生存戦争編
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“ずっと、おれが守ってやるからな”。
低くゆったりした声で紡がれた、絶対の言葉。
海から出た時に最初に思い出したのは、あの龍神さまの言葉だったな、と今にして思う。
あの人は、ずっとわたし達の側に居てくれた。
ーーただ一人の、お父さま。
*
徐々にフェイドインしてきた小鳥の囀りに聴覚を刺激され、深く沈んでいた意識はふよふよと浮かび上がる。睫毛を震わせてみるが、あまりにも熟睡していたのかなかなか瞼は開こうとしない。もう少し寝ていたいと思う反面、そろそろ起きなければという危機感も胸の中に差した。むにゃむにゃと声帯を揺さぶり己の身体に喝を入れるが、それすらも自堕落に。振り上げたそれは虚しく降ろされる。
そんなことを繰り返していると、遠くからバタバタと何かが迫ってくる音が近付いてくる。なんだろ、チョッパーか、ナミか。もしかしたらルフィが島を見つけて冒険だと騒いでいるのかもしれない。
………って、あれ?そういえば、今わたしどこで寝てるんだっけ?
「アンリ!!」
「っぉわあ!!?」
「ーー…ッ、やっと起きたか……よかった…!!」
枕元から聞こえた声は、わたしの想像していたどれでも無くて。
驚いた反動で目を白黒させながら見えたのは、そばかすと太陽をきらりと反射させるほど大きく見開かれた黒い目。
「……エース、さん…?」
「ーーああ、悪ィ。オハヨーゴザイマス」
「お、おはようございます。
そうじゃなくて、ここどこ…?」
辺りを見渡しても覚えのない木造の調度品ばかりで戸惑う。
エースさん自身を見ると、上着を羽織り、右腕部分の空白を埋めるようにキュッと縛っていた。そこにあったはずのものを思い返し、ああ、あの出来事は全て夢じゃなかったのか。と心の中で反芻しても実感はなくて。無意味に肌をさする。
「…そうだな、色々話さなきゃな。その前にメシと水。アンタ十日も寝てたんだぜ?」
そう言って渡されたお盆の上には、美味しそうなお粥と木のコップに注がれた水だった。
わたしが寝ていた布団やらこの小屋、お粥も含めてここの島の人たちが用意してくれたらしい。どなたか存じませんがありがとうございます。優しいんだなぁ、と動かない頭でぼんやりと考えていると、エースさんがぽつりぽつりと話し始めた。
どうやらわたしが悪魔の実を丸齧りした後、ばたんと倒れてそのまま今まで起きなかったらしい。水をちびちびと飲みながら時間をかけてコップ一杯を空にして、お粥には手をつけずに聞きたいことが山ほどあった。
おずおずとルフィやローさんの名前を出せば、エースさんはあーー、と天井を見上げて思い出すように言葉を選んでいた。
「ルフィは最初心配してアンタの周りをうろちょろしてたんだがな。ほら、でけェ魚人のジンベエって居たろ?アイツが”やるべき事があるはずだ”って外に連れてってくれてよ。そっから今は、…その冥王に、修行してんだと」
「めいおう、…ってレイリーさん?な、なんであの人がここに?」
「泳いできたっつってたな」
その言葉を聞いて、呆然としてしまった。
なんだろ、前世でそんなプリクラ流行ったなぁ、と頭の片隅で記憶が刺激された。それにしても元気すぎやしないか、レイリーさん。
気まずそうに、しかし柔らかい呆れた笑みを浮かべてエースさんは頬をかく。十日も休み続けていた脳が徐々に仕事をしだした。
…そうか、わたし達にとっては船をコーティングしてくれる優しくて強いおじいさんだけど、エースさんにとっちゃ生みの親と言われた人の“右腕だった人”なんだ。
なんて言えばいいのか分からず、わたしはそっか、と一先ずはルフィの安全を喜んだ。が、束の間。エースさんは愉快そうにバサリと、わたしの目の前に新聞を取り出した。
「ちなみに、これ!おれの弟ながら面白ェこと考えるだろ?」
見覚えのある笑みを浮かべ渡されたそれには、“麦わらのルフィがマリンフォードに再び現れて、新時代への16点鐘”と見開きいっぱいにデカデカと写真と共に載っていた。まだ包帯がグルグルと巻かれているのに、わざわざ再び敵に乗り込むなんて…。
呆気に取られたが、ふとルフィの右腕に書かれた妙な文字を見て、思い出した事がある。渇いた喉から震えた声が溢れて、視界は霞んでいく。
「…3D、2Y。ッ、三日後じゃなくて、二年後。
シャボンディ諸島の待ち合わせ…!!」
「ああ、ルフィがした事は…、まあ冥王の入れ知恵だろうが、ルフィが本来伝えたかった事はそれだろうよ」
遠く離れた仲間に、ちゃんと声が届くように。
眠っているわたしにも、しっかり伝わるように。
ああ、わたしはこの暖かい世界に、ちゃんと帰ってこられたんだ。
実感が肌を突き。目頭に熱が集まった。
