第1章 雨のち迷子
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「wake up!!」
鼓膜を震わせる大きな声に、私は思わず体を強張らせた。
泥のような微睡みから急激に覚醒へと向かう意識。弾かれたように押し開けた瞼から、一瞬の空白の後、目が眩むような強い光と色彩の奔流が押し寄せた。
「生きていますか!?」
酷く慌てたような男の声が聞こえる。すぐ近くに人がいるようだ。思考は未だ僅かに靄がかかり、事態の把握が追いつかない。それでもどうにか周囲の様子を探ろうと必死に五感を働かせる。
「くぽぉ〜!」
「プシュッ!!」
「ぴちゃちゃ」
そうして最初に視界へ飛び込んできたのは、こちらを覗き込むように並ぶ三体の生き物だった。三者三様の鳴き声を出し、その場から動くこともなく私を見つめている。
(……え……?)
(何、動物……?)
訳が分からない。質の悪い悪夢でも見ているかのようだった。
脳の奥に残る痺れのような感覚を振り払おうと、緩慢な動きで頭を振る。
このままでは不味い。本能的にそう察知した私は、うまく力が入らない手足に無理矢理力を込めて身体を起こした。
「…………っ」
しかし、強引に身体を動かした反動が出るのは早かった。まだ感覚の戻りきっていない両足ではまともに立つことすら叶わず、危うく横倒しになりかける。
「おっと、無理をしてはいけません! お手をどうぞ!」
地面へ逆戻りしそうになったその瞬間、頭上から先程と同じ男の声が降ってきた。驚いて顔を上げるより早く、私の視界を遮るようにして、よく日焼けた浅黒い手が差し伸べられる。咄嗟にその手を借り、眩暈に揺れる体を彼の腕の力頼りに引き上げた。ようやく少し人心地がつき、お礼を言おうと男の顔を仰ぎ見る。
柔和な微笑みを湛えた顔に、口元に薄く輪を描く髭。その肌は手と同じで浅黒い。独特見慣れない意匠の帽子を被り、体にはこれまた風変わりな白い上着を羽織っている。
「空から落ちてきて驚きましたが……よかった、生きていますね」
「あ……ありがとう、ございます……」
私が無事だと分かると、彼は安堵したように胸を撫で下ろす。右も左も分からないこの状況下で、彼の親切な態度はいくらか私の緊張を解いてくれた。
__________だが、小さく息を吐いたのも束の間、私は先の彼の言葉に交じる違和感に気づく。
(空から落ちてきた……?)
(どういうこと? だって私は確か……)
「……っ!?」
ここに来る前のことを思い出そうとした瞬間、頭が激しく疼いた。
脳の奥で火花が散っているような、金槌で何度も殴りつけられているような、言葉にし難い連続性のある痛み。堪えきれずに小さな呻きが漏れる。
「ぅ、っ……」
「お嬢さん? どうかしましたか?」
「……いえ、平気……です」
幸い、痛みはそこまで長引く事なく治まった。目に見えて様子のおかしい私に、彼は変わらず気遣わしげな視線を向けていたが、初対面の相手にこれ以上余計な心配をかける訳にはいかない。そう思い、弱々しくも首を横に振って彼の憂慮を退ける。
「助けて頂き、ありがとうございます」
「いえいえ。怪我はないようで何よりです」
「……あの、つかぬ事をお伺いしますが……ここは、どこですか……?」
「ここは始まりの浜、といいます。もしかして、空から落ちたショックで分からないのですか?」
始まりの浜__________その地名を頭の中で反芻し、過去の光景や経験から探し出そうと試みるも、該当する記憶は見つからない。それどころか、些か前から彼が口にしている「空から落ちてきた」という非現実的な言葉によって、私の混乱は更に深まっていく。
「その『空から落ちてきた』って、どういうことですか?」
「言葉通りの意味です。キミは、何もないように見えた空から突然落ちてきた。それと、そこに山が見えるでしょう? 少し前から、あの上の空に穴のようなものが空いているのです。ボクたちはアレを『時空の裂け目』と呼んでいるのですが……キミが空から落ちてきたのと、何か関係があるように思います」
「…………」
現実離れした話の数々に、思わず言葉を失ってしまった。
