元世界最高の探偵が物語に加わ・・・らないだけの話
・・・そう。自分達が正しいと思い、それらの考えを変えようと言ったような気持ちが無いことからだ。そして実は頼人がアメリカに飛び級で向かうと決めた理由は単なる勉強の為ではなく、工藤家から離れようと決めた理由でもある。
確かに工藤家は善人揃いであり、様々な事件の解決に貢献してきて周りとの人間関係も良好であり人間性に問題はないように一見思われる・・・しかしそれはあくまで頼人を除いた面々が心に余裕があるから、社会的な上位者という立場にあるからだと頼人は見ていた。
成功者として在ることが間違っているというわけではない・・・だが持つものは持たざるものの気持ちは分からないといったような言葉があるよう、成功しか知らないが故に本当の意味で失敗した相手の気持ちや立場についてを考えることが出来ないのだ。
ただそれでも犯罪者の意識に心理などについてはこういうものだと推理出来ることに関しては、それまでの様々な事件であったりから推測出来るだけの経験則があるからそこについては的外れな推理をすることはない。現に工藤一家の周りには悪人と呼べるような人物は存在しない。何故なら優作が悪意を持っていたり良からぬ感情を抱いている人物達を軒並み遠ざけた上で、俗に言ういい人達かもしくは財力であったり能力がハイスペックな人達が周りを固めているからである。
そしてそういった風に周りの環境を整えていることに事件に度々出会うことから新一も含めて悪人を見透かす推理力や思考力に自信を持って自身らは正しいと思っていると頼人は感じているのだが、同時に悪意には敏感ではあっていい人かそうでないかを見分けることは出来ても、本当に親しい間柄を作れているかに自分達が好きでいるかを見分けることは出来ていないのだ。
・・・悪人を自分達の周りから排除してしまえば、残るのは自分達を好ましく思う善人ばかりという単純な計算になるか?答えとしてそんなことは有り得るはずはない。人の考え方は千差万別であり、趣味嗜好もまた千差万別になる上に就いている職に立場もまた千差万別だ。
極端な話として言うならいい人ではあるが笑顔が気持ち悪いからあの人嫌いといったよう、単なる見た目だけの感情論で対象を嫌いになることも世の中では少なくはないのだ。悪人ではない、むしろ正義の立場にいる、地位も名誉も伴われている美男美女の一家・・・こういったような誰の目にも立派とも取られるような立場にいることに工藤家の面々は自分達は嫌われてはいないか、もしくは悪人を見付けて遠ざけているから大丈夫などと優作に新一は思っていることだろう。
しかし些細な事で人は人を嫌うものだし、妬み嫉みなど悪感情を抱く生き物である。いかに善人であろうが、実際に行動に移すようなことは無くても考えには抱くものだ。それに先述したように善人だから誰もが自分のことを好きになると限ったわけではないし、近くもない関係の者からすれば名前だけは知っているけれどさして性格やその実情など知らないからどうでもいい・・・といった気持ちを抱くのが頼人からすれば当然の物だと見ている。
しかしそういったことを新一達は人をよく見る割には、自分達の事に関しては理解をしていない・・・頼人はその事を工藤家にいる頃からよく理解していた。そして同時にそんなものだから自分達の行動で何か悪い影響を人に及ぼすようなことはないといったよう、無意識でいて無条件に感じて考えているのだと。
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確かに工藤家は善人揃いであり、様々な事件の解決に貢献してきて周りとの人間関係も良好であり人間性に問題はないように一見思われる・・・しかしそれはあくまで頼人を除いた面々が心に余裕があるから、社会的な上位者という立場にあるからだと頼人は見ていた。
成功者として在ることが間違っているというわけではない・・・だが持つものは持たざるものの気持ちは分からないといったような言葉があるよう、成功しか知らないが故に本当の意味で失敗した相手の気持ちや立場についてを考えることが出来ないのだ。
ただそれでも犯罪者の意識に心理などについてはこういうものだと推理出来ることに関しては、それまでの様々な事件であったりから推測出来るだけの経験則があるからそこについては的外れな推理をすることはない。現に工藤一家の周りには悪人と呼べるような人物は存在しない。何故なら優作が悪意を持っていたり良からぬ感情を抱いている人物達を軒並み遠ざけた上で、俗に言ういい人達かもしくは財力であったり能力がハイスペックな人達が周りを固めているからである。
そしてそういった風に周りの環境を整えていることに事件に度々出会うことから新一も含めて悪人を見透かす推理力や思考力に自信を持って自身らは正しいと思っていると頼人は感じているのだが、同時に悪意には敏感ではあっていい人かそうでないかを見分けることは出来ても、本当に親しい間柄を作れているかに自分達が好きでいるかを見分けることは出来ていないのだ。
・・・悪人を自分達の周りから排除してしまえば、残るのは自分達を好ましく思う善人ばかりという単純な計算になるか?答えとしてそんなことは有り得るはずはない。人の考え方は千差万別であり、趣味嗜好もまた千差万別になる上に就いている職に立場もまた千差万別だ。
極端な話として言うならいい人ではあるが笑顔が気持ち悪いからあの人嫌いといったよう、単なる見た目だけの感情論で対象を嫌いになることも世の中では少なくはないのだ。悪人ではない、むしろ正義の立場にいる、地位も名誉も伴われている美男美女の一家・・・こういったような誰の目にも立派とも取られるような立場にいることに工藤家の面々は自分達は嫌われてはいないか、もしくは悪人を見付けて遠ざけているから大丈夫などと優作に新一は思っていることだろう。
しかし些細な事で人は人を嫌うものだし、妬み嫉みなど悪感情を抱く生き物である。いかに善人であろうが、実際に行動に移すようなことは無くても考えには抱くものだ。それに先述したように善人だから誰もが自分のことを好きになると限ったわけではないし、近くもない関係の者からすれば名前だけは知っているけれどさして性格やその実情など知らないからどうでもいい・・・といった気持ちを抱くのが頼人からすれば当然の物だと見ている。
しかしそういったことを新一達は人をよく見る割には、自分達の事に関しては理解をしていない・・・頼人はその事を工藤家にいる頃からよく理解していた。そして同時にそんなものだから自分達の行動で何か悪い影響を人に及ぼすようなことはないといったよう、無意識でいて無条件に感じて考えているのだと。
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