青くて、はかない運命のふたり
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大通りから外れ、迷路を進むかのように小道を巡っていけばそこにたどり着く
屋根瓦と漆喰の白壁で出来た屋敷が立ち並ぶ大通りとは違い、虫が喰っていそうな木材で建てた歪な小屋が立ち並ぶ殺伐とした風景
ここはその日をやっとの思いで生きている人たちが暮らす貧民窟
ゴミの掃き溜めのように世間から目を背けられる場所に青年———典坐はいた
ここの住人と比べれば上等に思える綿の着物に包まれた典坐
時々獲物を視るような視線が身体に突き刺さるのを感じるが、相手が典坐だとわかるとその視線はすぐに消えていく
大抵はそうやって不快な視線を向けられるだけなのを知っている典坐は、何も気にすることなく奥へと歩みを進めていった
なぜ、典坐がここに来ているのかと言えば、平たく言えば“人助け”だった
かつての自分のように頼れる大人がいない子供を少しでも助けてやれるように、貧民街の子供に時々食べ物を持ってきていた
もちろん、そんな微々たることをしてもその日の命が救われるだけで、子供らの人生が大きく変わらないことなど理解している
それでも自分に可能性を見出してくれた先生のようになりたくて、かつて自分が犯した罪の贖罪も兼ねて典坐ができることと言えばこれくらいだった
本当は、文字くらい教えてあげれたらいいんだけどな
自分自身は読み書きはできるが、如何せん教えるセンスがない
教えようとした試しもあったが、「わかんない」「つまらない」のオンパレードだった
「はぁ…」
当初のことを思い出し、ため息を吐くころには目的の場所に来ており、見慣れたいくつかの姿を捉えた
「お前たち元気に…なにやってんだ?」
「「「「兄ちゃん!!」」」」
何かを囲むように円陣を組んでいた幾人かの顔が典坐を見上げてくる
「今ね、文字の読み方を教えてもらってたの」
「自分の名前なら書き方も覚えたよ」
「ちょっと待つっす。一体どういうことっすか?」
「センセーが教えてくれたんだ」
「手当もしてくれたの」
「センセイ?」
「うん、センセーだよ。ほら」
いつになく瞳を輝かせて押しかけてきた子供が口にした「センセイ」という単語に疑問符が浮かび、彼らが指さした方向を辿る
「こんにちは、お兄さん」
さらりとした黒髪が揺れ、ひらひらと手を振られる
「……こんにちはっす」
綺麗に弧を描いた微笑みを向けてきた相手は、典坐とそう年が変わらない青年だった
廃れた風景とアンバランスな笑みに目を奪われていれば、誰かが裾を引く
「兄ちゃん…」
子供の一人が言いにくそうに口をもごもごさせていた
その様子に典坐は子供の視線に合わせるように屈み、その頭に大きな手を乗せる
「皆、勉強頑張ってお腹すいたっすよね。休憩がてら、オレが持ってきた握り飯、皆で食べましょう」
「うん!」
「兄ちゃんの握り飯、私だいすきー!」
「ぼくもー!」
お腹を押さえながら言いにくそうにしていた子供の顔が一気に明るくなる
持ってきていた荷物から握り飯の包みを取り出せば、今まで我慢していたお腹の音がそれぞれ鳴り出した
「ちゃんと人数分あるっす。仲良く皆で食べるっすよ」
握り飯をそれぞれ渡せば、零れんばかりの笑顔が浮かぶ
それぞれに配ると、いつも通り揃って「いただきます」と子供たちは口を揃えて言い、おにぎりを口いっぱいに頬張りだした
「よかったら、一つどうぞっす」
「ありがとう。それじゃ、遠慮なくいただくね」
青年の隣に腰かけて握り飯を差し出せば、彼は先ほどと同様の笑みを口元に浮かべて典坐の握り飯を一つとった
「あ…———」
「何かついてる?」
自分とは違う繊細な指の動きにつられ、青年の顔を改めて見てしまう
隣に座って気づいたが、青年の顔は指同様に自分とは違って清廉さがあった
「いや!なんでもないっす!」
自分が身を置く山田浅エ門にも小奇麗な顔立ちをした蘿藦という男がいるが、それとはまた別の―――どちらかと言えば当主の娘である佐切に似通ったものがあるように思えた
だが、その顔立ちよりも、典坐が魅入ってしまったのはただ一つ―――その瞳だった
一瞬、太陽の光を受け入れて煌めいた琥珀のような瞳
吸い込まれそうな、そんな感覚を覚える瞳を持つ顔をまじまじと見ていれば、さすがに気づかれるのは当然だった
「———そういえば、自己紹介がまだっすね。俺は典坐っていいます」
「———…てんざ…」
よろしくっす
こうやって会ったのも何かの縁だろう
相手に悪い意図があって子供たちに近づいたとも思いにくく、握り飯を一つ食べ終えた後に名を名乗れば、今度は相手が視線を逸らさずに自分を見つめてくる
まるで物珍しいものでも見てくるような熱い視線に、相手が男とは言え顔が熱くなる
な、なんなんすか…っ
「あの…俺…変なこと言いました?」
「いや、いい名前だなーっと思って」
「そう言ってくれると嬉しいっす。それでお兄さんの名前は?」
「私?私は…———」
自分の名前を褒められるのは照れ臭かったが悪くはなかった
名前を褒められるだなんて先生以来で久しぶりだった
そんな貴重な人材に名前を尋ねれば、彼は空を仰いでから言葉を続けた
「———— ひみつ 」
「へ?」
一拍置いて返答が返ってきたと思えば、予想外の返答で呆気にとられる
「変な顔だね」
「っ―――そりゃ、名前を秘密とか言われたら、どんな顔をしたらいいかわかんないっすよ」
「ごめんごめん、冗談よ」
「ひどいっすね、お兄さん」
少し悪戯な一面を覗かせる相手だったが、それが何故か典坐にとっては心地よいものだった
まるで昔の悪友といるようなそんな気持ちに心が弾むのを感じる
くすくすっと笑う相手に釣られて、典坐も困ったような、けれど楽しさを滲ませた笑顔を返した
「で、教えてくれるんすか?名前。それとも、ずっとお兄さんって呼んでほしいんっすか?」
催促すれば、「そこまで言うなら…」と言って、彼は一度視線を落とした後にその名を口にした
「———— 彩雲。彩雲て呼んで、典坐くん」
今まで見せた笑みとは違う、柔らかく何処か儚い―――女性のような笑みと声に典坐は思考が固まる
「…………、もしかして、女性…?」
「お兄さんじゃなくて、お姉さんかな」
「っごめんなさいっす!!」
謝罪の意味を込めて頭を下げれば、先ほどの柔らかな声ではない悪戯な声が「全然気にしてないけどねー」と頭上から降ってきた
「俺の反応で楽しんでるっすよね」
「わかる?」
「隠す気もないんすね…」
悪戯で掴みどころがなく、何処か懐かしい人
その透き通るような眼に自分を捉えた人に抱いた印象はそれだった
青くて、はかない運命のふたり
あの時の柔和な笑みの真意を、この時の俺は知る故もなかった