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剣と花

夫婦となって数ヶ月が過ぎた頃、夫が何日も帰らぬ日々が度々続くようになった。


伝達手段の飼い鳥が可愛らしく鳴いて文を届けに来る日々

足に結われた文を解き広げると、そこにはまた「不帰」の文字。今夜も、僅かに期待していた胸からため息を漏らして肩を落とす。これが明日も続くのだろうか。夫が帰ることも出来ぬ程に、戦いが、激化している。その表れだ。


届く文だけが、鸞の生存を証す。これさえ届かぬ日が来てしまったらと、おときは気に靄をかけたまま床に就いた。

朝、おときの眠りを覚ましたのは、鳥の声でも、朝日の顔出でもなかった。人が立てる大人しい物音。おときは不思議に思いながら身をよじり、眠気残る瞼を開けた。

「・・おはよう。」

起してしまったか。そんな申し訳なさそうなお顔を目にする。帰ってくる予定ではなかった夫の鸞が、緩い浴衣を羽織り、傍で腰を下ろしていた。刀の入れをしていた様子。おときは驚きすぐさま身を起こす。

「鸞さま、いつお戻りに。」
「夜が明けてすぐな。」
「お帰りに気づきもせず、申し訳ございません・・」
「いや、いい。湯を捨てていなかったろう。おかげで身体を流せた。」


湯浴みができたからか、どこかすっきりさせ垢ぬけた様子の鸞。

おときはほっと安心すると、「振り向かずお願いします」と一言告げて衣を着替えた。するりと腰紐を落として白の寝着を脱ぎ、支度着に腕を通した。


夫が出かけになる前にと、直ぐに朝餉の準備にかかる。水を汲んでおいた桶の中から、昨晩から冷やしておいた野菜を取り出し包丁を持った。


以前の事ならば、夫も忙しくするのだが、鸞は身も動かさずにじっとおときを眺めている。視線が気になり振り向くと。手入れを終えた刀を立てて寄りかかり、表情乏しく見つめてくる視線と目が合う。

「鸞さま・・?」

今日は出かけないのかと問いたかったが、それでは気分を害するやもしれないとすぐに口を閉じた。鸞は何も返さず視線を落とすが、すぐに何かを思案し、思い切るように顔を上げた。

「朝餉が済んだら共に出かけよう、昼用の握りでも作っておいてくれ。」

鸞の思いがけない提案にしばし戸惑う。帰らないと知らせて来たのに日が昇る前に帰ってこられた。いつもなら直ぐに戦支度をして出て行かれると言うのに、本当に今日はどうなされたと言うのだろう。おときは、不思議に思いながらも、朝餉と共に、おにぎりを二人分握り用意をした。少しずつ高鳴る胸を抑えた。

朝餉を済ませて片づけると、すぐに出かけると鸞が言うのでおときは返事をして身支度をした。折角の機会だと、馴染む草鞋ではなく特別な他所行きの真新しいものを用意した。鸞はと言うと、全く飾るでもなく、質素な衣に袖を通して腰に刀を差して終り。支度に時間を使うおときに機嫌を悪くするでもなく、戸口で妻を待った。

「お待たせいたしました。」
「ん、行こうか。」

行先も聞いていないが、二人連れ添って歩くなど、初めてのように感じた。実際はそうではないであろうが、このように出かけの用で添い歩くのは初めてだった。


鸞がおときの手を取って先導する。それだけでおときはずっと緊張し、握り返せないでいた。顔もきっと染まっているのだろう。羞恥か焦りか、どちらともとれなかった。そのおかげでか、身体が弱い故の歩く苦痛はあまり感じなかった。

「鸞さま、どちらに向かわれるのですか?」

鸞が手を引く二人の歩は、人里に向かう道とは逆の方向へと向かっていく。真下に岩だらけの河川が目に入ったところで、返事をしない鸞が突然おときを抱き上げ、荒い岩場へ足を下ろした。腕の中に掬い上げられたおときは、驚いて声を上げた。

「ら、鸞さまっ」
「足が悪いお前には、この岩場は酷だろう。」

大丈夫だとおときは何度も降ろすように催促した。殿方、夫にこのようなことをされるとは心にも思っていなかったおときは、心底慌てて訴えた。しかし、鸞に危ないからじっとしていろと言われ、大人しく抱えられたまま河川側へ降りていった。

