生存戦争編
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母の心を裂いたような叫び声と、唸るような地響き。波は荒れて、目の前にいた人は、人だったもの、になっていた。
血煙がもわりと海を漂う。母は顔を見せずに、すぐわたしを胸に抱いた。
「ごめんねッ!!ごめん!!」
「おかあ、さん…」
「一人にして、本当にごめんなさい…!!」
母はずっと謝り続ける。何度も何度も、あの細い腕でわたしを潰してしまうくらい抱きしめて。わたしは、動けなかった。
それが初めて見る母の泣き声に動揺したからなのか、それともまだ目前にただよっているバラバラになった水死体によってかは、分からない。そして、分からないことがもう一つ。
わたしはこんな記憶、知らない。
こんな、忘れようにも忘れ難い出来事を、まるで憶えてていないのだ。なぜ、どうして?
けれど、現れた男に対してわたしはなるほど、と頷いてしまった。
「やぁ、可愛い子供達。
我の海で争い事か?」
「…龍神、様」
「おお、これは汚い。
愛しい子にこんなものを見せるなぞ、人間というのはこれだから…」
形の良い唇を袖で隠してブツブツと文句を垂れる浅黒い男は、今とあまり変わらない姿をしていた。けれど別れ際よりも尊大な態度と母が存命であることを踏まえると、やはり随分と前の出来事なのだろうと判断できる。
「龍神様っ、私…!!」
「アンナ、もうよい。むしろ、よくぞ我が子を守ったな。えらい、えらい」
「…ッ……、ごめんなさい」
「優しいお前の事だ。
こんなモノの為だとしても、この子に責任を感じてほしくはないのだろう」
俯き、肩を震わす母にわたしは胸が締め付けられる。慈しみを滲ませた瞳で、龍神さまは母とわたしを見つめる。
少し良いだろうか、ときつく抱く母の腕を緩りと解き、目があった。綺麗な、海のような青。
母と同じ色だ。
「きれい、」
「そうか?ありがとう」
「…あなた、だぁれ?」
「ふふ、我は龍神。
おまえの神様だよ、可愛い子」
ゆるゆると頭を撫でてもらい、ほっこりと落ち着く。わたしの意志とは関係なく、言葉が喉からするりと出て、広い視界はぱちくりと開く。
「なあ、アンリよ。
お前は母様に優しくできるか?」
「…うん、できる」
「そうか、なら我と言葉を交わした記憶はまだ箱の中に閉まっていなさい」
「……う、ん」
「良い子だ。
……ずっと、おれが守ってやるからな」
節くれだった手で優しく瞼を撫で付けられ、自然と瞼は閉じた。
ぽこぽこと泡が上る音、龍神さまの低くて落ち着く声が鋭くなったやんわりと聴覚を刺激した。だんだんと意識が遠のき、最後に聞こえたのは母の安堵する声だった。
*
「っっはぁ…!!!」
ガバリと体を跳び上がらせると、肺は一気に活動し、肋が軋んだ。無意識に横腹を抑えて悶絶すること数秒。
ぼんやりする頭で、キョロキョロとあたりを見渡した。が、いかんせん頭も痛いし喉もイガイガする。何だこの起き抜け。こんなコンディションが最悪なのも珍しい。
呼吸をすると、何か詰まったものを吐き出すようにして勢いのよい咳音が部屋を響かす。肺は痛いし、腹筋も気管も辛いが、数回繰り返した。
「ゴホッ!ゴひゅッ……え、」
今世じゃ病気になった事もないし、もしかしたら咳に対して耐性がなくなってしまったのかもしれない。そうだ、それ以外考えられないだろう。
「………いやいや、だからって血をはくのはおかしくない?」
手のひらには鮮やかな赤色が、花を咲かせるように飛び散っていた。異常なまでの体調不良に吐血。そして、部屋は閉鎖的で付き添うように立っている支柱台には、点滴の袋が不気味にぶら下がっていた。そこから伸びた管は、血がついた手とは反対に繋がっていた。
なんとなく、自分の置かれている状況を理解する。そして、わたしがした事も。
「まあ、自分に対してツッコミ入れられる程かいふくしたって事で…」
ピッと管を抜き、手のひらをぐーぱーして感覚を思い出す。そして、己の腕を見て。
重い腰を上げ、ゆっくりひっそりと壁伝いに部屋を出る様は丸で忍者だろうか、それとも不審者だろうか。と、現実逃避よろしく思案していると、銀盆をカシャカシャと音を立てて歩いてきたベポさんに見つかったってしまった。
「あ」
「あーーー!!!!!」
やば、と反射的に顔を歪めてしまったわたしに対して、ベポさんは涙ぐみながら銀盆を放り出して私に抱きついてきた。
「よかった〜〜!!アンリ生きてたよ〜!!
