生存戦争編
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
懐かしい夢に微睡、目を覚ます。
開きっぱなしの窓からは潮風と海猫の声が聞こえる。どおりで寝ている間肌寒かったわけだ。
というかまだ日が昇りきっていないから、なんなら今も少し肌寒い。
薄着の寝間着の上から肩を摩ってベッドから起き上がると、カーディガンを羽織って窓を閉めた。
窓に面した書き物机の上には日記帳とペンが転がっている。ああ、そうか。昨日は書いてすぐに寝たんだっけ? これまで書き溜めた日記を何の気なしに眺めていれば、控え目な目覚まし時計が朝を知らせた。
あの方々の元へ向かう前に身嗜み整えて、厨房で何かもらっていこう。いつも事あるごとに口に食べ物突っ込まれそうになるからな。
自室に備え付けられている洗面所の鏡をふと覗くと、もう見慣れた真白の髪は寝癖であっちゃこっちゃハネていた。
二年前に髪をショートカットにしてからもう大変。あのボリュームはそれはそれで大変だったけど、まさか自分がここまで癖っ毛だったなんて思いもしなかった。最初こそ唸り声を上げながらブラシで解いていたが、今はもう肩口そこそこにまで伸びてきたのにも関わらず無心で解いてる。たまに、“もしもわたしが神の龍的なものに願い事できるなら癖っ毛をこの世から無くすべく働きかけるだろうな…”なんて現実逃避しながら。
部屋を出る前にもう一度鏡を見て、衣服に皺がないか確認する。ハネも抑えたし、顔にも何もついてない。
「よし、いってきます」
誰もいない部屋に言い残して、わたしは廊下に出る。まだ早朝ということもあり、誰も行き交うことのないしんとした石造りの廊下は、ここ二年ですっかり見慣れてしまった。朝は気持ちがいい。特に女ヶ島は植物が元気な島だからか城の中まで澱みのない清廉な空気が届いているようで、毎朝陽の光を浴びて深呼吸をしてしまう。
厨房に向かうと、さすがに城のお抱え料理人はわたしよりも早く仕事を開始したらしく数人が朝の下拵えをしていた。
「おはようございます、朝からご苦労様です」
恒例のように口にするが、本当に大変な仕事だからこそ毎日こうして労りの言葉をかける。
みんないつものようにありがとー、とかアンタも早いね、とか言ってくれると思ったのだが、今日は様子がおかしい。
リズムよく叩かれていた包丁も、シャリシャリと皮を剥く音も途絶え、代わりに水がジャバジャバ溢れる流水音のみが厨房に響く。もちろん誰も何も言わず、わたしを見るや否や包丁を置いて、皿を置いて、フライパンを置いて、目を見開いたまま固まっている。
「な、なんでしょうか…?わたしの顔に、何かついてますか?」
「………アンリ…」
慌てて静寂を掻き乱すように問いかけると、料理長のふっくらした女性が一声。遅れて反応を示した。それを皮切りに、数名が餌を前にした鯉のようにわたしにぎゅうぎゅうと群がった。
い、一体何が…!?
「最初は貧弱なお嬢ちゃんだと思ってたけど、すっかりこんな優秀な強い子になっちゃって…」
「ガリガリだったアンタを一人前にしたのはウチらの誇りだよ〜〜!」
「アンリ〜〜!!」
「いやだよぉ、ここにいてよぉ〜!!!」
「ウワァ〜〜〜ンン!!」
泣いて縋る人、なんだかしんみりする人、誇らしげに鼻を啜る人に囲まれて、もはやおしくらまんじゅう状態だ。本当にここで鍛えてもらっていなかったら、アマゾン・リリーの屈強な厨房戦士たちに押し潰されてジ・エンドだっただろう。
「ちょ、ちょっと待って!!わたし、ただご飯をもらいにきただけで…!」
「そうだね!!ご飯も、あんたろくすっぽ食べれなかったのに、今じゃ3食ちゃんと一人前食べ切れるようになったし!」
「そうじゃなくて!!!」
わたしの叫び声が水音と共鳴した瞬間だった。
あの後、なんとかリンゴ一つ持ち出して死のおしくらまんじゅうから逃げ出せたものの、朝から一体なんだったんだ…?
