小さなアクアリウム
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(番外編)
「サンジさん、あのねっ?
ケーキ、つくってみたいんだけどキッチン使ってもいい?」
朝早くから可愛くて愛らしい瞳を爛々と輝かせて、アンリちゃんは告げた。小鳥の囀りを聞いているような心地よさに目を閉じたかったが、言葉の意味を理解して閉じるよりも見開いてしまった。
「…そりゃ、いいけど。何か食いてェのあればおれ作るよ?」
「サンジさんが作ったら意味ないの!」
自分より数センチ下にある綺麗なブルーの目が少しだけ鋭くなる。
ありゃ、怒らせちまったか?
「…ンー、じゃあさすがに危ねェから、手伝いだけでもさせてくれないかい?」
「で、でも……」
むむむ、と眉間に小さな皺を寄せて何やら考えているようだ。アンリちゃんもなんでも自分でやってみてェお年頃なんだろうし、おれ(本職)の手が入るのは好ましくないんだろう。
しかし、アンリちゃんの麗しい白い手に切り傷や火傷痕なんて残ってみろ。おれは自責の念に駆られ、すぐに海に身を投げ出す自信がある。
眉を下げてゴメンね、と呟くと彼女の唇から少しのため息が漏れ出た。伏し目がちに憂いを帯びる君もキュートだ。
「わ、わかった。わかりました!
でも、手は出さないでね?…アドバイスなら、いつでも受け付けてるから」
「っ、おう!この身を掛けて、お守りしますプリンセス」
「だから!そういうのきんし!!」
アンリちゃんの作りてェケーキを聞いてみると、ロビンちゃんが持ってた本に出てきたケーキらしい。幸いにも俺が作り方や材料を知っていたため、冷蔵庫や食料庫の在庫を一通り見てみる。どうもこの船にあるだけの食材じゃ足りそうにない為、買い出しも含めてお出かけを提案した。我ながら実にナイスアイデア。
1時間後に待ち合わせをして、一足先に船から降りて一服していると、花が舞うように彼女は現れた。慌ててタバコの火を消したが、おれの心に灯った火は消せそうにない。
ナミさんに髪を結ってもらったらしいアンリちゃんは上機嫌で、編み込み?というものをして、後ろで高めのポニーテールが揺れている。そして、おれの目を釘付けにするのは、白い腕や脚、そして細い肩だった。フリルのあしらわれたノースリーブにショートパンツ。いくら夏島の春だからと言えど……、
「最高です!!!♡♡♡」
「鼻の下、伸びてるわよサンジ」
「おっと」
「気をつけてね、アンリ。
…特に黒い足のオオカミさんとか」
「?はい、」
ロビンちゃんは可愛く飾られたアンリちゃんの頭を撫で、おれに無言の圧力をかけられ、背筋がヒヤリとした。そんな所も麗しい…!!
「船番、代わってもらっちゃってごめんなさい…」
「いいのよ、気にしないで。
それより、喜んでくれるといいわね」
「はいっ、がんばります!」
……んん????
なんだか引っかかる会話を耳に、おれとアンリちゃんは街へ向かった。
ナミさん曰く活気のある島で、それが顕著に現れてるのがこの市場のようだ。まだ自分の中での比較対象が少ねェアンリちゃんでも、この活気には些か驚いたらしくブルーの澄んだ瞳を大きく開いている。
「…すごいね」
「賑やか過ぎて疲れちまったらお姫様抱っこするから、いつでも言って?」
「さらりと甘やかさないでっ」
アンリちゃんがぺむっとおれの肩を叩いたが、全く痛くない…。むしろそれすらも愛おしい…!!どこまで可愛いんだ!!
おれがハートを飛ばし続けていると、アンリちゃんは気がつけばスタスタと先へ行ってしまった。
「ンンアンリちゅあ〜〜〜ん!!待ってくれ〜!!!」
「ケーキも作らないとなんだから、買い出しはぱぱっとすまさないとっ」
「やる気に満ち溢れた君も素敵だが、…迷子になっちゃそれこそタイムロスだろ?」
だから、と滑らかな陶器のような手をそっと取る。恋人繋ぎ、が理想なんだがそこまでがっつくと嫌がれちまいそうで、そっと包むだけに留めておく。相変わらずすべすべで柔らかい手に、少しばかり緊張が走る。
嫌がられないか、怖がれないか、壊さないか。そして、スパイスの如く甘酸っぱさが胸を巣食う。ちらりとアンリちゃんの顔色を伺うと、どうやら嫌がられてはいねェようだ。
「…ここの島、ちょっと暑いかな?」
「そ、そうだね、なつじま、だからかな」
途切れ途切れ紡ぐ声は少しだけ浮ついていて。そんな可愛らしい嘘をとろりと見つめた。
レディには紳士でいるつもりのおれも、この子の前じゃちょっとばかし意地悪したくなっちまうみたいだ。
色々理由を付け買い物中はずっと手を繋いでいた。予定していたケーキの材料と、アンリちゃんが欲しいと言ったデコレーション材料も買い、楽しかった買い出しはあっと言う間に終わっちまった。
*
サニー号に戻り、キッチンへ荷物を下ろすと申し訳なさもありもう一度サンジさんに今日のお礼を伝えた。なんせ今日の荷物の殆どを持ってもらってしまったのだ。
何度も大丈夫?と何センチも上にある顔を覗くとめちゃくちゃ笑顔で「心配してくれるの〜〜!?♡♡」と顔をでろでろに溶かすだけ。メロリン状態のサンジさんのタフさに改めて感服する。
「…サンジさん、荷物持ってもらっちゃってありがとう」
「いえいえ、おれも欲しい食材があったし。
それに、買い物中アンリちゃんを独り占め出来たんだ。荷物持ちなんて安過ぎてツリがくるさ」
「……サンジさんってば、すぐそうやって」
「?それに、このまま作るんだろ?」
「うん、サンジさんさえよければこのまますぐにでも」
「そうかい、ならこのまま作っちまうか」
