生存戦争編
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「…ってことで、今からコイツをマリンフォードまで送り届ける。
ベポ、海軍の奴らに見つからないようになるべく最短ルートを進ませろ」
「「「えぇーーーー!?!」」」
「返事は?」
「ッア、アイアァイ!!」
「その他、質問あるヤツ」
見渡せば、沈黙だった。
食堂に集まるよう指示すれば、5分もせずにほぼ全員集まるような奴らでもこんな時には困惑した顔でおれを見ている。目は口ほどに物を言う。それだけ海賊と海軍の全面戦争をしている戦地には行きたくねェらしい。それについてはおれも同意だ。けど、今は条件がまるで違う。
“あの”龍神族が手が届く場所にいるんだ。
気不味そうに奴らから目を背けて床ばかりを見る黒髪のチビに、DEATHの字が目立つ手を頭に乗せた。
「不満があるのは分かる。
だが、おれはコイツと取引した。…意味、分かるな?」
声を沈めて、固唾を飲むあいつらを前におれは言葉を続ける。
「つまり、マリンフォードに送り届けるまでコイツは客人だ。丁重にもてなせ」
説明は以上だ。てめェら、仕事に取り掛かれ。と静かに言い放ち、おれは食堂に背を向けた。
が、ドアノブに手をかけたところで、あの気不味そうなチビに向かって一つ和ませてやろうと、ただなんとなくそう思った。
「ーーアァ、魔女屋」
「まじょ、や???」
「おれ達ハートの海賊団がてめェをマリンフォードに連れて行ってやるのは確定だが、“火拳のエース公開処刑”に間に合うかどうかはてめェ次第だ」
「!?」
「精々悪あがきしてみろ、クク…」
「あ、ちょっとローさん!?」
ひらひらとわざとらしく手を振って見せて、最後ペンギンに「コイツに何か飯を食わせろ」と伝えて、今度こそ食堂を去る。
*
1人自室に戻ると、医学書ばかりの本棚の奥になんとなく手をかけた。
気まぐれだ。古くなってボロボロの、表紙から埃を払えば箔押しで連なるタイトルが見えた。もう、目で追わなくても読めるそれを指でなぞる。
「“りゅうじんの たからもの”…。
全く、嫌味な運命だな。ーーコラさん」
あの日、肌寒くなった夜に交わした、あの人との何気ない会話を瞼越しに思い出す。
大きなその人は、まだ幼かったおれに対して丸く屈んではよく話しかけた。
「ローお前本とか読むの好きだろ?
これ知ってるか!?」
「…知ってる」
デデーンと効果音でもつきそうなほど堂々と懐から取り出したのは新品の本で。
おれはその“りゅうじんの たからもの”というタイトルの本を昔、妹のラミと読んだことがあった。
コラさんのことをうるさいな、と思いついそっけなく答えると、その人はポリポリと頬をかきながら新しい煙草に火をつけた。
月の光に当てられた紫煙が、宛もなく上へ上へと昇るさまをぼんやりと眺める。
この人はうるさいのに、どこか静かだ。
「そっか。おれこの本見たの初めてでよ、ローなら好きかなーと思って買ってきちまった」
「……」
「ーーなあ、知ってるか?龍神族ってほんとにいるんだぜ」
また訳のわからないことを、と幼いながらに呆れてしまったのを覚えてる。というか、ため息を漏らしてそう言ってしまった。
「何言ってんだよ、そんなのおとぎ話に決まってんだろ」
「分かんねェぞ?おれもお前もまだ見たことねェんだからよ。
それに、ほら!龍神族の肉をちょびっとだけでも分けてもらえりゃ、ローの病気も治るかも知れねェだろ!?」
「……またそれか」
「ヤブ医者共よりずっと早いし、すぐ治りそうじゃねェか!」
「…あっても食わねェよ、そんなゲテモノ」
ひっそりと。ひっそりと、あの人に見つからないように、おれは俯きながらも口角が持ち上がっていた。なんてバカなんだ、と思っていながらも、この人の真っ直ぐさが暖かいと感じ始めていたから。
なぁ、コラさん。
今になって見つけたんだ、“あの”龍神族を。