新聞をぐしゃりと抱きしめて、滲んだ涙を乱暴に拭った。わかったよ、わかったよと譫言のように呟いた。
けれど、だめだ。まだ、聞かなきゃいけない事があるんだから。
泣いてる暇は、きっと当分ない。
話題を変えようと、見当たらない人たちを名前を挙げると、エースさんは“あの後”を詳しく話してくれた。
「あーっと、…“トラファルガー・ロー”はここの長老に追い出されてたぜ。仲間が起きたんなら出てってくれって」
「そ、そんな…。
この島の人は、よそ者に対してきびしい方たちなんですか…?」
「いや、よそ者っつーか、元からこの島は男子禁制なんだってよ。
この女ヶ島に入れたのは、ルフィとここの王である海賊女帝のパイプがあったからだし」
「……海賊、じょてい…」
聞き覚えがある。
確か、とんでもなく美女なんだとか。そんな人と、ルフィが?え、いつの間に??なんだか情報量が多くて、やっと働き出した脳みそがもう音を上げている。
「え、あ、じゃあ、どうしてエースさんは…」
「ルフィがマリンフォードに行く前に、海賊女帝に“アンリの事、頼んだぞ”っつって、おれはそのオメツケヤクで残るんだって無理やり居座ってるトコだ」
シシッと笑って答えているが、それって結構な事じゃないだろうか…?ルフィの謎が深まるばかりであまり内容が入ってこないが、エースさんはわたしの為に残ってくれたと言う事だろう。
そう納得して、わたしは居住まいを正して、三つ指を着き床に額を擦り付けた。
「おまっ!!?やめろ!!」
「わたしが、おきるまで信じてそばに居てくれて、ありがとうございます」
「違う!…いや、違かねェけど!おれは恩も忘れてトンズラするようなヤツじゃねェだけだ!!土下座とかすんな!」
ぐぐ、と床から引き剥がされて見えた表情は、どこか怒っているらしかった。それでも構いやしない。そう思うわたしは、自分で思っている以上に我儘なのだろう。
「いいえ。…それでも、わたしはおきた時にだれかが、エースさんがいてくれて、すごくたのもしかったです。だからありがとう!」
怒られても、嫌われても、ウザがられたって。
わたしが受けたものも間違いなく“恩”だから。
片方だけになってしまった手のひらをきゅっと握れば、カイロみたいに温かな命が、そこにあった。
血が通って、好みがあって、癖があって、家族がいて、思考があって、悔いがあって、そして何より仁義を通す。
わたしはちゃんと、“ポートガス・D・エース”を生かせられたのだろうか。
また、少しだけ目頭が熱くなったけれど、気付かないふりをした。
きっと、エースさんの熱が映ったのだろう。エースさんを見れば、心なしが顔が赤いし、所々発火している様からメラメラの実は健在であることも分かった。
何か誤魔化すようにあーーとか、うーーとか唸りながらあさっての方向に首を傾げるエースさんに、つい面白くなって吹き出してしまったら目の前のその人は眉間に皺を寄せた。
「何笑ってんだよ…」
「ふふ、んーん。ルフィがウソつくときに似てるなって、思って」
「…なんだ、敬語取れんじゃねェか」
「え?」
「固っ苦しいのは苦手なんだ。
おれにもルフィと同じように接してくれよ」
コロコロと表情が変わるエースさんの要求は、数ヶ月前のルフィを彷彿とさせた。…そうだ、この人ルフィのお兄ちゃんなんだよね。そりゃグイグイくるよ。
それでも、ルフィのお兄ちゃんって事もあって、当然ゾロさんやサンジさんよりも年上だ。つまり、わたしの“ジャパニーズルール”に則れば間違いなく敬語+さん付けの対象で、実際無意識にそうしてたんだけど。
固まってしまったわたしに、目の前では黒曜の瞳が期待を滲ませ輝いている。…ああ、どう足掻いても手遅れですね。
無邪気な眼差しには勝てないって事は、ウチの船長と、とってもキュートで頼りになる船医さんで学習済みなのだ。
「がん、ばりま。…じゃなくて、がんばるね、エース」
「………っお、おう」
二人しかいないこの空間にじっとりとくすぐったい空気が流れてしまい、それを払拭すべくエースさん、基エースはわたわたと動いた。
そのついでに、お風呂入りたいと要望を伝えるとまた顔に熱を集めたエースは、川なら近くにあると言う。
十日も寝ていれば筋力が衰えてしまったのか、一人で歩くのも不安になる足取りだった。なんだか海から上がってすぐの頃を思い出す。
エースに掴まりながら立ち上がると、(悪いよ、と言っても「お前一人くらい片腕でも持ち上げられるっての!!」と突っぱねられてしまった)視界が白く細い糸のようなもので包まれる。
数秒、世界が静止した気がした。いや、わたしの脳が処理できる要領を超えた。膜を張ったように、世界の外側からエースの声がぼんやりと聞こえる。その助けもあり、じわじわ意識が戻ってきた(立ったまま気絶していたわけじゃないが)。
