龍神族編
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ぽこぽこと流れる海流の音と泡が上昇する音が、鼓膜を揺らす。
眠っていると、まるで羊水の中みたいで相変わらず心地がいい。この水槽は、龍神さまが創り出した安寧と停滞が住む海だ。
穏やかだけれど、この洞窟の全部の時は止まっている。水槽の中も、龍神さまも。
ぽこぽこ、ぽこぽこ。
水中の音はそれだけのはずなのに、微かに高くて落ち着いた声が聞こえる。
“もし。もし、あなた”
“聞こえてないのかしら?”
こんな水槽ではろくに海の声なんてものは聞こえないから、どうせわたしの幻聴か何かだろうと思っていたのにそれは段々と明確なものになってきた。
「……だれ?誰か、いるの?」
“やっと気がついたのね。
おはよう、私たちの可愛い子”
くすくすと笑う声は、女の人のようで。
誰もいないはずの水槽から声が聞こえる、だなんてホラーではあるが、どうしてかこの声に懐かしさを感じた。
“あの方を悪く思わないであげて。
あの方は、孤独に慣れてしまったの。けれど、それが虚しい事くらいは分かっている。
だから、唯一の血族である貴方を守ろうとしたのよ”
「血族……。なら!やっぱり龍神族っていうのは、」
“あなたが昨日思った通り、龍神族は陸の人間とあの方との間にできた子供”
声が言った事が、胸の奥にすとんと落ちてきた。いや、まぁ、そうだよね。
龍神さまは、代替わりしていない。とても長寿な方なんだろう。それとは反対に龍神族はとても短命な血族。
龍神さまと陸の女性が愛し合って出来たものなら、この不思議な体質も理解できる。
“あなたは強いわね、可愛い子。
あなたなら私達の全てを、あの方の想いを受け止めることが出来るかもしれない、なんて思ってしまうわ”
自己満足よね、忘れてと、言ったそばから否定する声。わたしは、わたしは。
「わたしは、知りたい。
わたし達がなんなのか、どうして龍神さまがあんなに辛そうに愛おしそうにこちらを見てくるのか。……全部、教えてくれるの?」
“ええ、あなたがそれでいいなら。
私が、いえ私達が教えてあげるわ”
声と共に、わたしの近くに横たわっていた繭が一斉に光出した。その光は、龍神さまから聞いた貝殻の輝きに似ている気がした。
*
最初はアリーシャ、初めの子。
海の近くの島で生まれた。
母は海へ行ってはいけない、と硬く禁ずる人だった。けれど、親心なんて高い空に放った風船のようにどこ吹く風な子供の好奇心で海に近づくと、足を滑らせ転落。
しかし、溺れるどころか海の中で息ができる。心地いいとすら感じた。
そこで龍神さまと出会う。
彼は自分がアリーシャの父とは名乗らず、母に悪い事をしているだろう、海に入った事は言わずに早く帰れと催促した。
その言葉を聞き入れて、家に帰るが髪についていた塩で母にバレてしまう。
烈火の如く怒り出した母は、荷物をまとめアリーシャの手を固く握り島を転々とした。まるでかくれんぼだと、幼いながらにアリーシャはおもった。その最中、母は島の風土病に罹りった。
「この歳になって、思い返すわ。
あの人にぶつけていた怒りは、全部八つ当たりだった…。もう一度だけでいいから、会いたかった。わたしの、かみさま」
母の最期の言葉を聞きながら、自身が昔一度だけあった事のある神様のような彼を思い出して、手を握った。
数年後、愛した人と結婚して子供を産み、そのまま死亡。享年24歳。
次の子アランは、アリーシャの娘。
母の顔を知らず、父からは母を殺したと嘆かれ打たれる毎日。
家にあった綺麗な貝殻のサイズの合っていないネックレスをかけて、昼間は父の視界に入らないように外に出かける。
なんとなく、丘の上から見える海が好きだった。遠くじゃなくて、もっと近くで見たいと思い、その日初めて夜になりこっそり一人で出かけた。
近くで見る海は大きく、壮大で、全てを飲み込んでしまいそうな程暗かった。なんだか怖くなり引き返そう、と踵を返すと海の中から声をかけられた。龍神さまだ。