あんたが言ってたことが嘘でも本当でもよかった。ただ、おれが覚えてるあんたの全てを刻みたくて集めてただけだったが、探して、探して。ーーようやく見つけた。
目を開けると、部屋の端には積み上げられた龍神族に関する書籍が埃を被っていた。
もうこれも必要ないな、と思考の端で思いながら、考えるのはあの青い瞳の女のこと。
初めて見たのは、シャボンディのヒューマンショップだった。麦わら屋のことは、同じDの名を持つ海賊だから事前にチェックしていた程度だ。だが、あの女はおれの意識の外から現れた。
海賊にしてはあまりにも華奢だと、その時はそれだけだった。
何かの能力者か、はたまたただのお荷物か。
しかし女は警備のヤツらを隙間を掻い潜って、舞台上で怯えてる若い人魚に向かっていった。
丁度、天竜人が人魚を始末しようとしていた。これぞまさに世界の縮図。ただ当然であるように、胸糞悪くも他人事として、おれはその茶番を客席で見つめていた。
すると、華奢な女は天竜人と人魚との間に割って入って、その眉間にピストルが突き立てられる。
女は人魚を庇い、天竜人を青い瞳で睨みつける。
「死ねアマス!」
「うるさいな、てめェがしね」
戦火の中放たれた言葉は、結んだ糸のようにおれの鼓膜を貫いた。
バッとフラッシュバックのように思い出すのは、あの暗くて狭い箱の中。寒くて凍えそうになりながら吐いた白い息。届かない、自分の声。
そんな情景は記憶にないが、どうしてか女とあの人が重なった。銃口を向けられても決して逃げないあの真っ直ぐな眼差し。
全然似てないはずだ。なのに、どうして…。
海を漂うこの女を拾ったのも、きっと気の迷いだ。(ベポ達がうるせェから、ってのもあるが。)
けれど、海から引き上げた女の容体を診るうちに“気の迷い”が“予感”に変わった。
海水を大量に飲んでるはずなのに、脈拍は弱まってもいないし、心肺も安定している。ただ、気を失っているだけ。
それなのに深い海中を漂っていたなんて、あり得るのか?否、普通の人間ならまずありえない。死んでいても可笑しくないほどの深さで見つけた、麦わらの一味の女。
面白いモノを拾った、と思った。そして、その予感は“現実”に変わる。
目の前でおれを見上げる青色が、ゆっくりと唇を持ち上げた。
「ローさんのおっしゃる通り、わたしは純粋な“にんげん”ではありません。
ーーわたしの肉をひと口食べれば大怪我万病に効くとされている女人一族。龍神族さいごの生き残りです。エラもなく、尾びれもない海の声を聞くことができる、“ばけもの”」
「龍神、族…!?」
「ホラ、ローさんお望み通りの解答編ですよ。
よかったですね」
皮肉たっぷりの声色に噛み付けるほど今のおれに余裕はなかった。
ーー龍神族、龍神族だと?
だが、それならこいつの呼吸器官や心肺が弱まっていなかった説明も、あの深さを漂っていた理由も頷ける。
…しかし、皮肉なモンだ。あれほど探していた時には何の手がかりも掴めずに、諦めかけてた今になってこうして目の前にいやがる。
怪訝な顔をする女と第一の取引は“情報”のみ。奴は己の出自を、そしておれ達は今世界がどうなっているか。海を行くこいつからしてみれば充分な情報だ。
いいタイミングでシャチが軽口を叩きながら今日の新聞を持ってきて、女に手渡せばビー玉のような目をこれでもかと開きながら、細い肩を震わせた。
女が知りたかった情報ってのは、てめェのとこの船長の行方じゃなく、火拳のエースの公開処刑についてらしい。奴の名にも、Dが入っているが、海軍本部での公開処刑と何か関係があるのか…。
おれが考え事に嵌っている間に、女は何か決意をしたのか、ぐっと拳を握り改めておれを見据えた。
「ローさん、今までお世話になりました。
わたし、マリンフォードに行ってこの人助けなきゃ」
「…お前みたいな奴が行って、戦争が止まるとでも思ってんのか?」
「せんそうを止めたいなんて、大それたこと思わない。あの島にいた、きざるって海軍の大将もいるんでしょ?ならわたしなんて、足元にもおよびませんよ」
「ならお前が行く意味はなんだ?
