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第1章

「通行止めぇ?」

素っ頓狂な声を上げたクリスに、ヒワダ警察の制服を来た男が申し訳なさそうに続けた。

「そう、今このつながりの洞窟は通行止めなんだ。洞窟でポケモンが暴れていてね。とても危険な状態だ」
「そんなぁ……」
「今我々が鎮圧を行っているから、夜には通行できるようになるよ」

そう言われ、クリスはとぼとぼと来た道を帰っていく。今朝方ポケモンセンターを出たクリスとブラックはヒワダタウンへ向かう為につながりの洞窟を目指した、しかし。
 少し離れた所でクリスを待っていたブラックは、自分を警戒しているベイリーフに戸惑っていた。対照的に彼の手持ち、ニューラなどはベイリーフと仲良さげに接している。ただの人見知りならまだしも、ますます不思議だった。

「お待たせ~」

そうこうしている内にクリスが帰ってきた。

「どうだった」
「通行止め、だってさ。中でポケモンが暴れているらしいわ」
「ポケモン……、暴れている……?」
「夜には通れるようになるみたいだけれど。仕方ないけれど一旦町に戻って……」

そこまで言って、彼女は目の前の少年の様子に気が付いた。頭を押さえ、何かを思い出そうとしている。

「ブ、ブラック……?」
「つながりの洞窟……、ラプラス?」
「え? ラプラス?」
「凶暴なラプラス……僕、俺は見た。つながりの洞窟で」

しかも最近だ、とブラックは記憶を捻り出した。

「良かった、記憶が戻ってきているのね」

安堵の表情の後、クリスもある事を思い出す。

「そういえば何ヶ月か前にニュースになっていたわ。つながりの洞窟で金曜日のポケモンが凶暴化して、それをヒワダのジムリーダーとその仲間が鎮圧したって」

それと関係があるのかしら、とクリスは首を傾げる。頭の痛みが治まったブラックは、恐らく、と口を開く。

「何かしらの関係があるだろう。あの場所でポケモンが凶暴化する原因と」
「……」

クリスは考え込んだ。ブラックが訝し気に顔を覗き込むと、彼女はすぱり、と言い放った。

「行きましょう、洞窟へ」
「なっ」

驚くブラックに彼女は畳みかける。

「ポケモンが暴れている原因を調べるのよ。そしてそのポケモンを助けてあげるの」
「助ける……だと?」
「そうよ。私たちがやらなきゃ」

だって私たち。

「ポケモントレーナーでしょう?」
「っ!」
「トレーナーなら、人とポケモンが仲良くできるようにしなきゃ」

自分たちがそうであるように。人とポケモンの衝突は解決しなければならない。トレーナーであるのなら。クリスの瞳には強い意志が秘められていた。その瞳に見つめられ、ブラックは一瞬目を反らし、そうして自分から再び目を合わせる。
 ポケモントレーナーであるなら。

「行くぞ」


 洞窟の入り口には警察官が数名、しかしブラックは何故かそれ以外の入り口を知っていた。大人一人が通れるかどうかという小さな穴を見つけ、ブラックはあなぬけのヒモを垂らした。

「こんな抜け道を知っているなんて。ブラックって意外と不良だったり」
「馬鹿な事を言っていないでさっさと行くぞ」
「ラジャ」

クリスは若干のワクワクを抑えつつ、二人で洞窟の中へ降り立った。
 中に入ってまず耳に入ったのは唸り声だった。洞窟内を何度も反響し、まるで縦横無尽に野獣が唸っているようだった。恐らくこの声の主が例のポケモンだろう。
 その時クリスは閃き、ウツギ博士から貰ったポケモン図鑑を取り出した。音声解析ソフトを起動し、声の主を特定しようというのだ。

「……嘘でしょ」

解析の結果に彼女は絶句した。
 図鑑が示したポケモンは、「ラプラス」だ。

「ラプラスって、綺麗な歌声が特徴のポケモンよ?」
「しかも気性は極めて温厚で賢い」

ブラックは声のする方をじっと見つめている。クリスは口元に手を当てて考える。

「数か月前の事件もラプラス。このつながりの洞窟は、ラプラスが凶暴化する要因があるというの……?」
「クリス。前の事件の原因は覚えているか?」
「確か、洞窟内の環境変化よ。ここを通る観光客のゴミが溜まって、それにラプラスが怒ったらしいの。でも、その事件が解決してからはゴミの規制が厳しくなったと聞いたわ」

