたんだ。“サクラちゃんが迷ってる”って。余計だったかな?」
「……いいえ」
真一文字に結ばれた唇が開かれた。
「…いつから分かってましたか?」
「君がみんなの前で次元の魔女さんにチェスの賞金の事話した時くらいかな。
小狼君が通っていった国の復興の為の何かを送りたいってサクラちゃんが言った時、違和感があったんだ。あの国の為に何かしたいと、以前のサクラちゃんが言ったんだったらオレは“サクラちゃんらしい”と思うだけだった。
でも今の君は違うだろう? 更なる悲劇を起こさない為にも賞金稼ぎをしている時間があれば小狼君を追う。だから、賞金の他に何かこの国に留まりたい理由があるんじゃないのかなってね」
長ったらしくオレの考えを伝えると、あの子なら顔をしかめて悔しそうに睨みあげるのだろう。ぐっと堪えた口元が開いた時には、“ムカつく”といつもの様に言うのだろう。
けれど、目の前のお姫様は違う。
天真爛漫だった雰囲気は捨て去り、淡々と口を開く。
「……欲しいものがあるんです」
「それは、知ったらリビングにいる人達が怒っちゃうようなものかな」
「きっと」
「それでも欲しいんだね」
「はい」
「……了解。全て君の望み通りに。
それがオレの望みだから」
もう時間は残り少ないかもしれないけど。
冷たい手に交わした口付けに混じって、その言葉は消えた。
(チクタクと、刻む)