揺れぬ正義を持つ狼の目 後編

・・・ただそもそもからして何故斎藤がそこまでして新一をクソガキ扱いするのかと言えば、悪党にもなれないという部分にあった。

正義の反対はまた別の正義・・・自身の正義を胸に前世を生き抜いてきた斎藤だが、こうして現代に生まれ変わった際に聞いたこの言葉に関して否定より納得した物だった。自分もそうだが先に出した志々雄もそうであるし、何よりその志々雄を倒す為に敵であって協力することにした男もまた自分の正義を強く持っていて・・・その男の抱いた昔と違う正義を目の当たりにし、斎藤は誰にも言いはしなかったが最早その男は自分の敵という存在ではないと考えた。

ただその男の事についてはさておき、悪と自身が見定めた相手でもこれが自身にとっての正義だという考えを強く持った相手が志々雄であり・・・他にも何人もそういった異なる正義を持つ者がいたこととその言葉を照らし合わせた時、納得出来たと斎藤は感じたのだ。正義だなどという言葉や大義を口にしないがそれぞれの正義があるのは確かであり、そこでの互いの正義を認められないし受け入れられないからこそ戦いがあり・・・手段としての悪があるのだと。

手段としての悪・・・それは一般的に言うならば暴力行為であり、手段を問わない殺人である。ただ斎藤は前世からの経験も加わって、理由があるなら殺人を辞することなどない。何故ならそれが斎藤にとっての正義であり、法に背いたり悪を為したとされる相手を止めるための手段の一つというだけのことなのだ。

・・・勿論そういった手段を取ったなら周囲の人々の目や評判などは良い物にはならないだろうが、そもそも歴史において新撰組に自分の評判とは負け犬に卑怯者といった不名誉な物が多かった事や、当時ですら幕府の犬としていい目で見られない事など日常茶飯事だった。だからこそ殺人を進んで犯さなければ気が済まないというような性質は持ち合わせていないが、かといって人の目や評判を気にしてそんなことをすることに躊躇するような軟弱な精神なども斎藤は持ち合わせていない。むしろ悪党だとか鬼畜だとか心ない非難をいくら言われようが、知ったことかと揺るがない自信を持っているくらいだ。

だが新一はそんな斎藤とは違うどころか真逆であると、斎藤自身で考えた・・・今まで取った行動は犯罪以外の何物でもなかったというのに、自分の行動がそうであると指摘されるまで一切そんなことなど考えたこともなかった様子だった。そしてそれらを突き付けてようやく理解したというかさせられた様子だったが、それでも新一は心底から自分は取った手段自体は過ちではあったが、自分が間違いであったと考えていたなどとは思っていなかったであろうことは感じ取っていた。確かに法を犯したのかもしれないが、自分の立場に立てばそうもなるだろうといった気持ちに考えがあるだろうし・・・手段はともかく正しい事だろうと。

だがそれは斎藤から言わせれば自身の正義を貫こうとしていないというより都合のいい言葉や見方というか、自分は探偵だし悪い奴らを追っているから正義なんだ・・・というように子どもが行うヒーローごっこの延長線上の物でしかないと感じたのだ。それも並の大人など歯牙にもかかない程度には頭がいいはずであり、様々な事件やら人やらを見てきた上で知識も伴われている筈なのに・・・それらを自分の都合がいいように無視だったり曲解していた姿に。

だからこそ新一を異常と称した上でクソガキと斎藤は見たのだ・・・それこそかつて散々阿呆呼ばわりした相手未満の存在だと断じる形でである。









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