麦わら屋との合流なら、連絡を取り合って落ち着いた時にでも…」
「わたしは、だれか一人にだけ降りかかる不幸を、わたしの船長の笑顔をうばいとる厄災を、無視することなんてできない…!!」
「ーーわたしの命を“全て使い切ってでも”、あの人を救う価値はある。」
その言葉で思い出すのは、悲鳴や赤い血を吸い取る深い雪の島。まただ。コイツに、あの人が被って見えるのは。
だから、だろうか。この女の行く末が気になってくる。
「…ーー、それなら改めて取引だ。
こっちの条件を飲むなら、この船でマリンフォード近くまで向かってやる」
「えっ!本当ですか!?」
「ああ、
一つ、龍神族について、事細かに教えろ。
二つ、位置を踏まえた上で、龍神族であることをここのクルーに絶対にバラすな。
お前に求めるのは以上だ。」
「……そ、そんな、」
青い目の女は少し俯くと、細い肩を震わせた。
ああ、気まぐれで人間を助ける龍神とは違い、確か龍神族は絶対秘匿の存在。おいそれと人前に姿を見せず、海に隠れ住まう一族だと本には載っていた。その情報を渡さなければマリンフォードへは行かないと言っているのだから、コイツからすると脅しているようなものだろう。
…しかし、女は床を見つめていた顔をバッとあげた。すぐに飛び込んできた青い瞳は、昔見た宝石のような安っぽい輝きではなかった。
「そんなことでいいんですか!?」
「……は?」
「え、いやだってもっと、ちがう事をようきゅうされるのかと、」
「………」
「ほら、龍神族の血肉って食べればなんでも治るよーみたいな事言われてるでしょ?あれ、うそらしいんですけど、信じてる人が多くて…」
「…ッハ。ーーーそんなゲテモノ、あっても食うかよ」
「あはは、そうですよねー。って、人をゲテモノ呼ばわりはひどくないですか!?」
気分よく上がる自分の口角を、手で覆う。ああ、なんて運命だ。
低い位置でぎゃーぎゃー騒いでる女を見て、おれは決めた。
ーーー海賊は、奪い合いが本分だろ。
*
拝啓、天国のお母さんへ。
わたしは今、あなたの思惑から随分外れて海賊になりました。遅めの第一時反抗期って事で許してください。
わたしの入った海賊団は、それはそれは楽しくて、嬉しいこともいっぱいで、優しくしてもらいました。だから、その船長さんがピンチになっているので微力だけれど助けに行こうと思った次第です。……です、が。わたしは今、別の海賊船の食堂にいます。なぜ…?
「…好き嫌いとか、ない?」
「は、はい。なんでも、だいじょーぶです」
「じゃあ、コレ。残りモンだけど、後パンも」
「ごていねいに、どうもありがとうございます」
ペンギン、と書かれた帽子の(おそらくお名前もペンギンさん)男の人に、トンと出されたのは野菜がゴロゴロと入ったスープと、乾いたパンだった。ありがたい。ローさんが客人と言ってくれたからだろう。普通、他の海賊をこうも手厚くおもてなしなんてしない。しかし、だ。
「……あのぉ、もしかしてわたし、後ろの方々のごはん食べるのじゃましてます?」
「あ〜〜〜…、いや、気にしないで。アイツら、アンタのこと気になってるだけだから」
はぁ、と気の抜けた返事をするが、しかし後ろを振り返ると結構な人数と目が合う。どうも食べ辛い。そんなわたしに気がついたペンギンさんが頬を掻いて目配せをすると、後ろの野次馬(失礼だが便宜上そう呼ばせてもらう)の中にいたシャチさんが率先して他の人たちを散らせてくれた。残ったのはわたしと、気まずそうにしているペンギンさん。後ろにいたシャチさんと、あとずっと気になってるシロクマさんだ。
……なんで、シロクマ???
あれ?わたしが可笑しいのか?