その疑問は蛇姫様の元へ顔を出すと、自ずと晴れたのだ。
「ああ、それな。差出人はエース。ルフィの兄からお主宛に手紙が届いたのじゃ。
“もうすぐ迎えに行く。〜日までには到着する”と書いてあった」
「……はい?」
✳︎
あらためて、おはようございます。
わたし、ただの人間のアンリ。ひょんな事からこのとんでもわがままクイーンの蛇姫様にお仕えすることになったのです。
時は遡って二年前。
エースと別れ、“ゆっくり療養”という名の蛇姫様による地獄のコイバナ大会が毎夜開催され(るものだから居住区がまず城の一室になり)て暫くして、わたしも一人で歩けるようになりました。
その頃、仕事を探して練り歩いては城内でお手伝いさせてもらい、料理の下処理、掃除洗濯やらなにやらを一通りできるようになりました。元から料理以外はサニー号でもやってたしね。
蛇姫様ともコイバナする回数が減ってしまい、蛇姫様激怒。ニョン婆様と何度か対立しあった時、折衷案として蛇姫様お抱え侍女見習いになったのです。
しかしこれはニョン婆様の思い通り。
侍女という仕事は今までの比じゃないほど忙しく、特にわたしのような礼儀作法も戦力にもならない女は、イチから先輩侍女さんにご指導ご鞭撻いただく必要があったのです。
その事実に直面し、蛇姫様またもや激怒。
最終的に地獄のコイバナ大会は毎週泊まりですることになり一件落着。蛇姫様も「こ、これを世間では、“パジャマパーティ”というのであろう!?」と陶器のように滑らかな頬をほんのり赤く染めていました。異性なら間違いなく恋に落ちてたし、多分わたしのこと好きだと勘違いしてただろう。
しかしこの時はまだ、蛇姫様が愛らしいのは見た目だけだと学習できていなかったのだ。まあなんだかんだで毎週の地獄のパジャマパーティで仲が深まって、サンダーソニア様からもマリーゴールド様からも良くしてもらっている(いつも姉様が悪いわね、と言われるが笑って流していた)。
その繋がりで、御三方から悪魔の実の能力の使い方を教えてもらえて、稽古までしてもらえるのだから安いものだ。更にいえばここは屈強な女人だけの島。強さ=美しさ、そして美しさ=正義が成り立つ弱肉強食の社会故に、侍女見習いとして覇気の使い方まで教えてもらえた。
この経験を生かすも殺すも、わたしの鍛錬次第だ。二年後みんなに会えた時に、足手纏いにはなりたく無いから。海で独り漂っていた頃とは比べものにならない程、毎日死に物狂いで、一日が過ぎるのがあっと言う間だった。
そのお陰か侍女先輩からは免許皆伝を受け、色々な不幸が重なり蛇姫様専属お抱え侍女としての初仕事はなんと“ニューマリンフォードでの七武海会議への付き添い”でした。あばば…思い出しただけでも冷や汗が止まらない。
なんせわたし、あの頂上戦争の後“海の魔女”として手配書が広まったらしいのです…!
なんんだそのすごい贅沢な異名!!わたしが銭湯経営してたら名前奪ってたよ!