川の流れに近づく、心地よい流れの音が耳をつついた。おときは恥ずかしくて堪えられないと、夫を見上げて訴える。鸞は承知していると大きな岩にそのまま腰を下ろし、隣におときを座らせた。岩は、調度人二人が裕に座れる大きさだった。


ぎこちなくよそよそしくなるおとき。訳もない、このように夫婦で出かけ、誰が見ているやも分からぬ場所で身を寄せ合うなど、今の今までに一度も無かったのだから。結婚の儀以来、所謂「仲睦まじい」と言うやり取りなど、現実味が無い。おときには、まるで作り話であるようだった。

「鸞さま、如何なされたのですか・・?」

おときは戸惑いを正直に伝えた。何故突然こんな行動に夫が出たのか分からなかったからだ。今この時を、感情のどこかが喜んでいる。だがどこか変だとか、違和感がするとか、そんなものが心に引っかかっている。鸞は普段からおときに何も話してこなかったが、いつに増して何かとても大切な、そんなものが隠れているようにおときは感じた。

「話しておこうとおもったんだ。おときに。自分のことを。」

「私に、はい。私も、聞きとうございます。」
「ありがとう。私には、何もないのだが、それでも、それでもな」
「・・?」

川面を見やりながら、唇を動かす横顔に影が見える。おときは不思議に首を傾けながら、ぽつりぽつりとこぼれる言葉をしっかりと耳で受け止める。川面を見やっていた視線は空へと上がり、青い空と白い雲を映す鸞の瞳は、それよりも遠くをみているようだった。

「夢だけは。・・夢だけは、抱かずにはいられない。」
「夢・・ですか?」
「こんな時代に、生まれた生を憎むよりも、未来に希望を抱いて生きた方が、・・な。」

夢、鸞の、夫の夢。おときには、これも初めてだった。夫の鸞の中に、夢というものがある。初めて、この人のことを知る。この時を逃しては、一生知ることはできない気がした。そう感じた。大袈裟にも、そう胸騒ぎがした。詰まる思いをこじ開けてでも、聞かなければ、知らなければ。この人をもっと知りたい。

こんなことはおときにとって、本当に、本当に初めてのことだった。

「どんな、夢なのですか?鸞さま」

聞かせてください。思いに反し、そこまでは言えなかった。しかし、伝わったはずだと信じた。鸞は少しだけおときへと顔を向けると、すぐにまた川面に目線を戻した。募る願いを大切に、鸞がゆっくりと取り出すように語りだす。

「子どもの小さな手が持つのは、刀ではなく、風車であったらいいのに・・・。女性も男性も、好いた相手と一緒になれればいいのに・・・。飢えや病人で苦しむ国ではなく、子どもも大人も幸せに笑っている国であればいいのに・・・。戦いの無い、血の流れることのない、そんな夢のような未来があればいいのに・・・。」

語られる夢への想い。おときは驚いた。この人はこんなにも、この国のことを愛した人だったのかと。私はこんなにも、真剣に生きている方の妻だったのかと。今まで知れずにいたことを恥じる気持ちと、大きな理想を抱く夫を誇らしく思う気持ちが入り混じっていく。


きっと、何もないのは私の方なのだろう。おときは国の現状も、戦の激しさにも興味がなかった。ただ毎日、夫の鸞のことを想い生きるだけだった。

「思い描く理想は、叶わぬ未来・・・。だが、抱かずにはいられない。」

夢を証す鸞の横顔は、影の中に強い光の眼差しがあった。叶ってほしいと、おときは心に秘めて鸞の手にそっと手を重ねた。刀を握る男性の骨ばった手に、寄り添うように繊細で細い手が触れる。その手を軽く包み返して、鸞は少し笑ったようだった。

「鸞さま。続きの共におにぎり、召し上がってくださいませ。」
「ああ。頂こう。」

持ち寄った葉の包みを広げ、手が汚れぬように海苔を添えて手渡した。それを受け取って頬張る鸞は、上手いと表情でおときに返した。決して言葉で伝えることの無い鸞だったが、おときは嬉しそうにもう一つ差し出した。


再び話し出す鸞に相槌を打ち、寄り添う言葉を返した。こんなに心穏やかに多く言葉を交わしたのは、初めてだった。心のどこかでほんの少しの違和感を抱きながらも、おときは生きてきた中で最も幸せだと、頬を染めて鸞と過ごした。




企画「始まらない恋」投稿 2014/09/14
サイト「蝶のダンス」掲載用加筆時 2017/02/12
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