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第1章

 点々とある水たまりを避けながら、ゴールドはいかりの湖へ向かう。向かう途中でちらちらと目の端に写るのは、黒い服を着た怪しげな人物たちだった。例のRの文字は視認できなかったが、こちらを伺う目はただ者ではない。とにかくゴールドは湖へ急いだ。
 轟音。
 いや鳴き声。
 地面が揺れた。木々が揺れ、野生ポケモン達が悲鳴を上げながら物陰へ隠れていく。
 ゴールドが我に返ったのは、頬を汗が伝った時だ。腹の底に響くような轟音、足から這い上がる揺れに思わず意識を飛ばしかけていたのだ。
 ゴールドは腹に気合を入れるように深呼吸をし、汗を拭って歩きだした。
 この時からゴールドの頭によぎっていたのは、あの黒いバンギラスだった。


 木々が避けるように並んでいる。急に開けたそこには、濁った湖、そしてその真ん中には。
 あ、か。
 赤。

「赤い……ギャラドス?」

絞り出すように出した言葉は間違っていない。湖の中心でぐったりとしているのは、真っ赤な体のギャラドスだ。

「どう、して……色違い、か?」

湖の平和を脅かす意外な存在にゴールドは立ち尽くす。そんな姿を目の端に捉えたギャラドスは、突如そのもたげた顔を上げ、地を裂くような唸り声を上げた。

「っつ!?」

凄まじい風圧がゴールドを襲う。しかしそれだけでは終わらない。ギャラドスはゴールドに向かって来たのだ。
 その目は血走り、ただ言い表せないほどの殺意が込められている。

「う、うあああああ!?」

咄嗟にゴールドはボールを取り出した。


 ― 青年は辺りを見回した。人はおろか野生のポケモンすら居ない。不気味な程静かなそこで不規則に聞こえてくるのは唸り声。その声はまさに地獄の底から這い上がってくるようだった。
 隣に立つカイリューはその殺気に当てられかけていた。諫めるように頭を撫でてやる。このカイリューは青年が幼い頃から一緒に居たポケモンで、少しの事では動じないし、そのような性格はしていない。そんな彼がここまで息を荒くしているということは、相手はそれほどのものなのだろう。
 慎重に、されど迅速に解決しなければ。そう思った矢先だった。先ほどの唸り声に交じって聞こえてきたのは、子供の声。

「っ!?」

慌てて声の方を向けば、そこには、あの湖が。

「行くぞカイリュー!」

青年は相棒の背に乗った。


 カポエラーのトリプルキックを悠々と受け止めたギャラドスは、驚いているカポエラー目がけて“りゅうのいかり”を放つ。閃光と爆音、気が付いた時にはカポエラーは水面に浮いていた。

「ごめん! カポエラー!」

ゴールドは素早くカポエラーをボールに戻した。
 今戦っているのは水中に居るアリゲイツ、岸からはピカチュウ、エレキッドが電撃を放っている。ウソッキーは既に瀕死状態でボールの中、ピチューもレベル不足で待機させられている。
 強かった。それはあのバンギラスを、未来さえも変えてしまうあの力を思い出させるほどに。ギャラドスは勢いすら衰えず、狂ったように“りゅうのいかり”で辺りを散らす。水中のアリゲイツはギャラドスの動きで不安定な水の動きに翻弄され、岸辺のピカチュウ達も攻撃を避けるので精一杯だった。
 打つ手が無かった。
 バンギラスの時のように、誰かが手を貸してくれる訳でもない。
 絶望的。
 その三文字が相応しい状況だった。
 それでもゴールドが引かないのは、もはや意地なのかもしれない。ポケモン達も、まだ諦めの色を見せていない。
 自分たちならやれる、そう今までの旅が物語っているのだ。だからこそゴールドは頭を動かし続けた。勝算を見つけ続けた。
 と、その時。

