龍神族編
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ふわりと漂ってくるのは、お肉と甘いパン生地の匂い。暖かくて、くすぐったくて、ふわふわのかおり。
振り返ると、金色の髪が目印の彼が背中を向けていた。きっとみんなのごはんを作ってくれてるんだ。
けれど、駆け寄って名前を呼んでも、反応がまるでない。
そこで、わたしは“いつも”気が付くの。
ここはわたしに都合のいい夢の中だ、と。
見たいもの、好きな匂い、心地いい場所を見せてくれる。
キラキラと眩しく輝く太陽。光が反射して、船尾から引かれる白い波はレースが美しく揺蕩うドレスみたい。そして、だいすきな人の姿が、こんなに近くにある。
皮肉な程綺麗で、目覚めるといつも胸は絶望感にじくじく侵されていく。
儚く、美しい夢に奥歯を噛み締める。
広い背中に近付いて、おでこを遠慮がちに寄せる。まだ凭れ掛かるって程、体重はかけられない。
「……サンジさん、わたしね。
お母さんが亡くなった時、すごく途方に暮れたの。海の中での生き方を一から全部教えてくれたお母さんがいなくなったら、わたし一人じゃ、絶対生きていけないって思ってたから。
どうしよう、これからどうすればいいんだろう、ってずっと考えてたの。
あの時は、不安と喪失感でいっぱいだった」
「でもね、今は、すごく。
ーーーすっごく、…さみしい」
堪らなくなって、サンジさんのシャツをきゅっと握りしめた。いつも優しくわたしの名前を呼んでくれる、あなたの声が聞きたいの。
涙は出ない。きっとここの何もかもが夢だから。
「ルフィ達を危険に晒してごめんなさいって謝りたいの。
サンジさんに、あんな、辛い顔させてごめんなさいって、謝りたい。
謝って、またみんなと一緒に笑いたい…」
でも、それはもう出来ない。
あの悲しく冷たい水槽からわたしを出す事が出来るひとなんて、龍神さま以外いないから。
そもそも、わたしみたいな化け物を迎えに来てくれる訳ないんだ。
「サンジさん、だいすきです。
夢の中でも、さよならを言えずにいつも逃げてごめんなさい」
夢だとしても、会いに来てくれてありがとう。そっと背伸びをして、まあるい金色の頭にキスを落とす。
「 」
声に出すと、目の前に泡の大群がボコボコと流れ上流し、決まってそこで目を覚ます。
まぶたを持ち上げると、薄暗い、深海のような、もう見慣れた景色だけだった。
寝ぼけたままうっすら見える光へ手を伸ばしていたらしく、未練がましい、と嫌になり腕を下ろした。
氷で出来た硝子の向こう側を見ると、龍神さまは居なかった。あの人は、わたしの食料調達の他にもたまにふらっと何処かへ行くことがある。洞窟のそばなのかもしれないし、違う島なのかもしれない。
どっちにしてもここから出られないわたしにとっては、同じ事だった。
頼りない光が一縷だけ差している事から、今は夜なのだろうと推測した。今日は珍しく満月なのだろうか。月明かりが差しこむ穴は、洞窟の点高くにあり、しかも人一人が入れるほど小さい。
そんな所からの頼りない光だけが、外の情報源だった。
「ここにいると、外の匂いも、風向きも、近くに何があるのかも分からないからね」
今更そんな事を知っても、どうにもならないのにね。自傷的な笑みを浮かべる。
「今帰った」
「……おかえり、なさい」
いつもどおり、龍神さまは帰ってきたらしい。手に何も持っていないから、やっぱり買い物じゃなかったようだ。
すとん、と石造りの椅子へ腰かけると、どこか茫然と
深海のように綺麗な瞳が、今日はどこか冷たい色をしている。
わたしから声をかける事はあまりないが、なんだか消え入りそうなその姿に放って置けなくなってしまい、あの、と声をかける。
目だけがこちらを見た。これはきっと、わたしの次の言葉を待っている。
「…いつもそうして出掛けているけど、何をしに行っているの?」
「ああ。皆がいるから大丈夫だと思ったが、子を一人にするのはよくないな。
やはり心寂しかったか?」
「?そうじゃなくて。
いつもそうして帰ってくると、悲しそうな瞳をしているから。…特に、今日は」
わたしの言葉を受け入れて、咀嚼して、龍神さまは考え込むように顎に手を当てた。
ここ数日で思った事だけれど、このひと、一つ一つの動作が優雅。悪く言えば遅い。
そこがなんとなく神様の風格を醸し出している、気がする。
「…我は、悲しいのか。なるほど」
「ちがうの?」
「いや、お前の言う通りこれは悲しい、というものなのだろう。
……探し物を、しているんだ。ずっと。
しかし、これが中々見つからなくてな」
「探し物?」
「そうだ。………私の、宝物なんだ。
遠い昔に失せてしまったものだから、もう今頃は海の藻屑になってるやもしれぬが…」
そう言った龍神さまは、やっぱり悲しそうだった。こんな広い海で無くしちゃったら、いくら海の神様であっても、見つけるのは絶望的かもしれない。
「我の話はもういい。
そろそろ夜も深い。お前は眠れ、愛し子よ」
「…さっきまで寝ていたの。
また眠るなんて出来ないよ」
「であれば、そうさなぁ。
