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第2章

慎重に鉄格子を外し、そこから音もなく降り立った。ラジオ塔の設計図を盗み出し、天井裏を進んだこと数十分。埃くさい空気からようやく解放され、ブラックは大きく息を吸った。
 降り立った場所は撮影機器が並び立つ狭い倉庫で、予想通り人は居ない。ブラックは手持ちポケモンのステータスを確認した。皆、万全、すでに臨戦態勢だ。ただ一匹、元気が無さそうに項垂れるメガニウムを除いて。

「……ちっ」

役立たずめ、という言葉は出てこなかった。彼の舌打ちにメガニウムは反応すらしない。ブラックの中にしこりを落としただけだった。
 ブラックはそのまま部屋のドアに向かう。慎重にそこを開け、覗き込めば外には誰も居ない。素早く部屋を抜け、廊下の物陰を縫うように進んでいく。
 度々廊下を行き交うのは警備を任された下っ端たちだ。相変わらず締まりのない呑気な顔をしていたが、その目は輝きに満ちている。そこから今回への団員たちの努力、期待がうかがえる。しかしそれはブラックの心をかき乱すだけだ。
(何を勝ち誇った顔をしていやがる。雑魚どもが)
今すぐにでも叩きのめしてやりたかったが、体力は温存しておくべきだ。ブラックは下っ端達に気付かれないように廊下を進んだ。

     ***

 ラジオ塔二階の広いオフィスルームに出た。部屋の中央でただ一人佇む団員を見つけ、ブラックは咄嗟に机の影に隠れる。団員はブラックに背を向け、彼に気付かないまま通信機に話している。

「ええ、職員は見当たりません。塔内に居るのは団員だけです」

男の隙を突き、ブラックが飛び出した。咄嗟に男がボールを取り出すが、先にボールから飛び出したのはブラックのニューラだった。

「“メタルクロー”!」

ニューラは男本人に向かって爪を振り下ろした。服の繊維、肉の繊維が切り裂ける音がオフィスルームに響く。
 しかし床に血は飛び散らなかった。
 “みがわり”として男の前に立っているのは、半透明なポケモンの影だ。所々ぶくぶくと肉が盛り上がる歪な影は、男の微笑みも相まって不気味の一言に尽きる。

「ちっ! 本体は!?」

ニューラに再び“メタルクロー”を指示しつつブラックは辺りを見回す。男が出したポケモン、身代わりの本体を探す。

「ふふふ」

そんな様子を見て男は笑みを深めるだけで、ニューラの攻撃を身代わりで受けながらフラフラとステップを踏んでいる。男の足捌きに呼応するように、部屋の影たちがゆらゆらと踊る。

「ゆらゆらくねくねと、気持ちの悪い奴だ」

 ふざけた態度だが、この戦い方は明らかに異質だった。そう、ロケット団の中では類を見ないバトルスタイルだ。ロケット団の構成員は基本的に全て組織で教育される。どんな団員だろうとバトルスタイルの基礎は統一されているので、それぞれの戦い方はどことなく似ているのだ。
 しかしこの男の戦い方はまるで掴めない。底が見えないのだ。そしてブラックはこういう戦い方をする人間たちを知っている。

「貴様、『商会』の人間か」

ブラックが言えば、男の表情が初めて変わった。一瞬、完全な無表情となった。そして再び不気味な笑みを浮かべる。

「……なんで分かったかな。グレイ達にしか教えてないんだけど」

ブラックが組織に入った頃にはすでにロケット団はいくつかの秘密結社と取引をしていた。その得意先の一つが通称『商会』と呼ばれる組織だ。ロケット団は一時期この組織と密に連携し、人材を派遣しあっていた。ブラックが働いていた頃は丁度その派遣時期と重なり、彼も数人の『商会』の人間と顔を合わせている。
 しかし目の前の男とは初対面だ。ブラックは一旦ニューラを下がらせた。身代わりはまだ残っている。あの影を完全に倒すにはもっと火力が必要だ。ブラックは頭を巡らせ、戦略を立てた。

「ふーん……組織を裏切って、今度はそっち側につくんだ」

ぶつぶつと呟く男に構わず、ブラックは頭を動かし続けている。彼の手持ちは素早さ重視、手数重視のポケモンが多い。つまりは火力不足。唯一期待ができそうなのは。
 彼はちらりと、一つのボールを手に取った。その中には、いまだ浮かない顔をしているメガニウムが居る。
(使う、のか……? こいつを)
彼の脳裏に甦る、二つの光景。同じつながりの洞窟で、一方ではこのポケモンを見捨て、一方では労わるように頭を撫でた記憶。どちらが本当なのか、その疑問が彼とメガニウムの中でしこりを生んでいた。

「あー! そうだ」

男の声にブラックは顔を上げる。男はブラックと目が合うと、にっこりと微笑んだ。

「君、シルフで真っ先に逃げたよね?」
「っ!!」

息が、止まった。

「ボスのお気に入りでさ、シルフカンパニーの時も最前線に配置されていたくせに、一目散に逃げて」

あの時、ブラックは螺旋階段をひたすら下っていた。ボスがたった一人の少年に負けてしまったと聞き、ブラックは目の前が閉じていく感覚を覚えた。暗闇が襲い掛かり、光も何もかも閉ざしてしまう。暗闇に追いつかれる前に、逃げるように、彼は階段を駆け下りていった。

