東京国
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わたしの話をしよう。
生まれたのは雪国だった。春とか秋とかあんまりないような、ずっと空が曇っているような地域。はっきり言って田舎だった。
父の顔は知らない。母の笑っている顔も、思い出せない。
そんな家庭が当たり前で、それを当たり前だと思えたのは×××××がいたから。
母が忙しくて面倒を見れないからと、×××××の家に預けたっきりだったが、わたしは寂しいなんてカケラも思わなかった。
保育園の送り迎えも、小学校の入学式も、遠足のお弁当も、授業参観も、運動会も、いつも×××××だった。
×××××の作ってくれるご飯は美味しくて、優しい人だった。けれど、マナーや礼儀には厳しくて、色々教えてくれた。
そんな×××××の家で見ていたのが〈カードキャプターさくら〉だった。
主人公の直向きさや明るさ、素直さ強さに夢中で、あんなに優しいお父さんやお兄さんに憧れを抱いた。もちろん、主人公にも。
晩御飯が終わると毎日欠かさず見て、ずっと好きだった。
「××アンタこれずっと見てるけど、動く漫画がそんなに面白いの?」
「動くまんがじゃないよ!アニメ!
…おもしろいよ!わたし、この子になりたいの!」
指をさすのはもちろん、主人公。
春に咲く綺麗な花の名前の子。強くて、ふんわりとした、可愛い主人公。
「そーかい、ならうんとおめかししないとね!」
「…ねぇ、×××××。
おめかしって、どういう時にするの?」
「んー、そうさなぁ。勝負の時だろうなぁ。
女のおめかしは鎧だ。どんな時でも惨めな顔をしないように、うんと華やぐ為の鎧」
「よろい?つよそーだね!」
「女は強くないとね。か弱いと思っている奴らなんか、ボコボコにのしちまいな」
にかっと笑う×××××は、最高にかっこいい。
可愛くて直向きな主人公にも憧れるが、わたしはこの人にも強い憧れを持っていたのを、今でも覚えている。
そんな大好きな×××××と暮らして、9回目の冬が来た。
そして、両手で数えられるほどしか会ったことのない“母親”がわたしを迎えに来た。
「今までごめんなさい」
「寂しい思いをいっぱいさせたわね」
「わたしの仕事も軌道に乗ったし、体調も良くなってきたし。それに、××××も、もう歳でしょ?」
「それに、わたし今度再婚するの」
「相手はね、手堅い実業家でね」
「子供が好きらしくてね、一人娘がいるっていうと今度合わせて欲しいって言われて」
「結婚したらどうせ一緒に住むんだし」
この人が、何を言っているかが分からなかった。突然御飯時にやってきたかと思えば、わたしの荷物を大きなカバンへ詰め込んで、わたしにも×××××にも相談も無しに、手を引かれたのだ。
今なら分かるが、この人は私を出しに、理想の相手と結婚をするつもりだったんだ。
今まで何もしてこなかったくせに。
今まで、血の繋がった他人だったくせに。
わたしの平穏で大好きな時間を、一番最初に壊したのは、産みの母親だった。
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それからは地獄の始まりだった。
母に無理やり連れていかれたわたしは、都会に移り住み、よく知らないおじさんを父と呼ぶように言われる。嫌な顔をすれば母に叩かれて、顔が腫れる。
学校での成績が悪かったら、また母に叩かれる。
今まで×××××が作ってくれたようなごはんはなく、当たり前みたいにお金だけが置いてある生活になった。
わたしはストレス発散と少しの抵抗のために、ご飯は最低限のものしか食べず、残ったお金で漫画を買った。学校では中学まで給食が出るし、夜は食べなくても平気だ。
「…×××××がいないご飯なんて、食べなくてもいい」
楽しいとか、嬉しいとかは全部漫画の中にある。それに浸れる時間は、現実の寂しいや辛い思いは置いておこう。
積んである漫画の、表紙には昔憧れた主人公の姿がある。どうやらまた新しい作品らしくて、この前本屋さんで見つけて全部買ってしまった。大丈夫、どうせ明日も明後日も、この家には誰もいないんだから。
大丈夫、大丈夫。
「…絶対、大丈夫だよ」
そんな生活が、6年続いた。
無力な小学生から、少しだけ大人の力を使える高校生にまでなった。
高校生になったら決めていたことがある。アルバイトをして、お金を貯めて、×××××の家に行く。ずっと前から描いていたのだ。
けれど、母親は頑なに否と唱える。
「高校生になったらアルバイトぉ?
