細雪〜バレンタインデー2025〜
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大きな動乱の起きたその夜、雀部は早速街に出た。
隠密で市街調査に赴いたのである。雪乃は藍染の家が打ち壊しにあったと言っていた。一般民は何も知らなくとも、もうその余波が瀞霊廷を襲っているかもしれない、と瀞霊廷の治安の悪化に懸念を抱いているのである。
護廷十三隊の不始末が、一般民を傷付けることだけは避けねばならない、雀部は黒いインバネスを羽織ると、夜の街へとこっそりと消えていった。その姿を山本は、苦い目で見ていた。護廷十三隊がまだただの殺戮集団だった頃を知っている山本は、護廷隊が市中警護まで担わなければならないなど笑止千万、と思っている節がある。
「相変わらず甘いの…じゃが…。」
己には無理であるが、情をかける役目の者も必要か、と思い直し、山本はそっと窓を閉め、夜の闇に消えていく雀部の後ろ姿を、ため息と共に見送った。
雀部が霊圧を消して大通りを歩いていると、市中警護に当たらせている死神達が、かえって市中の空気をかき乱しているような不穏さを感じた。藍染への怨嗟の声は凄まじく、藍染に関係した店も沢山あろう、そうした商家に対して、荒れた行動を起こそうとしている、心得違いの「警護」をしようとしている者がいる空気が読み取れ、雀部は顔を渋くした。
通りを進んでいくと、一軒の洋食処を遠巻きにしてたむろしている死神達の集団が見えた。彼らは藍染への悪意を剥き出しにした下劣な笑いを顔に張り付け、一般民がその店に入るのをまるで非難しているかのような、まるで警護になっていない働きぶりだった。
死神達は、暴徒と化すに、一触即発、という体だった。
洋食処は、『ルフォール』と記された看板の下に、年季の入った金色の卵型の大きな鋳物のオブジェが、台座に載せて据えられている。店名は現世のフランス語で、「金の卵」という程の意味であろうか、雀部は死神達に何も問わず、店の前でインバネスを脱ぐと、卵型のオブジェにそれを掛け、滑るように店に入っていった。その外套の背中には、控えめに一番隊の隊花が刺繍されており、誰が見ても雀部がその店にいる、と分かる印であった。
その様子を見て、たむろしていた死神達は度肝を抜かれたが、すぐにそれは虚勢の嘲笑に変わった。「雀部副隊長が、藍染の行きつけだった店を絞りにきたんだ」、と誰かが言うと、集団は殺気だった馬鹿笑いを放った。
雀部の姿を認めると、すぐに支配人が飛んできて、「これは雀部副隊長、ようこそいらっしゃいました!」と、すがりつくような、かつ丁重な挨拶で迎えてくれた。雀部は店の様子を見渡すと、
「相変わらず良い店だな。」
と穏やかな笑顔で言った。店の者を落ち着かせようとの配慮だった。支配人は一番奥の、個室の最上席に雀部を案内した。雀部は、
「あなたと話がしたい。内密の話だ。」
と切り出し、支配人にも向かいの席に着くように指示した。支配人は恐縮しながら、その勧めに従った。支配人とて聞きたいことがあるのである。
すぐにウェイターが水と五十年もののワインを運んできて、雀部に給仕すると、雀部は水だけに手をつけ、ワインを口にする前に、支配人に控えめな声で口を切った。
「私が話をする前に、あなたの話が聞きたい。店は無事に営まれていないようだが…。」
と苦い顔で言った。支配人は「護廷隊の中で、何かございましたでしょうか?」と不安顔で口を開いた。「市中警護の死神の方々が、口々に藍染隊長を悪しざまにおっしゃり、ここは藍染隊長に懇意にして頂いていた店でしたので、その声を恐れて今日はお客様の入りが悪いのです。当店の裏の仕入れ口が荒らされ、ワインが多数盗まれたり、ボトルを割られるなどの被害がございました。米料理に使う米の袋が破かれ使い物にならなくなり、米問屋に慌てて仕入れに行ったのですが、その問屋は藍染隊長のお家の御用達の店、やはり打ち壊しに遭い、米を盗まれたり、穀物袋を裂かれたりの狼藉を受け、困惑しておりました。雀部副隊長、藍染隊長は何をなさっておられるのでしょうか?どうして死神の方々はかえって我々をいためつけるようなことをなさるのでしょうか?」、支配人は困惑顔で、不安を打ち明けた。雀部は、真実を打ち明けるのは、藍染を信じている者達にとって、かえって精神的な痛手になるのではないか、と思ったが、
「あなただけに話すが、実は…。」
と皺を作った顔で、真実を告げた。支配人は大層驚いた顔をしていたが、さすがに店を取り仕切っていかねばならない身の上、辛さをこらえて事情を受け入れた。雀部も辛かった。山本も、雪乃も、藍染の家の者も辛いのである。
雀部は支配人と話をしながら、店の看板料理である卵料理のフルコースをワインと共に嗜むと、支配人に市中の治安の回復をはかる約束をした。
「そうか…この店が藍染の行きつけの店だったとは知らなかった…。ときに藍染が最後にこの店を訪れたのはいつかお分かりだろうか?」
と雀部は支配人に問うた。「最後においでになられたのは二ヶ月程前でいらっしゃったと思います。お一人でいらっしゃいました。いつも藍染隊長はお一人でいらっしゃいました」と支配人は答えた。
「そうか…。」
と雀部は嘆息した。
帰り際、雀部は、
「藍染がこの店を女性同伴で訪れたことはないだろうか?」
と支配人に尋ねた。「死神の方々はご長命ゆえ、先代なら知っていたかもしれませんが、私の記憶のうちでは一度もございません」と支配人は答えた。この店も歴史が長く、もう支配人もコックもウェイターも、全て代替わりした後のようだった。
雀部は満足げな顔で店の入口までくると、支配人は落ち着いた顔で店の外まで見送りに出てきた。店の外のインバネスを羽織ると、雀部は支配人に、
「相変わらず良い店だ。こういう店が、安心して、長く続き、繁盛するよう見守りたいものだ。」
と、紳士らしからぬ大声で言い、店の前で支配人がげっそりした顔で出てくるのを悪辣な期待顔で待っていた下っ端の死神達を睨み、霊圧を高めた。死神達は恐れをなして、己の心得違いを恥じ、道にひれ伏した。
その後、雪乃と彼女の配下達が、市中警護の死神達を正し、護廷十三隊が藍染との決戦に向けて、襟を正して進んでいくことを啓蒙する役目を加えて課せられた。その任を言い渡すにあたり、雀部は雪乃を呼び、任を与えた。雪乃の去り際、
「ときに小牧、そなたは藍染と、『ルフォール』というレストランへ行ったことはないか?」
と雀部は問うた。
雪乃は表情を変えなかった。
藍染と何度も通ったレストラン、しかしそれはもう何十年も昔の話である。その遠さが、いくぶんの冷えとなって、雪乃から感情を奪った。
「いえ。」
雪乃は本当のことを言わなかった。
「そうか…。」
雀部は息を吐いてそっと笑った。
「時に女は嘘が上手くてかなわない…。証拠もないことだ。今の問いは気にしないでもらいたい。」
雀部は苦笑していた。考え違いかもしれない、と思いもしていた。
雪乃は黙って立ち去った。
温かな記憶を、誰にも教えたくなかった。
全てがまた繋がるかもしれない大事な時、明かさない方が良いこともあるだろう、と雪乃は熟慮していた。