素早く冷蔵庫に片付けるものと、常温のものを袋から取り分けて、エプロンをさっと用意した。渡されたものは首にかけるタイプのエプロンで、何故か端々にブルーと白のフリルがあしらわれたものだった。サイズ的にもわたしにピッタリなことも踏まえて考察するに、どうやらわたし用らしい。
(今世じゃ)一度もキッチンに立った事ないような女なのに、なぜかわたし用のエプロンがある。これは如何に…。脳内で見知らぬ猫が壮大な風景と共にニャーーンとふてぶてしく唸っている。これが現実逃避かぁ、とエプロンを握りしめていると、サンジさがでへへとニヤけていた。
「今日ケーキ作るって言ってたからついでに買っちまったんだ〜〜♡♡
アンリちゃんは肌も白いし、白いエプロンが似合うと思ってン♡♡」
「…ナンデ、ごほん。なんで、こんなフリルいっぱいなの?もっとじつようてきなの、あったよね?」
「大丈夫!似合ってるから!!♡」
「……」
答えになっていない。会話のキャッチボール、とはよく言ったもので、今わたしはとんでもなく明後日の方向にボールを投げられた気分だ。
…ナミが言っていた。目を爛々ハートに輝かせているサンジさんには、何を言っても無駄なのだ、と。我らが素敵な航海士さまが言っていたのだから間違いない。
はぁ、と肺を重くして仕切り直す。もう買ってしまったものは仕方ないし、諦めよう。
汚したらと考えてしまうが、大丈夫!頑張って染み抜きとかすればいいんだし。そういうの、ウソップさんとか得意そうだし。
腹を括ってエプロンを被り、背中側の紐をきゅっと締めた。
さっきまで目をキラキラのハートに輝いていたサンジさんも、いざ背広を脱いでシャツを捲り、ネクタイを外すと一気に料理人 さんの顔つきになっていた。
そ、そういう所がズルいんだよなぁ〜〜!と、内心身悶えてもせっかくお手伝いしてくれるのだと強く己に言い聞かせて緩む頬を摘んで戒めた。
「よし、じゃあ始めるか」
「よろしくおねがいします!」
今回作るのは、ロビンさんから借りた小説に出てきたウィークエンドシトロンというレモンバターケーキだ。とてもロマンチックな内容で、“今回”作ってみたいと思い立った。サンジさんに言うと知っていたらしくアドバイスをもらうことになってイマココ状態だ。最初は本末転倒では?と断ったのだが、誰だって己の城を好き勝手に使われるのは嫌だろう。ましてや、わたしなんて今世は料理のりの字も知らない。(前世含めても得意!と胸を張れるような自信もない)サンジさんがご飯を作ってくれている横顔しか見た事ない程にだ。不安を抱くな、と言う方が無理だろう。
「おれはレモンを洗っておくから、アンリちゃんはバターをクリーム状になるまで混ぜてくれるかい?常温に戻しておいたから固いってこたぁねェと思うが、もし固過ぎたら言ってくれ」
恐らく出かける前に出しておいたバターと、泡立て器を渡される。とんでもなく手厚い上に、わたしにも任せてくれる辺りサンジさんは誰かを“お手伝いさせる”のが、小慣れている風だった。小説でもこのバターを混ぜるのが肝心だと書いてあったし、ここは素直に受け入れた。(もうアドバイスの範疇を超えている、とは言わないでほしい。みみがいたい)
サンジさんが言っていたみたいにバターは少し固かったけれど、混ぜているうちに段々柔らかくなってきた。その間も、サンジさんがレモンを絞ったり皮の部分を削ったりレモンの輪切りをしていてわたしがやるよ、と言うも「いや、包丁はあぶな…じゃなくて、他の料理にも使うからこれはついでなんだ。」と、若干の本心は見え隠れしつつものらりくらり、暖簾に腕押し、というような感じでわたしはひたすらバターを混ぜた。(流石に卵は割らせてくれたが、側でずっとそわそわしていた。)
小麦粉とアーモンドプードルをふるいにかけてくれるのを混ぜたり、なんとなく共同作業も出来たのがわたしはとっても嬉しくて。ちらりとサンジさんを見たら頬が緩みっぱなしだったから、それがまた心を弾ませた。きっとわたしも同じくらい表情が緩んでいたと思う。
一通り生地の液が出来たら、あとは焼いて飾り付けだけだ。予熱はいつの間にかサンジさんがしてくれていたようで、生地を細長い型に流し込みオーブンの中に見送った。
ちゃんとじょうずにやけますように。願いを込めて、再び段々赤くなるオーブン内を見つめた。
「…さ、今からもう30分くらいはそのままだ。プリンセス、ちょっと座っておれとお話ししませんか?」
「あ、そうだよね。サンジさんありがとう」
カウンターの椅子を引いて優雅にエスコートされる。そういえば買い物終わってからここまでずっと動きっぱなしだったことを思い出した。
紅茶淹れるね、と言ってお湯を沸かしているサンジさんも然り。これはいけない。すんなりとエスコートに従い、ぼんやりとサンジさんの背中を見つめた。
気がつくと動いてるよなぁ、この人は。
数分後、コトリと目の前に置かれたのはレモンとミントが浮かんだアイスティーだった。
「はい、さっきのレモンをちょっとハチミツにつけたんだ」
「ありがとう。サンジさんもこっちで座って?」
隣の椅子をぽんぽん叩けば竜巻の如くハートを飛ばして隣へ腰掛けた。お話ししよう、と言えばサンジさんは座ってくれるだろうと打算的な発言だった。
けれど仕方ない。
さっきのサンジさんと同じ事をしたまでだ。
それから、他愛もない話をした。ロビンさんに借りた、このレモンケーキが出てきた小説の内容とか、ウィークエンドシトロンってのは大切な人と過ごす週末に食べるお菓子なんだってとか、この島の八百屋の野菜はイキイキしてたとか、今日の髪型可愛いねとか、サンジさんはなんでも気づくねとか。そんな事を話しながら、ゆっくりとした時間が流れる。お喋りが弾むにつれて、目の前のアイスティーも減っていく。
