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第2章

 最上階に響き渡るのは男の声だった。困惑して辺りを見回すゴールド達に対して、ブラックとグレイは目を見開いて天を仰いでいる。その低音は鼓膜を通り脳髄にまで響き渡るようだった。そして目の前に鮮やかに甦るものは、あの絶対的な背中だ。
 その声は制御室で座り込むローザや、各階の下っ端達にも聞こえていた。皆、驚愕の顔を室内のスピーカーに向けている。
 そして声は再び。

『三年ぶりだな、同志諸君』

その声は確かに、あの人だった。
 Rを掲げる者たちは、皆口を揃えてその名を呼んだ。

「サカキ様……!」

制御室のローザも、最上階のグレイも焦がれていたその名を噛みしめるように呼ぶ。
 対照的にワタルとゴールドは血の気を失っていた。まさかボスが帰ってくるなんて。このままではこれまでの戦いが全て無駄になってしまう。即座に動いたのはワタルだった。グレイの腕をぱっと離すと、声の元へ向かおうと走り出す。
 声の主はそんな彼らを無視して続けている。

『これほどまで大きな計画をよく実行した。さすがは私が見込んだ部下達だ』

称賛の言葉が文字通り天から降ってくる。グレイは思わず目を潤ませ、恍惚の笑みをこぼした。

「ボス……! ああ、本当にサカキ様だ……!」

グレイも、ローザも、下っ端達もその時確信した。完全なる勝利を。悲願の栄光を。ロケット団の再興を。
 ボス・サカキ、あなたさえいれば。全員が声にならない言葉を零す。ああ、やっと帰れる。夜の闇から逃げられる、と。


『撤退せよ、ロケット団』


「―……え?」

突然の静けさの中、零されたグレイの声は残酷に響いた。

『三年前に宣言したように、我らロケット団は解散だ。同志諸君、ラジオ塔より撤退せよ』

よどみなく綴られる言葉だったが、それはあまりにも唐突すぎた。

「な、何を仰っているのですか、サカキ様……」

グレイは震える声を天に投げる。それでも、それでも彼は続けた。

『繰り返す。ロケット団員は』

そして。

『我らロケット団は、解散だ』
「……嘘だ」

グレイはゆっくりと首を振った。振り払うように、言う。闇から逃げるように。

「嘘だ。サカキ様、俺達は終わってなんかいません……。あなたが、あなたさえ居ればっ。ロケット団は不滅なんだっ! 終わってない! 終われないんだ、俺達は!!」

放った言葉は天井へ上がり、それでもあの人は拾ってくれない。ただ無慈悲に、グレイ自身に降りかかってくるだけだ。

「う、ううっ……あああ……!」

嗚咽と共に彼は床に倒れ込んだ。もう何が何だか分からない。今までずっと、この瞬間を望んでいたはずなのに。あの待ち焦がれた声は、彼の体を切り刻むだけだった。
 闇が、飲み込んでくる。もう終わりなのか? 最後の力を振り絞り、彼は自分自身に問いかける。しかしそれに答えられるだけの力は、もう彼にはない。
 制御室では同じようにローザが床に伏せていた。やはりグレイと同じように、喉からは抑えられない嗚咽が漏れている。他の団員たちも、涙を流して打ちひしがれていた。もう終わりだ、絶望の色が彼らを飲み込んでいった。もう誰も天を、彼を仰げる者はいなかった。


『……―大勢の力を組み合わせる事で大きな力を生み出す、それが組織というもの、組織の強さだ。三年前の敗因は、私が諸君らの力を活かしきれなかった、ただそれだけだ。だがその一点の甘さが、組織の解散を招き、諸君らに多大な被害を与えてしまった。償いたくても償いきれない。私が諸君らの目の前から姿を消した理由は、ただ一つ。より強い組織を作る事、ロケット団の再興だ。この三年間、ただそれだけを目指して己を鍛え直していた。ただそれだけが、私にとっての「救い」だったのだ』


『同志諸君、君たちの「救い」は何だ?』


 その時ようやく、グレイ達は顔を上げた。天から降る声は、穏やかだった。

『ロケット団が君たちにとっての「救い」であるならば。しかしながら、それは本当に君たちを救った事になるのであろうか』

しばしの沈黙、彼は噛みしめるように続けた。

『絶望の淵で君たちは私を頼ってここまで来てくれた。そして今ここで私がそれに応じれば、君たちは文字通り救われるだろう。だがその時、私たちが居る場所はどこだ?』

その問いかけに、彼らは答えなかった。答えられなかった。そう、もうずっと気づいている事なのに、それはあまりにも残酷で口には出せずにいた事だ。
 それを承知で、彼はよどみなく答えた。

