ウソつきシンデレラ
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キーボードに走らせていた手を止めてふと顔を上げると、いつの間にか強い雨が窓ガラスを叩く音がずいぶんと強くなっていた。
大きなため息をついて、千颯は傍らで徐々に冷え始めている紅茶を一口飲む。
雨の日は嫌いだ。
どうしたってあの日を思い出してしまう。
私の人生を良い意味でも悪い意味でも変えてしまった、とある事件を。
* * *
あれは三年前の夏。
授業を終えて大学を出ると、普段はさほど連絡を取ることのない兄から、珍しくメッセージが届いていた。
『飯でも奢ってやるから、来いよ』
待ち合わせ場所と、簡潔な文面。
絵文字やスタンプもない。
もともと兄は、頻繁にスタンプを使うような性格だったから、ここまでシンプルなメッセージには違和感があった。
それに最近は家にもあまり帰ってこないし、たまに帰ってきたかと思えば様子がおかしいことがしばしばあった。
まるで別人のような。
だから念のため母と友人に行き先を告げて、指定された場所に向かった。
いくつか電車を乗り継いで、やってきたのはカウンター席しかないこじんまりとしながらも、なかなか雰囲気の良いバーカフェだった。
地下にあるため少々迷いはしたものの、こんないい場所を兄が知っていることに驚いた。
「急に奢ってくれるなんて、どういう風の吹き回し?」
「別に意味なんてねぇよ」
すでに到着していた兄は、強めのカクテルを煽っていた。
隣に腰を降ろして、私もカプレーゼとカシスオレンジを注文する。
こうして兄妹で並ぶのはずいぶんと久しぶりのような気がする。
家で食事をするときは決まって隣に座っていたけれど。
「……たまには家に帰ってきなよ。お母さんも心配してるよ」
「そのうちなー」
めんどくせぇとかうるせぇとか、軽く一蹴されると思っていたのに、返ってきた言葉は意外なものだった。
だからこそ、油断して気がつかなかったのかもしれない。
ほんのひと口ふた口しか飲んでいないはずのアルコールが、いつもより早く回っていることに。
ふわふわして意識がどこか遠くに飛んでしまいそうになる直前、兄の口端が怪しげに歪んでいた。
どうしたの、と聞きたかったのに、その言葉は音にならずに空気に溶けた。
* * *
ガンガンと痛む頭を押さえながらようやく目を覚ますと、私は知らない部屋のベッドに横たわっていた。
状況が飲み込めない。
さっきまで兄とバーで並んでいたはずなのに。
いつここに来て、上着だけでなくワンピースも脱いで、下着姿一枚で横になったのだろう。
嫌な汗が背中を伝う。
まさか。そんなはずはない。
否定の言葉をいくつ並べても、状況がそれを許さない。
「へー、お前の妹っつーから期待してなかったけど、なかなかいいじゃん」
困惑する私のもとへ、一人の男が姿を現した。
ぎらぎらした金の腕時計はまったく似合っていないし、私を舐めるような視線も気持ち悪い。
その後ろに従うように兄がついていた。
「おにい、ちゃん……!」
助けて、と震える唇でなんとか叫んだ。
でも、兄の耳には届かない。
その見知らぬ男から何かを受け取って、そそくさと部屋を出て行ってしまったのだ。
「お兄さんの許可も出たことだし、めいっぱい可愛がってやるよ」
男が私の上に馬乗りになる。
両手首は逃げられないように、がっしりと掴まれて頭上に縫い付けられる。
もう恐怖で声すら出なかった。
嫌だ 見るな 触るな 気持ち悪い。
頭の中で並べた罵詈雑言は、涙となってこぼれ落ちてしまう。
まさぐられた身体は震えが止まらない。
なけなしの抵抗も虚しく、ただただ玩具のように扱われて、見ず知らずの男に身体中をまさぐられて、蛇のような舌で舐め回される。
唯一の頼みの綱である兄も、きっと戻ってこないだろう。
もう、覚悟を決めるしかない。
私は心を殺して、人形になることを決めた。
「そこまでだ!手を上げろ!」
勢いよくドアが開いて、力強い声が響いた。
微かに動かせた視線をその声の方に向けると、スーツ姿に小型の拳銃を構えた男性が、そこにいた。
「あぁ⁈んだよてめぇ!」
「関東厚生局麻薬取締部だ!麻薬取締法違反の疑いで、貴方を現行犯逮捕する!」