キャ〜〜プテ〜ン!!!」
「ぁっ、ベポさん!シーー!シーー!!」
「だって外傷はないのに、日に日に弱ってっちゃうから…ぐす…!」
「あはは、ごしんぱい、おかけしまし…ぐふっ」
大きなベポさんの毛皮に癒されていると、後ろからとんでもない引力を感じ、上を見ると記憶よりも数倍濃くなったクマを携え、仏頂面でわたしを睨み付けるローさんがいた。いや、もはやローさんなのか般若さんなのか分からないくらい顔が歪んでいらっしゃる。
しかしながら、わたしの読み通り。どうやらあの厨二病的な捨て台詞を吐いてこの船から降りたのに、またもや拾われたらしい。
視線から、全部おまえのせいだ、と言われてるように感じて堪らずにへらと眉を下げた。
「あはは、ごぶさたしてます……?」
「…おっっまえは!!どんな神経してたらこんな貧弱さで一人戦場に行こうとか思えるんだよ!!!」
「は、はんせいしてます!」
「そんなんで脱出はどうするつもりで…!」
とか、ブツブツと言っていたが、ここで帰り道なんて考えてませんでしたーなんてぶっちゃけるとお説教が伸びてしまうのは、さすがのわたしにも分かった。なんだかんだで、ローさんはわたしに情をかけてくれているのだろう、という自惚れもあるかもしれない。
いや、ないと言ったら嘘になる。
「ちりょう、ありがとうございます」
「チッ……あぁ、テメーんとこの船長も成り行きで拾ったんだ。おまえ拾い直すくらい、なんともねェ」
「ルフィが!?エースさん、…ひけんのエースも無事ですか?!!」
「ああ、テメーより外傷は多いが、テメーより早く起きて出て行きやがった」
「わぁありがとうございます!!
……あ、ありがとうついでに、わたしも外の空気をすいたいんですが…」
「駄目だ。てめェは体ン中がグチャグチャだ。まだ絶対安静…つーか、点滴勝手に引っこ抜いただろ…!早くベッドに戻れ、医者命令だ!!」
「ごめんなさい!
