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「カズキ、考え直しなさい」
いつもは賑やかな部屋に母親の鋭い声が響く。
しん、と静まり返って更に緊張感が漂う。
リビングに母と父、そしてカズキが向かい合うように座っており、少し離れたソファの隣にキルリアは足を抱えて座っていた。
なんとなくそばにいてはいけないことを察して。
カズキは母親の威圧に屈することなく目を見据えて前を見ている。
父親は真顔を保ってはいるが母親の方をちらちらと見ている。
「もう一度言います。今すぐ進路を考え直しなさい。」
『嫌だ。俺はポケモンといることを選ぶ。中学を卒業したらキルリアと一緒に旅に出てポケモンの研究に励みたい。』
カズキはそう言ってまた母親を見据えた。その視線は決意は固まっているように見える。
張り詰めた空気の中、母親はしばらくカズキを見たあとに折れたかのように眉間を抑えて深く深くため息をついた。
そのタイミングで父親は立ち上がってキッチンの方へと向かっていった。父親に気付いたキルリアはそれを見て追いかけキッチンへと入る。
キッチンでは父親がコーヒーを入れるためにお湯を沸かしていた。キルリアは手馴れたようにコーヒー豆を棚から取り出し父親の方へと渡す。
「ありがとう。僕よりキッチンのこと知ってるね」
そういって父親はくしゃっと笑ってキルリアの頭を優しく撫でてコーヒー豆を煎り始めた。そこへ沸騰したお湯をゆっくりと注ぐとコーヒーの良い香りが漂う。くんくんとキルリアはその匂いを堪能してから手を伸ばしておぼんにコーヒーカップを並べて持ち上げる。父親は一緒に食べようと棚からチョコをお皿に盛り付けてキルリアの後ろを追いかけた。
その頃も険悪なふたりのもとへ来たキルリアは自分用の椅子に膝を付いてゆっくりとコーヒーを置く。その間も2人には会話が全く無く母親は手を合わせて拳の上におでこを乗せて考え込んでいた。静かにその母親の前にコーヒーを差し出す。
カズキの元へコーヒーを置いたときカズキもキルリアの方を見ていて目があった。目があったカズキは切なそう眉を下げてキルリアを見てゆっくりと父親と同じように優しく頭を撫でた。
父親の時よりも胸が高鳴って嬉しい気持ちになる。
それと同時に父親も机の上にチョコレートを置いた。
キルリアは父親からポケモン用のお菓子を手渡され「もう少しだけ待っててね」と離れたところを指差していた。
カズキをちらっと見るがカズキはもう目を閉じてコーヒーを口にしていた。コーヒーの匂いが漂うこの部屋は未だに緊張感も漂っていた。
「ポケモンの研究は…あなたがしなくても幾千もの博士や研究員がいるわ。わざわざ中学卒業してからでなくとも高校、大学で学んでからでも良いでしょう?それともそんなに家を出たいのかしら」
「お母さんそんな言い方は…!」
『俺はもっとポケモンの知識を広げたい。学校に通って学びを深めるのもありだとは思うが実際に研究している人の近くで学んだほうがわかることもあるしポケモンに実際に触れながら学んでいける』
母親の言葉にも動揺をひとつ見せずに淡々と喋るカズキ。
カズキの言葉に空気がピリッと火花を散らしたように見えた。
その様子にすぐさま気付いた父親は母親の方へ向き直り抑えようとした、その時バンッと机を叩いて母親が立ち上がった。その衝撃でコーヒーカップは倒れ机一面に真っ黒な液体が広がり、椅子は後ろへ吹っ飛び壁へと転がっていった。
「あんた世の中なめてんの???!!高校も出てないクソガキが研究員になれるわけないでしょう?!あんたそのまま学校卒業して家を出て研究室へ面接に行ってみなさい、追い出されるに決まってるでしょう??!夢で現実に目を背けるのはやめなさい!!!!」
母親の怒声が響き渡る。
父親が必死に母親を抑えなだめようとしている。
怒鳴られているカズキは母親と目を合わさず下を向いて唇を悔しそうに噛み締めている。心なしか噛み切って血が出ているようにも見える。
母親はひとしきり怒鳴り終えると髪をかき上げて息を切らして飛ばした椅子を取りに行く。
机に零れたコーヒーをキッチンにあった手拭きのタオルで拭く父親。コーヒーが染み込んだタオルを見て苦笑いしながらゴミ箱へと捨てる。おそらく洗っても取れないだろうという判断だろう。キッチンにあるタオルが母親のお気に入りではないことを確認した上で拭いたことがわかる。
タオルを捨てた父親がキッチンから戻る頃には母親は椅子へかけ直してチョコレートをつまんで食べていた。カズキは変わらずに下を向いたまま動かない。
キルリアはカズキの様子を見てたまらず駆け出していた。カズキの隣に寄り添い背中を擦る。
「き、キルリアもう少しだけ我慢してくれるかな?」
父親がそう言ってキルリアの手を取って少しだけ引っ張る。
キルリアが抵抗しようとしたその時、カズキは父親の手を叩きキルリアを自分の方へと抱き寄せた。
『キルリアに触るな』
それがカズキが家族に見せた少しずつ芽生えていたキルリアへの執着心であった。
過去の僕と、彼女(1)
過去の僕と、彼女(3)
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