「はっは」

軽薄な声が、フラッシュバックするブラックの頭をぐちゃぐちゃと踏み荒らしていく。

     ***

 切れた。
彼は投げ捨てるようにボールの中からメガニウムを出した。戸惑い振り返る彼女に見向きもしない。怒りで瞳がどす黒く染まっていた。
 ころす、ころしてやる。彼は確かにそう叫んだ。
気が付くと、机の影、パソコンの影、バイオレットの影から黒い触手が伸びていた。メガニウムが警告するように高く鳴く。指示を仰ぎ振り返るメガニウムの顔は、またもや彼の瞳には写っていなかった。
 轟音、揺れ。凄まじいエネルギーを纏った尾が男の背中に振り下ろされた。

「っ!」

男は振り返り、咄嗟に身代わりを引き寄せた。尾は身代わりとぶつかり合い、火花が散った。そしてしばらくすると肉の影は消えた。

「随分楽しそうじゃあないか、悪党のくせに」

階段から登ってきたのはマントの青年とハクリュー、そして先ほどドラゴンテールを放ったカイリューは青年の横に着いた。

「ドラゴン使い、ワタル……」

初めて苦々しく男が呟いた。その苦悶の表情をワタルは鼻で笑った。首を解放されたブラックはワタルとポケモン達を凝視している。たった一撃、たった一度技を見ただけで分かった。この男とポケモン達の実力を。常人離れしているとしか言いようがない。
 あの赤い帽子のトレーナーを思い出させた。
 ハクリューとカイリューは男ににじりよった。

「よく分かないが、お前は特に救いようがない悪党のようだな」
「言い得て妙だよ」

男は半歩下がり、新たなボールに手をかけた。しかしそれをワタルが見逃さないわけがない。

「カイリュー!」

彼の呼びかけでカイリューはそのボールを叩き落とした。しかし男は笑っていた。床に落ちたそれは空、ダミーだ。

「おにび!」

机の影から無数の鬼火がカイリュー目がけて放たれる。咄嗟に躱したものの、カイリューはその右腕に小さなやけどを負った。
 ワタルやポケモン達の一瞬の隙を突いて、男は再び部屋中に響くように言う。

「“あやしいかぜ”!」

突風が吹き、そこに居た全員の背筋を凍らせた。思わず足が固まり目をつぶった瞬間、男は階段を上っていってしまった。

「待て!」

ワタルがその背中を追うが、彼と入れ違うように下っ端達が階段から雪崩れ込んできた。ワタルはカイリューとハクリューを前に出す。
 そして固まっているブラックの肩を叩く。

「きみ! しっかりしろ!」

我に帰ったブラックに安堵の笑みを浮かべ、そして再び下っ端達に向く。

「事情は分からないが、敵は同じ、だよな?」
「……貴様には関係ない」

ブラックはワタルの手を振り払い、メガニウムを前に出した。その非協力的な様子にワタルは苦笑を浮かべるも、その隣に立った。

「まあこの方が効率的ってだけさ、少年」
「……ブラックだ」
「ワタルだよ」

この男に構っている暇はなさそうだと悟ったブラックは仕方なしに名乗り、ワタルもそれに満足そうだった。

          ***

 “はなびらのまい”と“りゅうのはどう”を受けて、最後のラッタが倒れた。とうとう手持ちを全て倒された下っ端達は、二人のトレーナーの迫力に押され、下の階へ逃げていった。
 それを特に気に留めず、ワタルは二匹の体力を確認した。

「……おい、いいのか」

とブラック。

「逃げたぞ、あいつら」
「外にはジムリーダーとジムトレーナー達が居る、どうせ逃げられないさ。それとも俺は警察に見えるかな?」
「……ふん」
「冗談さ、睨むなよ」

ふふ、とワタルは微笑んでポケモン達をボールに仕舞った。ブラックはバツが悪そうに顔を反らせば、こちらを伺うメガニウムが目に入った。特に怪我も無さそうだったが、執拗にブラックの顔を覗き込んでいる。その態度に舌打ちをすれば、メガニウムは再び悲しそうに俯くだけだった。ますます舌打ちをしたくなったが、ブラックは黙ってメガニウムをボールに戻した。
 その様子を見て、ワタルはぼそりと彼に言う。

「惜しいな」
「は?」

ぎろりと睨むブラック。しかしワタルは静かに続ける。

「ポケモンの育て方、技の選出、指示のタイミング、君はどれも優れている。だが惜しい」

ワタルはブラックの持つボールを指さした。

「君はポケモンに対する思いが欠けている」
「思い、だと?」
「愛情だよ」
「はあ?」

食ってかかるブラックだが、ワタルは眉一つ動かさない。

「ポケモンはロボットではない。我々と同じ心を持っている。いくら素晴らしいセンスを持っていても、共に歩んでいく仲間を思いやれないのなら、ポケモンも力を貸してくれない」
「はっ、くだらない」

彼は鼻で笑い飛ばした。

「言葉も通じない奴らに、心だと? 思いやれだと? そんな甘ったれた事を……」
「では何故君はメガニウムと向き合わない?」
「っ!」

ブラックは息を飲み、固まった。ワタルは分かっていたのだ、先ほどの戦いを通して。

「ポケモンに心が無いというのなら、君もメガニウムの顔を真正面から見られるはずだ。それができないというのなら、それはつまり」
君も、
「すでに気づいているはずだよ、ポケモンの気持ちに。……惜しいと言っただろう?」

ワタルの表情は穏やかだった。それは決して目の前の少年を責めていない。なぜなら見覚えがあったから。かつてのワタルも、自分の力に過信して目の前の相棒を見ていなかった。
 あの清々しい敗北が気づかせてくれたように、ワタルは少年に穏やかに言った。
 そして幸か不幸か、ブラックの脳裏にもワタルと同じトレーナーが浮かんでいた。ブラックはワタルの笑みを見て、視線を落とし、手の中のボールを見つめた。視線は、まだ合わない。
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