龍神族編
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海が言葉を紡ぐ、というのは側から見たら奇怪な現象である。下手をすれば島を代表する語り草になる可能性もある。
しかし、金色の髪をへたりと湿らせるサンジにとって、そんなことはどうでもよかった。
“とうとう時はきた”
“あのお方がやってきた”
“あのお方が愛する人を連れ去るために”
“あのお方が愛する人を守る為に”
“ついに、時は満ちた”
男の太い声。女の細い声。子供の高い声。枯れ枝の様な老人の声。
歌うような声。笑うような声。泣いているような声。怒っている声。嬉しそうな声。悲しそうな声。寂しそうな声。全てを慈しむ声。
それら全てがない混ぜになって、右から左から、まるで大衆が一度に発声した様なごちゃ混ぜの声が倉庫内の、まだ気を保っていた人間の鼓膜を響かせ、脳に伝わる。
びりびりと、頭が痛くなりそうな音だ。
話さないはずのものが言葉を話し、その声はおよそ普通の人間が聞いていいものではなかった。気が狂いそうだ。
しかし、しかしである。上記でも言った様に、そんな些細なこと、どうでもいいのだ。
皆、海の声に気を失い、怯え、のたうち回っている中で、サンジだけはアンリから目を逸さなかった。否、美しさに身動きが取れなかった、と表現する方が正しい。眼球一つ、指先一つ動く事を忘れてしまっていた。
まるで、海を従えている神様のような姿に、呼吸さえも忘れた。
それほどの衝撃を受けたサンジであるが、あるきっかけでハッと我に帰る。
大荒れの海から、波に乗り、1人の大きな男が現れたのだ。
彼は、太陽に照らされた水面の様な髪を靡かせ、しなやかな珊瑚の腕を伸ばし、深海を閉じ込めた瞳で、アンリを映した。
男の彫刻と疑う程の唇がゆっくり、ゆっくり開かれる。
「時間だ。…やはり今回も無理だったか。
やぁ、お目覚めか?我の花嫁よ」
「……あ、なた、は…」
愛おしい者に向ける視線で、壊れ物を扱う指先で虚な瞳で立つアンリの柔らかな頬を撫で、身体を寄せる。
「おお、かわいそうに。」そう言いながらも、男はアンリが自分の腕の中に収まるのが大層嬉しそうに、ほくそ笑む。側で見ていることしか出来ないサンジは、何故アンリが抵抗しないのか、分からなかった。
ただ、男が見つめた途端、触れたそばから、アンリはまるで意思をなくした人形の様にその瞳から生気がなくなっていく様に思えた。
サンジは咄嗟に声を上げて、細い肩に腕を伸ばす。
「アンリちゃん…!!」
「……サン、ジ、さん」
「ふ、これは重畳。
ーーーしかし、時間だぞ花嫁よ」
男が袖を振るうと、鐘の音が鳴り、波が段々と高くなっていく。
海風が強くなり、アンリが巻いていた包帯が緩くなり、取れて風に拐われた。
「花弁五枚も、待ってやったのになぁ。
これだから人間は醜い」
嘲笑うみたいに、自傷するように笑う男は、サンジが抱き抱えるはずだったアンリの肩に手を回し、そのまま荒れ狂う海の中へ連れ去ってしまった。
絶望と後悔と、確信にサンジはその場で膝を折り、絶望する。他の仲間がここへくるまで。
*
思い出した。思い出した。思い出した。
わたしがした事を、あの人達にさせた思いを。
「あ、あ、あ、あ、あ、あぁ……!!!」
「そんなに気に病むな、愛しい子。
お前がしたことなんぞ、あやつら人間に比べたら些細なことだ」
「………些細なこと、ですって…?
あんなに怖い思いをさせておいて?
ルフィとチョッパーは悪魔の実の能力なの。それをわたしは無差別に溺れさせようとした!船長に、仲間に牙を向いたの!!
いくら、泳ぎが得意なサンジさんが居たとしても、あんな激流、溺死でも可笑しくないのに…!!」
それを判断できないほど、あの時のわたしは怒りに満ちていた。激昂して、その感情に身を任せてしまった。ああ、なんて、ことだ。
あんなの、ただの化け物じゃないか。
「辛いだろう、悲しいだろう。
しかし、もう安心だ。ここにはもうお前を蔑む人間も、甚ぶる人間も、拐かす人間もいない。」
「あ、なた、一体…」
「我はお前の始祖、龍神である」
心の何処かで、身体の何処かが覚えていたその答えに、頭から冷水をかけらたような気になった。
にっこりと、深く深く沈む笑みは深淵そのものだった。
あの後、龍神と名乗る男は此処が“龍神の箱庭”と呼称される小さな小さな島である事や、今私が入っているのは特殊な氷で出来た天然の水槽だと嬉々として説明してくれた。
なんでも今わたしと龍神さまを遮るこの冷たい氷は、“断絶の硝子”と呼ばれるちょっと特殊な氷らしい。
海が生成した、硝子のように透き通る氷。
氷で囲われた中にあるものを保存して、外から守ってくれる。その保存性は生を終えた者でも腐らずにそのままに出来るほど高いらしい。
入れるのは簡単だが、取り出す事は難しい。
饒舌に語る龍神さまは、一つの条件を綺麗な声で言う。
「中のものを、心の底から欲しいと願っている者のみにしか取り出せない」
絶望で、前が暗くなるのを感じた。
わたしにはそんな事を思ってくれる人、誰もいない。目の前の龍神さましか、わたしを外に出せる人は、もういないだろう。
初めて陸を見た時のあの胸の鼓動は、どこかに置いてきたみたいに思い出せない。
*
わたしが船に戻らなくなって、何日経ったんだろう。何回か太陽は沈んだし、月も顔を出した気がする。
天然の水槽の遥か高い頭上には、小さな穴が空いており、そこからぼんやりと光が差すだけだ。
それ以外は、とんと暗く、岩陰のような場所を日がな一日揺蕩うばかり。
唯一の出入り口はあるが、それは水槽の外の話。中にいるわたしにとっては関係ない。
龍神さまは、日中になるとわたしの食料を取りに行ってくれて、帰ってくるとわたしの真正面にある椅子に座ってこちらをにこにこと眺めているか、他愛もない話をしてからころと笑っている。
「さぁ、アンリよ。
今日の食料だ。たくさん食べるがよい」
絶世の美丈夫が大きな笑みで、りんごや野菜やわかめを氷の中へ押し込む。外から手を入れると、冷たい氷はゼリーのようにぐにゅりと歪み中にいるわたしの元へ届いた。
龍神さまとは対照的に無機質な表情を浮かべたわたしは、ふよふよと浮かぶりんごを手にとり、機械的にしゃくりと口にした。
海の中で食べるりんごは、しょっぱくて、冷たい。不意に目頭が、熱くなる。
ぽろぽろと溢れる涙は、海水に溶けたけれど、わたしの心にはしっかりと染みついてとれない。胸のもやもやが取れてくれない。
あの、日が差す温かい場所で、暖かいものが、あの人のごはんが食べたい。
「…はは。
これが、さみしい、ってことなんだ…」
言葉は泡になって、ぼんやりと差す光へ向かって昇っていく。
さみしいだなんて口にできる立場ではない。それは十分分かっていた。けれど、わたしはあの場所が恋しい。
サンジさんの隣が、とても恋しいの。
ちりちりと燃えるように切ない胸の内の正体が分かり、瞳からまた涙が流れた。
(深海に眠るデトリタス)