クリスの言う通り、洞窟内にはゴミ一つ無い。洞窟の環境が改善された今、ラプラスが怒る要因は無い。
 もしかして、とクリスは恐る恐る口に出した。

「前回も今回も、ラプラスが暴れている原因は他にある……?」

その時、唸り声はより一層強まった。もはや断末魔に近い。二人の胸に浮かんだ感情は恐怖ではなく、不安。
 ラプラスの身に一体何が?
 クリスは居ても立っても居らず、声の元へ走り出した。

「待て! 危険だ!」

ブラックの制止も聞かず、彼女は去っていく。彼も小さく悪態づくも、すぐさまその背中を追いかけた。
 しばらく走ると、唸り声と共に耳に入ってきたのは、劈くような電波音。視界が歪み、クリスは思わずよろめき座り込む。彼女の異変にボールの中からベイリーフが現れた。心配そうに鼻を擦り付けるベイリーフをなだめ、クリスは辺りを見回した。
 丁度ブラックも合流した。彼も電波音に顔を歪めながら、体制を低くして彼女の傍に寄った。
 クリスは近くに大きな穴を見つけた。地下へ繋がっているのか、下から光が漏れている。どうやら諸々の音はこの穴から溢れているようだ。二人は体制を低くしたまま、その穴を覗き込んだ。
 そこには。

「よぉーし! 最終調整終了だ! 研究チーム、集まれ!」
「ええ!? 何ですって!?」
「しゅーごーだっっ! 集合しろって言っているんだっ!」

そこに居たのは、黒ずくめの服、Rの文字、ロケット団だった。
彼らは重厚な機械やパソコンを持ち込み、オーディオのような機械の前で作業をしていた。そこから電波音が流されているようで、全員イヤホンをしていた。しかしそれ故にお互いの声が聞こえないのか、リーダー格の男は声を張り上げていた。

「あっ」

クリスはその男に見覚えがあった。長い下睫毛の坊主頭。

「ロケット団幹部!」
「グレイ……!」
「え?」

その名前を呼んだのは隣の少年だった。ブラックは目を見開き、その男、黒ずくめの集団を見つめていた。しかしすぐさま頭を押さえる。

「ブラック……、あなた、あの人たちを知っているの?」
「わ、からない。名前、名前は知っていた……。でも、それ以外は……」

苛立ちに頭を掻きむしるブラック。クリスは慌てて。

「ああ、いいのよ! 無理に思い出さなくていいわ! あの人たちは悪い人たちで、とっても大人げないの! 思い出す価値なんて無いわ!」
「あ、ああ」
「それにしても、あの人たちがこの電波を流しているみたいね」

再び二人は穴からロケット団を見回した。
 グレイは再び声を張り上げる。

「いいかー! 次が最終テストだからなー!」
「えー!? 最終兵器カノジョ!?」
「ちっがう! テストだ! ラプラスに電波を浴びせる最後のテスト!」

グレイの言葉に二人は息を飲んだ。

「どれだけ強化されるか、データを取っておけよ! 今日で最後だからな!」
「グレイ様―! 地下二階の奴らから連絡です! ラプラスが凶暴化しすぎてそろそろ抑えられないと!」
「今度で最後だと伝えろ! 何とかしてもたせろ!」
「えー!? 南斗真拳!?」
「な、ん、と、か、し、ろ!」

もちゃもちゃと会話をするグレイ達に対して、それを聞いていたクリスは青ざめていた。

「ラ、ラプラスが暴れているのって……、この人たちの、実験のせい……?」

小さく震えているクリスにブラックは静かに頷いた。
 もしかしたら、前回の事件もロケット団が関係しているかもしれない。地下二階から聞こえてくる唸り声が現実味を足していく。ブラックはクリスの様子を見て、静かに帰路の確保を考えていた。この様子ではロケット団に怯えて、帰ることすらままならないかもしれない。彼は息を吐いた。
 その時、クリスの体の震えが止まった。
 不思議そうに覗き込むブラックに、クリスは強い光を秘めた瞳を向けた。

「助けないと」

その言葉に、今まで彼女に押され気味だったブラックは、さすがに声を強めた。

「もう分かっただろう。あんな得体のしれない連中の、得たいの知らない実験が原因だった」

何故関わる、と彼は言う。

「首を突っ込んだらどうなるか分からない。それなのに、何故自分から危険な目に合おうとする。何故そこまでラプラスにこだわる」
「ラプラスだから、じゃあないわ」

返す瞳に怯えはもう無い。

「ポケモンだから、よ。そして私はポケモントレーナーだから。目の前でポケモンが苦しんでいるのに、逃げる事なんて出来ないわ」
「しかし……!」
「千五百年も前から、私たちは手を取り合ってきた」
「っ!」
「それをここで終わらせたくないのよ」

