第1章
う、そ。
嘘だ。
「嘘だ……」
攻撃の指示が止まり、ポケモン達が不安そうに彼を見た。彼は、震えている。
「嘘だっ!」
吠える。けれども気づいていた。グレイの言葉をきっかけに、頭からどんどん溢れてくる記憶に。
そう、自分は確かに彼らと同じRの文字を身に宿していた。
「嘘を言うなっっ!」
叫ぶと、グレイは困惑していた。
「う、嘘言ってどうするんだよ! お前はロケット団の特務隊員だった! ボス直属の!」
「黙れっ!」
思わずブラックはニューラに切り裂けと言い放つ。ニューラはグレイに飛びかかった。しかし下っ端が咄嗟にラッタを出し、それを庇った。
地面に転がるラッタ。
(弱い……)
こみ上げてくる、怒り。
(弱っちい……!)
「消えろ! 僕の、俺の目の前から消え失せろ!」
闇雲に指示を出す。ポケモン達は躊躇いなくそれに従う。しかしその攻撃は先ほどまでとはうって変わり、力押しで荒かった。それに巻き込まれるように下っ端やポケモン達はなぎ倒されていくけれど、ブラックの隙は大きかった。
グレイが目配せをして、部下を彼の背後に忍び寄らせた。
「ははは! よく分からんが甘いぞブラック!」
グレイの勝ち誇る声と同時に、ブラックは凄まじい電流をその身に感じた。背後に居たコイルが、彼に“でんじは”を浴びせたのだ。
「がっ、っつ」
地面に倒れ込んだブラック。途端に彼のポケモン達は動きを止めた。
「ふん、主人が居なければ動けないか」
グレイは部下達にそのポケモン達を包囲させた。このポケモン達が居れば俺だって、と彼は早々とほくそ笑んだ。
「くっ……そ」
激痛に耐えながらブラックはロケット団を見る。
(くそ、くそ、くそ! こんな、こんな無様な真似を、僕は!)
ぼんやりとする意識の中、彼はもう一つ思い出す。
かつて白金の頂で出会った少年は、涼やかな瞳で彼を見下ろした。極寒の地の王に相応しい、その瞳は語る。
『お前たちが負けたのは、俺が強いからだ』
(違う! 僕は、僕はもう! 弱くなんか……!)
かつてあの山で誓ったように、彼は唇を噛み締め、そして。
甲高い鳴き声を、遠くに聞いた。
もう一度、鳴く。その声を、彼はかつて聞いた事があった。
そう、この声は。
彼の意識が一気に引き戻された。
激痛をもろともせずに顔を上げた。そこに居たのは。
「ベイ、リーフ……?」
頭上の穴からこちらを覗き込んで居るのは、ベイリーフ。クリスと一緒に居たはずのベイリーフは涙を目に一杯に、鳴いていた。そして彼女は誰に言われるでもなく、“はっぱカッター”をロケット団員達に向けて放った。
「ちっ! まだ手持ちを残してやがったのか!」
グレイはすぐさま部下に頭上の穴を狙わせる。ズバット達が彼女目がけて飛んでいく。
しかし彼女は、飛んだ。
そして落ちる。
重力に引かれて凄まじい速さで降下し、そのまま。
「しまった! 全員、引け……」
グレイの声をかき消すように、衝撃と轟音。ベイリーフは重力のままに“ふみつけ”でロケット団のポケモン達を倒した。
ベイリーフは、泣いていた。それでもその瞳には強い光が灯っている。凛とした面持ちをロケット団に向けた。そして吠えた。「かかってこい」と言わんばかりに。
下っ端達はその迫力に思わずたじろいだ。しかしそれを奮い立たせるようにグレイは叫ぶ。
「草タイプ一匹だ! 全員、わたしの援護に回れ!」
彼はヘルガーを呼び出した。体力は少ないけれど、相性は抜群だ。後は残っている飛行タイプのズバットを援護に回せば、勝てる。
「ヘルガー! かえんほうしゃ!」
放たれる火炎はベイリーフに直撃した。ベイリーフは悲痛な叫びを上げてよろめいた。
「お、おい!」
地面を這いずりながらブラックは呼ぶ。
「お前のすばやさでは相手が悪すぎる!」
チラリと視線を動かせば、ブラックのポケモン達は下っ端達に包囲されていて手出しができない。
「……逃げろ」
絞り出すように、そう言うしか無かった。
「お前は、クリスのポケモンだろう」