確かに、ウチにも喋るトナカイや、歌うガイコツ、腕が飛び出るロボットが居たけど。…そう思うと麦わらの一味、イロモノ揃いだな。わたしも含めて。
ならシロクマさんが海賊してても普通か。そう結論づけて、改めていただきますと手を合わせた。
曇った銀のスプーンで、スープと野菜を口へと運ぶ。ごろっとしていて噛みづらく、あまり火の通りはよくないように思えた。それでいてスープはしょっぱくて、お世辞にも美味しいとは言えない。パンも焼かれているが、日が経っているのか、随分と口の中の水分を持っていく。
……う〜〜む、これは。なかなか、どうして。
「だははは!魔女チャンの顔にマズイって書いてらァ!」
「ぅエッ!?い、いや、そんな事は…」
「ハハ、気にしないでいい。事実だから」
「ウチ専属のコックとかいねェからなぁ」
「そう?おれはコレ普通だけど」
「ベポ、お前のそれは味音痴なだけだ」
「シロクマが料理のこと語ってスミマセン…」
「いや凹みすぎ」
ワハハハと3人が揃って笑う。息ぴったりだ。
きっと色眼鏡で見られているわたしに気を遣ってくれてるのだろう。なんたってあの船長からのご命令だし。
賑やかな笑い声に、温かいスープ。心から美味しいとは言えないが、サウザンド・サニー号での楽しかったあの食卓を思い出してしまった。
まだ、懐かしいなんて言えるほど時間は経っていないはずなのに。目頭が、暑くなってくる。
滲む視界を誤魔化すようにしょっぱいスープを口いっぱいに含み、勢いよく咀嚼する。
パンをちぎり、大きな具と合わせてガツガツと皿の中を減らしていく。
突然の食べっぷりに3人とも唖然としている。申し訳ない、人目も憚らず。けど、こうでもしないと、あの人を思い出してしまうから。
透明なコップに注がれた水を一気に飲み干し、その勢いのままテーブルに置く。思ったより大きな音がたってしまったが、それさえもわたしの背中を押すようで。
「ごちそうさまでした!!!」
「お、オソマツサマでした!」
「おーー!」
「いっぱい食べるな〜!」
シロクマさん、もといベポさんからは何故か手(肉球)を叩いて称賛されたが。
わたしは、このビッグウェーブを皮切りに、言い出しにくい話題を口にした。
「あの!今って、マリンフォードに向かってくれてる、んですよね…?」
「ーーああ、それがおれ達のキャプテンからの命令だしな」
「でも、今から向かったとしても、到着は3日後くらいだよ?」
「魔女チャン的には大丈夫なの??」
「ありがとうございます、そこはなんとかします。ーーところで、大きな窓があるところってどこになりますか?」
その言葉に3人が揃って同じ方向へ首をもたげ、思わず目尻が下がった。
食堂を出てこっちだよ、とベポさんに手を引かれた。突然、フニフニのあたたかい肉球に手を包まれ驚きと同時に心が浄化されていく。おそらく、今わたしからはオキシトシンが出てることだろう。
「…これが、アニマルセラピー」
「ん?」
「着いたぜ、ここが魔女チャン御所望の場所。操舵室だ」
食堂から少し歩いたそこは、サニー号の操舵室とは打って変わって機械仕掛けだった。確かに、ここの船は潜水艦だし色々必要なんだろうが、“この”世界に生まれて初めて近未来的な機械に出会った気がして、変な感動が胸に広がった(フランキーさんはこの際除く)。
しかし、本題はそこではない。
目を奪ったのは、わたしが両手を広げてもちっとも届かないくらい大きな窓。というよりもガラスドームに近いそれだ。
深い海独特の仄暗さと、音を飲み込んだような静けさに、改めて海の中なんだと思い知らされた。室内にいるはずなのに、海を漂っている気にさえなる。
3年ほど、この海を一人で漂っていたあの頃を思い出させるような…。
「ーーー…あの、少しだけあの窓さわりますね」
「うん?」
ぺたぺたぺた、とやけに大きい借り物のスリッパが音を立て、唯一ガラス張りになっているそのドーム部分にぴとりと指の腹からゆっくり両手をつけた。ひんやりと冷たいガラスが、冷静さを思い出させた。
今のわたしは、ひとりじゃない。
ルフィを、仲間を助けるためにいかなきゃいけない場所があるんだ。
「“海よ、力を貸して”…」
“……しい、子。”
“我らの愛しい子”
“可愛い可愛い、あの方の宝よ”
“何か御用かな?”