改めて妙な白い糸を掴みまじまじと眺める。いや、実際なんだろう?これ。細くて、長い、わたしの腰くらいまである糸が何万、何十万が束になって覆っている。
なんだかよくない予感が背後まで迫ってきて、わたしの脳は処理落ち寸前だ。
「……エース、この小屋に、鏡って、あったりする…?」
「あるんじゃねェか?」
ちょっと待ってろ、と一旦わたしを布団の上に再度置いて箪笥の中をゴソゴソと漁り出す。女がいっぱいいる島だからあると思うんだよなー、と独り言のように呟くエースに、わたしは構ってあげられるほど心の余裕はまだないらしい。
暫くしてからテテーンと効果音がつきそうな程嬉しそうに鏡を見つけた物は手鏡で、ほらよと丁寧に渡してくれた。
「………」
「…アー、成る程それな。
アンタが寝こけてから暫くして、急に色が変わっちまって。この島の医者が見ても何ともねェって言うんでアンタが起きるまでそのままにしておいたんだ。…つーか、なんか目の色も変わってねェか?」
あれ?そんな色だったか??首を傾げるエースさんの言葉は遠く。わたしの意識は、全て鏡の中の自分に持っていかれた。
やっとの思いで絞り出した声は、とてもしゃがれていて裏返っていたように思う。
「……髪が、白い…。目も、うすいあお…?」
言葉通り、寝て起きたら自分のカラーリングが一変していた。
どういう意味か分からないだろうが、わたしも分からない。鏡に映るわたしは、まるで色違いポケ○ンだ。げ、現実逃避しかできない。
だって、わたしは母に似た黒髪で、目の色だって深い海のような色だったはずだ。これでは後ろから見ればおばあちゃんじゃないか。
「…あ、れ?」
どこかに引っ掛かりを覚えた。そしてすぐに気がついた。ーー母に似たのでは、ない。
わたし達の容姿は“全員”、龍神さまに似ているのだ。
唯一異なるのは肌の色くらいで、あとは全て同じ。他の遺伝子が混ざったところで、呪いのように同じ容姿の女の子が生まれる。
それは、あくまでも“龍神族”の呪いだった。
しかし、眠りから目覚めたわたしは、もう龍神族ではない。
悪魔の実を食べた、海に嫌われた“人間”となったのだ。
その証拠が、この白髪と薄い青の瞳、という事なのだろう。
わたしが龍神族としてもう余命幾許もないというのは分かっていた。
理解した上で、わたしは悪魔の実を欲したのだ。
けれど、こうもまざまざと母と龍神さまとの最後の繋がりが切れた瞬間を、わたしは穏やかには見れなかった。目の前の見知らぬ白髪頭の女の顔が、みるみると絶望に曇っていく。
ああ、生き汚い。なんと無様で、惨めで、醜悪なことだろう。
それでもわたしは、あの時心から願ったのだ。
生き汚くてもいいから。無様でも、惨めでも、醜悪だとしても。
わたしは、あの人達のそばにいたいと願ったのだから。生きたいと、願ったのだから。
だから、泣くだなんてお門違いだ。ぐし、と鼻を啜ってわたしは最後の一人の話を聞く。
「……ねぇ、エース。
龍神さまは、どうしたの?」
今までの話に一切出てこなかったあの人の顔を思い出してみても、悲しみにくれた背中だけしか、わたしの脳裏には浮かばなかった。
*
ーーアイツは、お前が寝ちまった後、これ置いてすぐどっか行きやがった。親ならもっと子供を心配するもんだろ?
エースから渡されたのは、一枚の紙切れだった。龍神さまからわたしへ、と託されたらしい。
曰く、アンリ以外これに目を通すことを禁ずる、だそうだ。
エースは文句を言いながらも律儀にその言伝ごとこの紙切れを守ってくれたらしい。どうせ短い別れの言葉だろうよ、と付け足され渡されたそれを読んだ後、ぐしゃりと握りつぶした。目の前でギョッとしたエースを視界の端に、わたしは重く動かない体に鞭を打って布団から這い出た。手を貸そうとするエースを手だけで断り、下を向きそうになった視線は怒りで上向いた。
走る、とまではいかないが一歩一歩踏ん張って、辿り着いたのは海に面した砂浜だ。小屋から出て近いのだが、今のわたしには遥か遠くに感じた。
小波の音、うみねこの鳴き声。わたしの愛する海が目の前にある。
潮風をめいっぱい肺に溜めて、ーーー大きく声帯を震わせた。
「ッッ龍神さまの、ばか〜〜〜〜!!!!!」
「!?」
「なぁにが“おれのことをなんか忘れろ”だ!!!!なにが“それだけで幸せになれる”だ!!!もう一回言ってやる!!
うるせェばーーーか!!!!!」
叫ぶわたしの声に、徐々に涙の色が滲む。びっくりしながらも隣で見守ってくれていたエースには申し訳ないが、罵声をやめてやる理由にはならない。もう一度息を吸い込み、沈む夕日を睨みつける。
こんなこと叫んだって龍神さまが現れないことは、何となく分かっていた。あの人が姿を消してしまえば、“今の”わたしには成す術がない事も。けれど、この置き手紙には文句の一つや二つ、いう権利くらいあるだろう。
「わたしはッ!!!何もかも失ってたって!
