side stories: 周るエメラルドはグリーン
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- 書きたいシーンだけ書いた樺太if詰め合わせ
- ifマジックで本編の気まずさ皆無
- 唐突に始まり、樺太観光を満喫するヒロイン
- ギャグ展開につき、ほぼ別次元のお話としてお楽しみ下さい
- 一応月島さん落ちにはしてます
- 長かったので二つに分けました
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「…ちょっと、…ねえ!杉元佐一ッ」
今日は一段と観客の数も多く、それに比例して歓声の音量も大きい。柵から身を乗り出して何度か名前を呼ぶと、サポーターの包帯を拳に巻き付けている途中の杉元がようやくこちらへ振り返った。
「なんだよ」
「ちょっと耳貸して下さい」
歓声に負けないよう大声で話すと後ろの三人に聞こえてしまうかもしれない。こっちこっち、とジェスチャーを送って杉元を柵の側まで呼び寄せると、寄せられた耳に向かって手をかざしながら口を近付ける。
「本当に八百長しないんですよね?」
「ああ、しないけど」
「絶対勝つんですよね?」
「勝つつもりだけど…なんで?」
その質問に私はぐっと押し黙った。今日も絶対に勝って貰わないと困るのだ。
「…がんばって下さい」
「…おう、がんばるわ」
杉元は釈然としないような表情で首を傾げながら元の位置に戻っていった。コートのポケットに手を突っ込み、指の先に当たった手の平サイズの紙切れを取り出す。本日の賭金の受領証―金六円也。前回の賭金三円は三倍の九円となって返ってきた。その利益分の六円を、私は今夜全額日本軍チームに張ったのだ。おそらくかなり多くの観客がこちら側に賭けているはずなので、払い戻しの倍率は前回より低いかもしれないが、それでも元金は前回の二倍。今日勝たずにいつ勝つって言うんだ。ちなみに、私が賭けに参加している事を先遣隊のメンツはもちろん知らない。
軽く息を吐いて受領証をポケットに戻すと、不意に視線を感じて顔を上げた。眉を寄せて離れた位置から私を見ている月島さんとばっちり目が合い、口から飛び出そうになった心臓を寸の所で飲み込んで無理矢理笑顔を作った。
「…がッ、がんばってー!つきしまさーん!」
まずい、バレると一番まずい人にバレたかもしれない。疑いの視線を寄越し続ける月島さんが向こうに振り返るのを待った後、今日もまたかばんに仕込んできたフレップワインを取り出し、緊張をほぐすために一口飲んだ。まだボトルには半分以上残っているが、直接口を付けて飲んでしまっているので早く飲み切らなければいけない。二・三口と続けてボトルを煽っていると、辺りが野太い雄叫びに包まれた。
正面のリングに見える両手を上げた大柄な男の背中には、あの暗号の刺青が刻まれている。やはり囚人の情報は正しかったみたいだ。対戦相手側に続いて日本軍チームも次々にコートを脱いでいく。この瞬間の絵面は何度見ても最高だ。
前回と同じように、ロシア語の掛け声が響いた。
その瞬間、私の正面に杉元の背中がぶっ飛んできた。背後にびっしりと詰め寄る人混みのせいで完全に避けることはできなかったが、ワインボトルを頭上高く上げた状態で後ろの誰かに寄り掛かり、なんとか倒れ込んできた柵にぶつかることは免れた。誰かがどさくさ紛れてお尻を揉んだことには目を瞑ろうと思う。
それにしても、今回は苦戦を強いられているようである。刺青の男は説明するまでもないが、他のロシア人三名も前回の対戦相手とは比べ物にならない程動きにキレがある。日本軍チームを疑うわけではないけれど、これは少々、いやとても―。
「…良いッ!」
だってあの鯉登少尉が鼻血を垂らしているなんて、あの月島さんが口の端を切っているなんて。ごめんなさい、看護婦の風上にも置けない不埒な考えだけれど、だってすごく良いじゃないか。銃器を使って殺し合いなんかせずに、こうやって拳で決着を付ける世の中であればどれ程世の女性達が報われたことであろうか。
「日本軍いけーーーッ!」
男達の低い雄叫びに負けないように思いっきり声を張り上げた。飛び散る汗と鼻血をおつまみにすれば、甘酸っぱいワインがぐいぐい進む。鶴見中尉から、お前も同行しろ、と言われた時には死すら覚悟したが、意外にも樺太は私にとって地上の楽園だった。いっそ移住しようか。
