焔と渦巻く忍法帖 第二十四話

ただ何故ローレライと一緒に音譜帯に昇ることで、煙デコへの意趣返しが成り立つのか?・・・それをここまでの展開を総合して、ルークと煙デコの違いを上げてみよう。

まずルークと違い、煙デコは自身から出た発言はないに等しい。その上既に可哀相な物として見られているが、ルークのようにそれを利用して自身の立場を自らの思うように擁立しようと出来てない事がある。まぁこれは煙デコ自身が六神将で活動している間に中途半端に何も勉強しなかったことが効いている。




次にだが、同情を誘うエピソードが抱ける同情の種類が違う事がある。ルークに関してはレプリカという人と違う出生の仕方の存在をうまく同情を引ける物へと民衆を導き、更に今死と向き合いそれを乗り越えた結論を出した。それらは言ってみれば人に憧憬を抱かせるのだ、ハンデを背負いながらも希望を残す姿は。その点、ルークに抱くだろう同情は言ってみれば英雄のような者を見るようなものになる。

だがこれから煙デコに抱くだろう同情はルークと違い、至って哀れみが強くなってしまう。さらわれたという経緯が経緯だけに、まずそれは避けられない。その上更に降り懸かるのはルークという、伝説の存在のローレライとともに希望を残した煙デコと同一の存在がある。偉大な人間の死というのはその存在を民衆が神格化する傾向があり、世界を救おうとしたルークを並大抵の努力ではまず越えれない。そして更に煙デコに課せられる枷がある。それが・・・三年後に控えた成人の儀での、政治に関わる権利が失われるか否かだ。三年後までに何も出来なかったなら、煙デコは飾りの王となったとしても民衆達の反応は生暖かい視線へとなるだろう。

だがここで、同情の種類は概ね二つに別れる事になる。それは今言ったようその身の上を純粋に哀れだと可哀相な物と見る目と、ローレライとともに消えたルークとを比べて仕方ないという諦めを伴った同情の視線になることだ。

・・・ここまでルークが大掛かりに民衆達に自身に感動を抱かせるような演説をしてきたのは、真の目的にあるのは言わば何も出来ない煙デコの存在を自らを比較対象にして浮き彫りにしてしまうことだ。






(どんだけやれっかなぁ?あいつ・・・いや、あいつらは)
自らを民衆達に聖者のように崇めさせる中、ルークはその後を思い悪魔の笑みを心で浮かべる。






・・・比較対象があることに、勿論煙デコは苛立ちに苛立つだろう。だが、苛立ちを感じるのは煙デコ一人ではない。それはルークとの比較にルーク以上になれと煙デコに命じるだろう、苛立ちと同時に焦りを覚える猪思考姫だ。そして更に煙デコに苛立ちをぶつけられるだろう存在が、けしてファブレの家を離れる事が出来ないフェミ男スパッツがいる。

猪思考姫は煙デコを見た瞬間ルークを切り捨てるだけの間違った程優れた順応性を持っている為、一貫してルークに対して敵愾心を持ち続ける為に煙デコの尻を馬のように叩きつづけるだろう。ペース配分も何も考えず。

逆にフェミ男スパッツは変にルークの方に傾く復讐者なだけにさぞかし堪える事だろう、猪思考姫に愛を一切感じられない仕打ちを受けた後でファブレ邸に帰ってきた煙デコから感情の爆発を受けるのは。煙デコは猪思考姫に対してはどうとも出来ないだろうが、ファブレ邸に一度帰れば内弁慶になる可能性が非常に強くその矛先は使用人で『ルーク』に近い男のフェミ男スパッツに向く可能性は非常に高くなる。明らかに理不尽な癇癪を受けて刃向かえない暴力沙汰、ということが毎日なんて事も十分有り得るだろう。

負の連鎖というのは確かに起こりやすい物ではあるが、それでもこれは考え方を変えれば至って平穏になりえる事象の上に成り立った状況の上での事である。事実、飾りとは言え王と女王になれて国の屈指の貴族の使用人として働けている現状は一般人からして見ればそれだけでも相当な幸せといえよう。だがそれをしようという考えに至らないのは、やはりルークの存在が大きいと言える。



・・・どれだけ世界に広まってしまった『レプリカルーク』、いや『朱炎』の存在を受け止めた上で自らの考えを変えられるのか・・・それが出来るならいくらでも救いようがあるが、それが出来ないから救いようがない。故に楽しみであった、ルークへの考え方に囚われどれだけ崩れ落ちるのかが・・・







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