あなたのことはぜったいに、忘れない!!!!!!」
忘れて、やるもんか。消え入りそうな呟きは、波が攫っていった。
直後、とうとう泣き崩れてしまったわたしの背中を最後まで優しくさすってくれたのは、何も言わないエースさんだった。
*
「おい、だいじょーぶか?ホレ、水飲め」
「…ゔん゛、あ゛り゛がどゔ」
小屋へ戻り、再び布団に横になる。
理由は簡単。泣きすぎて脱水症状を起こしたのだ。
バカはわたしだった。
この歳になって(前世含めて)、泣きすぎて頭痛くなってふらふらで上手く呼吸できなくなるって……。マジで、ない。
とんでもなく自己嫌悪だ。ずーんと落ち込むわたしに水を汲んでくれ、なおかつ慰めてくれるエースはもうわたしの中でいい人レベルがカンストしていた。
「まぁ、そのアレだ。…お互い、親父の事で苦労するよな」
「……うん、ありがとね、エース」
自分でも出したくない話題だろうに、エースは懐かしいような、まだ生傷の部分を撫ぜるような表情で、笑った。
互いのどうしようもない父親の話を暫くした。わたしは愚痴のように、龍神さまの話しをした。
目を見張るほどの美丈夫で、波に揺蕩う黒い髪。わたし“達”をとても愛おしそうに見つめる蕩けた青い瞳。
ちょっと過保護な所や思い込みの激しい所もあるけれど、わたしにとっては掛け替えの無い大切なお父さま。
いつの間にか流れていた涙を掬って、今度はエースがポツポツと話したのは、白ひげの話だった。
立派な人だったのだろう。戦場では、見ず知らずのこんなわたしを気にかけてくれるくらい。
話を聞いて、わたしが「ちゃんと会ってみたかったな」と言えば、エースも少し泣きそうな顔で「おれも、会わせてみたかった」と言った。二人で思い出話に花を咲かせていれば、小屋の戸を叩く音がした。
待ってろ、とエースが消えて少ししてからまた戻り告げる。
「アンリを城に連れて来い、だとさ」
「…え?」
「つまり、海賊女帝がお呼びなんだと。
ここで待っててやるから、行って来いよ」
海賊女帝。
ルフィの知り合いで、わたしをここに匿ってくれていた人。
その人が、わたしをお呼びとのことだ。きっと、わたしの目が覚めたと、誰かから報告を受けたのかもしれない。
出て行け、って言われるのかな。でも、エースが小屋で待っててくれるんだ、と思えば緊張も和らいだ。
あれよあれよと言う間に、お城の使者さんに屋根付きの荷車(のようなもの)に乗せられて、城下街を通った。
小屋の調度品を見た時も思ったが、今まで見てきた島と比べると、ここは何だか前世でいうところの中国のような雰囲気が強い気がする。
ほへー、と間抜けな顔をして車の中から街を見ていれば、どうやら街の人からもこちらを見られていたらしく、わらわらと人が集まってきた。
使者さんは一人で荷車を引きながら、集まった野次馬を追い払っていた。話には聞いていたが、やっぱり女の人ばっかりなんだ…。
ゆるゆるとたどり着いたお城は、やっぱりどこか中華風だ。長い廊下を通り使者さんに連れられた所は、とんでもなく大きな扉だった。
もしかして、この奥に海賊女帝さんがいるのだろうか…。
ごくりと固唾を飲み込むと、ゆっくりと扉を押すと重そうな扉は案外簡単に開いて、瞬きをすればそこはカーテンが何重にも吊るされた神秘的な世界だった。誘われるように中に入り、きょろきょろと見渡す。ひ、ひろい…。圧倒されてしまうほどの広さと区切るように吊るされたカーテン。そして、最も奥には一際豪華な薄いカーテンに閉ざされた天蓋付きの寝台、のようなものがある。布を挟んで見えるシルエットはとても優美で美しい。
「ーー控えおろう」
聞こえたのはどこかの時代劇のようなセリフだった。しかし凛とした声圧に、思わず背筋を正す。声の主は薄いカーテンの奥にいる。
側で仕えていた人達が両橋の紐を引けば、その境界線はすぐに消え、シルエットの主が顔を出す。主は、先ほどの声やシルエットと比べ物にならないほど美しく、わたしは思わず目を丸くした。
長く艶やかな黒髪、白い陶器のような滑らかな肌はまるで芸術作品で。すらりと長い手足、豊満な胸元はざっくりとV字に空いている衣服で魅惑的だった。顔立ちは、なんというか、神々しさすらある。
筆舌に尽くす、とは正にこのことかと思うばかりだった。きっとサンジさんがこの場にいたら目の前の海賊女帝さんの美しさに言葉もなく凍り付くことだろう。安易に想像がつく。
海賊女帝さんはしゃなりと音が鳴るように首を傾け、わたしに言葉を吐いた。
「そなたが眠りこけっておったルフィの仲間か」
「…は、はい」
「加減はどうじゃ?」
「は、い、げんきです…」
「そうか、それは良かった」
にっこりと微笑みかけられると心臓がキュッと音を立てた。綺麗な人が笑うと、“そこだけ花が咲いたようだ”っていうセリフがあるけれど、本当にその通りなんだなと感心してしまった。彫刻や絵画、星の数ほどある芸術品もこの人の前では輝きが曇ることだろう。