カラン、と解けた氷がグラスを鳴らした時、サンジさんは片方だけが見える海のような瞳を迷子にさせながら、言いにくそうに唇を動かした。
「あのさ、アンリちゃん。
このケーキって…」
言い終わる前に、オーブンから焼き上がりの知らせが鳴った。キョトンとするわたしとは別に、弾かれたように何でもねェ!と誤魔化しケーキを見よう、と席を立ち上がる。
ケーキの焼き上がりは最高で、今にでも味見をしたいくらいだったが、ウィークエンドシトロンはしっとりとした口当たりなのだ。つまりは粗熱を取らないといけない。その間に色々と準備しなければいけないのだが、全てのその前に鼻腔をくすぐるケーキ生地の匂いに釣られてきゅぅと間抜けな腹の虫が鳴いた。
「ックク。膨らんだ部分は切り落とさなきゃ何ねェから、そこはつまみ食いしちまおう」
「…う、うん」
少年のように笑うサンジさんに、顔が赤くなった。いや、ときめいたわけではなく恥ずかしい的な。そう、これは羞恥心だろう。
切り落とされた生地はほんのりレモンの香りがして、これだけでも十分美味しかった。
粗熱を取ったらデコレーション。
グラスアローを上からとろりとかける。そういえば、ドーナツも砂糖でコーティングしてあるのって美味しいよね、なんて思いながら満遍なく塗り固める。上から砕いたピスタチオと、サンジさんが作ってくれたレモンのドライフルーツで飾って。
サンジさんにはこの辺りで見守るのを遠慮していただいた。お皿にチョコレートでメッセージを書くのだが、見られるのは少し恥ずかしい。
粗熱をとっている間に片付けは済ませてあるので、ばんごはんなにかな〜?と露骨に浮ついた独り言を呟けば、サンジさんはルンルンと仕込みに取り掛かった。サンジさんがサンジさんで助かった瞬間である。
チョコレート文字は難しかったけれど、何とか完成…!一息つくとキッチンの扉がパッと開いた。
「うまほーなにおいーー!!」
「サンジ〜!腹減った〜〜!!」
「おれも腹へった〜!」
後からこの時の事を思うと、わたしは後悔の波と羞恥に晒される。
騒がしい声がいきなり飛び出してきたもんだから、わたしはびっくりしてしまい肩を飛び上がらせて変な方向に力が入った。
すると手元からぶりゅっ、と不快で嫌な音がし、ルフィ達から視界を移すと。
さっきまで綺麗な形を保っていたウィークエンドシトロンがデコレーション用の生クリームまみれになっていた。
せっかく頑張って描いたチョコレートの文字も、お祝いの言葉もダメになってしまった。
時間が、空気が、止まった気がした。
ルフィもウソップさんもチョッパーもすぐに謝ってくれたけど、わたしの目からはぽろぽろと止むことなく涙が溢れた。瞬間、火がついたようにサンジさんがルフィの胸ぐらを掴んだ。
喧騒が、鼓膜を響かせる。ただわたしはいまだに事実を受け入れられずに、目の前の現状をぽつりと呟く。
「…サンジさんの、プレゼントが」
「……え、」
「ッごめ、また作り直すから…。これはみんなで食べて」
「アンリちゃん!!」
「…ごめんね、今はちょっと、一人にして」
飛び出して向かったのは、本当に一人になれる空間だった。
*
突然ですが問題です。
一人になってしばらく経つとやってくるものな〜んだ?正解は〜〜〜〜???
「ハァァ〜〜〜〜〜〜やっちゃった…」
とんでもなくデカめの賢者タイムでした。
正解者には100億点差し上げます。
脳内で繰り広げられた茶番は、己の自己嫌悪を激しく煽っていく。
こ、後悔の!後悔の波がすごい…!!
あの後一人になりたくてきた場所は、もちろんアクアリウムバー。しかも水槽の中という、まさにわたしだけの場所。
しかも室内側のカーテンを閉め切っているので、本当に誰も見えない。その上、フランキーさんに頼んで設置してもらった真新しい岩場があるから顔を突っ込んで賢者タイムを満喫している。
いやいやいや、元はと言えばわたしがビビリなのがいけないのに、ルフィ達を責め立てるような事をしたのがいけない。いくら視界いっぱいにショッキングな光景が広がっていてもわたしが泣いたらルフィ達が悪者になってしまうだけだ。そうは分かっていても止められなかった涙と、そっけなくしてしまった態度に、今更引っ込みがつかなくなってしまってこのザマというわけだ。
「あ〜〜〜〜、最悪だあ〜…。ルフィ達もびっくりしてたし、チョッパーなんて目に涙溜めてたし、サンジさんも、そりゃ反射的に怒っちゃうよね…」
大事に、一緒に作ったんだ。
大切なケーキだった。大切な人の、大切な日に贈るプレゼントだった。
そっと彼が微笑んでくれるようなメッセージも添えた。渾身の出来と言っていい。
だけれど、わたしが全部台無しにした。クリームをぶち撒けて、雰囲気すらも台無しにした。
「初めてなんだから、お祝い、きちんとしたかったなぁ…」
ぽこぽこという泡音と、惨めな独り言だけを鼓膜が拾う。岩場から顔を出してぼんやりと上を見上げても、目に入るのは薄暗い照明だけだった。
すると、突然。
きぃ、と何かが開く音がした次の瞬間に、ボチャン!と勢いのいい水音がした。誰かが生簀用のドアを開いたらしい。
誰だ、と思って視線をやると、先ほどまで頭の中にいた人が、その場に現れた。
頬を膨らませ、わたしと同じ場所にいた。
「サンジさん!?」
「ンばぶびばん!!!」
「しゃ、喋っちゃダメ!息できなくなるよ!?」
急いでサンジさんの手を取って、上に上がらせようとするが、サンジさんは中々動こうとはしない。口から鼻からとボコボコ空気が逃げていく。しかし、それよりもわたしの手を絡め取り、もう片方の手を腰に回した。
薄暗い水の中、サンジさんとわたし二人きりだった。サンジさんが喋れない、という一点だけ除けばとてもロマンチックだ。
「べべぇび、ぼびびばっばぼぉお!」