刺青の男からきついパンチを喰らいながらも健闘する杉元を除いて、他の三人は各自の対戦相手を無事伸したようだ。特に月島さんの、懐に飛び込んでから蹴上がるように繰り出された渾身のアッパーには、もう失神するかと思う程に痺れた。
「四人同時に殴って来て欲しいッ!」
最後に残った刺青の男は隆々とした太い腕を見せ付けるように掲げると、やけに変態臭いセリフを大声で叫んだ。日本軍チーム四人は後頭部に、両脇腹に、ガードされた頬に拳を何度も打ち込むが、男に膝を突かせる程のダメージはどうやら与えられていないようだ。さらにぶん回した腕でなぎ倒すように反撃され、これは冗談じゃなく少々まずい展開になってきたかもしれない。いや待てよ、とは言え悔しげに荒い息を吐く月島さんも中々見ものである。
畏敬の籠もった観客の雄叫びを一身に受け、まるで勝利のポーズを取るかのように両手を上げる刺青の背中を眺めながら、私は賭けたあぶく銭を未だ諦めきれずにいた。杉元の奴め、絶対勝つって約束したじゃないか。焦る心がさらにワインボトルを傾けさせる。脳内麻薬とアルコールによって淀みだした頭を必死で回しながら、どうにかならないものかと下唇を噛むしかなかった。
その時、杉元が、蹴った。
「……は?」
ばたりと地面に背中を付けて倒れ込んだ刺青の男を見て、私の背後の観客達が怒りの野次を上げ始める。そりゃそうだ、足技はルール違反の筈だ。ぼこすかと味方を殴り始めた杉元は明らかに様子がおかしい。何が起こっているんだ。
「う、わっ…へ…!?」
観客が柵をなぎ倒してリングの中へ次々と乱入していく。その濁流に巻き込まれて前線へと押し出された私は、杉元のパンチによって飛んでくるロシア人を死ぬ物狂いで避けながら、人と人の隙間からわずかに見える日焼け肌目掛けて腕を伸ばす。あれ、なんだか頭がぐらぐらする。
「っ、名前さんか!?」
「こいとしょおおいー!助けてえー!」
「おいッ、その瓶まさか!」
両肩を掴まれ、ぐわんぐわんと前後に揺さぶられた。やめてくれ、しんどいしんどい。
「杉元!ホントにこれが妙案なんだよな!?」
後ろへ振り向いた鯉登少尉が何か叫んでいるが、もう妙案だとか何だとかよく分からない。いいから私の六円のために勝ってくれ。
急に、ぶんっ、と空を切る音が聞こえたと思ったら、私が持っているフレップワインのボトルに衝撃が走った。ガラスが破裂するように散る音、途端むわりと立ち込めるアルコールの匂い。ぼんやりとした頭でボトルネックを引っ掴んでいる手を顔の高さまで上げる。ボトルの下半分が、無い。
「あ"ーーー!あたしのフレップワインがっ!」
しん、と静まり返った辺りに私の絶叫がこだました。
「これは『妙案』じゃありません!『殴られ過ぎ』です!」
月島さんのひと声で、観客達が蜘蛛の子を散らすように建物の外へと飛び出していく。指が食い込むくらいに強く掴まれた肩が鯉登少尉によって引っ張られ、よく分からない内に出入り口の方へと連れて行かれた。一瞬振り返って見えた室内では、杉元が刺青の男に向かって鎌を振り回していた。
そのまま建物から離れようとする人の波に乗って外へ出て来た私達は、建物の側面を回り込み、ちょうど入り口の反対側にある薪置場まで辿り着いた。うっすら汗ばんだ首筋を氷点下まで冷えこんだ風が撫でて、その温度差に思わず肩を震わせる。そんな私より絶対寒そうな鯉登少尉は、高く積み上げられた薪木の山の陰に私をしゃがみ込ませた。
「な、何がおこってるんですかぁ」
「いいからここに隠れていろ!分かったな!?」
結構必死な形相の鯉登少尉は、そう言い残して元来た道を走って行った。すげえ足速いなあ、あの人。
「…さっむー…」
肩を震わせながら、未だに掴んだままのワインボトルの残骸を見つめた。お酒はこういう時にこそ飲まなくちゃいけないのに。割れてギザギザになったガラスの断面は中々の凶器になりそうだった。そういえば、これは誰にやられたんだろうか。私のフレップワインを、一体どこのどいつが―。ふと、最後に見た室内の様子が頭の中に蘇った。鎌を振り回す杉元、『殴られ過ぎ』、まさかあいつ、私を攻撃しようとして?