「……―え」

一瞬、辺りは止まった。ポケモン達もゴールドも、その光景に立ち尽くした。
 泣いていたのだ。
 ギャラドスは涙を流していた。
 あの血走った殺意の瞳から、涙が溢れている。
 その時ゴールドはようやく、ギャラドスの姿をきちんと見た。その恐ろしい巨体は傷だらけだった。しかも殆ど癒えていない。生傷だらけのその体は、先ほどまで暴れていたとは思えない程、弱弱しく映った。
(あ……―)
ゴールドは息をのんだ。そして、顔を歪めた。
(おいらは……おいらは何てことを)
ゴールドは走り出した。心配するピカチュウ達を他所に、彼は湖に飛び込んだ。
 その音に反応して、ギャラドスは再び“りゅうのいかり”を放った。咄嗟にアリゲイツがゴールドに体当たりをして、直撃は免れた。しかしアリゲイツはぎょっと彼を見た。彼は、頭に怪我を負い血を流している。それだけではない。
 泣いていた。
 ゴールドは涙を流していた。

「ごめんなぁ」

ゴールドはよろよろと、湖を泳ぐ。必死にギャラドスに向かっていた。意図を理解したアリゲイツは、付き合いの長いそのトレーナーを支え、泳いだ。
 二人はギャラドスに近づいた。ギャラドスは困惑して再び攻撃しようとするが、岸のピカチュウ達が必死に鳴き、それを制止した。

「ごめんな、ギャラドス」

ゴールドはそっとその傷だらけの体に触れた。巨体はびくっと飛び上がるも、その穏やかな手つきに、暴れる事はしなかった。

「おいら、おいら達、これに気付いてやれなくて」

ゴールドは優しく、優しく傷を撫でた。

「痛かったよな、誰かに傷つけられて」

その傷は明らかに何者かによって付けられた傷だった。

「こんなにひどい事されたんじゃ、怒るのも仕方ないよな」

ゴールドは声を震わせた。

「傷つけてごめん。本当に、ごめんな」

誰に傷つけられたかは分からない。けれども謝らずにはいられない。

「なあ、これ、治そう。もう痛いのはイヤだろ?」

差し出した、一つのボール。

「少しの間だけ、ここに入ってくれないか? お前の傷は必ず治す。だから、だからほんの少しだけ……」

ゴールドは真っ直ぐ、ギャラドスの目を見た。

「おいら達を信じてくれ」

ギャラドスはゴールドを、そして周りのポケモン達を見た。今までガラスケースの中で見てきた世界は、人間たちがポケモン達を苦しめる姿だけだった。人間はポケモンを悲しませる存在、それが真実だと思っていた。
 けれどここに居る人間とポケモンは違った。お互いに助け合い、今度は自分を助けようとしてくれている。
 救い。
 ギャラドスはそれを彼らの瞳に見た。
 大きなその頭をもたげ、ゴールドの差し出す手に近づける。
 ようやく終わる、そう確信しながらギャラドスはボールの中へ入っていった。


 ゴールドはそのボールをアリゲイツに手渡した。微笑む相棒に彼も笑みを返し、そして。

「や、った」

沈んだ。
 血を失いすぎた頭は朦朧とし、彼の体は簡単に水底へ向かう。アリゲイツは驚いて彼を追うも、満身創痍の体では動けなかった。ピカチュウ達も思わず水に飛び込んでゴールドを追う。
 その時。一本の線が水中をすり抜けた。
 いやポケモンだ、ハクリューだ。
 ハクリューは悠然と水の中を駆け抜け、少年の体に巻き付いた。そして滑らかな動きで浮上したのだ。

「やれやれ」

岸辺に立つ、ハクリューの親トレーナーは。

「無茶をする子だ」

マントを羽織った赤毛の青年だった。


「へっくしゅん!」

豪快なくしゃみ。ゴールドは毛布に包まりながら、鼻をかんだ。青年と共に一旦ヤナギの家に帰ったゴールドは、弟子の治療を受けていた。出血が酷いだけで、傷そのものは浅い。