「と、取り敢えず、上がってから聞くからね?ね??」
一生懸命に何か伝えてくれているが、それよりも酸素不足が心配なわたしは無理矢理にでもひっぱり(ちょっとだけ水槽の水に手伝ってもらって)、なんとかサンジさんを生簀用のドアから再び押し上げた。
バシャンと弾ける音と共に、わたしと酸素の豊富な甲板に上がる。ぺたりと髪が頬に引っ付いて鬱陶しいが、数分後には多少乾いているだろう。
サンジさんを見ると、上等なシャツはびしょ濡れで、頭もぺたんと丸い。数秒も水中にはいなかったが、あれだけ肺から空気を出したのだ。はあはあと何度か肩で息をしてから、サンジさんはぐっとわたしを見つめた。
「アンリちゃん!ケーキ美味かったよ」
「!…アレたべたの?」
「もちろん、おれの為に作ってくれたんだろ?」
「でも、ふつうのよりホイップクリームがべったりだし、サンジさん甘いのそんなにとくいじゃないのに…」
「それでもアンリちゃんが作ってくれたモンだ。何だって食うよ」
すげー美味かったし。と付け足すように笑うサンジさんに、また目頭が熱くなった。情けない。頭の隅で、今全身が濡れててよかったと安堵する。頬に引っ付く髪をよけて、サンジさんから目を逸らした。
「ごめんね…、明日にはもっと、ちゃんとしたものプレゼントするから」
「え、おれにはあれがとんでもなく嬉しいプレゼントだったんだけど、」
素っ頓狂な声に思わず顔を上げると、沈みかけの夕日にキラキラと照らされているサンジさんがいた。その光景がとっても綺麗で見惚れてしまった。けれど、わたしの事はお構いなく高速で動くサンジさんの脳内はなにかを唸りながら
指折り数える。
「だって、今日はクソ可愛いアンリちゃんを独り占め出来て、楽しくデートしてケーキ作ったんだぜ?それが他でもねェおれのためだったなんて、嬉しくて脳みそ溶けちまうかと思った」
「……そ、れは…」
そう言葉にされるとなんだか恥ずかしい。だけど実際にはケーキはめちゃくちゃになってしまった。どうにかこうにか、サンジさんにお誕生日プレゼントを渡したいのに。
「…ほかに、わたしができる事って、思いつかなくて」
「…… アンリちゃん」
自分を卑下する言葉を吐いては自己嫌悪。
もっともっと可愛くて、容量よくて器用で、自分に自信があって。身長もスタイルも何もかもサンジさんと釣り合った人なら。
こんな事、思わなかったんだろうなーー。
溢れそうになる涙をきゅっと堪えて俯く。けれど、その涙は溢れるでも呑み込むでもなく、サンジさんの長い指に掬われた。
「アンリちゃん、こっち向いて?」
「…やだ、いまへんなかおしてるもん」
「ンッ…、どんな顔でもおれは君に夢中だよ。
ね、頼むよ」
正面にいるわたしにしか聞こえないくらいの声の大きさで、おねがい、と言われてしまえば無碍にはできなかった。ん゛…、と眉間に皺を寄せたままサンジさんと視線を合わせる。ほら、やっぱり変な顔してた。サンジさんの瞳に映るわたしは、とんでもなく不細工だ。
それなのに、。
「やっぱり可愛いなぁ」
噛み締めるように、染み込ませるように。
うっそりと目を細めてサンジさんはわたしを褒め称えるものだから、嫌悪感で固くなった心がゆるゆると解かれていくみたいだ。
ズルいなぁ、もう。
「…ルフィ達にもあやまらないと」
「いーよ、急に大声出した野郎共も悪ィ」
「それでもあれは八つ当たりだったし」
「そうかい…?なら、着替えにいこう。もうそろそろメシの時間だよ」
「うん」
当然かのように差し出された手を取って立ち上がると、あ!と何か思いついたのか明るい声を上げた。どうしたの?と声をかけるよりも先に、サンジさんは真剣な瞳と声色でわたしの両肩に手を置いた。
「… アンリちゃん、」
「は、はい」
「誕生日にかこつけて、一つ。君におねだりをしてもいいかい?」
「なんでしょう、」
自分から切り出した話題なのに。サンジさんはそこまで言ってから尻込みしたのか、もにもにと口を閉ざして気まずそうに頬をかいた。
やっぱりやめた、とでも言い出しそうな顔だ。だけれど、“お誕生日”と出されては、プレゼントでしくじってしまったわたしとしても後に引けない。
「なんでも言って!わたしにできる事なら、なんでもするよ!」
「…ウン、アンリちゃん。それはマジで他では言わないでくれ。頼む」
さっきよりも真剣にそう告げ、サンジさんは意を決意したのかグッと眉を寄せた。
「…誰よりも先に、おれの誕生日を祝ってくれねェ、かな…?」
「………」
「や、やっぱりメーワクだよな!忘れてくれ!!」
ああ、クソ!とガシガシと頭を掻く彼の言い出したことに、ぽかんと気後れしてしまった。
だって、そんなの、簡単すぎやしないか?
「…そんなことで、いいの?」
「ーーエッ!?いいの!?」
「う、うん。わたしも、だれよりも先にサンジさんに“おめでとう”って言いたいな」
こんなことが誕生日プレゼントになるなんて。けれど、彼が勇気を振り絞って(?)言ってくれたのだから、わたしもそれに応えよう。
12時の鐘が鳴る少し前。
またここで待ち合わせをした。お風呂上がりのサンジさんからは、いつもの煙草の匂いが少しだけ薄い気がした。
冷たいレモン水をグラスに二つ。
氷とガラスが月明かりを屈折させる。静かで綺麗な満月の夜。
こんなに雲がなかったら、明日は綺麗な青空だね。明日はサンジさんの誕生日パーティだって、ルフィが張り切ってたね。なんてことない話声が、誰もいない甲板にこっそりと響いた。みんなには内緒で、なんて。どこか悪い事をしてるみたいなワクワク感が心躍らせた。
アクアリウムに飾ってある柱時計が、ポーンと日が変わったことを知らせてくれた。
「サンジさん、お誕生日おめでとう!