……我が一つ、寝物語を話してやろう」
そっと息を吐き話す。
口調はゆっくりで、呼吸音も聞こえるほど静かだ。不思議と聞きたくなる音は、近くを流れる海流の音にも似ていた。
*
これは愚かな青年と、清らかな少女の話。
愚かな青年は、周りと比べて少しだけ特別な存在だった。なんでも海が長い長い時間をかけて作り出した奇跡の…、ここはいいか。
何にせよ、愚かな青年は陸の人間と違っていた。海の中で息もできたし、海に言う事を聞かせることもできたし、傷ができてもたちまち直ぐに元通り。故に、溺れている人間を助けたり、海難事故にあった者たちを救っていた。
そして、お礼を言われて自分が海を統べている気になった。
愚かな青年は気まぐれだった。
人間を助けたり、逆にシケが来た時には津波を助長させたりした。
だって海は自分の言いなりなんだから、少しくらい暇を潰したっていいじゃないか、と。
本気でそう思っていた。
ある日、愚かな青年は海でぷかぷか浮いていた。ギラギラと照りつく太陽を、意味もなく睨み付けていた。
どうしてあいつは、ずっとこちらを向いているのだろう。暑いからいつもみたいに早くどこかに行ってくれればいいのに。
愚かな青年は愚か者らしく、“朝”と“夜”だなんて単語はしらない。意味もわからない。
ただ気がつく時太陽はそこにいて、慣れてくる頃になったらいなくなる気分屋だと思っていた。そして、そんな太陽に振り回されている月に同情した。
愚かな青年は、じっくりゆっくり太陽を睨んでいたが、飽きたので海に潜った。水中の景色を見て気がついたが、どうやら島の近くまで流されていたらしい。
はぁ、と漏らしたため息は泡になった。
すると突然、海面からぐんっと何かに引っ張り上げられた。驚いたまま硬直していると、引いているのは人間の腕だった。
なんだ、なんだと思っていると腕は愚かな青年をみるみる引っ張っていく。
浜辺に着く頃には、その腕が少女であることがわかり。愚かな青年は改めて茫然とする。
はぁはぁと肩で息をする少女を、見ると海水で髪はべたべたし、口に一房入っている。
顔は青白く、眉は情けなく歪んでいる。
瞳は黒く、涙の膜が張って。
今の姿は、お世辞にも綺麗とは言い難い。
しかし、次の瞬間彼女は情けない眉をきっと吊り上げてこちらを睨み付ける。
「あ、あ、あなた!!あんな所で潜るなんて正気?!知らないかもしれないけど、あそこには最近海の獣が巣を作っているのよ!?」
「……おれは、別に平気、だが?」
「平気って、あなたねぇ!?
大体、助けてあげたんだからお礼の一つくらい言いなさい!」
「ん?お前は、おれを助けたのか?」
「そーよ!この島の近くて血なんて見たくないもの!!」
「助、ける……。そうか、なるほど」
愚かな青年は、自分と会って烈火の如く怒る人間を初めて見たのだ。しかも、海を統べる自分を海から助けたのだと言う。
ーーーーそんな面白い事、ほかにない。
理解した瞬間口角がにんまり上がった。
それをみた少女は、引き気味にあまり関わらないでおこうか、と思ったのか立ち去ろうとする。しかし、そんなもの、退屈で死にそうだった愚かな青年が許すはずがない。
ばしっと掴んだ少女の腕を、青年は離さない。
「ありがとう、助かった。お礼がしたい。
女、名前はあるか?」
「……アスラ、だけど」
「では、アスラ。また次に日が登った時、ここで会おう。お礼の品を持っていく」
有無を言わさず青年は、波に乗り、その場から去っていった。名を刻み込むように、アスラと口の中で唱えながら。
次の日、約束通り青年は浜にやってきたが、肝心の少女・アスラはいなかった。日がな一日待っていたが、少女は影すら見せなかった。約束した太陽は海の向こう側へ沈み、月が顔を出した。
「アスラがまだ来ていないのだ。
お前は、出てこなくていい」
文句を月に向かって言うが、何万kmも離れているそれには聞こえない。
しばらく無心で月を眺めていると、波の音に紛れて砂のこすれる音がざりっと聞こえた。
「……どうして、まだいるの?」
「月がな、おれの言うことを聞かずに出てきてしまったのでな。アスラはそれを知っているだろうかと待っていた」
「何、それ」
耐えきれないと言うように、ふくふく笑う彼女は、一頻り笑い終えて愚かな青年の隣の岩に腰をかけた。
「あなた、名前は?」
「なまえ……、は、ない。
が、人間には龍神と呼ばれる、ことが、ある」
何故だか恥ずかしくなった青年は、言葉尻をごにょごにょと誤魔化した。
その姿に、少女はまた笑った。
「あなた、昨日とっても怪しかったから、危ない人かな?と思って約束破っちゃったの。ごめんなさいね」
「?お前は、来てくれた。なら、それでいい」
「…へんなひと」
それから日がまた登ってくるまで、飽きることなく話した。
彼女の島でも水難事故の時に助けてくれる“龍神様”の噂は伝わっているらしかった。
しかし彼女は続けてこうも言った。
「“龍神様”なんて大した名前だから、きっともっと凛々しくて聡明で神様みたいな方だと思っていたわ。でも実際に会うと、なんだか小さい子みたいで想像した姿と違ってた」
「そうか」
「あ、いやな意味じゃないのよ?
