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剣と花

(アナタには、もっと相応しい人がいただろうに)

 夫婦生活がはじまっても、互いに知り合う日々もなく、ただただ、淡々と衣食住を繰り返した。これが正しくない事だとは、お互いに承知していたこと。まだ共になって日は浅いが、似た者同士だという感覚はすでにあった。だが、どうすることもできない。互いの内に巣食い堪えぬ感情は、同じ故に変えられぬ。それ以上のことを望もうなどと思う気は起きなかった。

それでも、鸞はフラフラと今宵もおときがいる古びた家に帰る。外傷などは自身の能力故に負うことはないが、駆使した身は疲れ果てていた。わざわざ山奥の遠路を歩かずとも、軍の陣地に寝止めればよい。その方がよいと分かっていても、鸞はそうした。毎日、毎日。


淡い篝火を目指して夜道を踏みしめる。この時だけは、今が戦の真っただ中であることをなんとなく忘れることができる。それに、きっと彼女が自分を待っている。弱い身体を無理に起して、寝ずに待っていることだろう。婚姻の儀以来、まだ名もまともに呼んでやっていない彼女が。

帰ってやらねば。せめて、形だけでも夫らしく、帰ってやらねば。
ほどなく歩くと、彼女が灯した提灯の灯りが見えた。



「鸞さま…」


ここのところずっと、夫の帰りが遅い。戸の口に提げた提灯の火がまだ揺れない。


おときは二つ布団を敷き、食事を用意し、湯の用意をし、鸞の衣に針を通していた。横にならなければ今にも動かなくなりそうな身を起し、鸞の帰りを待つ。


今も続いているであろう、龍との戦情報はこの山奥には届いてこない。昼間、調達に山を下りた時に耳にするくらいだ。親しい者などもおらず、ましてや自分で聞き込む等、ほんの少しの度胸もない。そしてあの人は何も自分には話してくれない。だから政情からは蚊帳の外だ。


しかし、そこまで国の事など気にもしていなかった。なんと非国民な事か。ここも危ないのだろうか、そんな不安すら薄いのだから、全くお気軽なことだと自分に毒付く。夫はその戦地で戦っていると言うのに、心配も出来ていない。妻として不出来極まりないと罵られても何も言えやしない。


そう言われたとて、心配する必要性が無い。だってあの人は、必ず生きて帰ってくる。どんなに帰りが遅くともそのように思えるのだ。疑うべくもない確信がいつも胸にあった。今夜だって、帰ってきてくれる。そんな確信のない確信が、いつもおときを奮い立たせていた。

少し痛みの走る足をさすりながら待っていると、屋内に漏れる灯りが揺らぐ。
おかえりだ。提灯を吊るしから降ろした鸞が、戸を開けて現れる。今夜もやはり、帰ってきてくださった。顔を見れば、疲労がにじみ出て、いとお労しい。

「お帰りなさいませ。」


手を付いて頭を下げ、提灯を受け取った。
鸞は軽く頷くと何も言わずに中に上がり、敷かれた布団に力なく胡坐を落とす。おときは提灯を上座に吊るし、鸞の背に回って鎧衣装を解きにかかる。時間をかけないように手際よく止めを外し、紐を外し、鸞を身軽にしていく。今日も帰ったと安堵を感じながら、身体の弱い彼女を酷使する申し訳ない気持ちを募らせる鸞。鉛のようにずっしりと重い身体が疎ましかった。

「鸞さま。何かお召し上がりください。」


ゆるい浴衣を羽織った鸞は力なく頷く。すぐにおときが膳を用意し温めた吸い物を出す。鸞が箸をつけたのを確認すると、忙しなく小柄なおときが身を動かした。鸞は疲れた身で膳を味わう。美味い。そう思う。素直にそう彼女に伝えられたら。しかし、あまり箸が進まない。食欲がないわけではない。だが、疲労故の眠気が襲う。湯に入りたいが、叶わないだろう。

「鸞さま。湯に。鸞さま」


膳もそこそこに動かない鸞の顔を伺えば、もう瞼が閉じきっている様子だった。おときは膳を下げ、鸞の頭を枕に促した。後始末を終えると、おときも隣の布団に身を伏した。

(アナタには、もっと相応しい人がいただろうに)

おときは眠る間際に、すっかり眠りに落ちた鸞の方を見やる。そして一粒涙を枕に落とす。こんな自分でいたたまれなく、申し訳ない。それでも、夫婦という関係の名は、隣に居てもいい人がいるのだと言う、どこか安寧の欠片であった。帰れる、帰ってきてくれる寄りどころ。
ただ、それだけの繋がり。




企画「始まらない恋」投稿時 2013/05/05
サイト「蝶のダンス」掲載用加筆時 2017/02/12
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