でも、どうしても今外にいかないと…」
最悪、ある人物がわたしを探し回った挙句に、この船を沈ませるまである。それこそ魔女の所業だろう。色々恩もあるし、それは大変困る。
端からみればただ我儘を言っているように見えるだろうが、わたしを真っ直ぐに見つめるローさんの鋭い瞳が、一瞬だけ見開き、諦めたように瞬きをした。
「…医者の言いつけを破る奴は、馬鹿か死に急ぎだけだ」
「それならわたしはどっちもですかね」
「うるせェバカ女」
抱き抱えるように肩をガシッと掴まれれ、ROOMと呟く低い声が聞こえると、視界は一瞬で青く輝く海を映した。
思わず感嘆の声を溢せば、ローさんは悪態をつくようにぺいっとわたしを手離したおかげで、尻餅をついてしまった。
「あいたた…」
「元はと言えば、お前が起きねェからおれ達はこんな島でいつまでも停泊してたんだ」
「すなはま、と、ジャングル……?」
「ここは女ヶ島。
麦わら屋のツテで暫く間借りしてる」
足元はふかふかの砂浜に、目の前は鬱蒼と生い茂るジャングル。女ヶ島、聞いたことある、気がする。しかし、わたしにはあまり関係ない事かもしれない。
すく、と立ち上がり、ローさんへ見たりお礼を言う。こう言う場合は決まって最敬礼だと心の中にまだ存在していた日本の教育が言っている。
「……」
「…ローさん、本当にありがとうございました。今回も、その前も。わたしを放っておかずに、優しく介抱してくれて、本当に、ほんとうにありがとうございました…!!」
「…一度診た患者にすぐ死なれちゃ、医者としての立場がねェだけだ」
「うん、それでも。二度もわたしに手を差し伸べてくれて、本当にありがとう!」
目尻が熱くなり、誤魔化すように笑えばローさんはまたちょっと驚いたように固まった。
まったく、分かりやすい人だ。
…これからも、ルフィと仲良くしてくれるといいなぁ。
ローさんがわたしに手を伸ばした次の瞬間、後ろ手にあった海はザバァンと波の音を立てて、何かが現れた。
振り返ると、そこには夢に出てきた浅黒い流木のような男が立っていた。
「…龍神さま」
「迎えにきたぞ、可愛い子よ。
さぁ、おれと一緒に帰ろう」
差し出された手は、夢と同じく優しい。
けれど、触れる瞬間、視界の端から突然伸びた腕と燃えるような手に阻まれた。
「おれの仲間は連れて行かせねェぞ! おっさん!!」
「悪ィな、コイツはおれの命の恩人なんだ。
勝手されちゃ困る」
「……またお前か、悪魔の実小僧」
目の前の背中は、どちらとも包帯がぐるぐると巻かれてあって、ーー片方は、右腕が、無かった。
「ッエースさん!!」
「うおっ!アンタ、急に触ると火傷するぞ!?」
「わたしなら大丈夫です!それより、やっぱりその腕…」
「…ああ、まあ、な。けど、アンタが必死こいて繋いでくれた命だ。ーー大事に使うさ」
「アンリ! エースの事助けてくれて、ありがとう!」
振り返った黒髪から、ちらりと細められた目元が覗いた。少し、赤くて擦った跡がある。きっと二人ともたくさん泣いたのだろう。
それでも逞しい後ろ姿が並んでいて、わたしはもう。わたしの心はもう、それだけで十分満たされてしまった。
「……ローさん、助けてくれてありがとう」
「…ちょっと待て、」
「エースさん。生きててくれて、ありがとう」
「ッ…!!」
「ルフィ、ごめんね」
「?」
二人を押し退けると、案外簡単に道はひらけた。さくさくと砂浜を歩く。後ろから制止の声が聞こえるけれど、歩みは止めない。
龍神さまの手を取り、待ってくれていた彼を見上げると、悲しみに焦がした瞳がそこにあった。
「……随分ッ、早い再会だ…」
「親ふこうでごめんなさい」
「もう、良いのか…?
このまま帰ればお前はもう誰にも会うことは出来んぞ?」
そう言われて、今にもわたしを力尽くでも取り返そうとするルフィ達に振り返って手首を見せた。他の二人はなんのことだかよく分からない、と困惑が強いだろうけれど、気にする余裕はない。
ルフィは、覚えているだろうか。
「…この花のアザは、龍神族の寿命を表すんです」
思いの外冷たくなった声で告げると、三人とも息を呑むのが分かった。
それでも嘘だと誰一人言わないのは、わたしが人ならざるモノの力を行使する所を見てきたからだろう。
「おれに、アンリを傷つける意志はない。
それと…麦わらの小僧。この子が出来ればそなたらともう少し一緒に、愉快に過ごしていればとおれもずっと、海の底から願っていたさ」
「…だけど、もうおわり。
ごめんね、ルフィ。ーー本当の、本当に。これが最後だ」
ぴちゃりと、波が足にかかる。わたしはそのまま二歩三歩と海の中を進む。
わたしの腰まで波が寄せてくる深さまで歩くと、反対側からの強い引力でそれ以上進めなかった。
そっと目をやると、どこまでも伸びる手がわたしを取り零さない為に、掴んで離さなかった。
「…ルフィ、」
「お前ふざけるなよ!?寿命かなんか知らねェけど、また離れようとしてんだろ!!