ーー生まれてきてくれて、ありがとうっ」
「サンジさん、あのねっ?
ケーキ、つくってみたいんだけどキッチン使ってもいい?」
朝早くから可愛くて愛らしい瞳を爛々と輝かせて、アンリちゃんは告げた。小鳥の囀りを聞いているような心地よさに目を閉じたかったが、言葉の意味を理解して閉じるよりも見開いてしまった。
「…そりゃ、いいけど。何か食いてェのあればおれ作るよ?」
「サンジさんが作ったら意味ないの!」
自分より数センチ下にある綺麗なブルーの目が少しだけ鋭くなる。
ありゃ、怒らせちまったか?
「…ンー、じゃあさすがに危ねェから、手伝いだけでもさせてくれないかい?」
「で、でも……」
むむむ、と眉間に小さな皺を寄せて何やら考えているようだ。アンリちゃんもなんでも自分でやってみてェお年頃なんだろうし、おれ(本職)の手が入るのは好ましくないんだろう。
しかし、アンリちゃんの麗しい白い手に切り傷や火傷痕なんて残ってみろ。おれは自責の念に駆られ、すぐに海に身を投げ出す自信がある。
眉を下げてゴメンね、と呟くと彼女の唇から少しのため息が漏れ出た。伏し目がちに憂いを帯びる君もキュートだ。
「わ、わかった。わかりました!
でも、手は出さないでね?…アドバイスなら、いつでも受け付けてるから」
「っ、おう!この身を掛けて、お守りしますプリンセス」
「だから!そういうのきんし!!」
アンリちゃんの作りてェケーキを聞いてみると、ロビンちゃんが持ってた本に出てきたケーキらしい。幸いにも俺が作り方や材料を知っていたため、冷蔵庫や食料庫の在庫を一通り見てみる。どうもこの船にあるだけの食材じゃ足りそうにない為、買い出しも含めてお出かけを提案した。我ながら実にナイスアイデア。
1時間後に待ち合わせをして、一足先に船から降りて一服していると、花が舞うように彼女は現れた。慌ててタバコの火を消したが、おれの心に灯った火は消せそうにない。
ナミさんに髪を結ってもらったらしいアンリちゃんは上機嫌で、編み込み?というものをして、後ろで高めのポニーテールが揺れている。そして、おれの目を釘付けにするのは、白い腕や脚、そして細い肩だった。フリルのあしらわれたノースリーブにショートパンツ。いくら夏島の春だからと言えど……、
「最高です!!!♡♡♡」
「鼻の下、伸びてるわよサンジ」
「おっと」
「気をつけてね、アンリ。
…特に黒い足のオオカミさんとか」
「?はい、」
ロビンちゃんは可愛く飾られたアンリちゃんの頭を撫で、おれに無言の圧力をかけられ、背筋がヒヤリとした。そんな所も麗しい…!!
「船番、代わってもらっちゃってごめんなさい…」
「いいのよ、気にしないで。
それより、喜んでくれるといいわね」
「はいっ、がんばります!」
……んん????
なんだか引っかかる会話を耳に、おれとアンリちゃんは街へ向かった。
ナミさん曰く活気のある島で、それが顕著に現れてるのがこの市場のようだ。まだ自分の中での比較対象が少ねェアンリちゃんでも、この活気には些か驚いたらしくブルーの澄んだ瞳を大きく開いている。
「…すごいね」
「賑やか過ぎて疲れちまったらお姫様抱っこするから、いつでも言って?」
「さらりと甘やかさないでっ」
アンリちゃんがぺむっとおれの肩を叩いたが、全く痛くない…。むしろそれすらも愛おしい…!!どこまで可愛いんだ!!
おれがハートを飛ばし続けていると、アンリちゃんは気がつけばスタスタと先へ行ってしまった。
「ンンアンリちゅあ〜〜〜ん!!待ってくれ〜!!!」
「ケーキも作らないとなんだから、買い出しはぱぱっとすまさないとっ」
「やる気に満ち溢れた君も素敵だが、…迷子になっちゃそれこそタイムロスだろ?」
だから、と滑らかな陶器のような手をそっと取る。恋人繋ぎ、が理想なんだがそこまでがっつくと嫌がれちまいそうで、そっと包むだけに留めておく。相変わらずすべすべで柔らかい手に、少しばかり緊張が走る。
嫌がられないか、怖がれないか、壊さないか。そして、スパイスの如く甘酸っぱさが胸を巣食う。ちらりとアンリちゃんの顔色を伺うと、どうやら嫌がられてはいねェようだ。
「…ここの島、ちょっと暑いかな?」
「そ、そうだね、なつじま、だからかな」
途切れ途切れ紡ぐ声は少しだけ浮ついていて。そんな可愛らしい嘘をとろりと見つめた。
レディには紳士でいるつもりのおれも、この子の前じゃちょっとばかし意地悪したくなっちまうみたいだ。
色々理由を付け買い物中はずっと手を繋いでいた。予定していたケーキの材料と、アンリちゃんが欲しいと言ったデコレーション材料も買い、楽しかった買い出しはあっと言う間に終わっちまった。
*
サニー号に戻り、キッチンへ荷物を下ろすと申し訳なさもありもう一度サンジさんに今日のお礼を伝えた。なんせ今日の荷物の殆どを持ってもらってしまったのだ。
何度も大丈夫?と何センチも上にある顔を覗くとめちゃくちゃ笑顔で「心配してくれるの〜〜!?♡♡」と顔をでろでろに溶かすだけ。メロリン状態のサンジさんのタフさに改めて感服する。
「…サンジさん、荷物持ってもらっちゃってありがとう」
「いえいえ、おれも欲しい食材があったし。
それに、買い物中アンリちゃんを独り占め出来たんだ。荷物持ちなんて安過ぎてツリがくるさ」
「……サンジさんってば、すぐそうやって」
「?それに、このまま作るんだろ?」
「うん、サンジさんさえよければこのまますぐにでも」
「そうかい、ならこのまま作っちまうか」
素早く冷蔵庫に片付けるものと、常温のものを袋から取り分けて、エプロンをさっと用意した。渡されたものは首にかけるタイプのエプロンで、何故か端々にブルーと白のフリルがあしらわれたものだった。サイズ的にもわたしにピッタリなことも踏まえて考察するに、どうやらわたし用らしい。