「…杉元佐一め…!」
絶対勝つという約束を反故にした挙げ句、この私に牙を剥くなんて絶対に許されるはずない。重いかばんを地面に滑り落とすと、割れたワインボトル片手に立ち上がった。あの男に、天誅を下してやる。
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最初の銃声が聞こえてきた方向へひた歩いていると、さらに近くでもう一発の銃声が鳴り響いた。やはりこっちで間違っていないようだ。
暗いながらも、月明かりが雪に反射して辺りの視界は透っている。向こう側には二人の男の影、近付いていくごとにその背中と胸部に彫られた刺青、そして軍帽のシルエットがはっきり浮かび上がった。思いっ切り胸いっぱいに息を吸い込む。
「ッ杉元佐一いいぃ!!」
絶対に聞こえるはずの音量で名前を叫んだつもりだったが、杉元は私の方には目もくれずに刺青の男とリベンジマッチを勝手に始めたやがった。心の底から腹が立つ。こんな所でスチェンカしたって、私の六円を返って来ないんだ。通常の歩みから早足に、そして駆け足から全力疾走へ徐々にスピードを上げ、場外乱闘を繰り広げる男二人の下へと
「なっ、鶴見さん!?こら止まれッ!」
「ぎゃッ」
全力疾走中に腕を掴まれるとどうなるかと言えば、勢い付いた足だけが先走って、もちろん後ろ向きにずっこける。しかし盛大に尻もちをつくかと思いきや、落ちていく背中をがしりと受け止められたおかげで、どうやら赤っ恥は免れたようだ。
「何やってるんですか!」
「…月島さん?…うん?」
第三の刺客を秒で阻止したのは月島さんだった。地面に片膝を突いて私の上体を起こしてくれているのだが、しかしどういう訳か全裸である。絶妙な角度で上げた太ももが上手く急所を隠している。二度見しても瞬きしても、やっぱり履いてなかった。
「…ぶっ、ちょっ、履いてないじゃないですか!全然安心できない!」
「…何の話ですか」
「とっ…とにかく明るい…月島ッ、あーはっはっは!ひっぐ」
本来ならおいしいかもしれないシチュエーションだというのに妙にツボってしまい、そのまま地面にうずくまってヒーヒーと笑い続ける。だめだ、楽しすぎる。
「放っておけ月島、その人は酔っ払ったら手が付けられん」
頭上で鯉登少尉の声が聞こえ、土下座のような体勢のまま顔だけ横に向けると、地面すれすれの視界に日焼け肌の生足が映り込んだ。
「ぶふっ…鯉登少尉は履いてます?」
そのまま目線を上げていくと、鯉登少尉は寸前のところで慌てて地面にしゃがみ込み、ぴったり揃えられた両膝に隠れて肝心な所は見えなくなった。
「じろじろ見るなバカタレがッ!」
「ほらやっぱ履いてないんじゃん!あははは!」
笑いすぎて震えだした膝は自分の体重を支えきれず、私はごろりと横向きに地面の上へと寝転がった。雪はこんなにも冷たいのに体は火照っていた。ぴくぴくと痙攣する腹筋を手の平で撫でながら、奥で未だに続いている杉元と刺青の男の場外乱闘をボーッと他人行儀に見つめる。
杉元の右フックが、しっかりと頬にハマった。
刺青の男が右膝を地面に突いた時、体を張った渾身のギャグによって潰えかけていた私の闘志が再び燃え上がるのを感じた。条件反射のように素早く体を起こし、離しかけていたボトルネックを再び握りしめる。そのままクラウチングスタートの要領で地面を蹴った。そいつが終わったなら、第三の刺客が相手だ。
「杉元ッ!次は私だーー!」
四つん這いで走る獣のように足で雪を蹴り上げながら猛進する。制止の声が聞こえてきてはいたが脳みそにまでは届かなかった。靴底のグリップが妙に硬い雪面に到達した時、後ろから肩を掴まれるのが早かったのか、それとも地面が割れる方が早かったのかは分からないが、とにかく水しぶきを浴びながら、痛みとも痺れとも取れる感覚が足先から胸元までを一瞬の内に支配した。その言葉の通り私は凍りついて、すぐに意識を失ったのだった。