「では、何も問題がなければこの島から出ていくがよい」
「…………はい?」
「妾がそなたの滞在を許したのは、ルフィから直接頼まれたからじゃ。
起きて叫ぶ余裕がある程回復したのなら出ていくのが道理であろう?」
頬に手を添えてこてんと首を傾げる姿は正に可愛らしい、の一言に尽きるのだが。それにしたって言ってることと見た目が乖離している。
可愛い顔を作って言うことじゃないだろう。これが前世で言うところのファムファタールというヤツかも知れない。頷いてしまいそうになるのだから、恐ろしい。
けれど現実問題、わたしはもう少しリハビリしないと満足に動けないし、エースにこれ以上負担を掛けたくない。
自分勝手な都合の我儘なのだが、せめて、もう少しだけこの島で療養したいのだが…。
わたしが発言することすら憚られるような威圧感に、背中に冷や汗が一筋流れる。ぎゅっと拳を握って、改めて目の前の彼女を見据える。美の力に圧倒されて、いつまでも見ていたくなるが、そんな気持ちはシャットアウトだ。
「そ、そこをなんとか…!もう一週間、いや、三日だけでも、ここで休ませていただけませんか…?」
「ならぬ。余所者、剰え(あまつさえ)ルフィ以外の男と共にそなたをこれ以上置いておく義理はない」
「それは、そうなんですが…!!」
「諄い!!(くどい)」
パシン!と軽く乾いた音が響いて、ハッとした。彼女の手元の扇を掌で叩いた音だ。
けれど何よりも恐ろしかったのは、目の前の絶世の美人の眉間に皺が数本刻まれていることだった。美人が怒ると怖い、というのは本当らしい。苛立ちを隠すことなくツカツカと高いヒールを鳴らしながら天蓋の寝台から降りてこちらへ近寄ってくる。わたしより頭二つ分ほど高いいちにある目はキッと吊り上がり、わたしを親の仇のように見下す。
「くどくどくどくどと…!!妾は気分が悪い!
もうよい!この際はっきりさせようではないか!!そなたは、ルフィの事がす、す、好きなのじゃな…!?」
「……ん??え?
えーーっと、そりゃ船長として、そんけいもしてますし幸せも願ってます、??」
「ほぅ……、そなたのようなちんちくりんが妾の恋のライバルとはな!!」
「恋??!そっち!??違います違います!!
確かにルフィの事は好きですけど、そっちの好きじゃなくて…!!」
「問答無用じゃ!!恋敵という言葉もあるでな、敵と言うからには討たねばなるまい?」
「わーーー!わた、わたし、別に好きな人います!!!」
裏返ったわたしの悲鳴は、しんと冷たくなった部屋に響いた。今まで散々蓋をしてきた想いは、呆気なく顔を見せた。
いつのまにか振り上げられていたスラリと長い足は、鼻先寸前のところで止まり、顳顬に汗がたらりと伝い喉の奥がキュッと緊張で閉まった気がする。
目の前にある絶対零度の眼差しが、微かに揺らぎ鼻を一つ鳴らした。
「そう言われても、まだ信用に足る訳ではない。そなたが本当にこれからもルフィ好かぬ証拠を示せ。」
わたしを見下ろす海賊女帝さんは腕を組んだことにより豊満な胸元が余計に強調された。もはや暴力として扱ってもいいだろう。
しかし、彼女の暴君たる所業はここで終わりではなかった。しょうこ、とは?と問うわたしにドン!と効果音がつくほどのドヤ顔で信じられない言葉を紡ぐ。
「そなたの好きな者の話をしろ」
「……、はい??」
「何をしている、早くそなたの想い人の話をしろ。どこで出会い、どうして恋に落ちて、どこが好きか詳細に申せ。」
「ちょ、ちょ、ちょ、」
「…でなければ貴様はやはりルフィが好きなのだな。即刻石にしてくれる!」
詰め寄るように、逃げ場を無くすようにわたしの顎のラインをつるりとした指が撫でた。
数十センチ上にある瞳は、燃えているように“本気”だった。再びカツカツと物理的に詰め寄られ、後退れば、気がつくとトンと背中が壁に当たった。
逃 げ ら れ な い 。
状況を正確に理解した脳が、感情よりも先に冷静にわたしを諭した。
観念しろ、わたし。きっとこの人は、わたしがす、好きな人、のことを話すまでフンフン詰め寄ってくるし、最悪勘違いされたまま殺されてしまうかもしれない。
それに、遅かれ早かれこの想いには向き合わないといけないのだ。
知らぬ存ぜぬで通る時期は、もう過ぎたんだから。
クールな脳内わたしが懇々と説得し、ついに折れた。というよりもヤケクソ、という方がきっと正しいだろう。頭の隅にいたはずの金髪の彼は、堂々とわたし脳内全てを占領する。
ええい!もう、どうにでもなーーれ!!(魔法の言葉)
「彼は…、サンジさんは、冷たい海の底で終わりを待っていたわたしに、初めて“あたたかい”をくれた人です。
サンジさんは、すごく優しくて、強くて、かっこいいよくて、……ちょっとえっちで、意地悪なんですけど。
いつも周りを見てて、わたしが不安に思ったことがあれば、すぐにどうしたの?って聞いてくれて…。わたしのいやなところを見たのに、それでも君が欲しいって言ってくれた人で。“当たり前”みたいに、わたしを暗い海の底からひっぱり出してくれたんです」