抵抗しようと殴りかかった男を、鮮やかな身のこなしでいなし、あっという間に手錠を掛けてしまった。
その一連を呆然と見つめていると、そっと半身を起こされて、そのまま強く抱きしめられた。
「大丈夫⁈遅くなってごめんね!」
その声には、聞き覚えがあった。
「……れい、ちゃ……ん……?」
私を包んでくれたのは、ここへ来る前に一報入れていた友人の、泉玲だった。
何かあったら連絡してと言われていたから。
「ごめん……怖い思いさせて……」
「……ううん……あり、がと……」
安堵の涙が、堰を切ったようにあふれた。
彼女がそっと着ていたコートを肩にかけてくれる。
やっと呼吸ができた。
「何か変なものとか飲まされてない?薬みたいなものとか」
「……わかん、ない……気が付いたら、ここに、いて……」
そっかと短く呟いて、玲は先ほど先陣を切って入ってきた男性と相談を始めた。
どうやら彼女の上司らしい。
しばらく思案した後、男性がゆっくりと近づいてきて、私と目線を合わせるように膝を折った。
「助けが遅くなって済まない。でも君のおかげで逮捕できたんだ。ありがとう」
私を気遣ってか、現場の状況を優先してかはわからないが、男性はそれだけ言うとすぐに取り押さえた男とともに部屋を出て行った。
私の方こそ、助けてもらったお礼がまだ言えてないのに。
「……とりあえず、服着よっか」
近くに投げ捨てられていた私の服を、玲がかき集めて渡してくれた。
のろのろと袖を通す間も、彼女はずっと傍らに寄り添ってくれる。
他愛もない話をして、少しでも私の心が癒えるように。
* * *
現場を後にした私は、そのまま玲に連れられて病院へ直行となった。
気を失っていた間に私にも何か薬を飲まされている可能性が否定できないため、検査が必要だったのだ。
ひと足先に病院で待っていた母は顔面蒼白だったが、私の無事を確認するとその場に泣き崩れた。
とても心配をかけてしまって、私は何度もごめんなさいを繰り返す。
母は嗚咽交じりの声で、生きていてくれただけでいいと、涙でぐしゃぐしゃのまま笑った。
ひと通り検査を終えて、検査結果が出るまでは入院ということになった。
今のところなにも異常はない。
ただ、ゆっくり休む時間も必要との医者の判断だった。
母は諸々の手続きや私の着替えなどを取りに一旦家に帰ることになったので、病室に付き添ってくれたのは玲だった。
そこで、ようやく今回の事件のあらましを知ることになる。
「実は、あなたのお兄さんにも麻薬所持と使用の容疑がかかっていたの。それで私たちは少し前から動向を追っていて……」
そろそろ動きがある頃だと、麻薬取締部の方でも張っていたらしい。そこへ、私がバーへ行くと連絡したから、もしかしたらと動いてくれたらしい。
結局のところ、兄の容疑はクロで、あの男共々現行犯逮捕になったそうだ。
あの時受け取っていたのは、やはり麻薬だったのだ。
「最近帰ってこないと思ったら……そんなことしてたんだね、お兄ちゃん」
少し前までは、私にも優しい兄だったのに。甘い誘惑に負けて悪の道に走ってしまうなんて。
情けないやら、悔しいやら。
爪が食い込むほど強く拳を握りしめると、そっと玲はその手に自身のそれを重ねる。
「でも、お兄さんを救ってあげたのは千颯だよ」
その言葉は、どこまでも優しかった。
また、涙があふれた。
もう枯れてしまったと思っていたのに。
子どものようにわんわん声を上げて泣いた。
病室が個室だったのがせめてもの救いだ。
他の人に聞かれなくてよかった。
散々涙を流したせいか、すっかり力尽きて私はそのまま眠ってしまった。
目が覚める頃には検査結果も出ているだろか。
玲の話によれば、飲まされていたのは睡眠薬だけで、おそらく心配はないとのことだった。
これ以上母に心配はかけたくない。
無事を願いながら、睡魔にその身を委ねた。
* * *
「……いけない、レポートまだ終わってないんだった」
はっと現実に戻ってきた私は、慌ててパソコンに目を向ける。
すっかり紅茶は冷めてしまったから、これを書き終えたら新しいものを淹れ直そう。
そして、今日はちょっと良い入浴剤を使って、ゆっくり湯船に浸かろう。
香りは何にしようか。
取り留めのないことを考えながら、再びキーボードを叩き始めた。
... to next.