ダメに決まっているでしょ。お金は余るように置いてあるから苦労なんてしていないはずよ」
「それに、高校生になってすぐにバイトなんて、ご近所の人に知られたらお父さんの印象わるくなっちゃうでしょ!?」
「どうしてあんたは自分のことしか頭にないの?学校から帰ると毎日部屋にこもりっぱなしで、ちょっとは家族との時間を大切にできないわけ?」
あんまり長い間この人と会話らしい会話をしてこなかったから忘れていた。この人は、会話が出来ない。言葉を理解できても、内容が分からない習いたての英語みたいな…。
時間の無駄だと思った私は、部屋にこもった。後ろから大きな声が聞こえるが、どうせまたヒステリックを起こしているんだろう。
どうして×××××みたいな人から、あんなのが出来たのか分からない。
朝になると、トースト一枚で朝食を済ませて、さっと家を出る。
朝は早め。これが私が逃げながら見つけたルーティンだ。母親からではなくて、私の第二の地獄から。
「ちょっと〜××サン。まじであんた汚いよ?」
「…ガッ、ぼっ…ぶぁやめ、」
ボコボコと、肺から空気が出て行く感覚が苦しい。
毎日行われる暴力と窃盗。トイレの便器に顔を押さえ込まれて、口に汚水が入り込む。
水の音と、汚水の味が毎日のように刻み込まれる。
大体が昼休みか放課後だが、朝も見つかると絡まれる。先生に言ったところで、関わりたくない、という目を向けれて「確認してみよう」で終わり。
「てか、財布に200円しか入ってないとか貧乏すぎない?」
「えぇーでもぉ××サンの親、なんかすごい会社の役員らしいよー?」
「……かえ、して」
わたしが弱っている好きに財布を取り、中身を確認している。
この人たちにとってはコミュニケーションとか、お話し合いなんだろうが、私にとっては現在進行形でのいじめの現場だ。
けれど、場所が人気のない校舎の三階トイレ。声をあげても誰も来ないで有名な場所。
だからわたしは、黙って言葉の通じない嵐が去るのを待ってる。
「それならさぁ、明日ママかパパに頼んでお金もらってきてよ。アタシらとあそぼ?」
「いいねっ!どうせ××サン明日の放課後もヒマでしょ!私達と豪遊しよ〜!もちろん××さんの奢りでっ」
「もし持ってきてくれなかったらぁ…、ちょっと悪〜いセンパイに、あんたのことお仕置きしてもらうから。ネ?」
楽しそうに、嵐はわたしの前から過ぎ去っていった。
なんだそれ。本格的に犯罪じみてきた。
これは明日休んだ方がいいんだろうか?いや、休んだら休んだでまた何されるか分からない。
母親からお金なんて頼めないし、父親なんて三ヶ月くらい顔も見ていない。
「…明日、どうしよう」
帰宅すると、珍しく電気がついてた。
こそっと覗くと、父親が知らない女性と抱き合い、キスをしていた。情熱的に。
その光景を見て、あんなにうるさかった母が哀れに思えた。必死にしがみついていたあの父には、別の女性がいたのだから。
変な笑いがこみ上げてきて、そっと自分の部屋にこもった。
いつの間にか寝ていて、気がつくと、誰かがわたしの部屋をノックしていた。電気もつけずに辺りは真っ暗で、お腹も空いた。
声をかけると、「私よ」と一言聞こえ母だとわかった。夕方のあの光景がフラッシュバックして、哀れに思ったからか、私も珍しくどうぞと返した。
ガチャリと部屋を開けた母の顔は、あまり見えなかったが、いつもの高圧的な感じはしなかった。
「……××××が、死んだわ」
「…え?」
「××××が、死んだの。
死んだのよ、あの人が!!!」
あぁ、やっぱり母が言っていることは理解できない。何語を話しているんだろう。
「元々強い人だったのに、5、6年前から一気にボケ出したらしくて…。介護ヘルパーさんもつけたのに、…あんたを探しに行くって、外に出かけたっきり」
なんだそれ。誰の話をしているんだろう。
私の知っている×××××は、明るくて、凛々しくて、強くて、穏やかだった。
いつも厳しくて、いつも優しかった。
叫ぶように泣く母は、私の腕を離さず、膝から崩れ落ちていった。
「…………」
人というのは不思議だ。
目の前に、大きなリアクションを取っている人がいると、案外落ち着いてしまうものらしい。いまだに実感が湧かないし、嘘かもしれないと疑っているが、同時に涙も出なかった。
その日は、わたしの憧れてやまない女の子の夢を見た。
桜並木を、ローラーブレードで走りながら学校へ行っている光景が、あんまり綺麗で眩しくて。遠くから目を細めて見ているだけのわたしから、あの子は離れていってしまう。
置いていかないで、あなたみたいになりたいの。と、叫んでも叫んでも、あの子は後ろを振り返って笑うだけ。
そんな幻みたいな夢から覚めて、日差しがわたしに朝を伝える。時計を見ると、もう学校が始まっている時間だった。
今日は、行かないといけないんだった。
こんな時に、×××××の言葉を思い出し、わたしはおもむろに白い羽の形のヘアピンを手に取った。
昔、×××××から「白い羽だなんて、××の名前と合ってぴったりじゃないか」と言ってプレゼントされたものだったけれど、わたしにはまだ似合わないと思って、つけるのが億劫になってしまった品だった。
今なら、つけれる気がして。
制服を着て、顔を洗い支度をしていると、抜け殻のような母の姿がリビングにあった。
「……行ってきます」
この言葉を言うのは、何年振りだろう。
それもこれも、昨日あんな話をされたからだろうな。
わたしはゆったりと、正確な足取りで学校への道を歩く。
(星空の下で喪ったタンザナイト)