世界の終わりでしかみられない景色がある
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「お侍様、どうか私を―――」
―――殺してください
木格子を挟んで深々とお辞儀をする女性は、自分にそう頼んだ
まるで懇願するように言う声色には、死への恐怖はなく、生きることへの絶望が垣間見える
「頼む必要などない…私は、お役目のために貴方を処刑する」
「…はい、承知しております」
「…だが…」
山田浅エ門———士遠として、感情を込めることなく処刑を告げても、女性は微動だにしなかった
それはこれから処刑される身の上とは思えない気丈な姿であったが、それが尚のこと、士遠には不憫に映った
「せめてもの手向けとして、苦しまぬようにあちらへ送ってあげよう…」
「っ……」
本来ならば、処刑執行人である山田浅エ門が処刑対象に心を砕くことは憚れることだろう
だとしても、士遠の心中は目の前の相手の境遇を無視することなどできず、一人の人間として、そして山田浅エ門として、その言葉を口にしていた
それが罪人である彼女にどのように伝わったかは士遠にはわからない
ただ言えるのは、彼女が次のように士遠に一言返事をしたということ
「——— 御侍様、有難う御座います 」
それが罪人である彼女の最後の言葉だった――――
竹林の道には、まるで他の人の目には見えていないかのように人通りがない
その道の奥へと進んでいけば、細長い山道が見えてくる
苔が至る所に蔓延った歪な石でできた階段を上ると小さな鳥居が士遠を出迎えた
死刑執行人としての役目を終えて帰路についた日、士遠はここに足を運ぶのが習慣だった
まだ暗闇に覆われたままの小さな社に手を合わせた後、街を一望できる場所に腰かけた
……彼女は、痛みを感じることはなかっただろうか
腰に携えた刀を抜き、刃を眺める
美しい波紋を持つ刀に穢れは見当たらなかったが、どことなく刀は何かが纏わりついているように重かった
その重みが罪人として処刑された女の痛みや絶望、そして恨みのように思えてならない
山田浅エ門とは時代が振り下ろす刀
個人の感情を刀が持ってはならない
長いこと、そう理解している
理解はしている
けれど、あの時から私の山田浅エ門としての刀は、変わっていってしまった
「……時折、私は山田浅エ門としての責務から目を背けてしまいたくなるよ…鉄心」
もうこの世に存在しない弟弟子に想いを馳せた後、生きることへの絶望故に罪を犯した女性のことを思う
歳は士遠とそう変わらなかった女性には一人の子供がいた
夫は死別していたが、それでも子供と二人慎ましく生きていたという
だがある時、子供が病気になってしまった
来る日も来る日も彼女は働き、懸命に子供の看病をしていた
なのに、子供の状態は一向によくならず、ある日、働き先の主人に彼女はある提案をされた
一夜私と共に過ごすなら、薬を渡そう―――
苦渋の選択ではあったが、子供の命を救うため、その提案を受け入れた彼女だったが、それは悪魔の提案だったということを後に彼女は知ることになる
――― 薬は、嘘だった
否、病気でさえなかった
彼女の子供は、店の主人に毒を盛られていた
苦しみながら子供が死んだ後にそれを知った彼女は、雇い主をその手で殺した
これが彼女の調書に書かれていた罪の成り行きだった ———
罪とはいったい、何なのか
本当の彼女のことは、確かに士遠は知らない
だとしても、彼女の命を容易く絶つことが正しいことだったのかは、彼女に処刑を切望された士遠でさえわからなかった
「———辛気臭い顔をしてるね、お侍さん」
「君はあの時の……」
刀を通して処刑された女性を視ていれば、真横から声がかかる
思わず手にしていた刀をそのまま抜いてしまいそうになるが、自身の顔を覗き込んでいた気配を確認し、何とか踏みとどまった
「こんばんは、お侍さん」
「…ああ、こんばんは、お嬢さん」
「私のこと覚えてくれてたんだ」
満月の瞳を細めたのは、不思議な気配を持つ先日助けた女性———典坐の知人だった
思いを巡らせていたとは言え、士遠に気配を悟らせない彼女はやはり只者ではないのだろう
「にしても、ここで人に会うだなんて初めてだよ。その上、相手が私を助けてくれたお侍さんだなんて…もしかしたら私たちって、運命かもね」
恥ずかしがる素振りも一切なく、戯れるように言う彼女
「…君の言う通り、私たちは運命かもしれないな」
クスリっと思わず士遠の口元が綻んだ
「うん、笑顔の方がお侍さんには似合ってる」
瞬間、先ほどまで無邪気な子供のような振舞を見せていた彼女が柔和な顔を見せる
その表情を向けられた時、士遠は自分の顔の強張りも緩んでいることに気づいた
そうか、私を和ませるために彼女は態とあのように振舞ったのか
それが士遠のためなのか、それとも他の意図があったのかはわからないが、少なくとも彼女の優しさがあるのが伺えた
「———それに、後悔した顔より、笑顔でいてくれた方が相手も浮かばれるから」
「…それはどういう…———」
彼女の穏やかながら、全てを見透かす様な眼差しが士遠を捉える
士遠を通して何かを見ているのか、彼女の波の中に密かに憂いが見え、士遠はその言葉の意味を問おうとした
その時、彼女の背後から太陽が垣間見せ、彼女と士遠を照らしだす
「言葉のままだよ」
そう言って、彼女が言葉でそれ以上応えることはなかった
だが、言葉などいらないことを士遠は彼女の視線の先を確認して理解した
———…ああ、そうか
彼女から吹いた波の風と太陽の波の光が形作ったかのようなソレが士遠をみている
ソレは確かにあの時士遠が手に掛けた罪人の女だった
罪人であった女は生前と違い、『色』を持っていた
色を持った女は、士遠と視線が合うと、罪人とは思えない微笑みを浮かべた後、士遠にお辞儀する
そして、傍らにいた我が子と思わしき童と1人の男性を連れて、朝日の日差しへと溶けていった
「いい天気だね、お侍さん」
朝霧のように彼らが消えると、彼女は何事もなかったかのように言う
けれど、その横顔には彼らを慈しむ姿があるのを士遠は視た
「———士遠だ」
「え?」
「お侍ではなく、士遠と呼んでくれないか」
気づいた時には、士遠の口は名を告げていた
振り向いた彼女は不意を突かれたように目を丸くしている
「士遠、さん?」
「ああ…差支えなければ、貴方の名前も教えてくれないだろうか?」
小首を傾げて自分の名を噤む彼女は、今までの大人びた感じとは違い、初々しい少女のように思える
「私は彩雲。よろしくね、士遠さん」
破顔した彼女を、朝陽がより一層輝かす
世界の終わりでしかみられない景色がある
刀に宿っていた翳りは、既に消え失せていた