………怒った?」
「いや?おれは“かみさま”という者には会ったことがないから分からない。
ただ、おれは海の事しか知らないから、きっとお前の言ったことが正しいのだろう」
青年は、アスラと話していて自分の愚かさを、無知さを、痛く感じていた。
元より青年の行動は、楽しい、誇らしい、つまらないの三つでしか成り立っていなかったのだから。アスラの話を聞くまでは、それでいいと思っていたし、それ以外があるなんて知らなかった。
けれど、“知らない”は、“つまらない”。
「なら、私が教えてあげるわ!」
「………?」
「私、こう見えてもこの村で一番賢いのよ?
あなたの“知らない”事くらい、教えてあげられるわ!」
彼女は得意げに、胸を張って青年に言った。
青年は、その言葉が嬉しくて嬉しくて。だけれど、その感情が難しくて、踊る心を押さえつけた。無意識に上がる口角を戒めて一文字に結んだ。
「……よろしく頼む」
けれど、発する声までもがうわずんでしまう事を知らなかった青年の声は、少し裏返っていた。頑張って行った我慢が台無しなった瞬間だった。
「あはははは!」
「わ、笑わないでくれ」
「無茶言わないで、うふ、顔赤いわよ、ははっ」
「……そんなに笑う者に、お礼の品を手渡す気になれない」
「ふふ、お礼?」
アスラは、笑いすぎて目元に溜まった涙を拭いながら呼吸を整える。青年は、その姿にふっと息を吐きながら服の袖口から品を一つ取り出した。
「…これを」
「——わぁ、綺麗ね。貝殻かしら?」
「あぁ、以前海で見つけた物だ。光が差して七つの色に輝いていたのでな。おれの寝床に隠してあった。
これを、アスラにやろう」
「え?いいの、?」
「あぁ、言っただろう。
お礼の品を持ってくる、と」
彼女のてのひらにころんと乗せると、貝殻は月の光を受けてきらきらと七つの色に輝いていた。
「……ありがとう。龍神さま」
彼女は、その黒い瞳を細めて嬉しそうに笑った。貝殻を眺めると、黒い瞳の奥に貝殻の光が反射して、青年はあまりの美しさに呼吸を忘れるほどだった。
*
「それから、愚か者の青年は少女に知識を貰い、その代わりにと村の人々や少女に魚や貝殻を持ち寄り楽しく暮らしていた」
「……それから、どうなったの?」
「それ、から。ーーーーもう、いいだろ。
この話はここで終わりだ」
龍神さまはそのお話をしている最中とは打って変わった表情で、わたしにもう眠れと催促して、また洞窟から出ていってしまった。
「…あのお話。
きっと今の龍神さまと、その龍神族を生んだ女の人のお話、だよね?」
龍神族を生んだ人。わたしのご先祖さまだ。
フィクションのように語られたお話だったけれど、伝え聞いた、と言うよりも実体験のような話し方が所々あったので、間違いはないだろう。
わたしは宝物のように聞いた話を頭の中で反復して、その後の二人を真綿のような思考で、想像する。
足をひらりと動かして、月の光を見上げる。
水槽の中で一番明るい場所で見上げると、光の中でデトリタスの粒が雪のように舞っていた。
「……あのお話の続きは、きっとあんまり幸せじゃないんだろう。
わたし達と、龍神さまの存在がその証拠だ」
息をすると、泡が輪になって吐き出された。
海の中で息が出来て、海と話をして、そして銃弾を受けてもすぐに元に戻る体。エラもなく、ヒレもなく、鱗もなく、つるりとした手と足がある。
しかし、龍神さまと違って龍神族には寿命があり、それは比例するようにとても短い。
陸の人間のように栄養が必要なわたし達は、次第に海の中で朽ちていく。
「海で生きていくには、あまりにも不自然な点が多く、不自由な体。
それはきっと、龍神族という血自体が不完全な存在だから」
そう考えるのが正しい気がした。
どうして龍神さまはわたし達を創ったのか。段々と居た堪れなくなり、わたしは目蓋をそっと降す。
冷たくない海の雪は、揺蕩うだけのわたしにいつまでも降り積もっていく。
(哀しく綺麗な日々に溺れる)