独りよがりの愛は二度終わる
「・・・まぁ元々の原因が何かと言えば父さんのワガママということすら到底当てはまらないような母さんへの執着だからな。私という子どもの存在を母さんを自身の元に繋ぎ止める為だけに作ったと言っても過言じゃないくらい、母さんに強すぎる想いを向ける執着が・・・」
ただそんな風に小五郎がなった原因はやはり新一だと口にするが、それを執着と評するその顔は複雑そうに歪んでいた。新一という親に対してどう控え目に言った所で良からぬ気持ちになっていると分かるよう。
・・・マリーは新一という人物に対して血を分けた実の父親だという認識はしているが、新一の事を理解出来るからこそ親として慕いたくないという気持ちを抱いていた。それも生まれてから然程時間が経ってない時から向けられてきた視線やら意識からだ。
この生まれて然程時間が経ってない時からということについては後でに話すことになるから置いておくが、こう思ったのは自分の子どもに対する愛情の念を向けている蘭と比べると明らかに新一の念が弱いだったり、軽いといった感じにしか思えない物だったからだ。
新一自身は意外というように少なからず湧き上がった気持ちはあるというように思っていたが、言ってみればそれは子どもが生まれて嬉しいという気持ちが100を最大値として、蘭は実際にマリーを産むまでの苦難もあっても90以上の嬉しさがあったが、新一からしてみれば元々子どもが生まれる事について蘭の気持ちを引き留める為にが前提だったから、新一としては言葉にしなくても生まれるまで10どころか5にも満たないといった状態だったのが、実際に生まれてみたら予想外に気持ちが湧き上がったことから蘭と同じとまでは言わずとも、ある程度近いくらいになっていると思っていたのだろうが・・・それは精々最大でも30あればいい程度の気持ちだった。
これに関しては親としての自覚を子どもが生まれて初めて持てるといった者もいるからこそ、新一もそういったような気持ちに少なからずなったのもあるのだが、それが蘭に近いまでに跳ね上がらなかったのはやはりというか子どもは蘭の気持ちの為に作った物であると共に、蘭が子どもを産んで無事に済んだという事を受けたのにホッとしたのもあってだった。どれだけ万全を期すようにしても出産という物がどれだけ母体に負担をもたらすかだけでなく、場合によっては命にまで関わるような物だという認識があった為に。
そしてそんな蘭への安堵が入り交ざった物だったからこそ、マリーが生まれて嬉しいという気持ちが高いものだと新一は勘違いしたままいたのだと、マリーはその姿から感じ取っていた上でそれが間違いではなかったのをより強く理解したのは、その後の生活での自身への接し方であった。
と言っても接し方がまずかったとかそういうものではなく、仕事を受け過ぎていて家にいる時間もそうだがマリーと向き合う時間がそもそもほぼ無かったのである。そしてたまにのそういった向き合う時間があったとしても、マリーがまだ言葉を発する事も出来ない時期に泣かずに大人しく寝ていたらその顔を見て満足といったように推理小説に目を落とすだとか蘭に話しかけ、何か泣くような事があったら自分でどうにかしようとすることを即刻で諦めて蘭を呼んで対処を願うというようにしていた。
これは普段新一が家にいなかった事から対処が出来なかった部分があるのはある程度仕方無いと言えなくはないのだが、マリーから見たら外で探偵として仕事を頑張っているしマリーの親としてや蘭の夫として役割を十二分に果たしているから、それで満足してそれ以上マリーの為に動く気がなかったこともある上で・・・やはり蘭に向ける程の愛情や関心をマリーに持たなかったのが一番だと感じたのである。自身が生まれた時に抱いていた高揚感はもう完全に薄れてしまったのだろうと。
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ただそんな風に小五郎がなった原因はやはり新一だと口にするが、それを執着と評するその顔は複雑そうに歪んでいた。新一という親に対してどう控え目に言った所で良からぬ気持ちになっていると分かるよう。
・・・マリーは新一という人物に対して血を分けた実の父親だという認識はしているが、新一の事を理解出来るからこそ親として慕いたくないという気持ちを抱いていた。それも生まれてから然程時間が経ってない時から向けられてきた視線やら意識からだ。
この生まれて然程時間が経ってない時からということについては後でに話すことになるから置いておくが、こう思ったのは自分の子どもに対する愛情の念を向けている蘭と比べると明らかに新一の念が弱いだったり、軽いといった感じにしか思えない物だったからだ。
新一自身は意外というように少なからず湧き上がった気持ちはあるというように思っていたが、言ってみればそれは子どもが生まれて嬉しいという気持ちが100を最大値として、蘭は実際にマリーを産むまでの苦難もあっても90以上の嬉しさがあったが、新一からしてみれば元々子どもが生まれる事について蘭の気持ちを引き留める為にが前提だったから、新一としては言葉にしなくても生まれるまで10どころか5にも満たないといった状態だったのが、実際に生まれてみたら予想外に気持ちが湧き上がったことから蘭と同じとまでは言わずとも、ある程度近いくらいになっていると思っていたのだろうが・・・それは精々最大でも30あればいい程度の気持ちだった。
これに関しては親としての自覚を子どもが生まれて初めて持てるといった者もいるからこそ、新一もそういったような気持ちに少なからずなったのもあるのだが、それが蘭に近いまでに跳ね上がらなかったのはやはりというか子どもは蘭の気持ちの為に作った物であると共に、蘭が子どもを産んで無事に済んだという事を受けたのにホッとしたのもあってだった。どれだけ万全を期すようにしても出産という物がどれだけ母体に負担をもたらすかだけでなく、場合によっては命にまで関わるような物だという認識があった為に。
そしてそんな蘭への安堵が入り交ざった物だったからこそ、マリーが生まれて嬉しいという気持ちが高いものだと新一は勘違いしたままいたのだと、マリーはその姿から感じ取っていた上でそれが間違いではなかったのをより強く理解したのは、その後の生活での自身への接し方であった。
と言っても接し方がまずかったとかそういうものではなく、仕事を受け過ぎていて家にいる時間もそうだがマリーと向き合う時間がそもそもほぼ無かったのである。そしてたまにのそういった向き合う時間があったとしても、マリーがまだ言葉を発する事も出来ない時期に泣かずに大人しく寝ていたらその顔を見て満足といったように推理小説に目を落とすだとか蘭に話しかけ、何か泣くような事があったら自分でどうにかしようとすることを即刻で諦めて蘭を呼んで対処を願うというようにしていた。
これは普段新一が家にいなかった事から対処が出来なかった部分があるのはある程度仕方無いと言えなくはないのだが、マリーから見たら外で探偵として仕事を頑張っているしマリーの親としてや蘭の夫として役割を十二分に果たしているから、それで満足してそれ以上マリーの為に動く気がなかったこともある上で・・・やはり蘭に向ける程の愛情や関心をマリーに持たなかったのが一番だと感じたのである。自身が生まれた時に抱いていた高揚感はもう完全に薄れてしまったのだろうと。
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