クレッシェンドな恋をもう一度
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
棋院を出て手元の時計を見ると、ちょうど十八時を回ったところだった。
もう夏の暑さもピークを越えたので、夕方になれば多少の肌寒さは感じるものの、
対局終わりの疲弊した頭を冷やすにはこれくらいがちょうど良い。
予定よりも感想戦に時間がかかってしまったため、この後の約束に間に合うかどうかと思案して、携帯を開く。
画面には封筒のマークが表示されていた。
届いていたのは、『がんばれ、当たって砕けてこい!』という和谷からメールだった。
こんな時まで気遣いをしてくれるなんて、本当によく出来た相棒だ。
感謝の気持ちを返信しててから携帯をポケットにしまい込み、駅に向かって歩き出す。
千颯と会うのは本当に久しぶりだ。
もしかしたらすぐに見つからないかもしれないと目を凝らしたが、
幸い駅にはこれといって賑わうような場所もないので、改札で待つ彼女はすぐに見つけることが出来た。
「あ、あの……」
かっちりとしたスーツに身を包み、重たそうなビジネスバッグを肩に掛けたその人は、
スマホに向けていた視線を怪訝そうにこちらへ向ける。
そして、それは次第に驚きの表情へと変わっていく。
「……しん、いちろ……さん……!」
お互いに顔を見合わせて、言葉を失う。
しばしの沈黙ののち、口火を切ったのは俺の方だった。
緊張のあまり唇が乾いて言葉が上手く声に乗らないけれど、それを懸命に堪えて。
「久しぶり……だな。」
じっと彼女を見つめると、こくんとひとつ頷きが返ってきた。
ほっと胸をなでおろす様に息を吐くと、どちらからともなく笑顔を向けあった。
●◯●
それから、話をするために腰を落ち着けたのは、少し歩いたところで見つけた何の変哲もないチェーン店のカフェだった。
時間帯のわりに混雑もなくすんなり座ることができた。
彼女はアイスティーを注文し、自分はアイスコーヒーを頼んだ。注文を取りに来た店員が席を離れると、
置かれたお冷を一口飲み込んでから、彼女は柔らかな笑顔を見せてくれた。
「こうやってちゃんと話すの、久しぶり……だね。」
「今まで何も連絡しなくて、ごめん。」
最後に話をしたの俺が院生だった頃だ。
そう、まだ俺たちが付き合っていた時。
初めは手合いのない日に時間を作って会ったり、時には遊びに行ったりもしていたけれど、
最後のプロ試験が近くにつれて心にほんの僅かのゆとりも持てなくなってしまった。
院生でいられる最後の年という焦りもあったし、進藤と打ったあの一局がトドメだったのかもしれない。
とにかくあの時は現実から逃げたくて仕方なかった。
「あの時の……慎一郎さんの話は、和谷くんから聞いたよ。」
だから院生や九星会も誰にも言わずに辞めたし、中国にも飛んだ。
今思えば、千颯にだけはすべてを話していくべきだったのかもしれない。
「いろんな人にも聞いたんだけど……誰も知らないって言われちゃって……」
音信不通になってしまったことを心配して、彼女はわかる限りの手がかりを追ってくれたという。
一番近くにいた和谷はもちろん奈瀬や進藤やフク、それから棋院の人にまで。
結局、居場所がわかった頃には俺はもう中国にいたらしい。
運ばれて来た彼女のアイスティーの氷がからんと音を立てる。
「……何にも言ってくれないんだもん。」
本当に、自分で思っていた以上に彼女のことを傷つけていたのかもしれない。
当時を思い返すその表情は、何か痛みを我慢しているようにも見える。
そんな彼女に、俺はただごめんと謝ることしか出来ない。
けれど、今欲しいのはそういう言葉ではないと首を横に振る。
「もう……会ってくれないと思ってたから、慎一郎さんが会いたがってるって和谷くんが連絡くれた時、
すごくびっくりしたけど……やっぱり嬉しかった。」
連絡が取れなくなった時から今までも欠かさず囲碁雑誌に目を通していて、
対局の細かい内容まではわからないけれど、俺が白星を取った記事を読めばそれだって嬉しいと笑ってくれた。
「ありがとう……本当に、ありがとう。」
そんな使い古された言葉では全然足りないのだけれど、込み上げて来るものが大きすぎて、それしか出てこない。
どれだけ傷つけたかわからないのに、それでも今まで信じて待っていてくれたなどと、
これを奇跡と呼ばずしてなんと呼べばいいのだろう。
涙が溢れそうになるのを堪えるので精一杯だ。
だが、おかげでようやく伝えることができると思った。
「こんな事を……この場で言うのはどうかとも思ったんだけど……」
すっと深呼吸をひとつして、彼女にまっすぐ視線を向けた。もう一度彼氏としてやり直させてほしい、と。
「う、そ……」
「本当だよ。やっぱり俺は……千颯が好きだよ。」