けど一番の驚きは通り名じゃなくて懸賞金額。なんと2億!!エッ、2億!!?初めて見たとき本当に目玉飛び出そうになりました。しかもOnly alive(生け捕りのみ)。
蛇姫様からも、
しかしそれを言うとゴルゴン三姉妹からーー
「あの戦争に一人で参戦して」
「海軍大将と渡り合って」
「処刑対象の火拳のエースを庇って逃した時点で危険じゃろう。
まあその時点で賞金首になるのは決定しておった訳だが、海軍上層部はおそらく龍神族の話を眉唾だと思うておらん。そなたがあの場で力を酷使した時から、より確信的なものになったであろう」
「…ワ……」
今までも龍神族だからと狙われた事はあったが海軍までそんな感じなのかと、勝手にガッカリしてしまった。いやいや、海軍が正義の味方じゃないの頂上戦争で嫌と言う程見たでしょうに。まだ理想を抱いていた自分に驚きだ。
しかし、そんな事もあったのに初仕事が海軍本部のお足元、ニューマリンフォードで行われる七武海会議への同行だなんて、酷過ぎませんか?先輩。外套目深く被って、目元をマスクで隠して喋らなければいけるって、海軍の事舐め過ぎてません?
なにが怖いって結果バレなかったってとこが一番怖いんだよ。髪色目の色体付き等々変わってるところあるだろうけど、そんなに分かんないもんかね?貴方達わたしの捜索に2億ベリーもかけてんでしょ?本当に大丈夫か心配になった。
侍女先輩の匠な変装術(?)のお陰か、はたまたわたしの劇的ビフォーアフターのお陰か、それとも海軍の目が節穴だったお陰か、わたしは難なく初仕事を終えた。
その後も、九蛇海賊団の船旅に同行したりと蛇姫様へひっついていたが全く疑われる事もなく、わたしは今日まで来れたということだ。ご愛読ありがとうございました!アンリ先生の次回作にご期待ください!!(現実逃避)
「…蛇姫様、わたしの聞き間違いですか? どうして厨房の者たちは知っていて、わたしだけ知らなかったのですか?あと、エースが指定した日ってもしかしなくとも今日ですよね?!」
ガトリングのように勢い良く捲し立てるが、ハンコック様は色っぽく目を伏せた。まつ毛の影が落ちる様は二年間見ていても息を吐くような美しさだ。
「…だって、アンリが早く知るとわらわと恋バナする時間を減らすであろう?ただでさえ七日に一度で我慢しているというのに」
「ゔっ、わ、わたしにじゃなくても、サンダーソニア様やマリーゴールド様にもお話ししているんでしょう!?」
「わらわはアンリがよいのじゃ!」
ぷんぷん!と頬を膨らませる蛇姫様は大変可愛らしいのだが、要求がまるで可愛くない。
この人はわたしが侍女の仕事と晩の鍛錬の合間に地獄の恋バナ大会に参加している事を知っているのにも関わらず、ハードスケジュールを要求しているのだ。こちらが折れて蛇姫様の相談役(恋バナ担当)になればそれでよし、ならなくても週一でおしゃべりする機会があるし、と思っている節がある。
その上、私が旅支度をするとなればさらに時間がなくなり、最終的に削られるのが自分の恋バナの部分である事を薄々感じていたのだろう。顔は可愛くとも蛇を司る女帝は伊達じゃ無い。が、本当にやめてほしい。
エースはただでさえこの海域に入れないのだろうから、何かしらで知らせてくれるだろうけど、それに気づかなければどうなっていたことか。考えただけでゾッとする。
この人は、気に入ったものを手放さない傾向が強すぎる…。いや、それはこの世界の人全般に言えることかも知れないが。
「……蛇姫様、この二年間大変良くしてくださって、ありがとうございます」
「嫌じゃ、…湿っぽいことを言うでない。わらわはただ、そなたとルフィの話が出来ればよかったのじゃ」
「ふふ、そうでしたね」
