親の背に子が倣うか?

だからこそ恭弥はマスコミという草食動物の群れを嫌い、そして普段の鋭さはどこへやらというか犯罪を犯してはいないが性根が卑しい人物達についてを見極められず、いい気分になる新一の事を好きになれなかった。そしてそんな新一を分かっているとばかりに盲目的な様子を見せる蘭の事もだ。

それでそういった気持ちになったからこそ、恭弥は工藤家にある推理小説関係の物は暇潰し程度にしか目を通すことはなく、将来は探偵になる気なんかないと幼い頃からハッキリと二人には伝えていた。そして二人・・・特に新一との連れ立っての外出は、どうでもいいような用事の時は出来る限りに避けるというか突っぱねていった。これは冗談抜きに新一と共にいれば事件に出会う可能性が著しく高くて面倒だったからだ。

そうして恭弥は二人との関係に関してを薄くしていくのだが、親である二人に父方の祖父母二人はそんな恭弥の事についてをあまり心配はしていなかった・・・それは恭弥が大人しかったことに加えて学校の成績なども良くて非行に及ぶこともなかったことに加え、自分達の孫に子どもなのだから一人立ちが早いのも当然だという楽観的な気持ちを持ったからだ。現に新一からして親といった立場の優作に有希子から高校に入る頃には金は払うから一人暮らしするようにと新一は言われ、それを高校を卒業して大学の卒業まで為し遂げたのたから自分の子どもである恭弥もそれが出来るのだと見たのだ。

だからこそ新一と蘭は恭弥が一人でいたがるのを見て、中学生の始めの頃には探偵としての仕事に没頭してそのサポートをするという姿勢を強化して家にほとんどいない生活を続ける事が普通になり、お金は振り込むか会った時に渡すといったような姿勢になっていった・・・育児の放棄もここに極まれりといったようにだ。

しかしそんな親としてどうかと思わせる姿勢は考え方としてはどうかと恭弥は思いつつも、恭弥にとってはいい意味に働いた。何故なら恭弥からしての将来の目的は新一達に言ったように探偵になることではなく、むしろ新一と相対するようなことだったからだ・・・


















・・・時は流れ、恭弥が高校卒業後に東都大学ぬ一発合格をして留年なしで大学を卒業してから一年という時が流れたのだが・・・その時には大学を出てすぐに恭弥が代表を務めて立ち上げた風紀財団という名の財団は、東都を中心として絶大な支持を得ていた。しかし何故そんな風に支持を得ているのかと言われれば、それは弱者の駆け込み寺であったり厄介なトラブル解決のプロフェッショナルと言ったような集団と見られたからだ。

これは恭弥が中学生頃から始めた自身の住まう町である米花町の治安維持活動を始めたことが第一歩であり、その行動や姿勢に感化された者が徐々に集まりだして高校生となる頃にはその集団は米花町近隣の風紀を守る、風紀委員のようなものだと見られていった。恭弥が好んで着ていた学ランを他の面々も揃えるような形で来ていたのもあってである。

そしてその風紀委員たちのやって来た事が何なのかと言えば、ご近所トラブルであったり何か黒い噂を聞き付けた上で原因の解明及び解決である。









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