次の島も、その次もおれ達と一緒に見に行くんだろ!?」
「ルフィ、はなして…。わたしには、もう時間が…」
「ルフィ離すなよ!!
おい!!!!!おれの命を救ったおまえが、勝手に死にそうになってんな!! お前がどっか行っちまったらッ、おれは誰に恩返しすりゃアいいんだ!!」
「…エースさん」
痣が浮かび上がった時点で、わたしは泣かないと決めたのに。泣いてしまえば、ここから離れがたいのがバレてしまうから。
使い道を決めた命に、悔いが残っている、と自覚してしまうから。
泣かない、と決めていたのに。
「ッ、だって…どうしようもない、…!!」
どうして視界が霞むの。
どうして、涙が止まらないの。
喉と鼻が熱くなって、拭っても拭っても堰を切ったようにボロボロと涙が止まらない。ぐしゃぐしゃになった顔を、俯かせないのがやっとだ。
「わたし、はっ…、あなた達二人の姿が見れただけで、…ェ、それだけで、うれ、しいのに…!!わたしが、ほしいみらいは、“これ”だけなのに゛…!!!」
「…… アンリ…」
「これだけとか言うな!!!!!!」
「ッ!?」
「おれ、まだまだ強くねェし!!アイツらとも離れ離れだし!!まだ全然海賊王にもなれてねェ!!!」
「だってぇ…!わたし、もうそろそろ死んじゃうし、今も立ってるだけでやっとなん、ーー」
「それでも!!!海賊王になった時に、仲間の中にアンリもいてくんなきゃだめだ!!」
ルフィは、太陽みたいに勝手だ。子供みたいに我儘だ。そんなに真っ直ぐ見られたら、そんなに真っ直ぐな言葉にされたら。
ーー願望が、溢れてしまう。
もっといっぱい学びたい。
みんなの役に立てるように、色んなことを学びたい。
もっといっぱい鍛えたい。
戦闘面に不安があるから、足を引っ張らないように強くなりたい。
もっといっぱい冒険がしたい。
知らない土地の知らない人と話してみたい。
もっといっぱい龍神さまのことを伝えたい。
ローさんみたいに、信じてくれている人に龍神さまの真実を伝えたい。
もつといっぱい恋がしたい。
今度はちゃんと、気持ちの整理もつけて、自信を持って恋がしたい。好きです、ってあの人に言ってみたい。
「……わたしも、海の上(ここ)で生きたいって、思っていいのかな゛ぁ…!!?」
「ああ、思えよ!そんで笑ってろ!