溢れ出した想いは、口から吐き出て止まらない。初めてきちんと口に出した。
「わたしは、そんなサンジさんが、すき…に、なったんです」
俯いて、消え入りそうな声で、それでもしっかり言葉という形で出した初めての気持ち。
取り留めない、拙い言葉だったのに、これが本心だとしっかりと理解した。
ああ、もしわたしがメラメラの実を食べていたら全身から火を出してたに違いない。両頬を包んでいる指先でさえ熱くて湯気が出そうだ。
けれど、そんな手を目の前の人は攫ってしまった。呆気に取られてされるがまま握られた両手は海賊女帝さんの胸の位置でぎゅっと固まる。
まるで握手会だ。わたしが海賊女帝さんのファンだったら間違いなく手厚いファンサに汗と涙と鼻血を流すことだろう。
しかし、興奮気味に汗を流していたのは目の前の海賊女帝さん、その人だった。先程よりも幾分か人間らしく頬を染め、顳顬には汗を伝わせ、鼻息は心なしが荒い。え、え、何この展開??怯えて疑問符を浮かばせるわたしの手をさらにキツく握りしめて、海賊女帝さんは叫ぶように言った。
「わかる!!!!!!!!」
特大のボリュームに、思わず耳がキーーンとしてしまった。
曰く、海賊女帝さん、基ハンコックさんは恋バナをしたことが無いらしい。
それもそのはず、この島には男がほぼ来ない。初めて異性を好きになったのがつい先日ときた。まあ、自覚的である分、わたしよりも断然先を行っていらっしゃるが。
「ルフィはこの島の近くで修行をしているのだが、来るなと言われてしまった……。
ルフィに会えぬのならせめてルフィへの想いを吐き出したい!しかし、この国の者はルフィ以外の男をほぼ知らぬ。妾の気持ちに触発されて好きになられては堪らぬからなぁ。」
「はぁ…」
「その点!貴様はルフィの良き部分を理解しながらも、特別に好いた者がいると分かった。」
「ありがとうございます?」
未だに状況を理解できていないわたしに、ハンコックさんはニコニコとしていた。さっきみたいな血も凍るような怖い眼光じゃないだけいいのだろうが、朗らかな笑みすら嫌な予感の対象になるのだから、やっぱり美人は怖い。
「そなた、名は?」
「… マヤ・アンリです」
「アンリ、貴様の要求を飲もう。」
「…っえ!?ほんとうですか?」
「ああ、ルフィからアンリのことを頼まれているのでな。一週間と言わず好きなだけいるがよい。なんなら悪魔の実稽古もつけてやろう」
妾の姉妹共々悪魔の身の能力者だからな、多少の指導くらいはしてやれるだろう。ハンコックさんの言葉に視界が晴れやかになっていく。
なんだ、嫌な予感なんてわたしの思い違いだった。ーーそうならどれだけよかったか。ハンコックさんは形の良い眉を寄せて、だが、と続く言葉を繋いだ。
*
ドゴッ!と鈍い音共に痛みが額に襲いかかった。どうやらぼーっとしていて、木の枝にぶつけたらしい。
痛みに頭を抱えしゃがみ、どうしてこうなったか自問自答する。確か、使者さんがきてお城に連れて行かれて、そこで天女みたいな人に会って、天女みたいな人はルフィガチ恋勢で、その勢いでわたしもサンジさんが好きって言っちゃって、そこで…。
あれ、わたしいつの間に帰ってきたんだろ?
ヒリヒリする額をさすりながら、ハンコックさんに言われた言葉を頭の中で繰り返していると、なんだか自分の甘さに泣けてきた。
誰もいないんだから、ちょっとくらい泣いてしまってもいいだろうか、なんてまた甘さを出していれば、奥からダダダダと何かが迫ってくる音が近づく。この足音は、知ってる。
「なんだ今の音!?……って、オイ大丈夫か?」
「……エースぅ゛…」
「ぉわっ!??な、なんで泣いてんだ?!」
涙を零さないように溜めて赤くなった額を押さえるわたしを見て察したのか、少しだけ笑って肩を貸してくれた。
この人はやっぱり“兄”で、こんなふうに自然に優しく出来てしまうのだろう。
小屋に連れられて、落ち着くとまたエースは大丈夫だったか?と聞いてくれた。城での出来事を心配してくれているようで、悩んだ末わたしはハンコックさんに言われたことを包み隠さず話した。
“一週間と言わず好きなだけいるがよい。悪魔の実稽古もつけてやってもよいぞ。
…だが、あの男はダメだ。ここは女ヶ島、本来は女だけの楽園なのだから”
明朝、迎えを寄越そう。今日中に決めよ。
そう心苦しそうに言ったハンコックさんは、長いまつ毛で影を落とした。
わたしだけ療養を許され、待ってくれていたエースは出て行かなければいけない。そんな不義理が許されるわけない。出ていくならわたしも一緒に、と言ってしまいたい。だけど、今のわたしは足手まといにしかならないだろう。
ハンコックさんは時間をくれたのに、わたし一人じゃ一歩も動けない。
エースは、この言葉を聞いてなんと言うだろう。不義理に怒る?厄介者のように追い出される形に気が沈む?それとも…。