大きなため息をついて、千颯は傍らで徐々に冷え始めている紅茶を一口飲む。
雨の日は嫌いだ。
どうしたってあの日を思い出してしまう。
私の人生を良い意味でも悪い意味でも変えてしまった、とある事件を。
* * *
あれは三年前の夏。
授業を終えて大学を出ると、普段はさほど連絡を取ることのない兄から、珍しくメッセージが届いていた。
『飯でも奢ってやるから、来いよ』
待ち合わせ場所と、簡潔な文面。
絵文字やスタンプもない。
もともと兄は、頻繁にスタンプを使うような性格だったから、ここまでシンプルなメッセージには違和感があった。
それに最近は家にもあまり帰ってこないし、たまに帰ってきたかと思えば様子がおかしいことがしばしばあった。
まるで別人のような。
だから念のため母と友人に行き先を告げて、指定された場所に向かった。
いくつか電車を乗り継いで、やってきたのはカウンター席しかないこじんまりとしながらも、なかなか雰囲気の良いバーカフェだった。
地下にあるため少々迷いはしたものの、こんないい場所を兄が知っていることに驚いた。
「急に奢ってくれるなんて、どういう風の吹き回し?」
「別に意味なんてねぇよ」
すでに到着していた兄は、強めのカクテルを煽っていた。
隣に腰を降ろして、私もカプレーゼとカシスオレンジを注文する。
こうして兄妹で並ぶのはずいぶんと久しぶりのような気がする。
家で食事をするときは決まって隣に座っていたけれど。
「……たまには家に帰ってきなよ。お母さんも心配してるよ」
「そのうちなー」
めんどくせぇとかうるせぇとか、軽く一蹴されると思っていたのに、返ってきた言葉は意外なものだった。
だからこそ、油断して気がつかなかったのかもしれない。
ほんのひと口ふた口しか飲んでいないはずのアルコールが、いつもより早く回っていることに。
ふわふわして意識がどこか遠くに飛んでしまいそうになる直前、兄の口端が怪しげに歪んでいた。
どうしたの、と聞きたかったのに、その言葉は音にならずに空気に溶けた。
* * *
ガンガンと痛む頭を押さえながらようやく目を覚ますと、私は知らない部屋のベッドに横たわっていた。
状況が飲み込めない。
さっきまで兄とバーで並んでいたはずなのに。
いつここに来て、上着だけでなくワンピースも脱いで、下着姿一枚で横になったのだろう。
嫌な汗が背中を伝う。
まさか。そんなはずはない。
否定の言葉をいくつ並べても、状況がそれを許さない。
「へー、お前の妹っつーから期待してなかったけど、なかなかいいじゃん」
困惑する私のもとへ、一人の男が姿を現した。
ぎらぎらした金の腕時計はまったく似合っていないし、私を舐めるような視線も気持ち悪い。
その後ろに従うように兄がついていた。
「おにい、ちゃん……!」
助けて、と震える唇でなんとか叫んだ。
でも、兄の耳には届かない。
その見知らぬ男から何かを受け取って、そそくさと部屋を出て行ってしまったのだ。
「お兄さんの許可も出たことだし、めいっぱい可愛がってやるよ」
男が私の上に馬乗りになる。
両手首は逃げられないように、がっしりと掴まれて頭上に縫い付けられる。
もう恐怖で声すら出なかった。
嫌だ 見るな 触るな 気持ち悪い。
頭の中で並べた罵詈雑言は、涙となってこぼれ落ちてしまう。
まさぐられた身体は震えが止まらない。
なけなしの抵抗も虚しく、ただただ玩具のように扱われて、見ず知らずの男に身体中をまさぐられて、蛇のような舌で舐め回される。
唯一の頼みの綱である兄も、きっと戻ってこないだろう。
もう、覚悟を決めるしかない。
私は心を殺して、人形になることを決めた。
「そこまでだ!手を上げろ!」
勢いよくドアが開いて、力強い声が響いた。
微かに動かせた視線をその声の方に向けると、スーツ姿に小型の拳銃を構えた男性が、そこにいた。
「あぁ⁈んだよてめぇ!」
「関東厚生局麻薬取締部だ!麻薬取締法違反の疑いで、貴方を現行犯逮捕する!」
抵抗しようと殴りかかった男を、鮮やかな身のこなしでいなし、あっという間に手錠を掛けてしまった。
その一連を呆然と見つめていると、そっと半身を起こされて、そのまま強く抱きしめられた。
