揺れぬ正義を持つ狼の目 後編

(だが志々雄やらが納得しようがしまいがこれが幕末に明治から先に生きた者達が作った時代の結果がこれで、人々はこの時代に馴染めようが馴染めまいがこの時代に生きている・・・ひよっていようがそうでなかろうが、昔の事など誰も知ることもないままにだ。ならばこそその中でどうやって生きていくかを考えて選び、決めて俺はここにいる・・・悪即斬という考えは望まれないからこそな)
そんな志々雄や他の面々についてを考えながらも斎藤は自身の考えについてを改めて心中で言葉にし、目を閉じつつ深く煙草の煙を吐いていく。






・・・悪即斬。これは斎藤が所属していた新撰組が掲げていた正義であり、斎藤自身の正義としても前世で貫いていた正義だった。

しかしそうして掲げていた正義だったが、江戸時代も終わり明治時代が始まって進んでいくにつれて刀を持てる立場にこそは特別に斎藤はついていたが、自分が死んで以降の時代には最早刀はおろか当時の警察官が持っていたサーベルすら警察官が持つことは無くなり、銃器の発展がされていくにつれて銃が警察官の標準装備になっていったのを生まれ変わってから知ると同時に・・・余程の事情が無ければ例え悪党だろうが殺すこともそうだが、大怪我を負わせれば警察官の責任問題になる時代だとも知った。

その為、二度目の生を受けた自分の将来をどうするかを考えていた斎藤は、早々に前世では新撰組が解散となって以降、偽名を名乗る形で職として就いていた警察官に就くという選択肢を排除した。一応公安という場に入れるように動くという選択肢も無いわけではなかったが、潜入捜査やらの任務を任されそうするのは自身の性に合わないだろうからということでそれも無しという判断を下してである。

そうして選んだというか目指して入ったのがインターポールという所なのだが、そこで斎藤は一応というか怪我を負わせたことは多々あるが悪党を捕縛する際に誰かを殺したことなど、一度もなかった。といってもそれは今生で身に付けた倫理観からそうしないようにしようという忌避感からの行動ではなく、この時代に斎藤が刺し違えてでも殺さなければならない程の強敵がいなかったのもあるが・・・時代に合わせて、悪即斬の信念を変えたことにある。

・・・志々雄という男の一味の中のとある敵と戦い打ち破った際、その敵の最期の悪即斬をいつまで貫けるかとの問い掛けに微塵も迷うことなく不敵な笑みを浮かべて斎藤は死ぬまでと言い切り・・・そうして歴史の影で戦いつつも最期を迎えた。その言葉に違うことなくだ。

しかしそうして死んだのに時代が変わってこの現代に生まれ変わった斎藤は、インターポールを目指して入ると共に悪即斬の信念を貫く事が刀を持つことが物理的に難しくなった状況も相まり、以前は死ぬまで貫いた信念なのだから時代が変わったのもあるから多少は変えるくらいしなければならないかと考えることにしたのだ。いざとなれば悪を殺すことになど躊躇いはないが、悪は痛めて捕まえるくらいでいいだろうと。

そしてそういった考えを持って動くことにした斎藤だが、この世界において日本の内外問わずに斎藤に匹敵する程に強い人物などいないため、銃など使わずとも斎藤はその強さと頭がキレる事からインターポール内でも一目置かれる存在となっているのであり、悪党をどんどんと摘発していっているのである。









.
20/24ページ
スキ