Chapter 3: 夕張編
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映画でよく見るような馬を高速で走らせて大陸を旅をするシーン、あれは実現不可能なフィクションであることを、この日初めて知った。馬はたとえとぼとぼ歩きであろうと二・三時間おきに休憩させないと過労死してしまうらしいのだ。全力疾走させた場合、特別な訓練を施していない限り五分も持たないそうだ。そう教えてくれた鶴見中尉は、現代の主要交通手段について私に質問してきた。最初は多少ぼやかして抽象的に答えようとしていた私だったが、華麗な誘導尋問には抗えず、最終的に、現代の北海道では都市部以外の人口減少により鉄道網が衰え自家用車での移動がメインであることまでを明らかにしてしまったのだった。
今思えば、ちゃんとした乗馬服でまた月島さんとタンデム、などと嬉々としていた自分が馬鹿らしい。最初の三時間で慣れない揺れと闘うため肩・背中・腹など上半身すべて筋肉全てを酷使し、気付いた頃には月島さんにもたれかかっていないと馬の上に座っていられない程体がバキバキになってしまっていた。
しばらくすると、街道を進む私達は大きな街に差し掛かった。中心街を避けるため山側に面した郊外の道へと迂回する。このもうすぐ通り過ぎてしまう街の名前を月島さんに尋ねると、なんと札幌であった。ここ最近あのいわくつきのブレスレットの事をすっかり忘れていたが、月島さんは果たしてまだ覚えてくれているのだろうか。ちらりと振り返ると肩越しに目が合い、腕飾りはまた次の機会でいいですか、と先手を打たれた。ちゃんと覚えていてくれたことが嬉しくて、私は前を向いて一人にやにやしながら、また今度ですね、と答えた。
休憩も含め、たっぷり十時間かけて中継地点の長沼に到着したのは午後四時頃だった。手近な宿にチェックインし、早めの夕食を取った後、私は翌朝まで泥のように眠った。
二日目、朝六時頃宿を出発。一晩明けても癒えきらなかった筋肉痛の体で再び馬によじ登り、月島さんに背中を支えられながら夕張への道のりを急ぐ。あれだけ眠ってもまだ私の体はさらなる休息を求めていたようで、途中なんと月島さんを背もたれにして居眠りしてしまった。意識が戻った時には月島さんの右腕がまたシートベルトのように腰に回されており、あなたは懲りないですね、と呆れた声で言われた。どうやら私は寝てる間にずり落ちかけたようだ。
寝ぼけ眼で辺りを見回すと、かなり風景が変わってきていることに気付いた。夕張川に沿って敷かれた線路と並行したなだらかに上昇する道を奥に進む。途中で一台の機関車が蒸気を撒き散らしながら轟音を立て、積荷の石炭を運ぶため線路を下って行くのを見た。この時代に来て三ヶ月と少し、小樽の限られたエリア内で暮らしてきた私にとって、今回の遠出は新体験の連続だ。未来から来たはずなのに、ここにあるすべてが新しい。おかしな話でもある。
「ここが…夕張」
賑やかな本通り沿いから一本裏道に入った所にある宿の前で止まり、敷地奥にある馬屋に馬達を繋ぎに行く。馬屋番の男が私達の姿を確認すると、一礼をしてこちらに駆け寄り手綱を受け取った。月島さんは鶴見中尉に向き直り、それでは先遣隊と合流して参ります、と告げて再び裏通りの方へ消えた。
「私達はどうしますか」
「宿に荷物を置いて本通りでも見て回るか」
また"デート"だ、と鶴見中尉が笑った。
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「人が多いですね」
また鶴見中尉と腕を組みながら本通りを歩く。立ち並ぶ商店に、道端で物を売る露天商、そして大人だけではなく子供の数も多い。これから全盛期を迎えるであろう炭鉱の町。
「現代では、ここからも人が居なくなるのか」
「…そうです。石炭を掘らなくなりますので」
これ以上はできれば明かしたくない。しかし確認するまでもなく、鶴見中尉はぎらぎらした目で私を見ているのが肌に刺さる視線の感触で分かった。
「遠くない将来、主要エネルギー源は石油に置き換えられます」
「…成程。その内国外に石油を求め、西洋と陣取り合戦になる、か」
この人は本当に怖い。一つの切り取られたピースから全体像をいとも簡単に割り出してしまうのだから。
私は人を殺す手助けはしたくない。ただこの人達に生きていて欲しいだけ。しかし、血みどろの道を行く彼らを守るためには、立ち塞がる人を斬り伏せていくしかないのだ。看護婦として命を救いながらも、私の入れ知恵がきっと人を殺すことになる。
「そう暗い顔をするな、名前」
鶴見中尉が絡んだ私の腕を、ぐい、と引き寄せる。細められたその目はからはやはり感情が読み取れなかったが、そんな表情ですら私にとっては日常の一部、私の心を安定させる一つの要素となっていた。
「見てごらん」
鶴見中尉が前方に視線をやる。丘陵の斜面に沿って広がる多くの家屋、工場の様な大きい建物、煙を吐く煙突。古く、でも新鮮な、見たこともない風景。
「君が"現代の昔"に来た時と、どう違う?」