「大丈夫⁈遅くなってごめんね!」
その声には、聞き覚えがあった。
「……れい、ちゃ……ん……?」
私を包んでくれたのは、ここへ来る前に一報入れていた友人の、泉玲だった。
何かあったら連絡してと言われていたから。
「ごめん……怖い思いさせて……」
「……ううん……あり、がと……」
安堵の涙が、堰を切ったようにあふれた。
彼女がそっと着ていたコートを肩にかけてくれる。
やっと呼吸ができた。
「何か変なものとか飲まされてない?薬みたいなものとか」
「……わかん、ない……気が付いたら、ここに、いて……」
そっかと短く呟いて、玲は先ほど先陣を切って入ってきた男性と相談を始めた。
どうやら彼女の上司らしい。
しばらく思案した後、男性がゆっくりと近づいてきて、私と目線を合わせるように膝を折った。
「助けが遅くなって済まない。でも君のおかげで逮捕できたんだ。ありがとう」
私を気遣ってか、現場の状況を優先してかはわからないが、男性はそれだけ言うとすぐに取り押さえた男とともに部屋を出て行った。
私の方こそ、助けてもらったお礼がまだ言えてないのに。
「……とりあえず、服着よっか」
近くに投げ捨てられていた私の服を、玲がかき集めて渡してくれた。
のろのろと袖を通す間も、彼女はずっと傍らに寄り添ってくれる。
他愛もない話をして、少しでも私の心が癒えるように。
* * *
現場を後にした私は、そのまま玲に連れられて病院へ直行となった。
気を失っていた間に私にも何か薬を飲まされている可能性が否定できないため、検査が必要だったのだ。
ひと足先に病院で待っていた母は顔面蒼白だったが、私の無事を確認するとその場に泣き崩れた。
とても心配をかけてしまって、私は何度もごめんなさいを繰り返す。
母は嗚咽交じりの声で、生きていてくれただけでいいと、涙でぐしゃぐしゃのまま笑った。
ひと通り検査を終えて、検査結果が出るまでは入院ということになった。
今のところなにも異常はない。
ただ、ゆっくり休む時間も必要との医者の判断だった。
母は諸々の手続きや私の着替えなどを取りに一旦家に帰ることになったので、病室に付き添ってくれたのは玲だった。
そこで、ようやく今回の事件のあらましを知ることになる。
「実は、あなたのお兄さんにも麻薬所持と使用の容疑がかかっていたの。それで私たちは少し前から動向を追っていて……」
そろそろ動きがある頃だと、麻薬取締部の方でも張っていたらしい。そこへ、私がバーへ行くと連絡したから、もしかしたらと動いてくれたらしい。
結局のところ、兄の容疑はクロで、あの男共々現行犯逮捕になったそうだ。
あの時受け取っていたのは、やはり麻薬だったのだ。
「最近帰ってこないと思ったら……そんなことしてたんだね、お兄ちゃん」
少し前までは、私にも優しい兄だったのに。甘い誘惑に負けて悪の道に走ってしまうなんて。
情けないやら、悔しいやら。
爪が食い込むほど強く拳を握りしめると、そっと玲はその手に自身のそれを重ねる。
「でも、お兄さんを救ってあげたのは千颯だよ」
その言葉は、どこまでも優しかった。
また、涙があふれた。
もう枯れてしまったと思っていたのに。
子どものようにわんわん声を上げて泣いた。
病室が個室だったのがせめてもの救いだ。
他の人に聞かれなくてよかった。
散々涙を流したせいか、すっかり力尽きて私はそのまま眠ってしまった。
目が覚める頃には検査結果も出ているだろか。
玲の話によれば、飲まされていたのは睡眠薬だけで、おそらく心配はないとのことだった。
これ以上母に心配はかけたくない。
無事を願いながら、睡魔にその身を委ねた。
* * *
「……いけない、レポートまだ終わってないんだった」
はっと現実に戻ってきた私は、慌ててパソコンに目を向ける。
すっかり紅茶は冷めてしまったから、これを書き終えたら新しいものを淹れ直そう。
そして、今日はちょっと良い入浴剤を使って、ゆっくり湯船に浸かろう。
香りは何にしようか。
取り留めのないことを考えながら、再びキーボードを叩き始めた。
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