ベイリーフの目が見開いた。
「僕を……助ける義理なんて」
耳を劈くような雄叫び。そして、光。
ベイリーフの体が進化の光に包まれた。
「なっ! ま、まさか」
ブラックも、グレイ達も呆気に取られていた。まばゆい光が洞窟内を照らす。太陽に似た温かな光、それはやがて中心に集まり、吸い込まれていく。
光が消えた時、そこに居たのは深緑の巨体、メガニウムだった。
メガニウムは凛とした顔でロケット団を睨み、そしてブラックを見た。
その瞳には自信と、怒りと、慈愛が込められていた。
もう一度やってみよう。そう言っていた。
その時ブラックの脳内に鮮やかに甦った記憶では。昔ここで、ブラックはこのポケモンにとても酷い事を言い放った。「捨てた」のだ。潤むその瞳を無視して、ブラックはラプラスに一人立ち向かった。巨体が恐ろしい速度で彼に襲い掛かった時、彼はその恐怖に気付いていなかった。だからこそ、彼女は、それでも動いたのだ。自分を捨てた彼を救うために。
ブラックは、最初の親トレーナーは尋ねた。
「もう、俺のポケモンじゃあないんだぞ……?」
それでも。
「お前は……」
そこまで言うと、ベイリーフは、メガニウムはにやりと笑った。
らしくないね、その瞳は言っていた。
火炎を纏った牙が襲い掛かる。しかしそれはメガニウムに届く前に弾き飛ばされた。二匹の間には光る壁が展開されている。
“リフレクター”。物理攻撃は弾き返す。下っ端達は驚愕するグレイに代わり、次々にズバット達を繰り出した。
辺り一面が小さく細やかに動く翼で埋まる。多勢に無勢だな、と彼らは思う。
ブラックは痺れの残る体を何とか立ち上がらせた。そしてそっとメガニウムに耳打ちをした。メガニウムは彼の顔を見た。強い光が灯る真紅の瞳と交じり合い、メガニウムは大きく頷いた。
洞窟の中を抜ける風に交じり、何かが飛び交った。花びらだった。無数の花びらは渦を書いてメガニウムの周りに集まる。
“はなびらのまい”だと察したグレイは、部下達に慌てないように指示をした。この技は攻撃範囲が狭い上に反動が大きい。この数のズバットを全て撃ち落とす事ができないだろう。グレイは鼻を鳴らした。
花びらが美しく舞い散る中、グレイが目にしたのは、あの笑みだった。いつもこの少年が浮かべている、あの勝ち誇った笑みだ。
一瞬の不安が体を動かす前に、ブラックは静かに言い放った。
「だから貴様は弱っちいんだ、グレイ」
花びらの渦が崩れ、放散した。“はなふぶき”は小さくも美しく鋭い刃で、ズバット達を一掃した。
息も絶え絶えに、ブラックは地面に座り込んだ。メガニウムや、団員達の隙を見て抜け出してきたポケモン達が駆け寄る。鼻を押し付けるメガニウムの頭を、彼は躊躇いながらも、撫でた。
「いい。問題ない」
その態度に驚いたような顔を見せるポケモン達。思わずブラックは噴き出した。
「らしくない、か。まだ思い出せていない所があるからかもしれんな」
先ほどの戦闘で大部分の事を思い出したが、彼はまだ混乱していた。ロケット団員だった事、家族の事、あの少女の事、まだまだ断片的だった。
「とにかく、目的は達成だ」
ちらりと視線を動かせば、ロケット団員達が慌てて撤退の動きを見せている。彼はふう、と息を吐いた。
「アイツと、クリスと合流だ。メガニウム、アイツの所から飛んできたんだろう。あっちはどうなって」
「くそっ!」
声の方を見れば、部下の制止をグレイが振り切っていた。
「何度もお前にやられてたまるかっ!」
彼がボールを投げると、そこから現れたのはドガース。
「戻れお前たち! メガニウムッ!」
咄嗟に他のポケモンをボールに戻し、ブラックはメガニウムに向かって叫んだ。
「ドガース! だいばくはつ!」
「リフレクター!」
幸いというべきなのか、体の小さいドガースの爆発は案外小さく、メガニウムのリフレクターもよく効いた。衝撃はそこまででは無かった。
しかし爆風はブラックの体を簡単に吹き飛ばした。そしてそれは壁に勢いよく叩きつけられた。
