このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

第2章

「ブラック、君はこれからどうする?」
「貴様には関係ない」
「どうせロケット団と戦うんだろう?」
「はっ。協力しろって言うのか?」
「効率的だと言っただろう? ……まあ、君は断るだろうけれど」
「当たり前だ」
「手を貸してくれると助かったんだがな。ロケット団を倒し、彼女も救出しなければならないし」
「……人質、か?」

ブラックの表情が初めて曇った。その様子に若干違和感を覚えたものの、ワタルはよどみなく答えた。

「ああ、そうだよ。ゴールドというトレーナーの友達で、名前はクリス」
「なっ!?」

クリスの名と、彼女がゴールドの知り合いである事実にブラックの目は見開いた。何となく予感がしていたワタルは探るように目を向けた。

「手を貸してくれないか?」

ブラックは、それでも彼を強く睨みつける。
 しかし少しの思案の後、彼はゆっくり俯いた。先ほどまでの威勢はどこへやら。しかしどうやらこの少年は心を変えてくれたようだと、ワタルは微笑んだ。

「俺はこれから上へ進む。君は、そうだ、地下通路に繋がっている裏口へ向かってくれ」
「は? 俺に命令するな」
「裏口には、君の迷いに答えを出してくれる人が来る」
「……何だと?」

表情がほんの少し明るくなった。良い兆候を見たワタルは少年の肩を軽く叩く。
 しばらくの沈黙の後、ブラックが階段を下っていくのを見送り、ワタルは三階へ向かった。

          ***

 積み上げられた荷物は身を隠すのに最適だった。巡回する下っ端をやり過ごしながら、ゴールドは地下通路を進んでいた。ワタルが上手くやってくれているのだろう、地下に居た団員たちの多くは慌てて地上へ帰っていった。
(おいらはこのままラジオ塔に侵入して、と)
慎重に進んでいると、ゴールドは何かに気付いた。荷物の影、何かが動いている。
(なんだ? 人?)
荷物のもたれて座っているようだ。しかし様子がおかしい。ゴールドはそれに向かって近づいた。すると―。

「あ、あなたは……!?」

          ***

 三階に居た下っ端たちはカイリューとハクリュー、そしてワタルの睨みにへたれ込んでしまった。誰もボールに手を掛けようともしない。ワタルは特に気に留めずに進んだ。体力の温存に丁度良いくらい、としか思わなかった。
 そしてそのまま四階へ上がった。上質なカーペットにソファ、テーブル。先ほどまでのオフィスルームとは全く違った雰囲気だ。一瞬の戸惑い、ワタルはすぐにある物に気付いた。
 テーブルにもたれかかっている老人、後ろ手に縛られていた。

「ううっ……、け、警察か?」

老人は弱々しくワタルを見た。ワタルはすぐさま駆け寄り、その体を支えた。

「あなたは?」
「わ、私はここの局長を務めて……ううっ!」
「大丈夫ですか? どこか怪我を?」

苦し気に唸る老人の背をワタルは擦る。見たところ大きな怪我は無さそうだが、団員に痛めつけられたのかもしれない。ワタルは局長らしい彼の拘束を解いた。

「ありがとう……君は?」

手首を擦りながら老人はワタルを見上げる。

「俺はワタルと言います。大丈夫、すぐに助けが」

はた、と。
 そこまで言ってワタルは後ろに飛びのいた。何故そんな事をしたのか分からない。だが一瞬、ワタルは背中に寒いものを感じた。そしてそれがこの弱々しい老人から発せられていると直感し、離れたのだ。
 老人は突然の事に目を丸くして、苦笑いをした。

「ど、どうしたんだね?」

その問いにワタルは答えなかった。なぜなら老人の目は笑っていないから。その笑みは尋常じゃないから。
 老人はゆらりと立ち上がる。

「君は私を助けてくれるんじゃあないのかい?」

彼は笑みを深めた。底の見えない微笑み、ワタルはコレを知っている。この悪寒を走らせる笑みを彼は知っていた。

「カイリューッ!」

彼の声のままに巨体は走り出し、老人に切りかかった。

          ***

 ゴールドは荷物にもたれかかっている人物を見て仰天していた。
 後ろ手を縛られ、苦し気に身じろぎしているのは老人だった。その上品そうな身なりからしてロケット団員とは思えない。民間人だ。