先を想像する前に、ハンコックさんの言葉を聞いて、エースは春の陽気な風のように軽く笑い飛ばした。
「ハハッ!そんな怒られたガキみたいな顔すんなよ!」
「だ、だって…」
「おれのことは気にすんな、元からアンリが目ェ覚ましたら出ていこうと思ってたんだ」
わたしの頭を乱暴に撫で付け、遠くを見つめるエースに、それでも申し訳なさが勝ち、…ごめん、と呟く。
「ばーーーか!おまえのせいじゃねェっての!!そもそも仲間達が待ってんだよ、マルコ達にも連絡しねェと」
「マルコさんって…、わたし助けてもらった青い鳥の人、だよね?」
「知ってんのか!?マルコはすげーんだぜ!他にもデュースとかイゾウとかビスタとかジョズとか。……きっとアイツら、おれがあのまま死んだと思ってる」
「……!」
「だからさ、会いに行って驚かせてやりてェんだ!」
ニカッと笑うエースに、なんだか泣きそうになった。やっぱり、生きててよかった。
改めて、頑張ったことは間違いじゃないんだって、言われてる気がした。
「それに、親父の墓参りもしねェと」
「白ひげさん、お墓作ったの…?」
「マルコ達のことだ。きっと、親父が帰る場所くらい用意してんだろ」
「……そっか、じゃあ今度はわたしも連れて行ってね。白ひげさんには、あいさつもお礼もできてないから!」
ふんす!と意気込むとからから笑ったエースがまたおうって言ってくれた。
ハンコックさんの時間通り、明日の朝には出て行くと、エースは言った。どうやら、凪帯なのに今は海王類も姿を見せないらしく、わたしが起きる随分前から、島を出る用の小舟をハンコックさんから渡されていたらしい。…出ていく準備は、ばっちりだ。
エースがあまり無い荷を纏めている間、わたしは寝ずにエースと話した。
エースとは、ほとんど初めて喋るのにどうしてか話が弾んだ。擬音は多いけど話し上手で、今までの冒険をきらきらした目で語ってくれた。
お気に入りのテンガロンハットは監獄に入るときに無くしたらしく、船出用の編笠も作っていた。なんでもずーーっと先の海にはワノ国って所で女の子から習ったらしい。作るのは久しぶりだと、端っこを焦がしていた。
わたしもやりたい!と習うけど、まだ指先が器用に動かず藁がお団子状態になってしまって二人で笑った。
そういえばアレも見れた。わたしが物語の中で知っている“ポードガス・D・エース”の特徴としてルフィのお兄さん・炎を出す・あの戦争に並ぶ程大きなもの。
「ンガ…!!」
「ほ、ほんとに食べながら寝るんだ…」
一緒に魚の塩焼きを食べていると、突然ガクリと頭を落としたエースに一瞬びっくりしたが。そうか、これがかの有名な…。と、なんとも言えない感動に包まれた。
そして、他にもいろんな事を話した。わたしは麦わらのみんなの話、これまでの少ない冒険の話、面白かった本の話、母と龍神さまの話。
エースも仲間の話、兄弟の話、ルフィの小さい頃の話、ワノ国で出来た友達の話、ルフィがお世話になった赤髪のシャンクスと一緒にお酒を飲んだ話、さっきも話した冒険も混ざって。後は白ひげさんの話もした。
気がつけば空に居たはずの月は輪郭を朧げにして、太陽が近付いてきた。夜明けだ。
*
小屋の前に停泊させてた小舟には、多少の食糧と海図が乗ってたけど、思っていたより荷物は多くなかった。なんだか前世のバックパッカーを思い出させる物の少なさだけど、過酷さはその比じゃないだろう。
それでもエースは満ち足りた表情で小舟に足をかけた。まだ冷たい風が、わたしの頬とエースの右袖を掠めた。
「じゃあ、そろそろ行くわ」
「…うん」
「……」
「………」
「……ダァァァアア!!そんなカオすんなっての!これが今生の別れじゃあるまいし!」
「…また会ってくれるの?」
「当たり前だろうが!!」
ぐしゃっと自分の髪を掻き分け、吹っ切れたような顔つきでわたしの頬を片方、びよーんと摘んだ。やんわり痛いが、不細工だろうからやめてほしくてジタバタと暴れる。
「や、やめへっ」
「意外と伸びるモンだな」
「いまるひぃとくらべへるでしょ!」
「おーー、ギリギリ何言ってっか分かる」
手を払ってやろうと振り上げれば、悪びれる事なく離された。熱を持つ片方の頬を摩り、睨み上げるがあまり効果はないらしい。
「……あーー、会いに行くよ。」
「え?」
「だから、会いに行くっつってんだ。
二年後、シャボンディに行くんだろ?またそん時会いに行く」
「きてくれるんだ」
「おう、だから泣くな」
ガシガシ頭を撫で回される。ちょっと雑なような気もするが、エースの顔を見たら文句なんて言えなかった。
だから少しだけ、わがままを言って困らせてやろう。それくらい打ち解けただろうと思っても、きっと自惚じゃないはずだ。
「それなら送りむかえしてよ」
「ン?」
「シャボンディまで連れてってくれるの、エースがいいな」
「ッッお、おう!!マカセロヨ!!!」
何やら視線をずらされエースの頬が赤く染まった。ん???若干声が裏返ってる気もしなくもないが、何かあったのだろうか?