(今世じゃ)一度もキッチンに立った事ないような女なのに、なぜかわたし用のエプロンがある。これは如何に…。脳内で見知らぬ猫が壮大な風景と共にニャーーンとふてぶてしく唸っている。これが現実逃避かぁ、とエプロンを握りしめていると、サンジさがでへへとニヤけていた。
「今日ケーキ作るって言ってたからついでに買っちまったんだ〜〜♡♡
アンリちゃんは肌も白いし、白いエプロンが似合うと思ってン♡♡」
「…ナンデ、ごほん。なんで、こんなフリルいっぱいなの?もっとじつようてきなの、あったよね?」
「大丈夫!似合ってるから!!♡」
「……」
答えになっていない。会話のキャッチボール、とはよく言ったもので、今わたしはとんでもなく明後日の方向にボールを投げられた気分だ。
…ナミが言っていた。目を爛々ハートに輝かせているサンジさんには、何を言っても無駄なのだ、と。我らが素敵な航海士さまが言っていたのだから間違いない。
はぁ、と肺を重くして仕切り直す。もう買ってしまったものは仕方ないし、諦めよう。
汚したらと考えてしまうが、大丈夫!頑張って染み抜きとかすればいいんだし。そういうの、ウソップさんとか得意そうだし。
腹を括ってエプロンを被り、背中側の紐をきゅっと締めた。
さっきまで目をキラキラのハートに輝いていたサンジさんも、いざ背広を脱いでシャツを捲り、ネクタイを外すと一気に
そ、そういう所がズルいんだよなぁ〜〜!と、内心身悶えてもせっかくお手伝いしてくれるのだと強く己に言い聞かせて緩む頬を摘んで戒めた。
「よし、じゃあ始めるか」
「よろしくおねがいします!」
今回作るのは、ロビンさんから借りた小説に出てきたウィークエンドシトロンというレモンバターケーキだ。とてもロマンチックな内容で、“今回”作ってみたいと思い立った。サンジさんに言うと知っていたらしくアドバイスをもらうことになってイマココ状態だ。最初は本末転倒では?と断ったのだが、誰だって己の城を好き勝手に使われるのは嫌だろう。ましてや、わたしなんて今世は料理のりの字も知らない。(前世含めても得意!と胸を張れるような自信もない)サンジさんがご飯を作ってくれている横顔しか見た事ない程にだ。不安を抱くな、と言う方が無理だろう。
「おれはレモンを洗っておくから、アンリちゃんはバターをクリーム状になるまで混ぜてくれるかい?常温に戻しておいたから固いってこたぁねェと思うが、もし固過ぎたら言ってくれ」
恐らく出かける前に出しておいたバターと、泡立て器を渡される。とんでもなく手厚い上に、わたしにも任せてくれる辺りサンジさんは誰かを“お手伝いさせる”のが、小慣れている風だった。小説でもこのバターを混ぜるのが肝心だと書いてあったし、ここは素直に受け入れた。(もうアドバイスの範疇を超えている、とは言わないでほしい。みみがいたい)
サンジさんが言っていたみたいにバターは少し固かったけれど、混ぜているうちに段々柔らかくなってきた。その間も、サンジさんがレモンを絞ったり皮の部分を削ったりレモンの輪切りをしていてわたしがやるよ、と言うも「いや、包丁はあぶな…じゃなくて、他の料理にも使うからこれはついでなんだ。」と、若干の本心は見え隠れしつつものらりくらり、暖簾に腕押し、というような感じでわたしはひたすらバターを混ぜた。(流石に卵は割らせてくれたが、側でずっとそわそわしていた。)
小麦粉とアーモンドプードルをふるいにかけてくれるのを混ぜたり、なんとなく共同作業も出来たのがわたしはとっても嬉しくて。ちらりとサンジさんを見たら頬が緩みっぱなしだったから、それがまた心を弾ませた。きっとわたしも同じくらい表情が緩んでいたと思う。
一通り生地の液が出来たら、あとは焼いて飾り付けだけだ。予熱はいつの間にかサンジさんがしてくれていたようで、生地を細長い型に流し込みオーブンの中に見送った。
ちゃんとじょうずにやけますように。願いを込めて、再び段々赤くなるオーブン内を見つめた。
「…さ、今からもう30分くらいはそのままだ。プリンセス、ちょっと座っておれとお話ししませんか?」
「あ、そうだよね。サンジさんありがとう」
カウンターの椅子を引いて優雅にエスコートされる。そういえば買い物終わってからここまでずっと動きっぱなしだったことを思い出した。
紅茶淹れるね、と言ってお湯を沸かしているサンジさんも然り。これはいけない。すんなりとエスコートに従い、ぼんやりとサンジさんの背中を見つめた。
気がつくと動いてるよなぁ、この人は。
数分後、コトリと目の前に置かれたのはレモンとミントが浮かんだアイスティーだった。
「はい、さっきのレモンをちょっとハチミツにつけたんだ」
「ありがとう。サンジさんもこっちで座って?」
隣の椅子をぽんぽん叩けば竜巻の如くハートを飛ばして隣へ腰掛けた。お話ししよう、と言えばサンジさんは座ってくれるだろうと打算的な発言だった。
けれど仕方ない。
さっきのサンジさんと同じ事をしたまでだ。
それから、他愛もない話をした。ロビンさんに借りた、このレモンケーキが出てきた小説の内容とか、ウィークエンドシトロンってのは大切な人と過ごす週末に食べるお菓子なんだってとか、この島の八百屋の野菜はイキイキしてたとか、今日の髪型可愛いねとか、サンジさんはなんでも気づくねとか。そんな事を話しながら、ゆっくりとした時間が流れる。お喋りが弾むにつれて、目の前のアイスティーも減っていく。
カラン、と解けた氷がグラスを鳴らした時、サンジさんは片方だけが見える海のような瞳を迷子にさせながら、言いにくそうに唇を動かした。
「あのさ、アンリちゃん。
このケーキって…」