ブラック、

「力を貸して。一緒にラプラスを救いましょう」

彼の肩に手を添えた。視線が交じる。彼女の強い光に、彼は、ブラックは、目を反らし。反らしたけれど、次の瞬間には同じく強い光で応えるのだった。


 頭上の穴から颯爽と降り立った、赤毛の少年。機械が放つ怪しげな光に、その顔が照らされる。長い睫毛の下には、真紅の瞳。燃えるようなその瞳の色に一同は息を飲み、次の瞬間我に返る。
 真っ先に声を上げたのはグレイだった。

「ブ、ブラック!?」

自分の名を呼ばれ、彼は首を傾げた。その様子に気付かずにグレイも周りの団員も続ける。

「何故貴様がここに居る! くそ! また邪魔をしに来たのか! 裏切り者ブラック!」

裏切り者、その言葉が胸の奥底まで突き刺さった。血が溢れるように、記憶が溢れ出ようとする。しかし今はそんな場合ではない、とブラックは首を振った。
 今やるべきことは、こいつらを足止めすること。
 クリスは地下二階に向かい、ラプラスを一旦捕まえて保護する。
 ブラックはボールから全てのポケモンを出した。

「……行くぞ」

静かに開戦を告げる。解き放たれたポケモン達は一斉にロケット団に襲い掛かった。


 地下二階に降りるとあの唸り声が脳天を貫いた。よろめきながら物陰に隠れ、クリスは辺りを伺った。近くに広がる湖、その岸をロケット団員たちが囲い、湖の中央には。
 その瞳は血走っていた。口からは地を貫くような叫び声が発せられている。
 ラプラスのその幼体には何本もの碇が引っかかっている。それを振りほどこうとラプラスは暴れるも、碇が体に食い込み、血を振りまくだけであった。
 クリスは言葉を失っていた。あんな悲惨な幼いポケモンを前にしても、岸辺の団員やポケモン達は顔色一つ変えていない。
 異常、狂っている。その姿は悍ましさと同時に激しい怒りを彼女に湧きあがらせた。クリスはマグマックとウパーを出し、指示を出した。二匹は強く頷き、物陰を伝ってクリスとは反対方向へ向かう。
 岸の向こう側に潜んだ二匹に、クリスは合図を送った。すると二匹は一斉に“ひのこ”と“みずでっぽう”を団員達に放った。

「うわあ!?」
「な、何だ!? 侵入者か!?」

団員達がそちらを向くと、二匹は挑発するように笑い声を上げ、その場から逃げ出した。

「野生じゃあない! トレーナーが居るはずだ! 追うぞ!」

団員達は皆ポケモンを連れて二匹を追いかけた。クリスの作戦通りだった。二匹が団員を引き付けている内に、彼女は残ったポケモンと共にラプラスを捕獲する。

「ホーホー! かげぶんしん!」

ボールから飛び出したホーホーは、暴れているラプラスを囲うように分身を出した。ラプラスは驚きのあまり体を固まらせた。

「今よ! さいみんじゅつ!」

分身に紛れた本体が念波を放つ。ラプラスの頭部を直撃し、激しい眠気にラプラスの体がよろめいた。
 クリスは新たなボールを取り出した、しかし。

「っ!?」

咄嗟に後ろに飛びのいだ。ラプラスは閉じかけた瞼を見開き、再び叫んだ。目は血走り、動きも先ほどより激しい。
(まさか、私たちをロケット団と勘違いして……?)
再び謎の電波を流されたと思ったのだろうか、ラプラスはより一層激しく暴れた。
 その体が動くたび、水しぶきと共に飛んでくるのは、血。

「や、やめてラプラス! 私たちはあなたを助ける為に!」

ホーホーを一旦下がらせ、クリスは呼びかける。しかしラプラスの耳には届かない。ラプラスは泣き叫んで暴れるしかなかった。

「お、お願い。話を聞いて」

声をかけ続けるクリス。ボールからヒノアラシとベイリーフが現れ、彼女の袖を引っ張った。
二匹が指す方向から、先ほどの団員達が戻ってくる姿が見える。
 ウパーとマグマックは倒されてしまったのだろうか。
 胸をドシンと押す不安。ラプラスの叫び声はそれを更に重くする。
(どうしよう)
どうしよう、
どうしよう、
どうしよう。
 脳裏に甦る黒い巨体、バンギラスの咆哮。
 また、あの時みたいに……? 今度は、誰も助けてくれない。
 ゴールド……!