「だいじょーぶ?」
「ナニモ問題ねェよ!」
「そっか、じゃあ二年後またここで待ってるから、むかえにきてね!それを楽しみに二年間りょうようと修行がんばるから!」
気合を入れて意気込むも、エースには通じていないのかしゃがんで頭を抱えてしまった。
首筋や耳が赤い。もしかしてやっぱりまだ万全じゃないのかも!?そりゃそうだよね、片腕なくなったんだから…!
「ほ、本当に大丈夫!?まだやっぱり体調悪いんじゃ…!!」
「……あの…もう本当に、勘弁してくれ…」
大丈夫だから、と消え入りそうな声と手のひらで近寄るわたしを制した。ちらりと覗いた目は、何だかよく知っているような色をしていて…。
「エース、あの…」
「いやいや、待て!待ってくれ頼むから!命の恩人に下心抱いちまうような馬鹿になりたくねェ!!」
「……え、…????」
「……………はぁ、????!」
「?????」
「…………………」
やっちまった、背中に文字が見えるほど赤くなって青くなった後項垂れるエース。そして、未だに理解できていない真顔のわたし。
したごころ、シタゴコロ、下心。下心ってなんだっけ?直訳するとアンダーハートって所までは分かる。確かアレだよね、前世で読んだ小説に英語の直訳みたいなカッコ良くて長い名前の吸血鬼が出てきたような気がする。アレのことかな?けれど、そうだとしたらエースが項垂れる訳がわからない。頑張って回転させようと首を物理的に捻っても拒絶するように頭は働こうとしない。なんだよストライキか?
頭を働かせる以前に己と己の主義主張の殴り合いが勃発する前に。
先に沈黙を破ったのはエース本人だった。
「つ、つまり!!
…おまえが。アンリが好きなんだよ!」
「エッ!!?!さ、さっきのってそういう意味だったの!??」
「他にどういう意味があんだ!!!」
目を釣り上げてテンポ良くツッコミを入れられて現実を直視する。
わ、わーー、今の、こ、告白だよね…??え、あってる???わたしが捉えた意味合いで間違えてない?間違いだったらそれはそれは恥ずかしいことになるよね?
無言でワタワタキョドッていると、真っ直ぐ射抜くようなエースの目線に、心臓が一つ大きな音を立てた。本当の、本当にわたしに恋愛感情を持ってくれて居るんだ。それならわたしも応えないと。
エースには、不誠実な態度は取りたくないと、心から思ったから。
「…まァ、あれだ。二年間のうちにゆっくり考えててくれよ。迎えにきた時に、返事でもくーーー」「ごめんなさい!」
「っだぇぇえ!???」
直角腰を曲げて最敬礼する。エースは驚いて目をまくるさせて、大きな口をこれでも勝手くらい開けていたけど。
「そりゃ、突拍子もねェ馬鹿な話だが、」
「違うの。
わたしね、ずっと心の中でおうえんしてくれてる人がいるんだ」
「……」
「その人はキラキラひかる太陽の陽の下で、スーツがシワになるのもおかまい無しにわたしに手を振ってくれる。おっきな声で、愛を叫んでくれる。
…最初はね、もらった気持ちをどう受け取っていいかも分からなくて、心の中で大切にしてたんだけど。それが今日、パチパチッてはじけて、これが“恋しい”って名まえだって、やっと気付いたの。」
「だから、エースの気持ちに同じ気持ちを返すことは、できません。ーーごめんなさい」
「………そうか、」
もう一度頭を下げて気持ちと一緒に溢れ出しそうになった涙を堪えた。
きっとこの涙の正体は自己嫌悪。自分の我儘で“エース”を生かして、わたしが起きるのをずっと待っててくれたのに、心を許してくれたのに、迎えにきてくれるって言ってくれたのに。
わたしは、まだ甘えようとしている。
何回自分の汚い部分を見れば気がつくんだ。自分で自分が嫌になる。
ーーそれでも、エースは。
「顔、あげろよ。ミジメになんだろ」
「ごめ、」
「…結局、おれが目を惹いた女は、最初から違う奴の方向をまっすぐ見てたってだけだろ?
お前何も悪くねェじゃん」
「で、でも」
「安心しろよ。おれァこんな事で約束を無かったことにする男じゃねェ」
ぐしゃりとわたしの頭をひと撫でして、ンべぇと悪戯っぽく舌を出す。ホッとするわたしは、どこまでも意地汚い。
「……うっっし!!
心残りもねェし、そろそろ出るわ!」
「…ありがとう、気をつけて。」
「おう!」
本当に船に乗り込んだエースは、惜しむような様子もなくオールを漕いで水平線へと消えていった。豆粒のように小さくなった影を見送り、わたしも心機一転頑張る。
エースが寄せてくれた気持ちに、胸を張れるようになるためにも。
パチン!と頬を叩き、いつのまにか小屋の前で待ってくれていたハンコックさんと合流した。
「もう、よいのか?」
「はい!これから、お世話になります!」
きらきら輝く漣に、白くなった髪が揺れる。
もうあの青い海へ帰りたいとは思わない、こんな薄情な娘だけど。
海よ、わたしの新しい戦いをどうか見守っておくれ。
(水面に映る夢よ)