得られた平穏と望まぬ平穏の二つの平穏
「ハァ、ハァ・・・本当にすげぇな坂道・・・こんだけ早いって思わなかったぞ・・・」
「いやいやいや!ロードバイクのおかげってのもあるから!」
・・・そうして翌日。約束通りサイクリングに来たジャージ姿の小五郎とロード競技用の服に見に包んでいる坂道の二人は、道路の脇の路肩で会話をしていた。といっても普通の自転車を支えにしながら滝のような汗をかく小五郎の息絶え絶えな声に、ロードバイクを強調しながら坂道はこれのおかげと説明する。
「いや、ロードのおかげっつーけどあの登りはすげぇよ・・・この激坂をあっさり、それも先に登ってた俺を抜いちまったんだからよ・・・」
「あはは・・・でも登り以外あんまり早くないんだけどね、僕・・・」
「それでもその登りを見たから今泉ってのに自転車競技部に誘われて、他の先輩とか鳴子って奴と一緒にやってってインターハイを一番でゴールしたんだろ?・・・本当にすげぇよ、坂道」
「えへへ・・・ありがとうお父さん」
だがそんなことはないと息を整えながら微笑を浮かべながら頭を撫でる小五郎に、坂道も反発することなく笑顔を浮かべた。父親の賛辞を嫌がることも恥ずかしがることもなく。
・・・前世での生涯に関して、小五郎は義理の息子が自身にやってきたことを明かされた以降は完全に我慢の人生であったと思っている。義理の息子達のやってきたことに関して文句も何も言うことをしない方がいいと思い、その上で自分が娘共々嫌いになっていったということを明かさないようにしていったことを。
その上で死んだと思ったのに今生この世界、それも東京から離れた千葉にある小野田家に生まれた時に驚いたのだが・・・そんな小野田家での生活は小五郎にとって衝撃的というか、相当なギャップを受けた。これが一般的な家庭環境、それも平和な場所の物だということに。
だがそういったギャップを受けつつも、これが本来正しいものなのだと小五郎は考えるようになっていった。前世で考えてみれば日本は世界でも有数に安全な場所だと言われていて犯罪率も他の先進国に比べれば高くない筈なのに、まるで義理の息子の周りで日本で起きている犯罪をギュッと濃縮させているかのように日常で多発していたのだ。そしてそれに巻き込まれるだったり話のタネとして接するのは小五郎もよくあることだった。距離として義理の息子達と離していたのに耳に入ってくる事もある形でである。
しかしこうして土地も違う場所に生まれ変わり、平和としか言えない環境で育った小五郎は感無量になった。もう娘達と距離が離れて暮らすようになった時には事件に関わることなど嫌だというようにしか思えなくなったし、仕方なく娘達と顔を合わせざるを得なくて会話をした時も事件や推理の事ばかりしか話題にしない義理の息子・・・いくら堪忍袋の尾が切れないように出来るようになったと言っても不愉快であったことには違いなかったのだから、こうして全くそんなものと縁遠い環境に生まれ育てるようになったことは小五郎からすればたまらなく嬉しいことだった。
それで子どもと接するにはあまりにも精神年齢の差がありすぎたことから多少苦心はしたものの、平和という時間をこれでもかと楽しみながら二度目の生を謳歌していった小五郎が出会ったのが・・・今生での妻である。
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「いやいやいや!ロードバイクのおかげってのもあるから!」
・・・そうして翌日。約束通りサイクリングに来たジャージ姿の小五郎とロード競技用の服に見に包んでいる坂道の二人は、道路の脇の路肩で会話をしていた。といっても普通の自転車を支えにしながら滝のような汗をかく小五郎の息絶え絶えな声に、ロードバイクを強調しながら坂道はこれのおかげと説明する。
「いや、ロードのおかげっつーけどあの登りはすげぇよ・・・この激坂をあっさり、それも先に登ってた俺を抜いちまったんだからよ・・・」
「あはは・・・でも登り以外あんまり早くないんだけどね、僕・・・」
「それでもその登りを見たから今泉ってのに自転車競技部に誘われて、他の先輩とか鳴子って奴と一緒にやってってインターハイを一番でゴールしたんだろ?・・・本当にすげぇよ、坂道」
「えへへ・・・ありがとうお父さん」
だがそんなことはないと息を整えながら微笑を浮かべながら頭を撫でる小五郎に、坂道も反発することなく笑顔を浮かべた。父親の賛辞を嫌がることも恥ずかしがることもなく。
・・・前世での生涯に関して、小五郎は義理の息子が自身にやってきたことを明かされた以降は完全に我慢の人生であったと思っている。義理の息子達のやってきたことに関して文句も何も言うことをしない方がいいと思い、その上で自分が娘共々嫌いになっていったということを明かさないようにしていったことを。
その上で死んだと思ったのに今生この世界、それも東京から離れた千葉にある小野田家に生まれた時に驚いたのだが・・・そんな小野田家での生活は小五郎にとって衝撃的というか、相当なギャップを受けた。これが一般的な家庭環境、それも平和な場所の物だということに。
だがそういったギャップを受けつつも、これが本来正しいものなのだと小五郎は考えるようになっていった。前世で考えてみれば日本は世界でも有数に安全な場所だと言われていて犯罪率も他の先進国に比べれば高くない筈なのに、まるで義理の息子の周りで日本で起きている犯罪をギュッと濃縮させているかのように日常で多発していたのだ。そしてそれに巻き込まれるだったり話のタネとして接するのは小五郎もよくあることだった。距離として義理の息子達と離していたのに耳に入ってくる事もある形でである。
しかしこうして土地も違う場所に生まれ変わり、平和としか言えない環境で育った小五郎は感無量になった。もう娘達と距離が離れて暮らすようになった時には事件に関わることなど嫌だというようにしか思えなくなったし、仕方なく娘達と顔を合わせざるを得なくて会話をした時も事件や推理の事ばかりしか話題にしない義理の息子・・・いくら堪忍袋の尾が切れないように出来るようになったと言っても不愉快であったことには違いなかったのだから、こうして全くそんなものと縁遠い環境に生まれ育てるようになったことは小五郎からすればたまらなく嬉しいことだった。
それで子どもと接するにはあまりにも精神年齢の差がありすぎたことから多少苦心はしたものの、平和という時間をこれでもかと楽しみながら二度目の生を謳歌していった小五郎が出会ったのが・・・今生での妻である。
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