『我々はまた負けてしまった。ロケット団が悪ならば、正義を語る連中が道を阻むことは道理である。しかしその戦いに我々はまたしても負けてしまった』

ならば、と彼は小さく笑った。

『ならば今はまだその時ではない。我々が復活する時、そこに正義はない。あるのはロケット団という悪だけだ』

彼の声は穏やかだった。ともすれば慈悲のような声を、彼らは噛みしめるように聞いていた。もう誰も床に伏せている者はいない。

『同志諸君。我らが本当に悪を貫く誇り高きロケット団ならば、何者にも屈してはならない。正義にも、己の弱さにも』

その為に。

『強くなれ、私も諸君らも。絶望などしないように』

真っ直ぐと、凛と、その声は響いた。

『真の強さとは負けを認めた時から始まる。撤退せよ、ロケット団。そして強くなれ、精一杯に』

そうして声の主が柔らかく口角を上げた気配がする。

『……―その時もし闇に生きるつもりがあったら、また会おう。共に強い組織を作りあげてみせよう』


 サ、

「サカキ様ぁ~~~!!」
号泣。グレイは、ローザは、下っ端達は目から大粒の涙を流していた。そして大きな大きな声でその名を呼んだ。
 ゴールドとクリスは大泣きするグレイを見て、お互いに顔を見合わせて、苦笑した。

「ここまで気持ちよく泣かれると」
「急いで逮捕する気もなくなっちゃうわね」

二人は再び笑い、グレイが泣き止むのを静かに待った。
 そして十分後、コガネ警察が塔内に突入。ロケット団員は残らず逮捕された。
 ―……一部メンバーを除いて。

          ***

 塔内に響く声が、脳髄をこだまする。息を切らせてブラックは走っていた。連戦で痛む体などどうでも良い。ただただ、その声のする方へ走っていた。

『真の強さとは負けを認めた時から始まる』

あの声が廊下を駆け巡る。
 放送室には誰も居なかった。機器を調べると、先ほどの音声はテープから流されたものだと分かる。
 本人がここに来た訳ではない。しかしこのテープを持ってきた人物は、少なくともサカキと出会っているはずだ。
 放送室を飛び出し、彼はその後ろ姿を見つけた。
 それは赤い帽子を被っていた。

「待てっ」

影はするり、するりと、彼の視界から滑るように消えていく。

「待て、と、言っているんだ!」

怒声は廊下の壁を反射し、答えは帰ってこない。それでも彼は負い続ける。
 ようやくその影を、背中を正面に捕らえた。しかしその背中は振り返る事なく、裏口の扉をくぐる。

「待ちやがれっ!」

手を伸ばす。しかしその背中に触れる前に、鉄の扉が無言で立ちはだかった。解除キーを叩き込むも、反対側から強制ロックがかけられている。
 ブラックは鉄の扉を叩いた。

「何で今更っ」

叫ぶ。

「現れやがった!」

叩き続ける。

「答えろっっ!」

鉄の扉に叫びを叩き込む。拳には血が滲んでいた。
 扉の向こうからくぐもって聞こえてきたのは、確かにあの声だった。

「……―囚われていると思ったんだ、君もあいつらも」

その声は、確かに彼だった。

「黙れ! お前に何が分かる!」
「分からないよ」

でも、と扉越しで静かに続ける。

「少なくとも奴は、君たちのことを理解している。だからあのテープを俺に」

ブラックの目は、あの遠い背中を回視した。拳を扉に叩きつけまま、頭だけを静かに落とした。

「……生きていたのか、あいつ」

帽子の彼はそれには答えず、代わりにブラックに語り掛けるような声振りで。

「解き放ってあげなくちゃって。君のこと」

と言う。

「解き放つって……何からだよ」

ブラックは普段の冷静さに、子供が拗ねた時の色を浮かべた。扉越しの王者はそれを感じ取ったのか、静かに笑った。

「あいつも言っていただろう? 真の強さは負けを認めた時から始まる。過去に縛られすぎるな、受け入れろ、そして今自分が持つ力を見定めろ。だってさ」

じゃあな、と扉越しの気配が遠ざかっていく。
 また会おうシロガネ山で、と声なく呟き、帽子の王者はその場を後にした。
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