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第1章

 いつの間にか見慣れてしまった道場。ここでの修行を思い出せば、思わず涙ぐんでしまう。そんなゴールドやポケモン達のしみったれた背中に、彼は高らかに喝を入れる。

「なぁにボサっとしておる! 早く入らんか!」

そうだろう!? 挑戦者!
 シジマが叩いた背中はもはや彼の弟子でも代理でもない。タンバジムへの挑戦者、ゴールドだ。
 乱暴に涙を拭えば、そのすぐ傍でバルキーが立っていた。ゴールドと目が合うと、バルキーは力強くうなずく。そうだよな、そうだよな! ゴールドはバシッと自分の頬を叩く。

「ワカバタウンのゴールド! タンバジムリーダー、シジマに挑戦するぜ!」

そして初めて挑戦者として道場の敷居をまたいだ。


 黒いバンギラスの事件から丸一日が経った。アサギジムリーダーのミカンは定期船でアサギシティへ帰り、ゴールドはタンバジムへ挑戦中だ。
 ポケモン冒険者見習いのクリスは、無事に退院したゴールドのピチューとピカチュウを連れてタンバシティのポケモンセンターに居た。ゴールドの挑戦が終わるのは夕方くらいだろうか。それまで自分は『これからのこと』を考えなければならない。センターの長椅子に座って、クリスは今までの事を振り返った。
 黒いバンギラスの影響で未来が変わり、ピチューは死にかけ、ピカチュウは消えかけ。このままだとあの霧の森での出来事、ゴールドとの出会いも無かったことになってしまうのだろうか。そう考えると、怖くて怖くて仕方が無かった。それでもゴールドにピチューの事を託されたから。クリスは治療を受けるピチューの傍で祈ることしかできなかった。
 黒いバンギラスは再び封印されて戻ってきた日常。そう、戻ってきたのだ。過去は変わらなかった。またゴールド達という最高の友達と一緒に過ごせるのだ。それがクリスは嬉しくて嬉しくて仕方ない。
 だからこそ今後の事を真剣に考えなければならない。この日常を噛みしめる為に。
 クリスは早速タウンマップでも開こうとした。その時。

「やあ、クリス君」

爽やかな声が頭上から降ってきた。顔を上げると、そこにはキザな恰好がよく似合う青年が立っている。

「ミナキさん! おはようございます!」

クリスはマップを仕舞い、立ち上がる。元気な挨拶にミナキも笑顔で返した。

「おはよう。ピチューもピカチュウも元気そうだね」
「はい! ようやく退院できて」
「それは良かった」

そこまで言って、彼は一瞬の内に凛とした表情になった。空気が変わり、真面目な話だ、とクリスは少しだけ固まる。

「そのピカチュウとピチューの事で少し話があるんだ。タイムパラドックス、は知っているね?」
「はい。えっと確か、黒いバンギラスがピチューを傷つけたせいで未来が変わって、未来から来たピカチュウが存在できなくなる、でしたよね……」
「そう。その事とタイムマシンの件について、専門家に話を聞いてみたんだ。そしたら事件の詳細を知りたいと仰ってね」

ミナキはセンターの同階に設置されている電話ボックスを指さす。

「君にも彼に会って話してほしいんだ」

お願いできるかい? 以前のピカチュウを奪い合った経緯からか、あれ以来ミナキの態度は非常に紳士的だ。これが彼の素なのかもしれない。
 クリスにとってあの事件を思い出すことは今でも恐ろしい。それでも、いつかは向き合わなければならない事だ。タンバジムに挑んでいるゴールドを思うと、不思議とクリスの胸は温かくなる。
(大丈夫。頑張れる)
クリスは穏やかに微笑んだ。


 モニターに映っているのは、爽やかにスーツを着こなす好青年。
 マサキ。クリスも名前だけ聞いたことがある。日本を代表する天才発明家だ。

『ふむ、なるほどな。話してくれておおきにな、クリスちゃん』
「い、いえ」

事件の詳細を話し終えても、クリスはやはり少しだけ強張っていた。そんな様子を感じたのか、モニター越しの青年は優しくゆっくりと話し始めた。

『ミナキはんやクリスちゃんのおかげで今回の事件の事は理解できた。そして今後わいらが立ち向かうべき課題もな』
「課題、ですか」

ミナキは神妙な顔持ちで復唱する。そうや、とマサキは二人の顔を見た。

『まずそのピカチュウは、ゴールドが持っていた卵から孵化したピチューの未来の姿。つまりそのピカチュウの親トレーナーはゴールドで確定や。仮に未来のゴールドがミナキはんとピカチュウを交換したとしても、親は変わらへん。しかしこの場合、ある疑問が浮かんでくる。それはピカチュウが過去へ送られてきた目的や』
「なるほど……」

ミナキは顎に手を当てる。

「未来の私が自身のポケモンを送ってきたのならば、伝説のポケモンへ導かせる、という目的でしょう。しかし送られてきたポケモンがゴールドのポケモンで、彼の所に送られてきた、という事は……」
『なんで未来のゴールドはタイムマシンを使ったんか。何故そうする必要があったんか。単なる実験、とは考えにくいなあ』
「そうですね……」