にっしし、おれがどーにかしてやる!!」
「…っぐす、…ふふ、でもどーにかって、」
どうするの、と能天気な船長に文句の一つでも垂れようとするが、それよりも先に足元がふらついてしまった。平衡感覚を失ってしまえば、崩れ落ちるしかない体を支えてくれたのは、ずっと側で手を握ってくれていた龍神さまだった。
「… アンリ、すまない」
「どうして、龍神さまがあやまるの…?」
「お前達ばかりに、こんな運命を背負わせてしまって……!!」
「わ、わたしの方こそ……!ごめんなさいッ…、むちゃして、約束まもれなくてごめんなさい…!!」
「…わたし、やっぱりまだ死にたくない…!!もっと生きていたい…!!」
「…あぁ!!あぁ、!!!」
涙で滲んだ龍神さまは、とても綺麗で、とても人間らしかった。
知っているんだ、寿命を迎える龍神族の末路を。わたしもあの透明な水槽の中で、“龍神族の思い出”として、覗いたことがあったもの。
だから、これがどうしようもないことだと、分かりきっている。
それでもルフィを前にすると、どうにかしてしまえるんじゃないかって思ちゃうのはどうしてだろう。主人公だからかな。
*
「オイ、取り敢えずソイツの診察させろ」
「…ぐす、アンリ。前にも言っただろうが、仲良くする人間は選びなさい。あやつも、ソバカスの小僧も、全員悪魔の実のガキではないか」
「スン…でも、ローさんいい人だよ?」
「おれは!!医者だ!!!」
仲良くねェ!!とガミガミと声を上げながら、シャンブルズでわたしと龍神様共に、一度浜へ戻してくれた。動けないので、とても助かるがやっぱりびっくりしてしまう。
わたしと龍神様は鼻を啜りながら、ルフィにお前ら親子揃ってバカだなーーと笑われるが、エースさんがゲンコツをお見舞いしてくれていたのでわたしからの制裁はなしである。
ローさんの診察は、悪魔の実(オペオペの実というらしい)の能力を使って診るらしく、聴診器とかレントゲンとか撮らないなんて、なんだか変な気分だ。…あと、周りで人が見てる診察、というのもなんだか居た堪れない。
「……やっぱり、今朝よりも酷くなっている。絶対安静とはいえ、これだけ数値が変わるなんて可笑しいだろ。なにか心当たりはねェか?」
「…わたしは、特になにも」
すっと手を上げたのは、龍神さまだった。
その彫刻のような唇から紡がれたのは、わたしも知らない龍神族の事。
曰く、わたし達龍神族は人間の力と龍神さまの力とで半分ずつで構成されているらしい。しかし、龍神さまの力は消耗が激しく、使えば使うほどバランスは崩れていく。
「覚えはないか、アンリよ。」
「………」
「海の声を聞き、話して命じる。それだけでも人智を超えた力だが、お前の場合再生能力も使ってただろ」
「…あ、」
ローさんに言われて気がついた。
わたしが今まで行使してきた力全てが、龍神さまの力をめちゃくちゃ消費していたらしい。
自分一人に止まらず、エースさんにも力を使ったのだ。
「…今の状況では、陸では三日と保たん。
しかし、海の中であればおれが少しずつ力を分けてやれる…。それでも、あと一年と言ったところだが…」
「あのよ、半分ねーならもう半分なんかで足せばいいんじゃねェのか?」
「「は?」」
「いや、ルフィさすがにそれは…」
「ほら!コルボ山で昔、マグラが作ったワニのスープを盗み食いした時、三人でスープ飲み過ぎちまって減ったから水入れて元に戻しただろ?」
「…いやいやいや、流石にスープと同じなワケねェだろ!」
エースさんと二人でやんややんやと騒いでいるルフィを見ると、やっぱり兄弟なんだなと改めて実感する。他人事のように笑っていると、何やら固まって動かない龍神さまとローさんが気になった。
「あの、龍神さま?
ローさんも、どうしたんですか?」
「……あの小僧が言っている事、案外的を射てるかも知れん、と思ってしまってな…屈辱だ…」
「同感だ…。あんなバカみてェな例えで思いつくなんて、と絶望してた所だ…」
「バカとはなんだ!シッケーだぞ!!」
「ルフィ…ややこしくなるから、もうお前黙ってろ……」
つまりは、足りなくなった部分を別の何かで補えば問題ないという話らしい。
しかし、龍神さまであっても龍神族の寿命を延ばすだなんてやったことはないと言う。
「一体、何でどう補えば…」
「アンタの力で龍神族の力とやらを満タンに出来ねぇのか?」
「…おれの血は濃いからな。何代かけてもアンリのような強大な力を操る者が現れる程だ。
…下手をすれば“人間”ではいられなくなってしまう」
人間ではいられない、ってどうなるんだと思うと背筋がゾッと冷たくなった。
しかし、前例のないこの問題を解けないまま、いつのまにか太陽は西へ傾いていた。エースさんが業を煮やし、片方になってしまった手でガシガシと頭をかいた。
「おれの血やルフィの臓器じゃ無理か?!」
「おう!いくらでもやるぞ!」
「そもそも血液や臓器が足りてねェわけじゃねェ」
「というか、おれの娘に悪魔の実を食ったヤツらの血や臓器を入れるのを許すわけないだろう!!?」
「まぁまぁ、龍神さま、二人は好意で言ってくれて、………あれ?」
と、ふと、思う。
そうだ。わたし達以外が口にできるとばかり思っていた。“あれ”を一口食べれば、超常的な力を得るのだと、言われていた。
つまり、龍神族が食べれば半分しかない人間の力が、強化されはしないだろうか…?