鶴見中尉が私を見下ろしながら言う。そもそも、何故今回私を夕張に連れて来たのかずっと疑問には思っていたが―以前日常会話の中で何気なく伝えた
「…全く、違います」
私の亡くなった祖母が住んでいた町、それが夕張。
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兄ちゃんは床に散らばったミニカーを二つ拾い上げてショートパンツのポケットに詰め込むと、小走りに玄関の方へ駆けて行った。"コウくんち"に遊びに行くんだろう。一人リビングに取り残された私は、立ち上がってキッチンへと向かう。喉が乾いたので何か飲もうと、薄緑色の古びた冷蔵庫に手を伸ばす。ここで私はあることに気がついた。私の視界は低く、冷蔵庫の取っ手に伸ばす手はあまりにも小さい。体全体を使って引っ張る様にドアを開けると、ドアポケットに缶ビールとペットボトルのぶどうジュースが入っていた。私の意識は完全に缶ビールへ向かっていたが、この小さい手は意思に反してぶどうジュースへと伸ばされたのだった。この小さい私は、私であって私じゃないようだ。
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「…また、この夢」
この時代に来てから、たまに同じような夢を見る。驚いたことにこの夢は毎回ストーリーが続いているのだった。どこか懐かしい、あの場所はどこなんだろう。
夕張に到着してから早数日、鶴見中尉と月島さんは日が暮れる頃に揃って宿を出て、夜が明ける前に帰って来る。小銃を持って軍服のまま出掛けているので、夕張くんだりまで来て夜遊びという訳ではなさそうだ。そんな生活のせいか二人は昼前にならないと部屋から出てこない。つまり、私は暇である。ぐっ、と両腕を上げてストレッチし、掛け布団を足元に折り重ねる。
「よし、一人で出掛けよう」
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晴天、なんともすがすがしい日だ。本通りの人混みをすり抜けながら、ふらふらと当てもなくさまよう。こんな風に一人で自由に行動するのはいつぶりだろうか―少なくともこの時代に来てからは一度も無かった。
「あなたに、とって私、只の、通りすがり」
小声で旅人の歌を口ずさみながら歩いていると、ふと何の変哲も無い曲がり角に目を奪われた。見覚えがあるような気もするがそうでもないような、そんな感覚を覚え、特に目的があるわけでもないので行って確かめることにする。
その曲がり角に近付き、奥に続く小道を眺める。やはり既視感がある。もしかして祖母が住んでいた家へと続く道だったりして、と心の中で冒険心が頭ももたげる。そのまま奥に進んでみることにした。
小道は緩やかなカーブを描きながら山の方へ繋がっており、道沿いには小さな家屋が所狭しと並んでいる。住宅街のようだ。木箱をひっくり返してその上でめんこをする子供達を眺めながら、山の方に向かって足を進める。
どんどん家屋と家屋のインターバルが遠くなり、最後の一軒を右手に通り過ぎた所で、小道の先は雑木林によって塞がれていた。妙な衝動に駆られ、目の前の木々に分け入っていく様に足を踏み入れようとしたところで、後ろから聞き慣れた声が私を呼んだ。
「鶴見さん」
振り返ると、数メートル離れた所で、風呂桶を小脇に抱えた月島さんがこちらを怪訝そうに見ていた。
「何やってるんですかこんな所で」
「…探検、ですかね?」
「こっちが質問してるんです」
呆れた様に溜息をついて肩を落とした月島さんがこちらに近付き、生え茂る雑草に足を取られそうになっている私に手を差し伸べてくれる。
「奥に何かあるんですか?」
「いや、何でも…ちょっと気になっただけで」
月島さんの手を取って小道まで戻り、雑木林を振り返る。
「私、実は夕張には来たことがあるんです」
「…あなたが言う"現代"で、ですか?」
「はい、それでももう二十年前ですが。亡くなった祖母がこの辺に住んでいた筈なんです」
勘が告げているが、恐らくあの祖母の家はこの雑木林の奥―後になってもう少し奥まで切り開かれた後に建てられたのだろう。
「この腕飾りの、お祖母様ですか」
月島さんがジャケットの胸ポケットから壊れたままのブレスレットを取り出し、指先で摘んで目の高さにまで上げる。太陽の光に反射して緑の石がきらきらと輝いた。
「ずっと持っていて下さったんですね」
「失くすな、と言われたので、あれからここに入れっぱなしですが」
私のブレスレットはあれから月島さんの胸元を離れずずっと一緒だったようだ。うらやましい。
「実はそれ、祖母がくれたわけじゃないんですよ」
「でもお祖母様の形見なのでしょう?」
「…小さい時に祖母の家から勝手に持って来ちゃったんです」
月島さんが、じろり、とブレスレットに視線を戻す。
「私は盗品を掴まされた、ということですか」
「変な言い方しないで下さい!」
私が声を上げると、月島さんがからかうように微笑んでからブレスレットを胸ポケットに戻した。