考え込む二人に対して、クリスは不安でしかなかった。またあんな事が起きないか、そればかりが頭の中をよぎる。


 がくしゅうそうち、という解決策が出たのは電話が始まってしばらくの事だ。

『そうか。特殊ながくしゅうそうちでピカチュウは伝説のポケモンの居場所を覚えたんなら、その記憶をさかのぼれば過去にやってきた目的が分かるかもしれへんな』
「しかし……記憶をさかのぼるなんてこと、可能なのでしょうか?」
『わいの仕事仲間にな、ポケモンの夢を映像化する技術を発明した子がいるんや。後はそれを装置に起こせば完成する。それを使ってピカチュウに催眠術で過去の夢を見てもうたら……』

その前に、とマサキはクリスに目を向ける。

『まずは親トレーナー、そしてピカチュウ本人に許可を貰わなあかん。クリスちゃん、それを頼みたいんや』
「わたし、ですか?」
『ああ、ゴールドとピカチュウに話をしてみてくれへんか?』

マサキと、それからミナキから向けられる視線。
 こんなに完璧そうなお兄さんたちでも、出来ない事があって。自分にも彼らや友達の為にしてあげられる事があるんだ。
 それに気づいた時、クリスの胸にこみ上げてきたものは。事件以来ずっと引っ込んだままだった、あの情熱だった。
 冒険したい、とその時ようやくクリスは思う事ができた。

          ***

 砂が舞う。ニョロボンの二発目のばくれつパンチがバルキーの頬を僅かに逸れ、道場の壁に叩き込まれた。激しい揺れ。思わずゴールドもバルキーも体制を崩した。その隙をシジマ達は見逃さない。

「そこじゃあ! “きあいパンチ”!」

凄まじいエネルギーがニョロボンの拳に集まり、そのままバルキーの小さい体へ向かう。

「バルキー!」

“まもれ”、という言葉は言えなかった。つい先ほど、一発目のパンチをそれで防いだからだ。同じ技は通用しない。
 迫るエネルギー。これを食らえばもうバルキーの体力は残らない。敗北が迫る。それでも彼は諦めなかった。

「負けるもんかああ!」

ばくれつパンチよりも力強く道場を揺らす声。そしてゴールドはバルキーに―。


 ― ひどい砂埃だった。バルキーを押し倒し、床ごと叩き割った影響で、道場の中は砂塵だらけだった。
 終わったな、とシジマは静かに呟いた。ニョロボンのきあいパンチを耐えられる体力は既に残っていなかったはず。

「ゴールド……」

砂で見えない弟子を呼ぶ。これで終わりだと、シジマがそう言おうとしたその瞬間。

「“かわらわり”だ!」

砂が舞い上がる。そこから飛び出してきた小さな体。
 砂が晴れた一瞬でシジマが見た物は、ニョロボンにかわらわりを叩き込むバルキーと、真っ直ぐな眼差しのゴールドだった。


「まさか、ニョロボンの“みきり”を見様見真似でやってのけるとは……。相変わらずむちゃくちゃなトレーナーだ」

ショックバッチを誇らしげに見つめる弟子の頭を、シジマは力強く撫でる。

「へへっ、ショックバッチ、ゲットだぜってな! バルキーが頑張ってくれたおかげだぜ」

相棒の頭を撫でるゴールド。相棒は誇らしげに、やや照れくさそうに笑った。
 少しして道場にやってきたクリス達に、ゴールドは輝く5つ目のバッジを見せる。

「じゃじゃーん! 勝ったぜ! クリス、みんな!」
「わあ! おめでとうゴールド!」

お互いに跳ね回って喜ぶ。しかし、はっとクリスは大事な要件を思い出したのだ。

「あのねゴールド、大事な話よ」
「ええ? なになに?」

一瞬で不安そうな顔をしたゴールドに、それでもクリスは力強く笑って見せた。

「これからのことよ!」


 ゴールドとピカチュウが快諾した事で、マサキの案は実現することとなった。

「ピカチュウの記憶、それから体に異常が無いかも調べるために、コガネシティのPCCに行かなきゃいけないわ。そこでマサキさんが待っているの」
「ピーシーシー、な。ふむふむ」

これまでのあらましを何とか頭に詰め込んだゴールドは、ショート寸前の頭をもう少しだけ奮い立たせる。

「じゃあ取りあえずの目的地はコガネシティ、だな」
「そのためにはまず船でアサギシティまで戻って、牧場を通ってエンジュシティに行かないと」

クリスは手持ちのタウンマップ、ポケギア、そしてゴールドのポケギアにも道順を書いた。

「マサキさんね、ピカチュウやピチューの体調の事も考えて、焦らずにおいでって」
「そうだな、あんまり急がず……ん!」

ゴールドはふいにタウンマップのある一点を指した。
 それはミカンの故郷、アサギシティだ。いや、彼の指しているのはそこではない。ポケモンジムだ。

「まさか……ゴールド」

クリスがギクギクと苦笑を向ければ。

「まずはアサギジムに挑戦だー!」
「やっぱりー!」

舞い上がるゴールド、うなだれるクリス。思いっきり寄り道してるじゃない、とため息を吐く彼女だったが、何となく予想はしていた。ここで通り過ぎれば、それはきっとゴールドではないのだろう。
 クリスは笑みをこぼした。不安の中にある一筋の希望。それはまるで、終わってしまった夏休みを恋しく思う一方で、これから始まる秋への期待。
 これから起こる日々は、きっと今までのように素晴らしい。
 二人の若いトレーナーの目は確かに明日を向いている。
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