頭に巡る衝撃、その瞬間。
閉じた蓋が消え、押さえつけられていた記憶が飛び出していった。
***
「はあ、はあ、はあ」
クリスは洞窟内を走っていた。大事そうに抱えているボールの中にはラプラスが眠っている。
ラプラスを無事に保護し、帰ってきたロケット団員達が逃げおおせたクリス。そのまま入口の穴を上り、外に出た。
「はあ、はあ……。た、助かったぁ」
追って来ていた下っ端達の数を思い出し、身震いをした。とても自分では対処しきれなかっただろう。本当に良かった。
ラプラスを保護すると、ベイリーフは突然走り出してしまった。だがクリスには何となく分かっていた。恐らく彼の元へ行ったのだろう。ベイリーフがずっとブラックを気にしていたのは知っていた。警戒はしていたけれど、ずっと彼と一緒に居たがっていたに違いない。だからクリスは心配していない。ブラックもベイリーフも自分よりも上手の実力者だ。きっと首尾よく行っているだろう。
「アレ、君は……」
突然声をかけられ、クリスは飛び上がった。外に居たのは入口に立っていたヒワダの警察官だった。
「君、どうしてこんな所に?」
「あー、いや、それは、はは」
どうごまかそう、とクリスは頭を掻いた。しかし次の瞬間には重大な事実に気付いた。
「あー! そうよ! ロケット団!」
「え?」
「こ、この中にロケット団が居るんです!」
「な、何だって!?」
「それでこのラプラスを捕まえて、変な実験をしていたんです! ラプラスは傷だらけで、変な電波が流されていて」
「それは大変だ!」
「そうなんです! だから早く捕まえないと」
「そうだねぇ」
急に警察官の声が変わった。
「え」
クリスの目に映る警察官は、帽子を取り、笑った。
「大変だなぁ。アレを見つけられてしまうなんて」
衝撃を、彼女は首裏に感じた。
「あ……」
小さな声を漏らし、彼女は地面に沈んだ。手刀を収め、男はインカムを取り出した。
「もしもし? ねえ子供が一人、取り逃されたみたいだけれど」
通話の先はあの男だった。
『ああ? ブラックか?』
グレイは咳き込みながら答えた。
「違うよ、女の子。ラプラスのボールを持っている」
男はクリスが抱えていたボールを持ち上げた。
『あ! まさかさっき報告にあった地下二階の侵入者!?』
「それじゃない?」
男は髪を掻き上げた。
「ブラックとかいう子供にも逃げられたんだ?」
『ぐっ』
グレイが言い淀み、男はこれ見よがしにため息を吐いた。そしてにやりと笑う。
「まあ僕はこの作戦の総責任者じゃないし。ガンバレ、グレイ様」
『ぐぬぬ……ま、まあいい。とにかく』
グレイは咳払いをした。
『その小娘を捕まえて来い、バイオレット。我々の計画を知ってしまった以上、無事には帰らせない』
「はいはーい」
バイオレットと呼ばれた男は通信を切り、地面に倒れるクリスを見下ろした。クリスはこれからを予見しているかのように、苦悶の表情を浮かべていた。
***
彼は走った。溢れ出した記憶は、真正面から受け止めるにはあまりにも残酷だった。
彼は弱かった。彼は傷だらけだった。それを一瞬でも忘れてしまうなんて。ああ、ああ、ああ。
ああ、痛い。
痛みのあまり、涙が溢れた。
そうして気付いたのだ、彼はまた逃げていると。
嘘だ。
「嘘だ……」
攻撃の指示が止まり、ポケモン達が不安そうに彼を見た。彼は、震えている。
「嘘だっ!」
吠える。けれども気づいていた。グレイの言葉をきっかけに、頭からどんどん溢れてくる記憶に。
そう、自分は確かに彼らと同じRの文字を身に宿していた。
「嘘を言うなっっ!」
叫ぶと、グレイは困惑していた。
「う、嘘言ってどうするんだよ! お前はロケット団の特務隊員だった! ボス直属の!」
「黙れっ!」
思わずブラックはニューラに切り裂けと言い放つ。ニューラはグレイに飛びかかった。しかし下っ端が咄嗟にラッタを出し、それを庇った。
地面に転がるラッタ。
(弱い……)
こみ上げてくる、怒り。
(弱っちい……!)