先ほどよりも鮮明に。シャボンディ諸島よりも大きく。しかしいつもよりもくぐもっその声たちは返事をした。
優しい、優しい龍神さまみたいに慈愛に満ちた海の声。きっとこの声はベポさん達には届いていないだろう。ちらりと振り返れば、三者同様に後ろで不思議そうにはてなを浮かべていた。
きっとこの瞬間海に話しかければ、漂流していた不思議な女の子から、とんでもない電波系女子にジョブチェンジ間違いなしだろう。
ーーけれど、わたしはこのお願いをするために、他の海賊船の操舵室まで足を踏み入れたのだ。こんな小さいところで躓いていられない。
「あのね、この船の速度をあげてほしいの…。
できるだけはやく、はやくわたしの船長の元にかけつけられるように…!!」
「…だれに、話してんだ?」
「さぁ……?」
後ろから聞こえる怪訝な声よりも大きく、わたしの肌をビリビリと刺したのは、ガラスの向こうから聞こえる海の声だった。
“きみが、”
“あなたが、”
“愛おしい子が、”
“ーーそう望むのなら、喜んで背中を押そう”
次の瞬間、ガコン!と大きな音が船尾から響き、瞬きをする隙もなく船はぐいんと何かに引っ張られた。戸惑う3人をBGMに、わたしはありがとうと呟いた。
*
それからのことを話そう。
魚雷と見間違うほどのスピードを出し始めたせいで、自室へ引っ込んだはずのローさんが血相変えて操舵室へやってきた。数時間の付き合いだが(ここの人からしたら数日)、この人でもこんな顔するんだ、というほど顔を歪めて飛び出してきた。
よく通る声がわたし達以外いない操舵室に響き渡り、3人が3人ともキャプテ〜ン!と泣きついていて、少しだけ申し訳なくなった。が、どうにかしろと言ったのはローさんだ。
わたしは、わたしのやり方をしただけだし、おそらくローさんも少なからずこの展開を想定していたはずである。なのに、わたしは首根っこを掴まれてとある部屋に投げ込まれてしまった。
「……いかんだ、」
「遺憾なのはこっちだ馬鹿!!持ちかけた取引がものの数十分で頓挫しそうになった身にもなれ!!」
眉を釣り上げ、大きく怒鳴られてしまった。
めちゃくちゃ失礼だけれど、この人顔怖いのに怒り方普通だなぁと、わたしの関心は先ほどに続いた。
ローさんは盛大なため息を吐き、ドカリと椅子に腰掛けた。申し訳ないが、なんとなく他人事のように大変そうだなと思える。
「…余裕そうじゃねェか、魔女屋」
「……わたし、まじょじゃないですけど。
でもそうですね。このままだとすぐにマリンフォードには着きそうなので、今は一安心ってところです」
「今てめェが自ら向かってるのは、この世界でもっとも激しい戦地だぞ、分かってんのか?」
「ーー…わかって、ますよ」
わたしはあまりこの世界を“知らない”けれど、その戦争と結末だけは“知っている”つもりだ。どれだけ激しく、辛く、理不尽な戦いなのかを。
「だから、わたしはルフィの役に立ちたいんです。少しでいい。ほんの1ミリていどでいいの。わたしが受けた恩にむくいれるなら」
「……ご立派だな」
「そんなんじゃないです」
わたしはただ、この命の使い道を考えたときにここだと思っただけだ。
恩を返せるなら。世界から降り注ぐ不条理から、ちょっとでも助けられるならそれでいいと思ってしまった。
「……そんなに大切か?麦わら屋は」
「え?そりゃまあ、船長ですし」
「ーーアイツらは、お前が龍神族ってことも知ってるのか?」
「ええ。けっこう早めのタイミングでカミングアウトしちゃいました」
「軽すぎる……」
「むっ、そんなことないですよ!あの時すっごい大変だったんですから!」
“ローさんには龍神族の話を包み隠さずする”という条件のもとこの船に乗せてもらっているので、わたしは少し前にあったわたし拉致事件について語った。ほんの数十日前なのに、もう龍神さまのことが懐かしく感じる。
きっと、わたしも親離れできてないんだろう。
