未来と過去に繋がる後悔

「・・・今となっては私は私情により動いていた人間だったと自覚していますが、当時の私はそれを私情と認めることなく動いていました。実際に呉との戦いの後に殿から劉禅様が主として不適格と見たなら私が蜀の主となるようにと言われましたが、度々の遠征で蜀を留守にしてから戻る度に言われてきたのは劉禅様は主としてこのままでは良くないのではないかという言葉でした。そしてくのいちが言うには後世では劉禅様は暗愚であったというように伝えられていたそうです」
「・・・私は劉禅と会った訳ではないが、お前はどう感じていたのだ?劉禅に対して」
「今となっては最早過去の事ですが、私は魏を倒せばどうにかなると思って敢えて劉禅様から目を反らしていました。その時になれば殿の遺志を継ぎ、漢室復興の大義を掲げてくださるだろうと・・・ですが現実は成都に進行してきた魏の軍に対して、剣閣でまだ持ちこたえていた姜維達がいた状態で劉禅様は最後まで戦うことなく降伏されたとのことです。そして以降はもう一度も決起することなく、そのまま穏やかに生を終えられたと聞きました」
「・・・そこまで聞けばハッキリしているではないか。どう聞いたところで劉禅には劉備や貴様のような気持ちなど無いどころか、そもそも主として掲げるに値するような人物ではなかったとな」
「手厳しいと言いたいですが、今となっては劉禅様にそのような素質が無かったことは認めざるを得ませんでしたよ・・・そして私自身その事に目を向けることなく、何度も準備を行っては蜀の内政も含めて人に任せて遠征に行ったと言うわけです」
そうしていかに自分が私情を抱いていたのかもそうだが劉禅について話していき、孔明は自分がどういった行動を取ったかにその愚かさを認めると漏らす。



・・・実の所として書物であったり関係者達の間では暗愚というように見られていたが、劉禅はどちらかと言えば時代に見合う価値観を持っていなかっただけであり、当人はそれを自覚していた。そしてそれらを他の誰よりも自分の事を理解し、その考えが父親の劉備を含む面々に受け入れられがたい物であることも。

故に劉禅は自身の本音と才覚を押し隠し、敢えて暗愚であるよう振る舞っていたのだが・・・それが人の機微を見抜くことにも長けた孔明にすら悟らせないようにしていた辺り、どれだけの猫を被っていたのかなんて言葉だけでは到底言い表せないというレベルにあるものであったと言えるだろう。例え孔明が付きっきりで側にいるなんて程の事などなかったにしてもだ。



「・・・そのような事情を聞けば貴様もまた人だったということを感じられるが・・・貴様の意地に付き合わされて滅ぼされた者達からすれば哀れにも思えるが、私がいなければ魏は貴様により負けていたであろうな」
「おや、貴方からそのような言葉が聞けるとは・・・」
「事実だ。私以外に貴様を止められたやもしれぬ知謀の持ち主は精々呉の相手をしていた満寵くらいしかいなかっただろうが、その呉に睨みをきかせるためにも迂闊に動くことが出来なかったことを考えれば呉もその時には好機と呉が攻めてきていたであろう。そうなっていれば魏は貴様の指揮の元で滅びていただろうな」
「自分で言うのもなんですが、そうでしょう。貴方がいなかったなら魏は私が生きている内に打倒出来ていた可能性はあったでしょう・・・ですが貴方がいたからそれは為すことは出来ませんでしたがね」
そんな孔明に対して司馬懿は自分がいなければと魏の末路の予測を口にしていき、孔明もだろうというよう同意する・・・自身の才覚に自信を持つ司馬懿だが、それは実際に大袈裟でも何でもない事だったために。









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