龍神さまは、アランの姿を見ると違和感を覚えたのか、顔をさらに近づけてマジマジと見つめる。胸元より随分下に掛かっているネックレスを指差して「これをどこでみつけた?」と低い声で尋ねた。
アランは、「家にあった。母のものだとおもう、」と恐怖しながらも事実を伝えた。
すぐに母の名を聞かれ迷わずに、アリーシャと答える。そして、もう死んでいないということも。
次いで、アスラという名に心当たりはあるか?と聞かれてないと答えると、龍神さまは膝から崩れ落ちた。
自分より大きな男の人が、こんなに小さくなっているところを初めて見たアランは、落ち着くまで龍神さまの頭を撫でてた。
健気で愛おしいその姿に、龍神さまは笑って見せた。
「お前、こんな遅くに出てきて父は心配しておらんのか?」
「おとーさんはね、わたしのこと嫌ってるの。おかーさんを殺したのはおまえだって。
だから、へーき。しんぱいなんて、された事ないから」
「……………」
その言葉に、愕然とした。よくよく見ると、アランの体には切り傷や打撲で青くなってる所がちらほらとある。龍神さまはぐっと堪えて、小さなアランの手を取った。
「なぁ、アランよ。父の元を離れて、おれと来ないか?」
「でも、知らないひとにはついていっちゃダメだって…」
「おれは龍神。海の神、のようなものだ」
「かみさま?」
「ああ、そうさ。
それなら、知らない人ではないか?」
「かみさまなら、いいよ」
アランは龍神さまの大きな手を握り返し、海の中へ歩いていった。少し怖かったけれど、この手を握ると不思議と怖くなくなった。
しかし、アランもまた恋をした。
陸の人間に。龍神さまは、とても反対したけれど、アランはその人と一緒になりたかった。だから、龍神さまは今度こそ、という願いを込めて、人間の身でありながら龍神のような能力を持つこの子らへ呪いをかけた。
「陸に上がってもいい。子を成してもいい。しかし、“龍神族”である者が陸の者に対して5つの大きな嘘をつく時、この花の花弁を刻む。全ての花弁がなくなれば、おれが…ーーいや、我が迎えに行く。お前に寿命がきても同じようにする。そして、子が産まれた事が分かると、その子にも同じ呪いを授ける」
「……それを受ければ、陸へ上がってもいいの?」
勿論だ、と頷く龍神さまの顔は、悲痛に歪んでいた。
呪いだ、と龍神さまは言ったがアランはそうは思わなかった。これは加護だ。
龍神族、と呼ばれたアラン達血族が海以外で暮らしていけるようにする保険のようなものだ。
手元を離れていても幸せでいてくれますように、という願いだ。
そして、もう知らないうちに愛する者たちが亡くなってしまわないようにという嘆きだったのだろう。
陸に上がり、子を成してしばらくすると、腕に花の痣が浮かび上がった。これが龍神さまの言ってたものかと納得した。
「もう、海に帰ろう」
「ーーあら、久しぶりねえ。私の神様」
「お前と、お前の子を連れて。そうすれば、あと少しは生きられる。なあ?そうしよう」
「ふふふ、やだわ。
あの子には、未来がある。私はもう、お役目を果たしたの」
「そん、な。こと」
「ねぇ、神様…。私、貴方がすきよ。
私はあの呪いを掛けてもらったから、あの人に本当の気持ちで向き合えたの。
だからね、すっごく感謝してるのよ?」
「ありがとうね、」
もうアランの胸元には、貝殻のネックレスは見当たらなかった。きっと、外で遊ぶ楽しそうな笑い声の主がその身に合っていないネックレスをつけているのかもしれない。
享年29歳。
その次の子、次の子。
次の子、次の子、次の子、次の子。
次の子、次の子、次の子、次の子、次の子、次の子、次の子、次の子、次の子、次の子、次の子、次の子、次の子、次の子、次の子、次の子、次の子、次の子、次の子、次の子。
その次の子。アンナは、アレクシスの子。
アンナは母から教わった事全てを守り通した。陸は危ない所だとわかっていたから、不用意に近づく事もなかった。食料を探して近くに行く時も、自身が決して龍神族である事は明かさなかった。