「ギャラドスも君のポケモン達も、ポケモンセンターに預けてきたよ。ギャラドスは全治二週間、君の手持ちは明日にでも全快だ」
「よかったあ、ありがとうございます。えっと」
「ワタルだよ、ゴールド」

青年はゴールドの探し人だった。カイリュー使いのワタルはギャラドスやチョウジタウンの噂を聞いてやって来たらしい。ワタルは手当てを受けるゴールドの代わりにポケモン達をポケモンセンターに送った所だった。

「全く本当に無茶をしたね」

治療を終えた弟子が思わず苦笑する。

「しかし」

その隣でヤナギは静かに、そして力強く言う。

「君のおかげでギャラドスも、この町に住む者も救われた。心から礼を言おう」

ギャラドスの事を知ってたんだ、とゴールドは小さく呟いた。それに対してヤナギは重々しく頷く。弟子はすかさず続けた

「ゴールド君、どうかこの町の人々を悪く思わないでくれ。皆あのギャラドスの事は心配していたんだ。でもあまりにも力が強すぎて、それに……」
「分かっているよ! 怪我人が増えちゃ大変だしな!」

にっと笑うゴールドに、それでもヤナギは静かに続けた。

「それに我々があの子に手出しを出来なかった理由はもう一つある。それは」

ロケット団。


 ヤナギ曰く、この町に謎の黒ずくめ集団が蔓延り始めたのは一年前だ。奴らは町におかしな機械をどんどん持ち込み、その影響か、住民やポケモン達の中に体調不良を訴える者が増えていった。赤いギャラドスが現れ始めたのもその頃だった。当初はヤナギや住民たちで保護しようとした。しかしそのあまりの凶暴さに手を焼いていた。黒ずくめ集団に町を出るよう訴えても、後日力の弱い子供や年寄りが暴力を受けてしまうのだった。彼らを人質に取られた住民は下手な動きが出来ず、皆家の中に閉じこもってしまうようになったのだ。

「ヒデェ……」

あまりの事にゴールドは思わず血の気を失ってしまった。

「私の怪我も、実は彼らにつけられたものだ」

湖に向かう途中だったヤナギは、黒ずくめに暴力を振るわれていた子供を庇ったらしい。

「彼らがロケット団らしい、という噂が立って、ますます手出しが出来なくなってしまったという訳だよ」
「だから俺が来た」

弟子の言葉に、一人佇むワタルが言った。

「俺はこの町やギャラドスの事を聞いてやって来たんだ」

ワタル曰く、この町では不可解な電波が頻繁に観測され、それは時に人体やポケモンの体にも影響するらしい。そしてそれはロケット団がこの町に現れ始めた頃から観測されている。彼はその謎の電波を止める為にここに来た。だから、と彼はゴールドの方を向いた。

「すまないがカイリューは暫く貸せない。貸してあげたいがな。先にこの町を解放しなければならない」

ワタルの凛とした面持ちには、言い表せないほどの凄みがあった。ロケット団に壊滅に強い思いを抱いている事が分かった。その言葉に、空気に、ゴールドは毛布を投げ出さんばかりに立ち上がる。

「おいらも手伝うよ!」

一瞬の驚き、しかしそこに居た三人は彼のその言葉を予想できていたのかもしれない。
 弟子は心配そうに腰を浮かせ、ヤナギはそれを静かに止めた。ワタルの方を見るよう弟子を促す。ワタルは厳しい面持ちでゴールドを見つめていた。手負いでありながら、その瞳には何者にも屈しない強い光が灯っている。
 ワタルはふっと笑う。

「実は俺の方から誘うつもりだったんだよ」
「えっ」
「あのギャラドスを力ではなく、言葉で救った君には、ぜひこの戦いに参加して欲しい」

ゴールド、とワタルはその肩を叩いた。

「一緒にこの町からロケット団を追い出そう」

ゴールドの瞳は黄金に輝いていた。

「はいっ!」
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