「消えろ! 僕の、俺の目の前から消え失せろ!」
闇雲に指示を出す。ポケモン達は躊躇いなくそれに従う。しかしその攻撃は先ほどまでとはうって変わり、力押しで荒かった。それに巻き込まれるように下っ端やポケモン達はなぎ倒されていくけれど、ブラックの隙は大きかった。
グレイが目配せをして、部下を彼の背後に忍び寄らせた。
「ははは! よく分からんが甘いぞブラック!」
グレイの勝ち誇る声と同時に、ブラックは凄まじい電流をその身に感じた。背後に居たコイルが、彼に“でんじは”を浴びせたのだ。
「がっ、っつ」
地面に倒れ込んだブラック。途端に彼のポケモン達は動きを止めた。
「ふん、主人が居なければ動けないか」
グレイは部下達にそのポケモン達を包囲させた。このポケモン達が居れば俺だって、と彼は早々とほくそ笑んだ。
「くっ……そ」
激痛に耐えながらブラックはロケット団を見る。
(くそ、くそ、くそ! こんな、こんな無様な真似を、僕は!)
ぼんやりとする意識の中、彼はもう一つ思い出す。
かつて白金の頂で出会った少年は、涼やかな瞳で彼を見下ろした。極寒の地の王に相応しい、その瞳は語る。
『お前たちが負けたのは、俺が強いからだ』
(違う! 僕は、僕はもう! 弱くなんか……!)
かつてあの山で誓ったように、彼は唇を噛み締め、そして。
甲高い鳴き声を、遠くに聞いた。
もう一度、鳴く。その声を、彼はかつて聞いた事があった。
そう、この声は。
彼の意識が一気に引き戻された。
激痛をもろともせずに顔を上げた。そこに居たのは。
「ベイ、リーフ……?」
頭上の穴からこちらを覗き込んで居るのは、ベイリーフ。クリスと一緒に居たはずのベイリーフは涙を目に一杯に、鳴いていた。そして彼女は誰に言われるでもなく、“はっぱカッター”をロケット団員達に向けて放った。
「ちっ! まだ手持ちを残してやがったのか!」
グレイはすぐさま部下に頭上の穴を狙わせる。ズバット達が彼女目がけて飛んでいく。
しかし彼女は、飛んだ。
そして落ちる。
重力に引かれて凄まじい速さで降下し、そのまま。
「しまった! 全員、引け……」
グレイの声をかき消すように、衝撃と轟音。ベイリーフは重力のままに“ふみつけ”でロケット団のポケモン達を倒した。
ベイリーフは、泣いていた。それでもその瞳には強い光が灯っている。凛とした面持ちをロケット団に向けた。そして吠えた。「かかってこい」と言わんばかりに。
下っ端達はその迫力に思わずたじろいだ。しかしそれを奮い立たせるようにグレイは叫ぶ。
「草タイプ一匹だ! 全員、わたしの援護に回れ!」
彼はヘルガーを呼び出した。体力は少ないけれど、相性は抜群だ。後は残っている飛行タイプのズバットを援護に回せば、勝てる。
「ヘルガー! かえんほうしゃ!」
放たれる火炎はベイリーフに直撃した。ベイリーフは悲痛な叫びを上げてよろめいた。
「お、おい!」
地面を這いずりながらブラックは呼ぶ。
「お前のすばやさでは相手が悪すぎる!」
チラリと視線を動かせば、ブラックのポケモン達は下っ端達に包囲されていて手出しができない。
「……逃げろ」
絞り出すように、そう言うしか無かった。
「お前は、クリスのポケモンだろう」
ベイリーフの目が見開いた。
「僕を……助ける義理なんて」
耳を劈くような雄叫び。そして、光。
ベイリーフの体が進化の光に包まれた。
「なっ! ま、まさか」
ブラックも、グレイ達も呆気に取られていた。まばゆい光が洞窟内を照らす。太陽に似た温かな光、それはやがて中心に集まり、吸い込まれていく。