「だ、大丈夫か!? おじいちゃん!」

ゴールドは迷わずその拘束を解いた。老人は手首を擦り、ゴールドを見た。

「あ、ああ、ありがとう……」

柔らかく微笑んだその顔には青あざがあった。

「け、怪我しているよ」
「ああ……大丈夫、大したものじゃあないよ」

少年の気遣いに老人は笑顔で応えてその頭を撫でた。

「おじいちゃん……どうしてここに?」
「ロケット団に閉じ込められてしまったんだ。君の方こそ……」
「おいらはゴールド! おじいちゃんは?」
「私は」

老人はよどみなく答える。

「ラジオ塔の局長だよ」

          ***

 カイリューの爪は、彼には届かなかった。彼とカイリューの間には、歪んだ肉の影が立ちふさがっていたのだ。
 あーあ、と老人は透き通るような声を出した。そして上着に手を掛けると、投げ捨てた。その一瞬で老人の姿は消え、代わりに現れたのは若い男、ロケット団の団服だ。

「お前はさっきの……」

ワタルはカイリューを一旦下がらせ、ハクリューも前に出した。

「バイオレットだよ。よろしくね、ドラゴン使い」

人懐っこく笑うバイオレットに、ワタルは間髪入れずにカイリューに“ドラゴンクロー”を命令する。下げられたその頭に爪が食い込もうと。

「“たたりめ”」

一声の後、カイリューは突然苦しみだした。エネルギーを纏っていた右腕を押さえて悲鳴を上げている。
 右腕に負ったちいさな火傷、その傷口の内側から黒い触手が這いずり出て、右腕全体を締め付けている。

「下がれカイリュー! ハクリュー、“りゅうのはどう”!」

下がるカイリューにチーゴの実を投げ、代わりにハクリューが波動を放つ。波動は身代わりの影を消す。バイオレットは懐からきのみを取り出し、テーブルの影へ投げた。黒い触手がそれを受け取り、きのみは影へ消えていく。
 視認は出来なかったが、ワタルはそれをオボンの実だと思った。体力を回復させ、再び身代わりを出すつもりか。

「食わせるな、“ドラゴンダイブ”!」

ハクリューはきのみを取り込んだ影目がけて体を滑り込ませた。しかしそれは再び“みがわり”で防がれた。同時にワタルは「まだきのみは効いていない」とも確信した。長年ポケモンバトルに身を投じている彼にとってどの実がポケモンの体に染み渡るまでどれだけ経かるかなど、手に取るように分かる。ドラゴンダイブはその時間内に確実に当てた、まだ影のポケモンは体力を回復できていない。
 ならばこの“みがわり”が消えてしまえば体力は尽きるはずだ。

「カイリュー、行けるか?」

チーゴの実で火傷を回復させたカイリューは力強く頷いた。

「はかいこうせん!」

一瞬でエネルギーを口に貯め、カイリューは放った。轟音、衝撃波、部屋が揺れる。
 身代わりは跡形もなく消えていた。
 ワタルは不敵に笑った。それを見せられたバイオレットは、表情を失くし、睨み返していた。

「良い顔じゃないか」

ワタルは鼻で笑い、カイリューとハクリューにバイオレットを囲ませた。
 沈黙、無表情。
 しかし次の瞬間、男は再びあの笑みを浮かべた。

「ふぶき」
「っ!?」

男の声にワタルは一瞬固まり、その隙に部屋全体が冷気に包まれた。

「しまった、カイリュー! ハクリュー!」

二匹のボールを手に掴むも、次の瞬間には凄まじい極寒の暴風が二匹を囲む。そして寒さに弱いドラゴンの体を切り裂くように、吹雪は二匹に襲い掛かった。
 悲鳴。
 風が止むと、カイリューとハクリューの体には霜が走っていた。震えながら二匹は床に座り込んだ。効果は抜群。