口に出すのは、すごく怖い。的外れなことを言っていたらどうしよう、龍神さまに嫌われたらどうしようと、臆病な心が俯く。
けれど、死にたくないと言ったのもわたしだ。
そうやって隅に座って丸くなるのは楽かもしれないけど。
今更、当たって砕けるくらいの傷、怖くもないだろう?
「あの!悪魔の実なら、どうかな…?」
「お〜!悪魔の実か!?あれすげーーマジィから効果ありそうだな!!」
「……能天気すぎないか、麦わら屋。
悪魔の実は苦い薬でもなんでもねェんだぞ」
「…それにな、嬢ちゃん。悪魔の実はそんな簡単に手に入るモンじゃねェんだぜ?
試そうにも、今から三日以内じゃとても…」
「でもよぉ!シャンクスは持ってたぞ、おれが食っちまったけど!
そンなら他の海賊も持ってそーなモンだろ!な、よし!今から採りに行こう!!」
「「アホか!!!」」
ごちーん、とゴムの頭から鈍い音がする。
わたしはそっと、無言の龍神さまを覗き込んだ。なんと言っても、この件に関して一番知見が深いのは龍神さまだ。
固唾を飲んで、ちらりと見やると、想像とは違った表情をしていた。怒っている、というよりも何かに気付いてしまった、ような。
「龍神、さま…?」
「…ああ、まさか。そんな。
あの子は、そこまで見抜いていたのか…?」
頭を抱えて冷や汗を垂らし、譫言(うわごと)のような言葉をぶつぶつと吐く姿に、何が何だか分からず大丈夫かと背中をさすってやることしか出来ない。
酷く動揺した龍神さまを見て、流石にルフィ達も眉を顰めて静かになった。暫くして落ち着いた龍神様は、薄い波の溜まりに手をつけて独り言のようにつらつらと吐いた。
「……おれとアンリが顔を合わすのは、今回で四回目だ」
「え?二回、いや生まれた時と合わせて三回は分かるけど、あと一回って…」
「無理もない。
おれが記憶を封印したからな」
そう言われてフラッシュバックしたのは、今朝見た夢の内容。
母の心を裂いたような叫び声と、唸るような地響き。物言わぬ人だったモノと、そこから溢れ出す血煙がもわりと海を漂う、あまりにも酷い情景を。
「…その顔、どうやら思い出したらしいな。
その昔。と言っても、おれにとってはつい先日のような出来事だが。
おれと、アンリは出会っている。お前の母、アンナが呼び寄せたのだ。
アンナは心穏やかで、強く気高い女性だった。そんな子が、自分の子を守るだけの獣のように目をギラつかせて人を殺めた」
「……やっぱり、夢じゃなかったんだ」
「…あぁ、そうさな。アンナも“夢”にしたかったのだろう。だから、無意識におれを呼び寄せて、酷い現実に蓋をした。」
瞼を伏せる龍神さまに、ローさんは口を挟んだ。
「どうして母親は人を殺した?」
「…おれも、最初からいた訳ではないが。
恐らくアンリを追いかけてきた者だろう。…いくら我らが慈しもうが醜い人間はそうそう変わることはない」
「そうか…」
「アンリ。その日、母がどうしてお前の側から離れたか、覚えておるか?」
「え、っと……。たしか、いつもの買い出しに、」
そうだ。母はいつも、月に一度陸へ出て食料や衣服を買い出しに出ていた。
その時はきちんと、岩陰に隠れていなさいと言われてたのに、わたしはじっとして居られなくて、近くの沈没船に面白い本はないかと探しに行ったのだ。