「そなたがやれ修行だ仕事だと明け暮れていたせいで、二年なんて、あっという間だった」
「…最高の環境を与えてくださって、ありがとうございました」
蛇姫様がぷいっとそっぽ向くのを合図に、わたしは一礼して部屋を後にした。
侍女は先輩含めて数名居るが、わたし以外に“専属”と付く役職の侍女は居らず、一瞬引き継ぎとかどうしよう、と悩んだけれど集まっている数名と先輩に話しておけばいいだろう。
自室に戻るつもりだったが、先に休憩室に向かうとそこでも数人の侍女の諸先輩方からもみくちゃにされた。最後の叱咤激励を受けて、諸々の内容を引き継ぎして部屋を後にした。
昼ごろでバタバタし始めた城内を、なんだか申し訳ない気分で歩く。元日本人の社畜魂が、ここの生活で呼び覚まされたのかもしれない。
いや〜、先輩の指導厳しかったもんなぁ。なんて一人で感傷に浸っていれば、トンと肩を叩かれた。振り返れば、さっきまで思い出の中で無表情無感情でわたしをビシバシとしごいていた先輩の顔が、目の前に現れた。
一瞬幻覚かと思ったが、間違いなくご本人の先輩侍女・シラウメさんだった。
シラウメさんは出会った頃と変わらず、礼儀正しくしゃんとお辞儀する。当初、わたしは作法も知らずぺこぺこ頭を下げるだけだったけれど、シラウメさんに角度や手の置き場、足の形などを教えてもらい綺麗なお辞儀ができるようになった。“挨拶は基本”この屈強な女人の島でまさかこんなこと聞くとは、“前のわたし”は思っていなかっただろう。
「貴方今日立つんですって?」
「はい、とんでもなく急で申し訳ありません」
「いいわよ。貴方の所為って訳でもないんだし。それに、元から決まってた事だしね」
サラリと靡く赤みがかった黒髪を耳にかける所作は美しい。才色兼備、という四字熟語がこの世界にあるかは分からないが、この人によく似合う事だろう。シラウメさんからは本当に色んな事を教わった。スパルタ過ぎて泣きそうになった事が何回もあったけど、改めてこの人の下で学べてよかった。
「シラウメさん、本当にありがとうございます」
「なに辛気臭い顔をしているの、これが今生の別れって訳じゃあないでしょう?
生きてればまたそのうち逢えるわ」
「…ッはい!」
いつもは鉄仮面の如く無表情のシラウメさんが、わたしの頭を撫でてふっと笑ったところで涙腺は限界を迎えた。まさか蛇姫様より先にシラウメさんに泣かされるなんて…。シラウメさんから一生分の撫で撫でをもらった後、「いつまでも泣いていないで、蛇姫様から暇(いとま)を頂いたのなら早く身支度でもしなさいな」と急かされてしまった。
シラウメさんと話してなんとなく、この島を出て行く申し訳なさが軽くなった気がする。
*
部屋に戻り、この日のためにイメトレしてた必需品達と着替え等を詰めていく。レイリーさんのビブルカードは絶対になくしちゃいけないと思っていたから出発用の服の中に入れていたのだ。
壁にかけたままだったセーラー襟の白いワンピースを手に取ると、これからここを本当に離れるのだと、実感が湧いてきた。
この島を離れれば、大好きな仲間と再会して、新世界という全く見たことのない海を冒険できる。エースがキラキラと語った島にも行ってみたいし、やっと麦わらの一味に恩返しができる。
それなのにわたしは、少しだけ、不安を感じている。
もう蛇姫様は先頭を立ってはくださらない。あの愛くるしい笑顔を向けてお話してくださる事もない。最初はルフィとの口約束のついでだったのかもしれないけど、きちんとわたしを信じてお側に置いてくださったのに。
後ろ髪を引かれつつ、時間が差し迫ってるのでワンピースに袖を通して大きなリュックを背負う。無意識にふらりと足が向かったのは、最初に目を覚まし叫んだ、あの小屋の近くの海辺だった。
