時を経た変化

まぁこの辺りに関してはナタリアがアッシュと二人だけで子どもを育てるから、侍女やら付き人はいらないと言ったような事を切り出す可能性自体が低いと言える。むしろそんなことを言い出したとしてもそれは撤回すると切り出す可能性の方が高いだろう。

子どもを育てると言うのは決して簡単な事ではないし、ましてや誰の手や知識を借りずにやり遂げるなど生半可な覚悟では不可能だろうし投げ出したくなることだろう。それが手を伸ばせば周りに育児経験豊富で手を貸してくれる面々がいるとなるなら尚更にだ。

それにそもそもを言うならナタリアもそうだが、アッシュも自覚を持って子どもと向き合い親として成長が出来るかと言われれば、過度には期待はしない方がいいのではないかというようにくのいち達からは思えてならなかった。

子どもが生まれれば女性は親になるといったような言葉は確かにある。しかしならば無条件でそうなるかと言われればそうとは限らない上、その親になるというのもいい親になれるとも限らないのだ。



・・・いい親になる。そう言葉だけで聞くなら別に悪くないことのように思えるが、自分はいい親だと思い込み過信する人物も決して少なくはない。

ナタリアは確かに善性の人間ではあるが、自分のそんな善性から来る行動を間違いだと思うことは基本的にはない。そうでなかったらかつてアクゼリュスに諸々の反対を押し退け、独断で向かおうなどとは思わなかっただろう。

そんなナタリアが仮に方針やらを定めて子どもの教育を自分がメインになってやろうとしたなら、根をあげない限りはその子どもはまず間違いなくナタリアを恐れて嫌うのは目に見えている。私がこう言っているのだからこれが正しいのに、なんでその通りにしないのか・・・と、王族なれどまだ幼い子どもに理解出来るかも怪しいことを自分と同等レベルに求めることにより、幼い子どもからすればナタリアが理不尽な事を求めてくる存在に写る事でだ。

親として子どもに正しく、それでいて賢い存在になることを願うことは間違いだとは言わない。しかしそういった事を執拗に望む者は大抵が勘違いするのだ・・・子どもは無知ではあるが徐々に学ぼうとする生き物だというのではなく、自分の言うことは親なのだから聞くべきでありそんなことも分からないのはおかしいのだと子どもの都合やら能力やらを全く考えない形でだ。



・・・昔の事についてを人は思い出すことはあれども、昔の何も知らなかった頃の感覚を思い出した上で子どもに合わせることは簡単なようでいて実は難しい。人は知ってしまえば何も知らない時には戻れない生き物であり、大抵の人間は子どもはこうだろうという推測で接する物だ。

その点で頭が固くて思い込みの激しいナタリアが子どもがぐずったり自身の考えにそくわないような事をしたなら、十中八九怒りに怒鳴り散らす事であろう。自分は昔は貴方のようではなかったと、ろくに昔の事を思い返しもせずに今の自分を基準として考えてだ。

・・・まぁそれもあくまでナタリアが自分が子どもを育てると言い出した場合の仮定だ。王族に仕える従者が大事な王族の子どもを乱雑に扱うなど余程の事などまず有り得ない上に、ナタリアとしても性格上自分も国の為にと公務を行いたいからと子どもの面倒に関しては従者達に結構な時間を任せることだろう・・・そうして育てる子どもがナタリアにとって良い存在となるかどうかは一先ずとしてだ。









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