シンプルに、それしかなかった。
勝手に縁を切ったのは俺の方だったけれど。
今更なにを言っているんだと思われるかもしれないけれど。
「わたし……また、彼女に……してもらえるの?」
まん丸に見開いた瞳に、開いた口が塞がらないと言わんばかりの彼女。
その問いにしっかりと頷くとその表情はこれ以上ない幸せそうな笑顔に変わった。
●○●
そこからの話は一変して、お互いの近況報告で盛り上がった。
相変わらず囲碁界は塔矢と進藤がずば抜けているとか、
中国で和谷にそっくりな子とたくさん碁を打ったとか。
彼女は、最近この近くに新しく出来たカフェのケーキが気になってるとか、
呪文みたいな名前のフラペチーノが美味しかったとか。
かつての様にたくさん笑い合うことが出来た。
そして帰り際、店を出た瞬間にくるりと振り向いた彼女が、連絡先を教えて欲しいと言って来た。
それは願ってもいないことで、でもこちらからはどうにも聞き出せなかったことだった。
「ちょっと待って、今連絡先を……」
「え?伊角さん、未だにガラケーなの?」
ポケットから取り出したそれを、まじまじと見つめて来るひより。
確かに散々和谷にもいい加減スマホにしろと言われているけれど、
そんなにこの携帯をまだ使っていることが珍しいのだろうか。
「あ、あぁ……まだ使えるし、いいかなって」
「あれ?もしかして……中国行ってる間も連絡取れなくなってたのって……」
おそらくそれもひとつの原因かもしれない、と今更ながらに思う。
国内ですらたまにしか使わないこれが、海外用に対応しているわけがない。
そう聞いて、またおもしろ可笑しそうに彼女は笑った。
そういうところ、変わらないねと。
そして、俺が見せた連絡先を手早く自分のスマホに打ちこんでいく。
こちらからは光速で画面上に指を走らせている様にしか見えないけれど。
「聞いてから言うのもおかしいかもしれないけど、また連絡してもいい?」
「もちろん。待ってる。」
ただ連絡を交わすだけなのに、彼女はとても嬉しそうに笑った。
その表情に、思わずと鼓動が跳ねたのは間違いではないだろう。
「それじゃぁ……またね。」
「あぁ、また。」
改札をくぐり、お互いに別々のホームへと向かう。
笑顔で手を振る千颯の言葉に、懐しさを覚えた。
そういえば、それが別れ際のルールだった。
”バイバイ”じゃなくて”またね”というのが。
それを彼女が覚えていたかどうかはわからないが、まだあの頃からの時間が繋がっている気がして、
自然とこちらも笑みが溢れた。
もう夏の暑さもピークを越えたので、夕方になれば多少の肌寒さは感じるものの、
対局終わりの疲弊した頭を冷やすにはこれくらいがちょうど良い。
予定よりも感想戦に時間がかかってしまったため、この後の約束に間に合うかどうかと思案して、携帯を開く。
画面には封筒のマークが表示されていた。
届いていたのは、『がんばれ、当たって砕けてこい!』という和谷からメールだった。
こんな時まで気遣いをしてくれるなんて、本当によく出来た相棒だ。
感謝の気持ちを返信しててから携帯をポケットにしまい込み、駅に向かって歩き出す。
千颯と会うのは本当に久しぶりだ。
もしかしたらすぐに見つからないかもしれないと目を凝らしたが、
幸い駅にはこれといって賑わうような場所もないので、改札で待つ彼女はすぐに見つけることが出来た。
「あ、あの……」
かっちりとしたスーツに身を包み、重たそうなビジネスバッグを肩に掛けたその人は、
スマホに向けていた視線を怪訝そうにこちらへ向ける。
そして、それは次第に驚きの表情へと変わっていく。
「……しん、いちろ……さん……!」
お互いに顔を見合わせて、言葉を失う。
しばしの沈黙ののち、口火を切ったのは俺の方だった。
緊張のあまり唇が乾いて言葉が上手く声に乗らないけれど、それを懸命に堪えて。
「久しぶり……だな。」
じっと彼女を見つめると、こくんとひとつ頷きが返ってきた。
ほっと胸をなでおろす様に息を吐くと、どちらからともなく笑顔を向けあった。
●◯●
それから、話をするために腰を落ち着けたのは、少し歩いたところで見つけた何の変哲もないチェーン店のカフェだった。
時間帯のわりに混雑もなくすんなり座ることができた。
彼女はアイスティーを注文し、自分はアイスコーヒーを頼んだ。注文を取りに来た店員が席を離れると、
置かれたお冷を一口飲み込んでから、彼女は柔らかな笑顔を見せてくれた。
「こうやってちゃんと話すの、久しぶり……だね。」
「今まで何も連絡しなくて、ごめん。」
最後に話をしたの俺が院生だった頃だ。
そう、まだ俺たちが付き合っていた時。
初めは手合いのない日に時間を作って会ったり、時には遊びに行ったりもしていたけれど、
最後のプロ試験が近くにつれて心にほんの僅かのゆとりも持てなくなってしまった。