いつも落ち込んだりすると、ここで座り込んではぼーっと海を眺めるのが習慣になっていた。波の音を聞くと落ち着くのは、きっと龍神族だった頃の名残だろう。なんとなく、いつも励ましてくれた海だから、最後に挨拶がしたくなったのかも。
「………違うか。
ここなら、今感じてる不安も全部消してくれるかもって期待したのかもしれない。親離れって、難しいね」
この風景に、龍神さまを重ねていることは自分でも気づいていた。自分から切り離しておいて、酷い娘だと思う。
けど波の音が、鳥の声が、太陽を反射する輝きの全部が龍神さまを思い出させてくれる。がんばれって、言われてるみたいで涙が出る。心の奥の方で、あの流木のような美丈夫が青く綺麗な瞳を細くさせ、笑った。
誰もいない砂浜で、わたしはありがとうと小さく呟くとさざ波に溶けた。
その時、ざり、と砂を踏む足音を鼓膜が拾った。この時間みんな仕事をしてるから浜には誰も訪れないはず。謎の人物の正体がわからず、固唾を飲み、じっくり足音を聞き分ける。
靴は皮を使った底が厚いもの。音からして体重は重く、歩幅が広い。あまり早くはない歩き方で、まるで何かを探しているような…。
着実に、一歩ずつ近く足音の正体に身構えていると、生茂る木の陰から見えたのは知らない帽子をかぶった黒髪だった。
「よう、アンリ!元気だったか?」
「エース!!?」
同時に駆け寄るがエースの目が近付くにつれ段々丸くなっていく。なにかあわあわとした様子で近寄るわたしを手で制した。
「お、おまっ!なんかでかくなってないか!?」
「エッ、早速気がついた?身長5センチも伸びたの!」
「そこじゃねェよ!!…いやそこもだけど!」
「?ああ、胸か。そうそう、やっぱり成長期って素晴らしいね」
女ヶ島で生活した二年間で、ナイスバディのナミさんにも負けず劣らずな成長を遂げたのだ。これはもしや、勝てる、のではないだろうか…!!とか内心思っている。淡い期待くらい抱かせてほしい。
「見違えたな」
「ふ、エースは変わらないね」
「フッフッフ…、そりゃコレ見ても言えんのか?」
得意げに差し出されたのは腕の形をした無骨な機械だった。太陽光を反射させる程輝くシルバーは外套に隠されるように身を潜めていたらしい。
「…こ、これってもしかして義手?」
「ああ、片腕の男を知っていたんでなくても平気かと思ったんだが、やっぱしちょっと不便でね。バルジモアって国で付けてもらった」
「付けてもらったって…」
「ちなみにこうすりゃ手のひらから火も出せる優れモンだ!」
どうだ、カッケーだろ!と言わんばかりのドヤ顔に心を痛める隙がない。こういうところはちっとも変わっていないらしいく、ふっと吹き出してしまった。
「うん、かっこいいね」
「お、おう、そうだろッ?!」
まごまご口籠るエースにまた気持ち悪い笑みが溢れる。なに笑ってんだ、と噛みつかれそうになるけれど野生動物みたいにどーどーと落ち着かせれば案外すんなり鉾を納めてくれた。
ふと、エースの視線が下に向き静かに燃える火のように問いかける。
「そのカバン、もう出れんのか?」
「あ……、」
「まだ準備出来てねェなら、ここで待っててやるぜ?」
「……ううん、いいの。荷物はこれだけ、みんなに挨拶も済ませたから」
また蛇姫様に会えば、みんなに縋られたらきっとわたしの決意がぐらりと揺らいでしまいそうで。そうならない内に、逃げるように行こうとエースを急かした。
アマゾン・リリーからすれば、わたしはよそ者。いつかは麦わらの一味へ戻る者だった。いくら蛇姫様の航海へ着いて行ってもわたしが九蛇海賊団にならなかったのはその為。だから、こういう別れの方がいいに決まってる…ーーー。
「待て愚か者!!!!」
