花形見の行方
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「寅吉ー!寅吉、どこですかぁ?」
よく通る声が道場内に届く
竹刀がぶつかり合う音が木霊す傍らで汗を拭きながら涼んでいた棋聖が声の主を見やる
庭先で茂みや屋根の上に向かって声を掛けていたのは試一刀流十二位を賜った佐切だった
「なんだ佐切、寅吉を探してるのか?」
「棋聖殿。ええ、ここ二日姿を見ていないのです」
「そう言えば、最近見かけないな。と言っても、寅吉なら大丈夫だろ。餌だって、鼠でも捕まえて食ってるだろうぜ」
「…ネズミ……」
「あいつは鼠退治で山田家で飼ってるんだ。鼠を食べるくらい普通だろ」
「そうですが…」
探し人ならぬ探し猫が鼠を食べる姿を想像したのだろう
佐切は眉間に皺を寄せて、如何にも厭そうな表情をしていた
だが、棋聖が言うことは事実であり、寅吉という山田家で飼われている猫は山田家内の鼠退治を主に仕事にしていた
猫の性質でもあるのだろうが、それを抜きにしても寅吉は鼠を狩るのはもちろん、死体に群がろうとする烏退治にも一役買っている程であり、山田家では重宝されている存在である
そんな寅吉が鼠を捕食するのは周知の事実であったが、寅吉を人一倍可愛がっている佐切にとって、それは受け入れたくない事実なのだろう
「———猫って大怪我をすると身を潜めるって言うけどね」
「まさか、寅吉の身によからぬことが…っ!」
「付知さん!そんなことを言ったら、佐切さんが心配しちゃいますよ!!」
棋聖の後ろからひょっこりと顔を出して真顔で進言してきた付知に対して、佐切の顔が青ざめる
率直な物言いをする付知の隣では、彼の言動に仙太が慌てふためいていた
「いや、それはねぇだろ。寅吉は、ここら一帯のボスだぜ?そんじょそこらの猫じゃ相手になんねーよ。人間相手でも、あいつなら難なく逃げちまうさ。まぁ、どっかの雌猫でも追いかけてんのかもな」
肩を竦めつつも、棋聖は持論を説いた
それを聞き、少なからず、佐切は安堵し、他の二人も内心納得する
「棋の字の言う説もあるかもね。まぁ、怪我をして帰ってきたら僕が手当してあげるよ。猫の身体にも興味があるし」
「付知殿…手当だけですよ?寅吉に何かしたら承知しません」
「わかってるって。さすがに僕も、寅吉には手を出さないよ。そこは信用してよ」
解剖好きの付知の発言に訝しんだ佐切が釘をさす
猫一匹に大した情熱だと感心さえ覚えようとしていれば、付知や仙太とは違った影が棋聖に降りかかった
「皆で何を話しているんだ?」
振り返れば、稽古を一段落終えた士遠がそこには立っていた
「士遠殿!いえ、最近、寅吉の姿が見えなくて…士遠殿は何かご存じありませんか?」
道場の古株である士遠に寅吉は特段懐いていた
それに対して昔は対抗心を覚えたことも今となっては懐かしい
そんな士遠ならば、寅吉の所在を知っているのではないだろうかと尋ねてみれば、少し考える素振りを見せた後、士遠は答えてくれた
「———ああ、もしかしたら」
「知っているのですか!?」
「それはだね………内緒だ」
「何故ですか?!」
「僕も気になります」
「寅吉にも秘密にしたいことがあるからね。もし知りたいなら、寅吉自身に教えてもらいなさい」
「そんな……」
訊ねた佐切はもちろん、猫好きである仙太が士遠に答えを求めるが、その反応が嬉しいのかにこやかな表情をするだけで士遠が肝心の答えを教えてくれることはなく、時間は過ぎていった
とある寺院の奥にある墓地
墓の列を横切り、一際小さな墓地が士遠を出迎える
「——— またか…」
墓の前のとどまり、士遠はしゃがむとソレを手に取った
墓の前に置かれた、竹筒に入れられている白い花———シロツメクサ
初夏に入ってしばらくした頃から、この墓に誰かが花を添えるようになっていた
この寺院の和尚に尋ねるも、思い当たる節はないようで、気づけばいつも新しい花が添えられているとのことだった
もちろん、この墓の家族とも考えられるが、この墓で眠る者の家族とは士遠には考えられなかった
「……お前の知り合いか、鉄心…」
そこに眠る弟弟子に向かって語り掛けるが応える声はない
知り合いだとしても、何故、今になってだろう
鉄心がなくなって季節は幾度となく廻った
だが、その間に鉄心の訃報を訊いて、ここまで訪ねてきたのは彼の弟だけだった
「…もし、お前の知り合いなら……お前のことを訊いてみたいものだ」
不思議だった
だが、それ以上に懐かしい想いが、竹筒の花を見ると士遠の心中に込み上げてきていた
「ナ″ァッ」
物思いに耽っていると、茂みの中から独特な猫の鳴き声が士遠に届く
「やはりここに来ていたか、寅吉」
「ンナ″」
士遠を見上げて一鳴きした茶寅の猫はガサゴソと茂みに置いていたモノを咥えると、墓の前に添えられた花の隣にソレを置いた
微動だにしなくなったソレは、先ほどまで生きていたであろう鼠だった
「鉄心への贈り物か」
「ナ″ッ」
「お前は本当に鉄心が好きだな、寅吉。だが、和尚が驚くから後で必ず持って帰るように」
「…ナ″ァーオ…」
せっかくの獲物を持ち帰ることを促された寅吉は、心なしか寂しそうに返事をした
その何処か人間らしい寅吉の反応に笑みを浮かべ、士遠は寅吉の頭を撫でた
男ながら優しい撫で方に、寅吉が気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らす
「寅吉…ソレはどうした?」
寅吉が持ってきた獲物に気を取られていたが、ふと彼の首に下がるモノに士遠は気づく
「花の首輪か?見せてもらえるか?」
「ナ″ッ!!」
寅吉の茶色の毛皮に映えるソレは、シロツメクサで作られた花環だった
墓に添えられた花と同じことに気付いた士遠は寅吉が持つソレに手を伸ばそうとするが彼の小さな手に阻まれる
寅吉の予想外の抵抗に士遠は虚を突かれた
「すまない、もう取らないでおこう。しかし、お前が花を気に入るだなんて、よっぽど相手を気に入ったようだね」
先ほどの攻撃とは打って変わり、寅吉は尻尾を天に向かって立て、士遠にすり寄った
それがその花輪を作った相手に対する寅吉の想いだと士遠は理解する
「今度、その人を紹介してくれないか?寅吉」
「ン、ナ″ァー」
肯定とも否定とも取れぬ返事をし、寅吉は鉄心の墓に身体を寄せ、幸せそうに眼を閉じた
その光景を眺めつつ、士遠は墓に向かってそっと手を合わせた
花形見の行方
弟弟子を想う人が他にもいることを、私は願う