細雪〜バレンタインデー2025〜
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雪乃―。
脳の全てを震わせる程響く声に、雪乃は感情を抑えることが出来ず、無間の中を全速力で進んだ。
そして頭上に藍染の座す拘束架をみとめると、全力で跳躍し、藍染に抱きついた。藍染の膝の上に無茶苦茶に載り、その頭を万感の思いで抱き締めた。拘束服を着ているというのに、予想に反して藍染の体は露出している片頬以外も温かく、雪乃は生きている喜びを、本当に久々に感じた。そのうちに、それは藍染に抱き締め返されているからだと気付いた。藍染は両手両足を拘束されていると聞いていたが、藍染は両手で雪乃を抱き締め返したのである。
雪乃は、あまりに安堵して、痛い程安堵して、涙を流すことも出来なかった。
「雪乃―。」
藍染の声が、耳元で聞こえる。そのあまりの久々の感覚に、体がわなないて壊れてしまいそうだった。
「顔を見せてくれないか。」
藍染が雪乃の頬を両手で包んで、じっと見つめた。藍染も、何故か心底ほっとしているように見えた。
「何故あんなことをしたんですか?どうしてこの世界を裏切るようなことを!!」
「『裏切る』―?」
藍染は挑発的に笑った。
「この世界はあるべき姿ではない。誰かがあらせたかった姿ではなく、私があるべき姿に正すために闘ったまでのこと―。」
「あるべき姿…?」
次の瞬間、雪乃の平手が藍染の頬を打った。
「何があるべき姿なんですか!?愛し合う者達が裂かれ、嘆き、親は父母と呼んでくれる愛情を注いだ子を失くし、民は罪人に関したというだけで私刑を受け財を損なう―それのどこがあるべき姿なんです!?貴方は何を視ているのですか!?そんな世界は、貴方しか望んでいません!!少なくとも、私は望んでおりません!!」
藍染は雪乃の手を止めることが出来ただろう。しかし藍染は、雪乃の激昂を、うつむいて黙って聞いていた。誇り高く、慈悲深い女だと思った。本気で叱ってくれている。それを聞き入れることが出来なくとも、藍染にとってその唯一は、本当にありがたいものだった。
雪乃は、それ以外何も言わず、ただ藍染の顔を見つめて、藍染の膝の上に座っていた。
「君は、私のことを分かってくれているようだ。」
藍染は言葉を発した。逆ではないのか、と雪乃は思った。私達は分かり合えないのではないか、そう思った時、真逆の言葉が藍染の口から降ってきたのである。
「君は、毎年毎年のバレンタインデイに、ずっとずっと変わらず、私を気遣う愛のこもった贈り物を捧げ続けてくれた…縁を切ったと思わせたのに、君は変わらなかった…いや、君はこんなことで変わらないだろうと思った、「変わらないだろう」と、信じているという、意思すら私は見せなかった…それでも君は、私の一番喜ぶことを、ずっとずっと、まるで私を見守り、支えるように続けてくれた…本当にありがとう…酷なことをした…。」
藍染は、悔恨ともつかぬ少し乱れた感情で、言葉を継いだ。
「君を巻き込みたくなかった…。君を巻き込んだら、きっと君は命を絶ってしまうだろう、そう思うと、遠ざけて、そっと無事を祈ることしか出来なかった…。」
藍染は、また雪乃の頬を両手でそっと包んで、またその目を見つめた。
「君を、信じていた…今も、信じている…。」
藍染は詐術の者だと聞く。それでも雪乃は、彼は今、本心を述べていると確信出来た。鏡花水月なんて関係ない。これが愛し合うという力なのだと、断言出来た。
「貴方のために、温かな時間をくれた貴方のために、全身全霊をもって、最善を尽くします。藍染の家のことは私におまかせ下さい。」
藍染は、雪乃の深慮遠謀に、胸を打たれた。
「貴方は私の、心の夫(つま)です。」
そう言って、雪乃は初めて、晴れ晴れと笑った。どんなに遠く辛く離れても、一瞬で距離を縮められる、そんな愛に出会えたことに、雪乃も、藍染も、全てをかけて感謝した。
「ありがとう―。私も胸の内で、君のみを生涯愛す。」
藍染も笑った。
それは、殺伐とした獄で交わされた、密かな婚姻だった。
これからはしばしばここを訪れることが出来るように、何とか取り計らう、と雪乃は藍染に告げた。そして明日藍染の家に向かう旨を告げ、両親への言伝を預かった。藍染は両親に、詫びの言葉を頼むと、雪乃を頼るように彼女にお願いした、と伝えて欲しい、と重ねて言った。
雪乃は、やっとひと心地ついて、無間の地面に降りると、例の箱を持ち上げ、藍染の膝の上に置いた。大きな箱だったが、藍染の逞しい体にはちょうどいい喜びのように思えた。
「貴方を想う方が、他にも沢山いらっしゃいます。どうか命知らずな真似は慎んで下さい。これ以上肝を冷やすような真似をしたら、本当にもう二度と此処へは参りません。」
雪乃は藍染にお灸を据えると、もう無間を立ち去ろうとした。
「肝を冷やすような真似をするのはどっちの方だい。」
藍染の、いつもの通りの鷹揚な余裕のある呆れたような声に、雪乃は「私が何をしたのか」という顔で振り返った。
「言っておくけど、くれぐれも平子真子と付き合ったりしないように。」
藍染は不敵に笑っていた。
「焼きもちですか。」
「まあそんなところかな。」
雪乃はくすりと笑うと、
「信じているんじゃなかったのですか。」
と婉然と言い、瞬歩で消えていった。
一人残された藍染は、箱の中の贈り物を、一つ一つ見分していった。いくつめかで雪乃のものにあたり、文を開くと、「今年は転機の年になると思いますが、その歯車の一つを忘れず、どうかご健勝をお祈りしております。」と、一言だけ記してあった。
「やはり君は私を分かってくれている。」
その愛の前では、天下すら色を失う。
途切れていたと思っていたものが、強く強く繋がっていく―いや、本当は、気付かないだけで、ずっと繋がっていたのだ。
もう途切れることはないと、お互いに思い合える幸せに、人は巡り合えることを信じ、生きるのである。