聞き覚えのある凛とした声がわたしとエースの鼓膜を突き刺した。美しいハープのような音色で、偉そうに上からの言いぶりで。振り返らなくたって誰なのか分かる。二年間、ずっと側で一言も逃さないよう聞いていたから。
サクサクと砂浜であっても優雅な足音が一歩一歩とこちらに近づいてくる。まるで最初に顔を合わせた時のような威圧感だ。けれど、わたしは旅立つと決めたのだ。振り返らずに、お礼だけ言って去ろう。
そう決めたのに、蛇姫様はまた形の良い唇を震わせた。
「今朝のあれが、そなたの言う“挨拶”か?」
「……ハンコック、さま…」
「わらわは失望した。そこまでそなたはこの島に思い入れがなかったのだな…」
「そんなことッッ!!」
「ーーやっとこちらを向いたな」
蛇姫様が時折見せたあの怯えた表情なのか、と培われた脊髄反射で振り返って仕舞えば至近距離に綺麗なしたり顔があった。微笑みを携えたお顔はとっても満足げで、してやられた、とすぐに判断できた。
ああ、わたしが頑張って意地を通しても、この人達の前じゃただの子供の駄々なのだろう。不安に思っていたよりも、決心は揺らがなかったけれど、敗北感は確かにあった。
「…お戯はおやめください」
「なにが戯な事か。わらわが先程言ったことも本心なのだぞ」
「そう思うならわたしの頬から手を離して、引っ張るのをおやめください」
エースも、蛇姫様の後ろにいるマリーゴールド様達も止めてよ。うにゃうにゃと頬をいいように弄ばれて、気が済んだのかぱっと離された。ようやくかと己の頬を撫でる暇なく、わたしの重心は前に倒された。ーー蛇姫様の胸元に抱き寄せられたのだ。
「あ、あの!」
「ーーアンリよ。」
「……は、い」
「そなたも薄々気付いていただろうが、わらわは、その昔…ひ、酷い出来事に遭ってな。他人が信用ならんかった。信じられるのは己の力と、二人の妹。ただそれだけ。この国の者だったとしても、“他人”に心を開く事が恐しゅうてならんかった。
だから、その壁を乗り越えて来てくれたルフィの為なら、なんでもしてやりたい。」
「…存じて、おります」
「けれど、それはアンリも同じじゃ。そなたは、大切な友だから。わらわに出来る餞別を考えた」
蛇姫様の熱い抱擁から解放されたと同時にスッ、と頭に冷たい何かが差さった。丁度耳より上の高さで結ばれていた部分に差されたソレを触ればシャラと音がなった。
「それはアマゾン・リリー成人の儀で、一人前の女になった者に国王が授けるリリーの簪だ。
儀式自体はまだ少し先なんだが。一足先に、そなたへ贈ろう」
「え、いただけません!わたしは…、だって…」
差してもらったのに恐れ多すぎて髪から引っこ抜き、蛇姫様へ返そうとする。が、止めに入ったのは蛇姫様でもエースでも無く、気が付けば近くにいたニョン婆様だった。
「皇帝に対してそニョ行為は侮辱じゃぞ、アンリ。」
「で、でもニョン婆様!」
「そなたはここで新しい命を宿し、生活した。新しい技術や知識、経験を手に入れた。
それは人一人を形成するには十分すぎるもニョじゃ。蛇姫がそれをそなたに渡したということは、アンリはアマゾン・リリーの一員、ということじゃよ」
しわしわのお顔をニッコリと緩ませるニョン婆様。それでもわたしは弱々と反抗していたが、手のひらの中にあるリリーの簪は太陽の光を受け、キラキラと綺麗に輝いていた。ずっと眺めていたいほど綺麗だけれど、わたしにそんな資格は…。
しかし天上天下唯我独尊な蛇姫様が、わたしの二の足を許すはずもなく、手に持っていた簪はあっさり奪われて、さっきあった位置に差されてしまった。
蛇姫様はふん、と鼻を一つ鳴らし、扇をパシン!と手のひらで叩いた。
「諄い。いくらそなたが泣こうが喚こうが、もうそなたはこの島の一員なのじゃ。
観念するが良い」
「そ、そんな無茶な…」
