軍師と女忍、未来を繋ぐ

確かにまだ預言が詠まれなくなった生活というものに関しては、まだ流れとしては預言の復活を望む人物達はいることであろうし簡単には変わりはしないだろう。しかし十年やそれ以上の年月も経てばいやが上にでも理解するというか、考え方は変わっていくだろう。もう預言の復活なんて望むようなことなどしなくていいのではないかと。

これは預言はオールドラントに欠かせぬ物として、自分達の行動の指標になるとして見られていたが・・・それは裏を返せば預言の言うことに従えば間違いはないから楽だという見られ方をされてきた。ただこれは更に裏を返すなら、考えることを放棄していたということである。

それにいくら預言の復活を願おうとも、極端な話として預言に詠まれてないなら食事に睡眠といった生命維持に関することを拒否までしたら待っているのは死のみだ。だが預言が詠まれないならそこまでするなんて狂人は敬虔な信者であってもいないのは孔明は分かっている・・・未来に預言が詠まれる環境が復活する前に死ぬかと思うのもそうだが、拠り所を自分の中に持たない者は強くも弱くも心を持てない流されやすい人物が非常に多いということを。

故にそんな風に預言復活を願いながらも敬虔な信者達は生きるだろうが、そんな風に考えて生活していく中でダアトもそうだがオールドラント全土が預言が無くてもいいという風潮に変わっていったなら、いかにその人物達でも考えざるを得なくなっていくだろう・・・預言にこだわらない生き方というものに、慣れていくことに。



・・・孔明にくのいちは預言がない世界に生きていたからこそオールドラントのローレライ教団が預言を詠みそれを人々がありがたがるという様子に、初めは違和感以外覚えなかった。そんないいことだけしかないからこれに従えばいいなどという言葉に。

だがそれが本当なら戦や殺人に犯罪といったことも全く起こりようがないだろうと思ったが、現実にはそれは普通に起きていることから預言に万能でいて全ての者達を救う力などないどころか・・・真逆の滅びに繋がる道に行く道標だと、ヴァン達の事から確信したのである。そして預言に固執することなど必要ないばかりか、むしろ脱却して自分がどう生きたいかにどうすべきかを考えるようになるべきなのだと。

ただそういった内容を世界中に広めて全てをうまく行かせても人々には納得してもらうだけの時間はどうしても必要になるが、そもそも預言に限らず人が生きることにおいて最低限に必要なのは食事と睡眠に排泄行為くらいで単純にこれだけ出来ていれば生きることには事を欠かない物である。他の何かの行動に関してはあくまで個人個人が生きていく上で意味を見出だしていくものだが、預言を詠んでもらいたいという気持ちはあくまでその中の一つに過ぎない物だ。

まぁ全ての人々がそんな考えに至れるかどうかはともかくにしても、預言が詠まれなくなった生活を続けていけば時間が経つ程次第に感じていくことだろう・・・預言が無くても普通に生活出来ることもそうだが、その復活を是が非でも望むべきなのかと。



・・・必要と思っていた物に長い間触れなくなれば、必然的に不必要な物に変わっていくことになる。それが無くなって狂おしく望むならともかく、そうでなければ自身にとって本当は不必要な物だったのだと気付くものだ。

ただそれでも時間が経つにつれて預言復活をやはりと願う者も出ては来るだろうが、預言が無くても普通に生きていけると気付いて考えた者達からすれば別にいいんじゃないかと考えることだろう。確かに前はそうだったが、もうこの生活に慣れたしこれからも預言に頼って生きることにこだわって何になるのか・・・というよう。

それに時間が経てば経つほどに次の世代を担う子どもは生まれ育っていくものだが、そんな子ども達にもうその通りにならないようにしようとするためにも、詠まれなくなった預言を復活させるように望むのが正しい生き方だと教え込むことは出来なくなるのは明白だ。生まれてきて物心ついた時から預言があることに慣れ親しんできた大人と、もう預言が詠まれないのは当然であり詠まれないのが正しい事なのだとダアト自体が発表したと知った子どもが素直に預言に復活してほしい・・・と考えるようにするのは考え方の相違から表向きのことも考えて出来なくなる上、預言の素晴らしさとやらを実際に体感出来なければ子どもは納得出来ないだろうからだ。

そしてそんな風に変わっていって前とは明らかに違う環境を目の当たりにしたなら、タトリン夫妻のような者達は戸惑うしかないだろう。長い間ダアトに戻らない時間を過ごしてきて、それだけ人々や世界が変わっていったことに。









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