「…あぁ、確かにお前はお転婆だったから苦労したろうな。けれど、そんなお前を大切に思い、願っていたのもまた母であるアンナだ。
アンナは、“これ”をおれに預けたんだ」
タイミングよく海から現れたのは、わたしの胸に収まるほどの氷塊だった。恐らく、以前わたしを閉じ込めていた“断絶の硝子”だろう。もうすっかり暮れた太陽の光を浴びて、オレンジ色に反射する氷は、宝石のようだ。
ちらり。透明なその塊の中に、丸い何かが見えた。白い翼のような蔓が伸びたその丸いモノは、オレンジの夕焼けをその身に映すことなく、自身を七色に艶がかっていた。
「きれい……。
って、これ悪魔の実、だよね?!どうしてこんな、」
「これは、アンナがお前を産むと決心した時に、海へ持ち帰ったただ一つのものだ。
……“この子に何か起こった時、これを渡してほしい。きっと私じゃこの子にもしもがあった時には、もう助けてあげられないから”と」
「……そ、んな」
どれだけ深い愛情を、わたしは貰っていたのだろうか。どれだけの庇護の中、わたしはのうのうと暮らしていたのだろう。
そんな事にも気付けないなんて、どれほど馬鹿で浅はかなのだろう。
この世界が二回目だろうが、生まれた意味だとか、使命を持って思慮を尽くしたかどうかなんて。
ーー母の愛情の前には、関係ない。
「アンリの言った通り、もしかするとこの忌々しい実がお前の身を救うかもしれん。
けれど、龍神族の娘が悪魔の実を喰らうのは初めてだ。少しばかり残っている龍神の力が、悪魔の実を嫌い…、拒否反応を起こさないとも限らん。
ーーーアンリが、決めてくれ」
食べるか、食べないか。
なんて、そんな話を聞いてしまえば、決心はもうついたも同然じゃないか。
「ルフィ、わたし生きたい」
「ああ」
「だから、おうえんしてて!」
「……っすぅ…!
がんばれェ!!!!負けんな〜〜〜アンリ〜!!!!!!!」
「ーーうん、がんばるっ!!」
差し出された氷塊に手を伸ばし、すっと冷たい感覚がわたしの指先を覆った。
果実に手が届き、掴んだ全てがスローモーションに感じる。口に運ぶまでに思い返すのは、みんなに会ってからの事。
初めてここが漫画の世界だって気がついた時は、腰を抜かしたなぁ。
それから声が出なかった事でいろんな誤解を与えたり、ゾロさんにめちゃくちゃ警戒された。あの頃は歩くことも精一杯だった。
ナミにおめかししてもらったり。
そうだ、ロビンさんからもらったスケッチブックには、“ありがとう”が一番最初に書いてある。まだサニー号に残ってるかな?
ウソップさんは髪を切るのがとても上手で、フランキーさんはとっても頼りになるし、ブルックさんは心地のいい音楽とお喋りでずっと楽しませてくれる。
チョッパーはわたしの体調をいつも心配してくれたし、初めて陸の町に行った時はずっと背中に乗せてくれてた。
ルフィは、卑屈で本心を隠してたわたしを引っ張り上げてくれた。
サンジさんは、わたしが龍神族だと知ってもなんにも変わらずに。ずっと、ずっとわたしにあたたかいごはんと気持ちをくれる、素敵な人だ。
手に取った悪魔の実に願い事を一つ託して、わたしはしゃくりと口にした。
(遍く世界に、愛を)