「それに、アンリよ。そなたは二年間わらわの側でなにを学んできたのじゃ。」
顎をくっと掴み上げられエースよりも上にあった蛇姫様の静かな眼差しと目があった。
さっきまでの不機嫌そうなお顔ではなく、皇帝然とした蛇姫、ボア・ハンコック様のご尊顔がわたしを自然と見下ろしている。
「強い女は美しくあるべきだ。ーーわらわのようにな」
「は、はゎ……」
「従者もわらわの装飾品じゃ。それはどこへいっても変わらん。よいな?」
「……ゔわ〜〜〜…!!」
爆イケのハンコック様のファンサを全身に浴びて、わたしは失明した(過言)。ああ、もうこの人は…。汚い悲鳴と共に大きなため息をついたわたしは、きっと悪くないはずだ。
そうだ、こういうお人だった失念していた。ハンコック様は基本的に素直な方だけれど、皇帝としてお立ちになる時の言葉は汲み取り辛い。今もストレートに受け取れば自分のものだ、と聞こえるがわたしには少し違った。
勇気と矜持を与えてくれる、魔法の言葉のようで。背中を押すシャラリと涼しげな音が、耳の近くで鳴る。
「有り難く、頂戴致します…!」
「ああ。」
さわさわと潮風が頬を掠める。
ハンコック様の髪が揺蕩う波のように綺麗で。この光景をわたしは決して忘れないだろう、とか感傷に浸っていればハンコック様はザクザクとその御御足を動かしてわたしを通り過ぎ、エースの目の前に立つ。
「アンリはわらわが丹精込めて育てた、わらわの次に優美に咲き誇る“花”じゃ。今のところ海軍にも政府にも見つかっておらぬ」
「お、おう」
「故に、そなたの粗相でルフィと会う前に“花”が踏み躙られるような事になれば、ーーそなたを石像にしてアマゾン・リリーで百年飾り続けた末バラバラにして海王類の餌にしてくれるわ」
「…そりゃ気ィつけて守らねェとな」
顔は見えないが声色と拷問全部乗せな内容から察するにハンコック様は身の毛もよだつ程、ものすごい剣幕なのだろう。しかし美しい般若を前に、エースはびくりともせず口角を片方上げて前とよく似た形の帽子を機械じゃない方の手で抑えた。まあ、それがまたハンコック様の癪に触るらしいのだが。
「ッッアンリ!!やはりこんなやっと一緒よりわらわ九蛇海賊団の方が確実にそなたをシャボンディ諸島に送れるぞ!ルフィも一緒だからなお安心じゃろ?!」
「ハンコック様、落ち着いて落ち着いて」
まるで先生に言いつける小学生のように歯を食いしばって訴えかけるハンコック様。大変お可愛いのだが、その提案に乗るわけにはいかないのだ。
「エースも来てくれましたし、もう行きますね!」
「アンリ!!」
「だってルフィと一緒だと目立つし、絶対遅いじゃないですか」
急かすように。否、逃げるようにエースの背中を押してハンコック様たちから離れた。小さなヨットのような船に足をかけると、久しぶりの波の感触に心が浮き足立つ。
凛とした声が響くけれどニョン婆様や妹姫様達が抑えててくれる今のうちだろう。
それに、彼のことだ。
どうせギリギリまで修行しているに決まっている。わたしだって、もっと時間があればシラウメさんやマリーゴールド様やサンダーソニア様、ハンコック様からもっといろんなことを学びたかった。
「シャボンディへ行く前に寄りたい場所があるんです!」
それじゃあ、と手を振るとハンコック様以外は振返してくれる。彼女らしいと、ヨットのような船に腰掛けて微笑んだ。惜しんでいた割に淡白な別れの挨拶になってしまった。心残りではあるけれど、生きてさえいればまた会える。
先輩から学んだ最後の言葉を胸の中で唱えた。
「それじゃ行くか、オヤジと“おれ”の墓参り!」
「うんッ!(ーー…あれ………?)」
そういえば、どうやって小さな船で凪の帯を渡ったんだろう?
()あの人の言葉が、今も息をしてる。)