淡くて、儚くて、心にこびりつく光
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彼女を初めて目にしたのは、紫陽花が芽吹く前の初夏に入る頃だった―――
典坐を弟子として迎えて約5年
出会った当初は乱暴者であった典坐も、今では山田浅エ門の一人として立派にお役目を果たすようになっていた
だが、代行免許を習得したとは言え、典坐を含め、山田浅エ門は常に鍛錬を続ける身の上
人により鍛錬の時間に違いはあれど、ほとんどの者が鍛錬に精を出していたある日のことだった
「——— 男だ!女なわけがないっ」
「いいや、女だね。そうじゃなきゃ、稽古後にあそこまで嬉しそうな顔しねぇよ」
「拙者は断じて認めんぞ!典坐に拙者より先に女ができたなど……っ」
「両方馬鹿とは言え、女もお前よりかは典坐の方がいいだろ」
「なんだと貴様!」
鼻で笑った後、さも当然のように「まぁ、俺が一番いけてるけどな」と肩を竦める棋聖に対して、彼より遥かに巨体を誇る源嗣は歯を嚙み締めると言い放った
「ならば賭けようではないか」
「そんじゃ、負けた方が今度の色代持ちな」
「いいだろう。拙者の方が正しいことを証明してみせよう」
「じゃあ、早速確かめに行くか」
「ああ、今ならまだ間に合おう」
いがみ合いの原因を賭け事に転じさせると、まるでさっきのいがみ合いが嘘かのようにお互いに不敵な笑みを浮かべる
さぁ、いざ行かん
少し前に道場を後にした弟弟子が出ていった玄関に意気揚々と足を向けた悪友二人
「———待ちなさい、二人とも」
「「士遠さん(殿)」」
だが、その歩みを止めるように一人の影が前に立ちはだかった
「典坐の邪魔をしてはいけないよ」
「邪魔なんてしませんよー。遠目から相手を見るだけですから」
「士遠殿は気にならないのですか?」
「まぁ、気にならないわけではないが…」
二人が典坐を弄らないように釘を刺した士遠だったが、「気にならないのか」と問われ、ふと考える
その様子に特別可愛がっている弟子が心配な顔が見え隠れし、棋聖は悪知恵を働かせると士遠に囁いた
「士遠さん、心配なら一緒に確かめに行きましょう」
「いや、私は…」
遠慮しておくよ
そう続けようとしたが、棋聖の次の発言にその言葉を飲み込む羽目となった
「そもそも、あの女への免疫の“め”の字もない典坐が自分から女と仲良くなれると思いますか?」
「っ――――!」
「そうだ!例え相手が女だとしても、典坐が普通の女性に相手にされるわけがない!」
その意見には同意見だと源嗣が棋聖の隣で大きく頷く様を見つつ、士遠も内心思い当たる節があった
まだ言葉が荒々しいところもあるが、昔に比べて理性的になった典坐
けれど、女性を前にすると実直すぎる故に硬直することもしばしばあるような男が典坐だった
同胞である佐切に対しても、今では普通に話せるようになってはいるが、出逢った当初は酷かったのを士遠は今でも覚えている
「源嗣!そっちを持て!」
「士遠殿!失礼する!」
眉間に皺を寄せている士遠の迷いを捉え、この好機を逃さないように棋聖が源嗣に相槌を送ると、二人でそれぞれ士遠の腕を掴んだ
「二人とも―――!」
「ばれなきゃいいんですよ、ばれなきゃ」
僅かに抵抗を示す士遠の声を無視し、二人は士遠を連れたまま道場を後にしていく
「——— 青春だな 」
手にした茶を一口飲む衛善の声が、彼らを見送るように道場に響いた
大通りから外れた一本の道から何かを覗く3人の男
その視線の先には1人の男が誰かと待ち合わせしているのか静かに佇んでいた
「…まだ来てないみたいだな…」
結局二人に連れられるがまま来てしまった士遠は、棋聖と源嗣と共に木に凭れて何かを待っている典坐を見守っていた
その時の気分は、まるで初めてのお使いをさせている我が子を見守る親の気持ちに近かった
「 ————— 」
「「「 ! 」」」
少しして典坐が人影に駆けていくのが見えた
その時に典坐が相手の名を呼んだと思うが、3人には聞こえるはずがなかった
「あれは……」
「……男だな」
目を細めて相手の姿を捉える棋聖と源嗣の瞳に写ったのは艶やかな黒髪を持つ男の風体
「棋聖!拙者の言った通りではないか!」
「はあ?まだわかんねぇだろーが」
「なんだと?どう見てもあれは男であろう」
「これだから脳筋は……あの背格好…女に違いない」
「貴様!負けを認めたくないとは言え、屁理屈をいう気か…!」
遠目とはいえ、身なりは男のそれだったが、隣を歩く典坐と比べると、相手の体形は細身ではある
けれど、それで女という証拠になるわけもなく、源嗣と棋聖は声を潜めながらも言い争いを続けていた
その傍ら、士遠は彼らの押し問答を止めることもなく、意識を典坐———正確に言えば、その隣の人物に注いでいた
なんだ、あれは ―――
その人を見た感覚は、士遠の視る世界では歪だった
穏やかに、緩やかに、そして激しく波打つ世界
濃淡、強弱、姿形、濁り、淀み、清らかさ
そういう表現で現わすことは出来ても、士遠の捉える“波”の世界には、常人が味わう『色』は存在しなかった
そう、その人を視るまでは――――
淡くて、儚くて、心にこびりつく光
その人に視えたソレは、想像した満月の色そのものだった