光が消えた時、そこに居たのは深緑の巨体、メガニウムだった。
メガニウムは凛とした顔でロケット団を睨み、そしてブラックを見た。
その瞳には自信と、怒りと、慈愛が込められていた。
もう一度やってみよう。そう言っていた。
その時ブラックの脳内に鮮やかに甦った記憶では。昔ここで、ブラックはこのポケモンにとても酷い事を言い放った。「捨てた」のだ。潤むその瞳を無視して、ブラックはラプラスに一人立ち向かった。巨体が恐ろしい速度で彼に襲い掛かった時、彼はその恐怖に気付いていなかった。だからこそ、彼女は、それでも動いたのだ。自分を捨てた彼を救うために。
ブラックは、最初の親トレーナーは尋ねた。
「もう、俺のポケモンじゃあないんだぞ……?」
それでも。
「お前は……」
そこまで言うと、ベイリーフは、メガニウムはにやりと笑った。
らしくないね、その瞳は言っていた。
火炎を纏った牙が襲い掛かる。しかしそれはメガニウムに届く前に弾き飛ばされた。二匹の間には光る壁が展開されている。
“リフレクター”。物理攻撃は弾き返す。下っ端達は驚愕するグレイに代わり、次々にズバット達を繰り出した。
辺り一面が小さく細やかに動く翼で埋まる。多勢に無勢だな、と彼らは思う。
ブラックは痺れの残る体を何とか立ち上がらせた。そしてそっとメガニウムに耳打ちをした。メガニウムは彼の顔を見た。強い光が灯る真紅の瞳と交じり合い、メガニウムは大きく頷いた。
洞窟の中を抜ける風に交じり、何かが飛び交った。花びらだった。無数の花びらは渦を書いてメガニウムの周りに集まる。
“はなびらのまい”だと察したグレイは、部下達に慌てないように指示をした。この技は攻撃範囲が狭い上に反動が大きい。この数のズバットを全て撃ち落とす事ができないだろう。グレイは鼻を鳴らした。
花びらが美しく舞い散る中、グレイが目にしたのは、あの笑みだった。いつもこの少年が浮かべている、あの勝ち誇った笑みだ。
一瞬の不安が体を動かす前に、ブラックは静かに言い放った。
「だから貴様は弱っちいんだ、グレイ」
花びらの渦が崩れ、放散した。“はなふぶき”は小さくも美しく鋭い刃で、ズバット達を一掃した。
息も絶え絶えに、ブラックは地面に座り込んだ。メガニウムや、団員達の隙を見て抜け出してきたポケモン達が駆け寄る。鼻を押し付けるメガニウムの頭を、彼は躊躇いながらも、撫でた。
「いい。問題ない」
その態度に驚いたような顔を見せるポケモン達。思わずブラックは噴き出した。
「らしくない、か。まだ思い出せていない所があるからかもしれんな」
先ほどの戦闘で大部分の事を思い出したが、彼はまだ混乱していた。ロケット団員だった事、家族の事、あの少女の事、まだまだ断片的だった。
「とにかく、目的は達成だ」
ちらりと視線を動かせば、ロケット団員達が慌てて撤退の動きを見せている。彼はふう、と息を吐いた。
「アイツと、クリスと合流だ。メガニウム、アイツの所から飛んできたんだろう。あっちはどうなって」
「くそっ!」
声の方を見れば、部下の制止をグレイが振り切っていた。
「何度もお前にやられてたまるかっ!」
彼がボールを投げると、そこから現れたのはドガース。
「戻れお前たち! メガニウムッ!」
咄嗟に他のポケモンをボールに戻し、ブラックはメガニウムに向かって叫んだ。
「ドガース! だいばくはつ!」
「リフレクター!」