院生でいられる最後の年という焦りもあったし、進藤と打ったあの一局がトドメだったのかもしれない。
とにかくあの時は現実から逃げたくて仕方なかった。
「あの時の……慎一郎さんの話は、和谷くんから聞いたよ。」
だから院生や九星会も誰にも言わずに辞めたし、中国にも飛んだ。
今思えば、千颯にだけはすべてを話していくべきだったのかもしれない。
「いろんな人にも聞いたんだけど……誰も知らないって言われちゃって……」
音信不通になってしまったことを心配して、彼女はわかる限りの手がかりを追ってくれたという。
一番近くにいた和谷はもちろん奈瀬や進藤やフク、それから棋院の人にまで。
結局、居場所がわかった頃には俺はもう中国にいたらしい。
運ばれて来た彼女のアイスティーの氷がからんと音を立てる。
「……何にも言ってくれないんだもん。」
本当に、自分で思っていた以上に彼女のことを傷つけていたのかもしれない。
当時を思い返すその表情は、何か痛みを我慢しているようにも見える。
そんな彼女に、俺はただごめんと謝ることしか出来ない。
けれど、今欲しいのはそういう言葉ではないと首を横に振る。
「もう……会ってくれないと思ってたから、慎一郎さんが会いたがってるって和谷くんが連絡くれた時、
すごくびっくりしたけど……やっぱり嬉しかった。」
連絡が取れなくなった時から今までも欠かさず囲碁雑誌に目を通していて、
対局の細かい内容まではわからないけれど、俺が白星を取った記事を読めばそれだって嬉しいと笑ってくれた。
「ありがとう……本当に、ありがとう。」
そんな使い古された言葉では全然足りないのだけれど、込み上げて来るものが大きすぎて、それしか出てこない。
どれだけ傷つけたかわからないのに、それでも今まで信じて待っていてくれたなどと、
これを奇跡と呼ばずしてなんと呼べばいいのだろう。
涙が溢れそうになるのを堪えるので精一杯だ。
だが、おかげでようやく伝えることができると思った。
「こんな事を……この場で言うのはどうかとも思ったんだけど……」
すっと深呼吸をひとつして、彼女にまっすぐ視線を向けた。もう一度彼氏としてやり直させてほしい、と。
「う、そ……」
「本当だよ。やっぱり俺は……千颯が好きだよ。」
シンプルに、それしかなかった。
勝手に縁を切ったのは俺の方だったけれど。
今更なにを言っているんだと思われるかもしれないけれど。
「わたし……また、彼女に……してもらえるの?」
まん丸に見開いた瞳に、開いた口が塞がらないと言わんばかりの彼女。
その問いにしっかりと頷くとその表情はこれ以上ない幸せそうな笑顔に変わった。
●○●
そこからの話は一変して、お互いの近況報告で盛り上がった。
相変わらず囲碁界は塔矢と進藤がずば抜けているとか、
中国で和谷にそっくりな子とたくさん碁を打ったとか。
彼女は、最近この近くに新しく出来たカフェのケーキが気になってるとか、
呪文みたいな名前のフラペチーノが美味しかったとか。
かつての様にたくさん笑い合うことが出来た。
そして帰り際、店を出た瞬間にくるりと振り向いた彼女が、連絡先を教えて欲しいと言って来た。
それは願ってもいないことで、でもこちらからはどうにも聞き出せなかったことだった。
「ちょっと待って、今連絡先を……」
「え?伊角さん、未だにガラケーなの?」
ポケットから取り出したそれを、まじまじと見つめて来るひより。
確かに散々和谷にもいい加減スマホにしろと言われているけれど、
そんなにこの携帯をまだ使っていることが珍しいのだろうか。
「あ、あぁ……まだ使えるし、いいかなって」
「あれ?もしかして……中国行ってる間も連絡取れなくなってたのって……」
おそらくそれもひとつの原因かもしれない、と今更ながらに思う。
国内ですらたまにしか使わないこれが、海外用に対応しているわけがない。
そう聞いて、またおもしろ可笑しそうに彼女は笑った。
そういうところ、変わらないねと。
そして、俺が見せた連絡先を手早く自分のスマホに打ちこんでいく。
こちらからは光速で画面上に指を走らせている様にしか見えないけれど。
「聞いてから言うのもおかしいかもしれないけど、また連絡してもいい?」
「もちろん。待ってる。」
ただ連絡を交わすだけなのに、彼女はとても嬉しそうに笑った。
その表情に、思わずと鼓動が跳ねたのは間違いではないだろう。
「それじゃぁ……またね。」
「あぁ、また。」
改札をくぐり、お互いに別々のホームへと向かう。
笑顔で手を振る千颯の言葉に、懐しさを覚えた。
そういえば、それが別れ際のルールだった。
”バイバイ”じゃなくて”またね”というのが。
それを彼女が覚えていたかどうかはわからないが、まだあの頃からの時間が繋がっている気がして、
自然とこちらも笑みが溢れた。