向けられ触れてこそ愛情は理解出来る

・・・悟の前世の父親は新一と比べたら知識を持っているかどうかという意味で頭の出来がいいかと言われたら、そうでもないのは失礼は承知の上で確かだと言えたし先述のよう仕事をしていない事で母に強く言われる事は多々あった。そういったことから一般的な視点から見れば、父親としては結構駄目な人物ではないのかというような評価を受ける事も仕方無い部分はあることは、今となっては承知していた。これに関しては父のライバルというような人物も家庭を持っていたが、その人物もその奥さんから働かないことに関してを愚痴られたことから悟も承知していた。

ただそんな人物もだが前世の父親も家庭環境が悪かったのかと言えばそんなことはないどころか、むしろ良好でない時の方が少ないくらいであった。これに関しては単純な話としてどちらにも共通しているのがいい意味でやりたいことに関してを放置してくれる上で、向き合うべき時にはちゃんと向き合ってくるだとか親として接してきたからであった。一見は親として子ども達に無関心かのようにどちらも思えるかもしれないが、それでもやるべき時にはちゃんと向かい合ってくれる上に全く子ども達や家庭の事を見ていないなんてこともなかった・・・ライバルに関しては自分の身の振り方を考えて素直に態度に表すことはそうそうなかったが、悟の父は率直によくやったと思ったならよくやったと頭を撫でながら褒めるということを本心からやってくれる形でだ。

だからこそそういった父の事をずっと好きでいたし、自身が結婚して子どもを授かった時には父と性格の違う自分は同じようになんて出来ないことは承知していたが、それでも良き父親になりたいということで父の事を参考にしていた部分も大いにあった・・・その結果として一人娘は気が強くてヤンチャな部分はあったものの、正義感が強くて自画自賛になるが親である自身らを嫌う事もないようないい娘に育った。この事に悟も妻も後になって良かったというように話し合った物だった。

それでそうして歳を取って天寿を全うして悟は逝くことになるのだが、そうして終わりかと思ってしばらくしていたら工藤家の次男坊という立ち位置の子どもになったのであり・・・そこからの生活で見えてきたのがかつての父と今生での父である新一との違いであって、心の中で新一に言葉にして言いはしないが次第に感じていったのである。言ってしまえば新一は親になってしまっただけで親としての自覚やらがないとは言わないまでも、かなり薄い状態のまま親をやっているのだろうというよう。

これは言い過ぎかと思うかもしれないが、コナンという自分の後を追い掛け越えようとしていて能力も小さい頃の新一を思わせるような物を持っている子どもが出来たことで、小五郎達に言ったように子どもとして見るより自分のライバルというように見るようになっていったのだろうと見たのだ。その結果としてまだ小さく子どもであるコナンの不平不満を見抜くというか、掬い取る事が出来なかったと悟は見てかつての父のようにコナンを褒めたのだが・・・それが正しかったのが涙を流して嗚咽するというリアクションで証明されたことから、新一の事は嫌いになってはいないにしても親として頼りにするには心許ない存在と思うしかなくなっていたのである。親として頼るだとか大丈夫と思うには控え目に言ってもキツい物があり、だからこそコナンを新一達の元に戻すのは良くないと小五郎に頼んで距離を離すようにしてもらったのだ。









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