 小さな鳴き声がした。
 足元を見れば、ヒノアラシが、鳴いていた。
 小さな手足を振り、必死にラプラスに呼びかけていた。
 隣を見れば、ベイリーフも同じように声をかけていた。
 ホーホーも、よく見れば物陰からこちらに返ってきたウパーとマグマックも。
 皆懸命にラプラスに呼びかけていた。
『かれらの ために わたしたち たびだつ』
あの言葉を、見なかった事にはしたくない。
 クリスは湖に飛び込んだ。
 驚愕するポケモン達、ラプラスも侵入者に対して口に水を溜める。
 そして放つ。

「ラプラス! 私は!」

その声がかき消される程に、強い水、みずでっぽうが放たれた。
 それがクリスに直撃する寸前、聞こえたのは一匹の鳴き声だ。
 ヒノアラシは叫んだ。彼女の最初のパートナーの体は光り出し、生命力が放たれる。
 水をかき消す、火炎。
 マグマラシに進化し、その強い火は親トレーナーを守ったのだ。
 その姿にラプラスは驚き、動かなくなった。今まで自分にひどい事をしてきた人間、それを庇うポケモンが居るのかと、その目を疑った。
「ラプラスっ!」

その隙にクリスはラプラスの元へ泳ぎきり、目の前に躍り出た。

「聞いてラプラス!」

手を大きく開く。その瞳には強い光が宿っている。

「あなたがどんな酷い仕打ちを受けてきたのか、それを私は理解する事はできない! でも、それでも私は諦めないわ!」

クリスの声は、洞窟を凛と駆け巡る。

「私はあなたを救う! 今まで人とポケモンがそうしてきたように!」

だからどうか。

「どうかこの中に入って。あなたを治したいの」

その手に握られている空のボール。それを見て、ラプラスは再び視線をマグマラシに向けた。
 柔らかい笑みを返された。視線を少女に戻れば、彼女も同じ微笑みを浮かべている。
 ああ、そうか。
 一緒なんだ。ラプラスはゆっくりと目を閉じた。そうして歌うように一鳴きすると、そのボールの中に吸い込まれていった。


 ニューラの爪はラッタの体に食い込み、ゴーストの放った“シャドーボール”はズバットを撃ち落とした。ブラックとポケモン達は一切の無駄なく、確実にロケット団を追い詰めている。
 ヤミカラスを従える団員の男は思わず後ずさりをする。

「グ、グレイ様……!」

そして頼みの綱である幹部に視線を送る。グレイは唇をかみしめ、ボールを握りしめている。その中にはすでに瀕死間近のヘルガーが入っている。開戦早々にブラックのレアコイルに手酷くやられたのだ。

「くそっ……、こんな事ならローザ達にポケモンを借りておくべきだった」

苦々しく呟き、彼が思いだすのは同じ幹部の顔だ。ローザ、インディゴのチームになら電波で強化したポケモンが沢山居るはずだ。「あんたバトルが苦手なんだから持っていきなさいよ」と最後に会った日にローザにボールを差し出されたものの、見栄を張って断ってしまった。「俺には優秀な部下が居るからいいんだよ」と。実際グレイは部下の教育もポケモンバトルも苦手だが、ボスに劣らないそのカリスマ性は熱心な部下をよく集めた。それが彼が幹部足り得る要素だ。
 しかしその忠誠心が高い部下達も、もう半分以上はブラックにやられてしまった。グレイは忌々しく呟いた。

「相変わらずバトルだけは強いな……くそ!」

その言葉に、一瞬だけブラックの表情が変わった。好奇心、いや不思議そうな顔だ。まるでグレイの言った事に身に覚えがないかのように。そういえばいつもなら憎たらしい程に勝ち誇った笑みを浮かべるはずなのに、今日は妙に冷静で大人しい。
 ブラックの口からは、ふと、こんな言葉がこぼれた。

「知っているのか? 僕を」

は? グレイは目を点にした。何を言っているんだこのガキは。相変わらず攻撃の手を緩めないブラックだったが、その目は不思議そうにグレイを見つめている。

「お前はロケット団の構成員だったろう」

思わず、グレイはそう答えてしまった。
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