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暑い。すごい湿気だ。こんなに汗をかいているというのにご丁寧に首元までぴっちりと掛けられている布団を引っ掴んで捲ろうとすると、誰かに手を押さえられた。こんなに暑いのに布団なんかいらない。押さえられていないもう片方の手で腰の辺りから布団を引き剥がす。これで下腹から太もも辺りが布団から出たはずだが、涼しくもなんともなかった。また誰かの手によって布団が腰に掛けられる。一体誰だ。こんなに暑ければ風邪なんて引くわけないじゃないか。
「鶴見さん」
頬が軽く叩かれる。
「起きて下さい」
シヅさん、あと五分だけ――違う、シヅさんじゃない。シヅさんは"鶴見さん"なんて呼ばない。ばちりと音がしそうな勢いで瞼を全開にすると、ものすごく複雑な表情で私を見下ろす月島さんと目が合い、一瞬で逸らされた。
「…月島さん?」
「……それ、捲らないようにして下さい」
"それ"とはなんだろうか。どうやらベンチの上で寝そべっているらしい自分の体を見ると、私が普段着用している濃紺のロングコートが全身を覆い隠すように掛けられていた。暑さでぐらぐらと揺れる頭を押さえながらゆっくり上体を起こすと、素早く胸元に飛んできた月島さんの手が、今にもずり落ちそうになっている湿気たコートを掴んで、私の鎖骨辺りに押し当てた。何でそこまでコートに拘っているんだろうかと不思議に思って、自分の胸元に視線を落とす。月島さんの手が掴んでいるコートの生地、そしてその両端からチラ見えしている自分の横乳が視界に入った。
「…えっ、…は?」
「早く自分で押さえて下さい!」
「す、すみませ、え?」
なんで私は何も着ていないのだろうか。コートの生地を強引に掴まされ、そのまま大人しく仰向けの状態へと体を戻すと、急いで肩まですっぽり覆い隠した。数え切れない程の疑問が頭の中をぐるぐる回っている。
まず、このバカみたいに暑苦しい部屋は一体どこだ。顔を横に向けて部屋を見渡すと、奥のベンチに掛けている杉元と谷垣一等卒、そして一段上がった場所で寝転ぶ鯉登少尉が全員同時に目を逸らした。もれなく全員全裸で、榊を束ねたような物で股間を隠している。一体何事だ。
「…あの、ここは一体?」
「ロシア式蒸し風呂・バーニャですよ、お嬢さん」
小窓の付いた壁に面するベンチに目を向けると、刺青の男が絶妙な具合に足を組んでこちらを見ていた。そのナイスアングルがトリガーとなり、死ぬほど冷たい水面に落ちて気を失うまでの記憶が堰を切ったように流れ込んできた。うわあ、私またやらかしたよ、しかも樺太で。両手で顔を覆って溜息を吐きながら、特定の誰に向けたものでもない、多大なご迷惑をお掛けしたすべての関係者様に向かってくぐもった謝罪の言葉を呟く。
「……すみませんでしたあ」
「もう一滴たりとも飲むな、分かったな」
鯉登少尉の呆れ声が降ってきた。本当にこの人には毎度酔っ払った私の尻拭いをさせっぱなしである。最早かわいそうだが、そういう運命の下に生まれてきたのかもしれない。善処はするが諦めてくれ。
問題はこの人、私が寝そべっているベンチの、ちょうど頭側の真隣に腰掛ける月島さんだった。とにかく明るい月島呼ばわりしてしまった事はもちろんはっきりと記憶に残っている。きっと訳は分かっていない筈だが、もうなんであんなにツボってしまったんだろう。
それに、先程は言うことを聞かず体を起こそうとした私のコートを必死でガードしてくれた。あの時ばっさり盛大におっ広げていたらどうなっていたことか。危ないところだった。
――いや待てよ、そう言えばまだ寝ぼけている時に、私は盛大に腰の辺りを捲り上げなかっただろうか。まずい、絶対やった。震える両手で首元に掛かるコートの端を少し持ち上げて、恐る恐るその中に視線を送った。
胸は完全にノーガード、そしてへそのさらに下は――安心しました、履いてます。
「…さすがにそれは取ってませんよ」
頭上で月島さんがポツリと呟いた。頭を上に向けて声がした方へ視線を遣ると、こちらを頑なに見ようとしない月島さんの頬はかなり赤かった。なんせここはロシア式蒸し風呂・バーニャだ。私を含めた全員の顔はもれなく真っ赤で、汗もだらだらとかいている。いくら私の心臓が通常の二倍の速度で打っていようと、まさか私の服を脱がせたのが月島さんだったなんてと考えていようと、きっと誰にも分からないはずだ。