言い終わる前に、オーブンから焼き上がりの知らせが鳴った。キョトンとするわたしとは別に、弾かれたように何でもねェ!と誤魔化しケーキを見よう、と席を立ち上がる。
ケーキの焼き上がりは最高で、今にでも味見をしたいくらいだったが、ウィークエンドシトロンはしっとりとした口当たりなのだ。つまりは粗熱を取らないといけない。その間に色々と準備しなければいけないのだが、全てのその前に鼻腔をくすぐるケーキ生地の匂いに釣られてきゅぅと間抜けな腹の虫が鳴いた。
「ックク。膨らんだ部分は切り落とさなきゃ何ねェから、そこはつまみ食いしちまおう」
「…う、うん」
少年のように笑うサンジさんに、顔が赤くなった。いや、ときめいたわけではなく恥ずかしい的な。そう、これは羞恥心だろう。
切り落とされた生地はほんのりレモンの香りがして、これだけでも十分美味しかった。
粗熱を取ったらデコレーション。
グラスアローを上からとろりとかける。そういえば、ドーナツも砂糖でコーティングしてあるのって美味しいよね、なんて思いながら満遍なく塗り固める。上から砕いたピスタチオと、サンジさんが作ってくれたレモンのドライフルーツで飾って。
サンジさんにはこの辺りで見守るのを遠慮していただいた。お皿にチョコレートでメッセージを書くのだが、見られるのは少し恥ずかしい。
粗熱をとっている間に片付けは済ませてあるので、ばんごはんなにかな〜?と露骨に浮ついた独り言を呟けば、サンジさんはルンルンと仕込みに取り掛かった。サンジさんがサンジさんで助かった瞬間である。
チョコレート文字は難しかったけれど、何とか完成…!一息つくとキッチンの扉がパッと開いた。
「うまほーなにおいーー!!」
「サンジ〜!腹減った〜〜!!」
「おれも腹へった〜!」
後からこの時の事を思うと、わたしは後悔の波と羞恥に晒される。
騒がしい声がいきなり飛び出してきたもんだから、わたしはびっくりしてしまい肩を飛び上がらせて変な方向に力が入った。
すると手元からぶりゅっ、と不快で嫌な音がし、ルフィ達から視界を移すと。
さっきまで綺麗な形を保っていたウィークエンドシトロンがデコレーション用の生クリームまみれになっていた。
せっかく頑張って描いたチョコレートの文字も、お祝いの言葉もダメになってしまった。
時間が、空気が、止まった気がした。
ルフィもウソップさんもチョッパーもすぐに謝ってくれたけど、わたしの目からはぽろぽろと止むことなく涙が溢れた。瞬間、火がついたようにサンジさんがルフィの胸ぐらを掴んだ。
喧騒が、鼓膜を響かせる。ただわたしはいまだに事実を受け入れられずに、目の前の現状をぽつりと呟く。
「…サンジさんの、プレゼントが」
「……え、」
「ッごめ、また作り直すから…。これはみんなで食べて」
「アンリちゃん!!」
「…ごめんね、今はちょっと、一人にして」
飛び出して向かったのは、本当に一人になれる空間だった。
*
突然ですが問題です。
一人になってしばらく経つとやってくるものな〜んだ?正解は〜〜〜〜???
「ハァァ〜〜〜〜〜〜やっちゃった…」
とんでもなくデカめの賢者タイムでした。
正解者には100億点差し上げます。
脳内で繰り広げられた茶番は、己の自己嫌悪を激しく煽っていく。
こ、後悔の!後悔の波がすごい…!!
あの後一人になりたくてきた場所は、もちろんアクアリウムバー。しかも水槽の中という、まさにわたしだけの場所。
しかも室内側のカーテンを閉め切っているので、本当に誰も見えない。その上、フランキーさんに頼んで設置してもらった真新しい岩場があるから顔を突っ込んで賢者タイムを満喫している。
いやいやいや、元はと言えばわたしがビビリなのがいけないのに、ルフィ達を責め立てるような事をしたのがいけない。いくら視界いっぱいにショッキングな光景が広がっていてもわたしが泣いたらルフィ達が悪者になってしまうだけだ。そうは分かっていても止められなかった涙と、そっけなくしてしまった態度に、今更引っ込みがつかなくなってしまってこのザマというわけだ。
「あ〜〜〜〜、最悪だあ〜…。ルフィ達もびっくりしてたし、チョッパーなんて目に涙溜めてたし、サンジさんも、そりゃ反射的に怒っちゃうよね…」
大事に、一緒に作ったんだ。
大切なケーキだった。大切な人の、大切な日に贈るプレゼントだった。
そっと彼が微笑んでくれるようなメッセージも添えた。渾身の出来と言っていい。
だけれど、わたしが全部台無しにした。クリームをぶち撒けて、雰囲気すらも台無しにした。
「初めてなんだから、お祝い、きちんとしたかったなぁ…」
ぽこぽこという泡音と、惨めな独り言だけを鼓膜が拾う。岩場から顔を出してぼんやりと上を見上げても、目に入るのは薄暗い照明だけだった。
すると、突然。
きぃ、と何かが開く音がした次の瞬間に、ボチャン!と勢いのいい水音がした。誰かが生簀用のドアを開いたらしい。
誰だ、と思って視線をやると、先ほどまで頭の中にいた人が、その場に現れた。
頬を膨らませ、わたしと同じ場所にいた。
「サンジさん!?」
「ンばぶびばん!!!」
「しゃ、喋っちゃダメ!息できなくなるよ!?」
急いでサンジさんの手を取って、上に上がらせようとするが、サンジさんは中々動こうとはしない。口から鼻からとボコボコ空気が逃げていく。しかし、それよりもわたしの手を絡め取り、もう片方の手を腰に回した。
薄暗い水の中、サンジさんとわたし二人きりだった。サンジさんが喋れない、という一点だけ除けばとてもロマンチックだ。
「べべぇび、ぼびびばっばぼぉお!」
「と、取り敢えず、上がってから聞くからね?ね??」
