親の背に子が倣うか?

・・・工藤恭弥は親である新一と蘭の事が気に入らなかった。二人の間から生まれ落ちて物心がつく頃の最初の記憶にある両親の姿は、新一が探偵として出会した事件の推理現場でいてその犯人が諦めて降参するのではなく、抵抗をしようと暴れだすのを蘭が空手を持って撃退する姿だった。

そしてそんな姿を何度も何度も見てきた恭弥は幼い子ども心ながらに疑問を浮かべ、両親に質問をした。なんで事件にやたらと出会うのかにそれを蘭も時々ではあるがそれらを解決するのかと。その質問に新一は探偵として当然の事だからとキザな笑みを浮かべて口にし、蘭は新一に関わるんだからもう慣れたと苦笑しながら答えた。

・・・恭弥が聞きたかった答えはそういった物ではなかった。子どもながらの幼さから言葉足らずな部分もあったと成長して思い返した時には感じたが、それでも探偵とは新一がやるようなことをやるのが仕事なのかと本もそうだが、母方の祖父である小五郎が同じ探偵という職に就いていながらやっていることが違うということから新一の方が稀有なのだと感じていた。新一は一般的な感覚からしての探偵ではなく、ヒーローとして物語の中にいるような存在の探偵として在るつもりなのだと。

そしてヒーローだからこそ事件を解決したことを宣伝し、マスコミにも顔を出しながら自分に解決出来ない事件はないと言わんばかりのドヤ顔を実際にだったり写真でだったりで見てきた訳だが・・・その影に隠れるような形で小五郎がいかに新一と違った形での探偵の仕事を行っていて、それらがいかに地味で根気がいるものなのかも見ていった。そんな様子を見た恭弥が新一と小五郎のやってることはどちらが普通の探偵なのかと聞いたのだが、小五郎が『あいつが特別なだけなんだよ・・・』と複雑さが滲み何かを我慢するような返しをしたことに直感的にやはり新一の方が普通ではないと感じたのだ。

だからこそ恭弥は新一の体現している探偵という物を認めていいものだと思わなくなった上で、もう一つの一因が加わったことにより新一の事を好ましい存在だと思わなくなっていった。ならばその一因は何なのかと言えば・・・事件が終わった後にと我先にと詰め掛けてきて新一を取り囲むよう、群れながら取材を行う有象無象のマスコミ達の存在があったからだ。

・・・新一は自分を探偵というヒーローのような存在だといったように思っていると見ているからこそ、マスコミという存在についてを全般的に好意的に見ていると恭弥は見ていた。何故なら新一からすれば自分が探偵として活動して事件を解決してきた功績を余すことなく伝えてくれる上、自分をヒーローとして取り上げてくれる存在だということからである。

しかし新一が持ち上げられて囃し立てられているその影で、恭弥はそのマスコミの行動や裏の顔を見て不愉快だという気持ちを抱かずにはいられなかった・・・マスコミが求めるものはいかにスクープを挙げるかであり、その格好のネタである新一を挙げるのは当然だという考えは恭弥も仕事柄としては理解はしている。しかしならばそこに良質な人間性を持った人物達ばかりが揃っているかと言われれば、マスコミを数多見てきた恭弥から言わせてもらえればむしろ真逆でしかなかった。全うな人間などほぼほぼおらず、スクープさえ手に入れば後の事さえ知らないと言わんばかりの有象無象のような存在しかいなかったと。

しかし何故そう考えたのかと言われたなら、それは恭弥がまだ小さかった頃だったにも関わらず新一の息子だからというだけでやたらと優しい声色にしただけで色々しつこく聞いてきたり、新一や蘭のいない場では新一のいる時と違い明らかに態度やら口調やらが崩れていてとても好意的に見れるような様子など見せない人物ばかりだったからだ。

ただ新一はそんな人物達に関しては取材していたり目視できる範囲にいる時は、完全に別人格が憑依しているかのような態度の為か一切気付くことはなかったが、恭弥は子どもだからと侮られていたのもあってマスコミの事を好意的に思えないと見るようになっていったのだ。言うなれば小手先だったり姑息な手段を使って集団で行動してくる、力のない草食動物のようなものであると認識した上で・・・頭の中の遥か遠い場所にある何かが、マスコミを拒絶するのもあってである。









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