「こんな狭い空間では“ふぶき”からは逃げられない」

バイオレットが指を鳴らせば、彼の背後からユキメノコが現れた。これが影のポケモンの正体なのか、いやユキメノコに“みがわり”を何度も使えるほどの体力は無い。ワタルは必死に頭を動かした。それをあざ笑うようにバイオレットはある物を見せた。
 きのみの残飯、「ヤタピの実」だ。そしてそれを掴んでいる触手は、フワライドだ。

「っ!」

ワタルは一瞬で全てに合点がいった。
 体力のあるフワライドに身代わりを出させ、オボンの実ではなくヤタピの実を食べさせた。特攻が上がったフワライドを“バトンタッチ”でユキメノコに交代。ヤタピの実の効果を引き継いだユキメノコが“ふぶき”を放てば、いくらワタルの手持ちといえども痛手となる。
 理解した、次の瞬間には頭を切り替えた。敵はまだ居るのだから。

「ハクリュー! ユキメノコに“ドラゴンテール”だ!」

勢いのままに相手をボールに戻してしまう“ドラゴンテール”でユキメノコを一旦下がらせる寸法だ。しかしそれはバイオレットも見越していた。

「受けろフワライド」

ユキメノコの前にフワライドが立ちふさがる。尾を受けたフワライドは、それに自身の触手を絡ませた。その触手から黒いオーラが溢れている。“みちづれ”にする気だ。

「カイリューッ!」

咄嗟にカイリューを向かわせた。爪にエネルギーを貯め、カイリューはフワライドの触手を叩き落とそうと走る。
 その時。絡みつくフワライド、もがくハクリュー、振り回されるフワライド。そのフワライドにぶつかったバイオレットは、一瞬、体制を崩した。
 崩した。カイリューの爪が向かって来たのは。

「っ!?」

バイオレットは爪を避けるためにのけぞった、しかし。
 ぽたり。
 霜の走るカーペットに一滴。血が落ちた。
 それはバイオレットの顔から。
 カイリューの爪でほんの少し引っかかれ、小さく裂けた額から。
 床の血を見て、額に手をやり、傷口を触る。
 触る、そして。

「ふ、ざ、けんな、よっっっ!」

地響きにも似た、咆哮。

「ふっざけんな! 僕の顔にっ! にっ! 何しやがった!」

豹変、衝撃、としか言いようが無かった。ワタルも彼のポケモンも口が閉まらなかった。ユキメノコは呆れ、フワライドは呑気に「ぷわわ」と鳴いた。
 バイオレットは訳の分からない言葉を叫び狂っている。そして血走った眼を突如ワタル達に向けた。

「Ti rompo il culo!!!!」

『そのケツかち割ってやる』と叫んだバイオレットは、ユキメノコに再び指示を出した。

「“ふぶきっっ”!!」

やれやれと呆れ気味だったユキメノコだが、すぐさま冷気の渦を生み出した。

「戻れハクリュー! カイリュー、“ひかりのかべ”!」

フワライドの触手からハクリューをボールに戻し、カイリューには防御を指示する。先ほどの“ふぶき”の影響で室温は低く、すぐさま部屋は極寒の世界と化した。

「くだばりやがれ!」

吹雪は無防備なワタルに集中する。冷気は刃のように肌を貫く。全身に激痛が走るも、ワタルの目はカイリューから離れない。カイリューは彼の目に力強く頷いた。
 そしてバイオレットがワタルにしか注意を向けていないその時、カイリューは走り出した。一瞬でエネルギーを身に纏う。冷気の渦を中和するようにエネルギーが渦を巻く。
そしてそのままカイリューは突進した。吹雪の中、カイリューの“げきりん”に、ユキメノコもフワライドも飲み込まれていった―。

     ***

ワタルは大きく息を吐いた。外界の空気に触れてそれは一瞬で白くなる。

「よくやった」

カイリューの頭を撫でてねぎらう。そしてそれを見下ろした。
 手持ちポケモンを倒され、バイオレットはカイリューに殴られ気絶した。ロープで雁字搦めに拘束すれば、もう追ってはこれまい。

「何というか、変な奴だったな」

もう一度大きくため息をついた。「ゴースト使いは厄介な奴しかいないよ」という元四天王キクコの言葉を今更思い出した。
5/12ページ
スキ