一生懸命に何か伝えてくれているが、それよりも酸素不足が心配なわたしは無理矢理にでもひっぱり(ちょっとだけ水槽の水に手伝ってもらって)、なんとかサンジさんを生簀用のドアから再び押し上げた。
バシャンと弾ける音と共に、わたしと酸素の豊富な甲板に上がる。ぺたりと髪が頬に引っ付いて鬱陶しいが、数分後には多少乾いているだろう。
サンジさんを見ると、上等なシャツはびしょ濡れで、頭もぺたんと丸い。数秒も水中にはいなかったが、あれだけ肺から空気を出したのだ。はあはあと何度か肩で息をしてから、サンジさんはぐっとわたしを見つめた。
「アンリちゃん!ケーキ美味かったよ」
「!…アレたべたの?」
「もちろん、おれの為に作ってくれたんだろ?」
「でも、ふつうのよりホイップクリームがべったりだし、サンジさん甘いのそんなにとくいじゃないのに…」
「それでもアンリちゃんが作ってくれたモンだ。何だって食うよ」
すげー美味かったし。と付け足すように笑うサンジさんに、また目頭が熱くなった。情けない。頭の隅で、今全身が濡れててよかったと安堵する。頬に引っ付く髪をよけて、サンジさんから目を逸らした。
「ごめんね…、明日にはもっと、ちゃんとしたものプレゼントするから」
「え、おれにはあれがとんでもなく嬉しいプレゼントだったんだけど、」
素っ頓狂な声に思わず顔を上げると、沈みかけの夕日にキラキラと照らされているサンジさんがいた。その光景がとっても綺麗で見惚れてしまった。けれど、わたしの事はお構いなく高速で動くサンジさんの脳内はなにかを唸りながら
指折り数える。
「だって、今日はクソ可愛いアンリちゃんを独り占め出来て、楽しくデートしてケーキ作ったんだぜ?それが他でもねェおれのためだったなんて、嬉しくて脳みそ溶けちまうかと思った」
「……そ、れは…」
そう言葉にされるとなんだか恥ずかしい。だけど実際にはケーキはめちゃくちゃになってしまった。どうにかこうにか、サンジさんにお誕生日プレゼントを渡したいのに。
「…ほかに、わたしができる事って、思いつかなくて」
「…… アンリちゃん」
自分を卑下する言葉を吐いては自己嫌悪。
もっともっと可愛くて、容量よくて器用で、自分に自信があって。身長もスタイルも何もかもサンジさんと釣り合った人なら。
こんな事、思わなかったんだろうなーー。
溢れそうになる涙をきゅっと堪えて俯く。けれど、その涙は溢れるでも呑み込むでもなく、サンジさんの長い指に掬われた。
「アンリちゃん、こっち向いて?」
「…やだ、いまへんなかおしてるもん」
「ンッ…、どんな顔でもおれは君に夢中だよ。
ね、頼むよ」
正面にいるわたしにしか聞こえないくらいの声の大きさで、おねがい、と言われてしまえば無碍にはできなかった。ん゛…、と眉間に皺を寄せたままサンジさんと視線を合わせる。ほら、やっぱり変な顔してた。サンジさんの瞳に映るわたしは、とんでもなく不細工だ。
それなのに、。
「やっぱり可愛いなぁ」
噛み締めるように、染み込ませるように。
うっそりと目を細めてサンジさんはわたしを褒め称えるものだから、嫌悪感で固くなった心がゆるゆると解かれていくみたいだ。
ズルいなぁ、もう。
「…ルフィ達にもあやまらないと」
「いーよ、急に大声出した野郎共も悪ィ」
「それでもあれは八つ当たりだったし」
「そうかい…?なら、着替えにいこう。もうそろそろメシの時間だよ」
「うん」
当然かのように差し出された手を取って立ち上がると、あ!と何か思いついたのか明るい声を上げた。どうしたの?と声をかけるよりも先に、サンジさんは真剣な瞳と声色でわたしの両肩に手を置いた。
「… アンリちゃん、」
「は、はい」
「誕生日にかこつけて、一つ。君におねだりをしてもいいかい?」
「なんでしょう、」
自分から切り出した話題なのに。サンジさんはそこまで言ってから尻込みしたのか、もにもにと口を閉ざして気まずそうに頬をかいた。
やっぱりやめた、とでも言い出しそうな顔だ。だけれど、“お誕生日”と出されては、プレゼントでしくじってしまったわたしとしても後に引けない。
「なんでも言って!わたしにできる事なら、なんでもするよ!」
「…ウン、アンリちゃん。それはマジで他では言わないでくれ。頼む」
さっきよりも真剣にそう告げ、サンジさんは意を決意したのかグッと眉を寄せた。
「…誰よりも先に、おれの誕生日を祝ってくれねェ、かな…?」
「………」
「や、やっぱりメーワクだよな!忘れてくれ!!」
ああ、クソ!とガシガシと頭を掻く彼の言い出したことに、ぽかんと気後れしてしまった。
だって、そんなの、簡単すぎやしないか?
「…そんなことで、いいの?」
「ーーエッ!?いいの!?」
「う、うん。わたしも、だれよりも先にサンジさんに“おめでとう”って言いたいな」
こんなことが誕生日プレゼントになるなんて。けれど、彼が勇気を振り絞って(?)言ってくれたのだから、わたしもそれに応えよう。
12時の鐘が鳴る少し前。
またここで待ち合わせをした。お風呂上がりのサンジさんからは、いつもの煙草の匂いが少しだけ薄い気がした。
冷たいレモン水をグラスに二つ。
氷とガラスが月明かりを屈折させる。静かで綺麗な満月の夜。
こんなに雲がなかったら、明日は綺麗な青空だね。明日はサンジさんの誕生日パーティだって、ルフィが張り切ってたね。なんてことない話声が、誰もいない甲板にこっそりと響いた。みんなには内緒で、なんて。どこか悪い事をしてるみたいなワクワク感が心躍らせた。
アクアリウムに飾ってある柱時計が、ポーンと日が変わったことを知らせてくれた。
「サンジさん、お誕生日おめでとう!
ーー生まれてきてくれて、ありがとうっ」
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