しかし、不運にも、海を遊泳している最中、漁業者の網に絡まってしまい、陸に無理やり連れ去られた。あまりにも物珍しく、ヒューマンショップへ売買されそうな所、海賊と遭遇した。漁業者はアンナを含め荷物を海賊へ献上し、何処かへ行ったしまった。
そこで出会ったのが海賊船の船長と名乗った男だ。その男に、アンナは助けられ、少しだけ旅をした。
二人が惹かれ合うのに、時間はかからなかった。そして、子を成すのにも時間はあまりかからなかった。
妊娠が発覚したアンナは、男に別れを告げて船から海へ身を投げた。
身を引き裂かれるほどの想いに岩陰で泣いていると、龍神さまが訪れた。
「お前は、歴代の龍神族のように、嘘をついてまであの男と一緒にいたいとは思わなかったのか?」
「分かりません。ただ、私の本当の力を知られて、あの人に嫌われたくなかった…」
「そうか。なら、その腹の子は大切に、大切に育ててやれ」
「はい…。あの、龍神さま。
この子の名前を、考えてはくださいませんか?」
「……我で、よいのか?」
「あなたがいいんです。
あなたは、ずっと私達を見守ってくださったのでしょう?なら、この子も」
「そうか。では…
———アンリ、と。名付けてやってくれ」
そして、海の中でアンリを出産して、龍神族とは思えぬほど長生きをした。
享年34歳。
*
流れてくる記憶の映像に、——いや、そう言うととても冷たいものになってしまう。これは、思い出と呼ぶのに相応しい。
いくつもの龍神族の女性らの思い出に、わたしの母の思い出に、気がつく時涙が溢れて止まらなかった。
「悲しいだけのものじゃなかった、のに、どうして涙が、溢れて、とまらないの…?」
“それは、あなたがとても優しい子だからよ”
「…ねぇ、あなたは誰なの?
この声は、懐かしい声は、誰のもの?」
声からどうしても母の面影を、感じ取ってしまう。それは、会いたいと願っているから?
“残念だけれど、あなたが会いたい特定の人ではないわ。今あなたとお話ししているのは、この中に閉じ込められた龍神族の、思いの残り滓みたいなものよ”
「のこり、かす?」
“ええ。この中に長い間居るとね、腐らないし朽ちる事もないの。いつまで経っても、ずっとこのまま”
「どう、いう……」
わたしは、ずっと見ないふりをしていたものがある。
それは、龍神さまの言葉の端々や、この声がなぜこの中で聞こえて、わたしに話しかけてくるのかを。わたしは極端に避けていた。
視界に入るのは、数え切れない程この水槽に横たわる、白く大きな、繭。
「ま、さか。この繭…——」
「おはよう、愛しい子。
まだ起きていたのか?」
その言葉に振り返ると、さっきまでいなかった龍神さまが近くにいた。
ひゅ、と喉が鳴る。目線が定まらない。龍神さまの表情が、いつもより読めなくて、怖い、と感じた。
「ん?どうした?早う寝ろよ。
夜更かしは、子供の体には毒だ」
「……ぁ、の」
「なんだ?」
「わたし、まだあなたに聞いてないことが、あったの…」
「なんだ?——あぁ、さっきのお伽話か?
あれの続きはもう」
「ちがう!
…わたし、わたしの夢、に出てきた時。
どうして“花嫁”って呼んだの?」
もう一つ、この繭と同じように聞かなかった事だ。いや、聞いちゃいけないとさえ思っていた。けれど、これは一種の防衛ラインだったのかも知れない。聞いてしまえば最後、どうなるか分からなかったから。
「なんだ、そのとこか。
それはお前の夢の中の話であって…」
「そうかもしれない。…そうかもしれないけど、あなたはとても真剣な眼差しで、今の瞳とはちがう、どろりとしたものが含まれていた。あれはきっと変えようのない真実、だよね?」
「……あぁ。嗚呼、ああ、アァ。
どうしてそのことに触れてしまった?
もう少しだけ、何も知らない少女でいれば、お前は何の心配もなくこの“箱庭”でゆっくり暮らせただろうに…!!」
突然炎のように叫び出した龍神さまに、驚いて肩が震えた。
ここが陸なら、今頃腰を抜かして尻餅をついているだろう。しかし、水槽はそれを許さなかった。
「我はお前に配慮してやっただろう!?