幸いというべきなのか、体の小さいドガースの爆発は案外小さく、メガニウムのリフレクターもよく効いた。衝撃はそこまででは無かった。
しかし爆風はブラックの体を簡単に吹き飛ばした。そしてそれは壁に勢いよく叩きつけられた。
頭に巡る衝撃、その瞬間。
閉じた蓋が消え、押さえつけられていた記憶が飛び出していった。
***
「はあ、はあ、はあ」
クリスは洞窟内を走っていた。大事そうに抱えているボールの中にはラプラスが眠っている。
ラプラスを無事に保護し、帰ってきたロケット団員達が逃げおおせたクリス。そのまま入口の穴を上り、外に出た。
「はあ、はあ……。た、助かったぁ」
追って来ていた下っ端達の数を思い出し、身震いをした。とても自分では対処しきれなかっただろう。本当に良かった。
ラプラスを保護すると、ベイリーフは突然走り出してしまった。だがクリスには何となく分かっていた。恐らく彼の元へ行ったのだろう。ベイリーフがずっとブラックを気にしていたのは知っていた。警戒はしていたけれど、ずっと彼と一緒に居たがっていたに違いない。だからクリスは心配していない。ブラックもベイリーフも自分よりも上手の実力者だ。きっと首尾よく行っているだろう。
「アレ、君は……」
突然声をかけられ、クリスは飛び上がった。外に居たのは入口に立っていたヒワダの警察官だった。
「君、どうしてこんな所に?」
「あー、いや、それは、はは」
どうごまかそう、とクリスは頭を掻いた。しかし次の瞬間には重大な事実に気付いた。
「あー! そうよ! ロケット団!」
「え?」
「こ、この中にロケット団が居るんです!」
「な、何だって!?」
「それでこのラプラスを捕まえて、変な実験をしていたんです! ラプラスは傷だらけで、変な電波が流されていて」
「それは大変だ!」
「そうなんです! だから早く捕まえないと」
「そうだねぇ」
急に警察官の声が変わった。
「え」
クリスの目に映る警察官は、帽子を取り、笑った。
「大変だなぁ。アレを見つけられてしまうなんて」
衝撃を、彼女は首裏に感じた。
「あ……」
小さな声を漏らし、彼女は地面に沈んだ。手刀を収め、男はインカムを取り出した。
「もしもし? ねえ子供が一人、取り逃されたみたいだけれど」
通話の先はあの男だった。
『ああ? ブラックか?』
グレイは咳き込みながら答えた。
「違うよ、女の子。ラプラスのボールを持っている」
男はクリスが抱えていたボールを持ち上げた。
『あ! まさかさっき報告にあった地下二階の侵入者!?』
「それじゃない?」
男は髪を掻き上げた。
「ブラックとかいう子供にも逃げられたんだ?」
『ぐっ』
グレイが言い淀み、男はこれ見よがしにため息を吐いた。そしてにやりと笑う。
「まあ僕はこの作戦の総責任者じゃないし。ガンバレ、グレイ様」
『ぐぬぬ……ま、まあいい。とにかく』
グレイは咳払いをした。
『その小娘を捕まえて来い、バイオレット。我々の計画を知ってしまった以上、無事には帰らせない』
「はいはーい」
バイオレットと呼ばれた男は通信を切り、地面に倒れるクリスを見下ろした。クリスはこれからを予見しているかのように、苦悶の表情を浮かべていた。
***
彼は走った。溢れ出した記憶は、真正面から受け止めるにはあまりにも残酷だった。
彼は弱かった。彼は傷だらけだった。それを一瞬でも忘れてしまうなんて。ああ、ああ、ああ。
ああ、痛い。
痛みのあまり、涙が溢れた。
そうして気付いたのだ、彼はまた逃げていると。