「……龍神に、あったのか…?」
「?ええ、わたしの父なので!」
「…!!!??」
ローさんはなにも発さず、目をまんまるくさせ、口をあんぐりと開けていた。これが、絶句というものか。見慣れれば案外表情豊かである。そこから、マリンフォードに着くまでの間、ローさんからの質問は止めどなく溢れた。
良くも悪くも、今までこんなに龍神さまやわたし達のことを詳しく聞いてくる人がいなかったからか、それともローさんの瞳の奥にある燻った温度がそうさせたのか、わたしも楽しくて話が弾んだ。
そうして刻々と時は過ぎ。
話に夢中になっていれば、ふと耳殻をなぞったのは、老人のような、子供のような、女性のような男性のような。それら全てを一緒くたにしたようなくぐもった声が、わたしに告げた。
“もう少しだよ”
“人間の数が一際おおきくて、”
“悲しみと怒りに満ちた土地”
“希望と絶望が入り乱れる土地”
“虚栄と慢心と苛立ちがごちゃ混ぜの”
“汚い、汚い土地だ。”
“それでも、お前がいきたいのなら”
“もう、すぐそこだよ”
「ーーうん、わかった」
「…?どうした、魔女屋」
虚空に向かい返答する私に、ローさんの眉間に一筋皺が刻まれた。しかし、臆することなくわたしはローさんの目の前にすっと立ち、口角を上げた。座っていても立ち上がったわたしとそう目線は変わらないのに、何故か小さな子供のように見上げるこの人には、きっと可哀想な程道のりが長く馬鹿げことを今から言わなければいけない。
わたしが居なくなった後でも、この人たちが無事であるように。
ーーー海のご加護があるように。
「ローさん。
いつか、わたしの太陽があなたの道を照らす日がきます。それは、いつかきっと訪れるでしょう」
「なんだ、そいつは」
「天啓…、じゃなくて、未来予想図、ですかね?」
「は……??」
わたしがなんとなく“知っている”情報は、これが最後。だからちょっとだけ、あなたに託します。自分勝手な言葉だけを残して、ポカンとしているローさんを視界から外し、部屋を出た。
ぺたぺたと、勝手知ったるという顔で歩いていれば、船内放送でベポさんの声がした。マリンフォードがもう目と鼻の先にあるらしい。バタバタと騒がしくなっていく船内。わたしのわがままでここまで着いてきてもらったけれど、今ローさんに捕まると色々厄介かもしれない。
遠くの方であのよく通る声が響いているが、それでもわたしは鼻歌を歌うように歩く。
海に近い場所を辿っていれば、自ずと甲板へ続く扉に付き当たった。
つるりとしたドアノブに手をかけると、流石に周りにいた船員さんに待ったをかけられた。
「おまっ、アンタ何してんだ!?今は潜水中なんだから、ここは開かねェよ!」
「あ、大丈夫ですよ。“退いてもらう”ので」
船員さんを無理矢理退けて、重厚に施錠されてあるドアノブを開けていけば、次第にガチャリとその扉は開いた。
周りにいた複数の船員はギョッとした顔で慌てているけれど、開いた扉からは何も迫ってこない。潜水中だろうとなんだろうと、わたしがいるのだから海、海水には“この線からは入ってこないで”とお願いすれば、船は浸水せずに済むのだ。
扉から数歩だけ離れたところでふよふよとゼリーのように揺らいでいる海に、顔が綻ぶ。
まるで途中まで着いていくよ、と言ってくれているようで。
待ってくれている海に向かって手を伸ばすと、人だかりをかき分けて独特な呼び名でわたしの足を止めたのは、ローさんだった。
「はぁっ…、てめェ…!!
生き急いでんじゃねェ!今ならまだ!」
「ローさん」
「いってきます」
ぼちゃんと海へ飛び込む。久しぶりに絡みつく水を足で蹴り、腕で掻き分けた。
瞼の裏には、扉が閉まる前にちらりと見えた狼狽えるローさんの表情が浮かぶ。
ごめんなさい。ちゃんとしたお礼も出来ていないのに。
それでもわたしは、聞こえる大砲の音を、大勢の咆哮が響くあの水面を目指す。
(割り切ったのは、誰の命?)