お前がなんのストレスも抱かないように、食べ物を与え、優しく接しただろう!?
それをお前は自分から壊したのだ!!!ああ、なんて哀れな子!哀れな血族!!お前はその身をもって知るだろう!!!
どれだけ足掻こうと、愛を求めようと30年も生きられないその儚過ぎる命の灯火を!!」
「30、年…」
「短い者で20そこいらで死んでしまうんだよ!!おれが、なにも考えずにあいつに、アスラに恋をしてしまった所為で!!!」
龍神さまは、自分の罪を独白しているような、懺悔しているような叫びをあげた。
力なくその場にへたり込み、顔は見えないが泣いているようだった。
「龍神、さま…」
「ーーーだから、だからな。
龍神族のお前と、我がもう一度契れば、龍神族の血はより龍神寄りに濃くなるのではないか、と思い至ったのだ」
「…………え、」
なにを、言っているんだ。
そんな妄想、まかり通るわけがない。
常識的に考えれば、子は両親の血を半分ずつ分けて構成されるのかもしれないが、龍神と人間では、人間の方が弱かったのだ。だからこそ龍神族は特異体質であり、短命である。
故に、いくら龍神族であるわたしと龍神さまが子を成しても、人間の血がまだ残った、やはり不完全な子供が出来るに決まっている。
寿命が伸びるかは、謎だらけなのだ。
それを、さも当然のように自身に対して良い結果しかないと思い込んでいる。妄想の産物に他ならないだろう。
「そうだ、龍神族の娘と契ればおれの血が濃くなり、寿命も伸びて、人間らしい栄養なぞいらない体になるに違いない。それから、陸の男を愛してしまうなんて、呪いのようなものも、きっと…——!!!」
「あなたが!!そんなことを言わないで!!!!」
大きな怒声が、水槽と洞窟に広がる。
鼓膜と喉がびりびりと痛いけれど、わたしはあの思い出を見て、あのお伽話を聞いてしまったから。
この人にそんなことを言って欲しくなった。
「あなたも、その他の龍神族の女性も、わたしのお母さんだって!
呪いで人を愛したわけじゃないでしょ?」
わたしだって、という言葉は口の中で飲み込んだ。言葉を受けて、龍神さまはハッとした。目があっちへこっちへ狼狽て、まごつく口を隠すために手で抑えていた。
「われは、…おれ、は……」
瞬間、ドゴンと洞窟の外から大きな音がした。岩が落ちるような、何かが殴った音が。
「……すまない、アンリ。
この話はまた後だ。我は、外を見てこよう。
ここは安全だから、安心しなさい」
「あ、ちょっと…!」
あっという間に、悠然とした足取りで洞窟の外へ出て行った。ちらりと見えた外は、うっすらと空が白んでいた。
「陸の男の人を、愛してしまう、呪い…」
もし、知らない間に、そんな呪いがこの血に掛かっていたら。
口ではああ言ったけれど、わたし自身不安が募ってしまった。…当たり前だ。
優しくおおらかで、憎めないと思っていた龍神さまは妄執に取り憑かれていて。
あたり一面に横たわる繭は、おそらくあのひとが回収した歴代の龍神族の亡骸なんだろう。
悲しい運命だと思う、共感して涙を流し胸が痛むほどに。けれど、わたしはあのひとの心の闇に寄り添いたいとまでは思わない。
わたしを利用しようとまでしているひとなのだから。ここを出たいとさえ、強く思う。
見上げると、月の光はもう届かない。
夜明け前が、一番暗い。
こんな洞窟の中で、あのひとに囚われながら短い一生を過ごすのか。
「それは、とっても。…いやだなぁ」
「なら、おれが攫ってやりましょうか?
ーーーー囚われのプリンセス」
ぽつりと吐いた言葉に返事があるなんて、思わなかった。
あの、聞きたかった声がまた聞けるなんて思わなかった。
言葉にならない声が、口から溢れて、瞳から涙が零れて止まらない。
それでも、夢と思いたくなくて頑張って喉を震わせたのは、夢と同じ問いかけ。
「……ぁ、あ、サンジ、さん?」
「あぁ、おれだよ。アンリちゃん」
(なくしたはずの)