チェスの国
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
しとしと。降り注ぐ雨は、まだ止まない。
窓を叩く嫌味ったらしい雨は、この世界に来てからやむ事を知らないみたいに降り続けている。
今日も今日とて丸くて白いキュートな先生の前に座り込む。
『モコナ先生!
今日もよろしくお願いしますっ!』
「うむ、まかせろ!」
どうして馴染みのないこの超生物を先生と仰ぐのか、というと。
この世界〈インフィニティ〉で行われている人間を駒として戦うチェスバトルに皆さんが参加している為、その間わたしとモコナはこの仮宿に閉じこもっていなければいけないのだ。時間が有り余ってしょうがないので、モコナ先生に今までの旅の出来事を事細かくお話ししてもらっている。
最初は、人のことをこんなに勝手に聞いていいのか、と思ったが、意気込んで旅について来て〈東京〉を出て、思い知らされたのだ。
わたしは、この人たちの事を、知らなすぎる。
移動してきた異世界で、突然小狼さんが石を投げられたことも。それを甘んじて受け入れる小狼さんの苦悩も。その小狼さんを、どんな思いでさくらさんが両手を広げて守ったのかも。何も知らない。だから、知りたいのだ。思い出話でもいいから。知りたい。
「〜〜でね!…、メイリンどうしたの?」
『…あ、いや、なんでもないよっ、大丈夫!』
「本当に?」
眉を下げるモコナに、戸惑いを隠せない。
「記憶がなくなっちゃう前のメイリンもね、よく大丈夫って言ってたの。でも、そういう時は、いつも一人で頑張ってモコナ達の事を思ってくれてた。それでいつも無理し過ぎてね、危なくなったりしてね」
『そう、なんだ。
……ねぇ、メイリンさんってどんな無茶してたの?』
「んー、えーーっとね、サクラを追いかけてお城に閉じ込められちゃったり、ラスボスを一人で追いかけて行ったり、そのまま帰ってこなかったり、魔物の生贄になるって残ったり、レースで事故ったり、CM出たりライブしたり…」
『あはは、オーケーよく分かった…』
わたしのメイリンさん像が、頼られて愛されてる優しくて強い人から、お構い無しに無茶やっちゃうファンキーな人になってしまった。
しかも、モコナが知ってる限り、なので他の方に聞いたらもっと出てくるのかもしれない。
え、怖い、メイリンさん怖い。
「あとねー」
『まだあるの!?』
「うふふ、メイリンはね、みんなのことお名前で呼んでたの。今もモコナはモコナって呼んでくれてるけど、みんなの事はさん付けで呼んでるでしょ?」
『あ、あーー』
やっぱり距離があるように感じるのだろうか。わたしからしたら最近知り合った、良くしてくれる人達なので敬意を払ってたんだけど。
「モコナね、それがちょーっとだけ、寂しいの」
『うん、ごめん。
それでも、取ってつけたように“わたし”が親しげに呼び捨てでお話ししても、“メイリンさん”はそこに居ない』
「メイリン…」
モコナがどれだけ前と同じように接してくれても、皆さんはそうじゃない。特に、ファイさんは。
『…よし、悲しいの終わり!
ね、モコナ先生、楽しいお話聞かせて!
一番面白かった国は何処?』
「うん、えっとね、やっぱり桜都国!
モコナ達お店やさんしたんだよっ。猫の目って喫茶店でね」
『へぇ!メイリンさんや、さくらさんってお料理上手なんだー』
「というか、ファイがキッチン担当だったの」
『えっ、ファイさん!?』
ファイさんといえば、さくらさんによく寄り添っていて、黒鋼さんとわたしには鋭い視線というか、好意的な視線は送ってこない、あのファイさんが、喫茶店を営んで、お料理が得意、だと…?
たしかに器用そうな顔(?)は、してるし、優しそうではあるんだけど…。
『……全然想像つかない』
「今はあんまりだけど、ちょっとはお料理よくしてくれて、ホットケーキとかチョコレートとか、甘いものはメイリンより上手だったよ!サクラにもお料理教えてたり!」
『そうなんだ…』
意外だ。
けれど、きっとこんなこと、他にももっとあるんだろう。そしてそれは、きっと“わたし”には見せてくれないんだろう。
視線があっても逸らされて、話しかけても塩対応の冷たい言葉が一言二言のみ。
たまに訪れる視線を逸らされない時でも、表情は曇っており眉間にはシワが寄っている。
笑いがこみ上げるほどの嫌われっぷりだ。
『…うん、だんだんイラついてきた。なんだよ何かしたか?わたし。
いや、呪いにかかって記憶ないんだったわ』
あと、東京でファイさんの言うこと無視してこの旅について来て結果今のところ足手まといなんだった。あ、結構やらかしてるのでは?嫌われて当然というか。
だんだん傷ついて来た。そんな中、モコナ先生は一人ボケの一人ツッコミだーと楽しげにしてらっしゃる。ああそうですね!!一人漫談ですよチクショーが!!
ーーーー
夜が深くなり、インフィニティの街には薄く霧がかかっている。
窓辺に座り、モコナと一緒に外をぼんやり眺めながら皆さんが帰ってくるのを待っていた。
ガチャと無機質な音と共に、皆さんが帰ってきた。モコナは勢いよく出迎える。
わたしも、なるべく笑顔で、お出迎えする。
けれど、いつもと少し違うのは、さくらさんが黒鋼さんに抱っこされて帰ってきたことだ。
モコナの悲鳴にも似た声がさくらさんを呼ぶ。その声を安心させる為に、さくらさんはうっすらと笑顔を作りモコナに大丈夫、と告げる。
「本当に大丈夫。だからね、泣かないで」
「今日はもう、休んだ方がいいね」
「でも、」
「この世界に羽根があるのは分かってる」
「うん、微かだけど感じる。
羽根、あるよ」
「もし、小狼君がこの国に来ればオレが分かる。そうしたらすぐにサクラちゃんを起こすよ。それに、サクラちゃんは明日の〈チェス〉の為にも少しでも休まないと。
勝って、賞金を手に入れるって決めたんでしょう?」
ファイさんのその言葉に、さくらさんは表情固く頷く。まだ東京で傷ついた右足を持ち上げて、ベッドへ向かうが、途中でグラリと前へ倒れてしまう。慌てて、小狼さんが手を出す。
「…ごめんなさい」
さくらさんから溢れるのは、小狼さんへの拒絶の言葉だった。
ぐっと、何かを我慢するお二人に、わたしはまた歯痒い気持ちが心を占める。
この二人の、こんな表情しか、わたしは知らない。けれど、笑った顔が似合うのは、分かる。
ファイさんがさくらさんをお部屋に連れて行き、残ったのはわたしと小狼さんと黒鋼さんだけ。
どう、声をかけていいのか、分からない。
すると、降ってくるのは厳しい顔つきの、低くて近寄りがたい、優しい声。
「…確かに、おまえは小僧の元になったかもしれねぇが、おまえと小僧は違う。おまえがやってねぇ事をおまえの責だと思う必要はねぇし、おまえはおまえが思うようにやればいい。ーー姫の事もな」
「……それでも。さ、…姫にとって小狼はあの小狼だけだ。あの肩を支えるのはおれじゃない」
悲しく歪む小狼さんを、黒鋼さんはぶっきらぼうに頭を撫でる。
「覚えておけ。
姫は強い。強いからこそ脆い。誰かがそれを教えてやらなきゃきっと折れる。遠からずな」
わたしには、さくらさんが折れるなんて想像もつかないけれど。もし、モコナの言葉がさくらさんにも当てはまるんなら、大丈夫って時は無茶してる時だ。
「あの魔術師には無理だ。
あの二人は、同じだからな」
『同じ…』
もう寝ろ、と小狼さんを急かすと、素直に小狼さんは自室へと戻っていった。
「おまえも寝ろ」
『…黒鋼さん。
ファイさんも、同じ、なんですか?
強くて脆い。頑張ってなんでもないふりして、大丈夫っていうような…』
「…誰のこと言ってんのか知らねぇが、この旅にゃあ、そんなやつゴロゴロ居る。うぜぇことにな」
『わ、わたし!!
人って一人じゃ、出来ることに限りがあると思うんです…!無力で非力で、頼り甲斐もないわたしだから、かもしれないんですけど。
もう無理だーーって思う時、きっとあると思います!!…だから、その時は。力を貸してくれますか?』
紅くて鋭い瞳がキラリと光る。
この瞳は慣れるまで怖かったが、見慣れて仕舞えば正直心地がいい。
黒鋼さん、利用してごめんなさい。けれど隣の部屋の、ファイさんに届くように。
黒鋼さんの大きな手が降ってきて、わたしの頭をぐしゃぐしゃと撫で回す。
「…小娘にも、聞かせてやりてぇ言葉だ」
『へ、今なんと?』
「うるせぇ」
『いだ、いだだだだ!それ撫でてないですよね!?ぐりぐりゴリゴリ言ってますよ!?』
「戯言言ってねぇで早く寝ろ」
『…あーーもう!人がせっかく…!!
黒鋼さんのクマ!ゴリラ!!
おやすみなさいっ!』
わたしに当てがわれた自室の扉を勢いよく開けて、閉めた。
けれど、なんだかんだ言ってやっぱりあの人の手は優しい。ぐしゃぐしゃになった髪の毛を手で結い、三つ編みにして、眠りにつく。
ーーーーーーーー
メイリンが自室へと戻ると、同時にサクラの部屋からファイが出てきた。サクラが眠りについたのだと、言って。
残った黒鋼に、気を利かせて飲み物を聞くといつも通り酒、と一言返ってきた。
「しょうがないねぇ」
「おまえも飲め」
振り返ると、手首に己の剣を当てどくどくと血を流す黒鋼がファイを見据えている。
「飲まねぇなら好きにしろ。
このまま流れていくだけだ」
「……本当にしょうがないねぇ、“黒鋼”」
瞳を金色にさせて、ファイは黒鋼の血が伝う手首に口を這わせる。
瞳孔が開き、捕食者の目をしている。
「…おまえ、さっきの聞こえてただろ」
「さっきのって?」
「いい加減にしろ。いくら目を背けても、足掻いても、アイツは小娘だ」
黒鋼の言葉に、ファイは今まではなかった鋭い牙を手首に突き立てる。先ほど切った場所とは別に、ぷっくりと血が浮かぶ。
暗に何も言うな、と言っているのだろう。
するり。目線を変え、捕食者の瞳は見つめる。
「……気付いた?」
「ああ」
「見張られてるね。
次の〈チェス〉の相手かな。それとも…」
「今までの旅で俺達を見ていた奴らか」
「どちらにせよ、……もう傷つけさせない」
捕食者の瞳は、そこに誰を写しているのか。
何かを決意した眠る姫か、姿を消した少年か、それとも。
記憶をなくしても尚、彼の中で燦然と輝く少女の姿か。
(しとしと、降り続く雨は)