彼が指差した方角を見上げれば、確かに一際大きな山の真上、天を裂くようにして不気味な黒い穴が浮かんでいる。その中央には白い光が宿っており、穴全体は稲妻が走っているかのように不規則な明滅を繰り返していた。
俄かに信じ難い話だが、目の前の男が嘘を吐いているようには見えない。第一、素性も知れない不審な子供に、こんな荒唐無稽極まる嘘を吐く必要性などないだろう。空に浮かぶ裂け目、というものを実際にこの目にしている以上、信じる他ない。
「それにしても……なんとも言えない不思議な格好をしていますが……このあたりに知りあいはいるのですか?」
「いえ……」
「なるほど……大変ですね。では、行くあてはあるのですか?」
「……ありません。自分がどこから来たかも分からなくて……」
俯いたままそう言うと、彼は困ったように首を捻る。
「知りあいもおらず、寝場所もない……とてもお困りのようですが、そもそも生きていけるのですか?」
「……っ」
痛いところを突かれて口籠る私に、彼は腕を組んで少しばかり思案する様を見せた後、顔を綻ばせながら頷いた。
「わかりました! 困っている人を見捨てるわけにはいかないのです!」
「え、えっ?」
「ここは比較的少ないですが、危ないポケモンたちもいますからね。ムラに案内しますよ!」
「ありがたいですけど……いいんですか……?」
「もちろんです! お嬢さんを1人置いていくなんてできません!」
「……あ、ありがとうございます!」
願ってもない申し出だった。「ムラ」という響きからして、彼が普段住んでいる場所へ同行させてくれるのだろう。ありがたい事この上ない。
これで野宿は免れた。そう安堵していると__________
「ぽぉ!ぽっ!」
「プシュッ!」
「ぴちゃ?」
不意に、彼の足元から聞き覚えのある鳴き声が聞こえた。つい数分前に耳にしたものと酷似していたこともあり、反射的に目線を下に移す。
そこには、丸いフォルムでクチバシを持っているもの、背中から炎を噴き出しているもの、腹部に貝殻が付いているもの、それぞれ特徴の異なる3匹が佇んでいた。
「そうでした! このコたち 逃げたポケモンを追いかけてきたら、キミが落ちてきたのです…… このコたちはもしかして、キミの出現をわかっていたのでしょうか。そうだ、キミ、ポケモンは分かりますか?」
「はい。知ってます」
「よかった…… 空から落ちてきても、普通の人のようですね。そうです、このコたちはポケットモンスター、ちぢめてポケモンと呼ばれる不思議な生き物です」
彼の紹介に応えるように、3匹はその場で軽く飛び跳ねる。
「……ハッ! 肝心なことを聞き忘れていました! キミのお名前を伺っても?」
「ヒオウ、といいます」
「へえ! ヒオウくんというのですか! 不思議な印象の名前ですが、きっとステキな意味ですよね」
「ボクはラベンといいまして、ポケモン博士をしているのです。ポケモンたちのことを詳しく知るため、あれこれしている研究家なのです。いまはこのコたちを……」
お互いに名乗り合い、今更ながら自己紹介を終えて、彼が3匹のポケモンたちについての説明に移ろうとしていたであろう、その瞬間。彼が喋り終えるよりも早く、それまで大人しかった3匹が、突如として思い思いの方向へ一斉に走り出していった。
「えっ!?」
「オー! かわいいポケモンたち! どうして逃げだしたりするのです? 逃げたポケモンたちを追いかけるのです!! ああ、待ってくださーい!!」
「て、手伝います!」
状況は掴めないままであったが、彼__________ラベン博士が先程「危ないポケモンもいる」と口にしていたのを思い出す。
このまま見失う訳にはいかない。そう判断し、博士の後に続いて駆け出した。
♦︎
ポケモンたちを追って辿り着いたのは、草木や岩が点在する平地だった。3匹とも同じフィールド上にいたのは幸運に思ったが、ラベン博士は捕獲作業が不得手らしく、中々捕まえることができない。モンスターボールの数にも限りがあるからと交代を頼まれ、代わりに私が捕獲を試みることとなった。
その際に手渡されたモンスターボールは、私の朧げな記憶にあるものとは随分と異なっており、木製のように見えた。部分的ではあるが、やはり以前の記憶が幾らか残っているらしい。
そうして各ポケモンの名前や能力、特性を教えてもらってから臨んだ捕獲。
作業自体はそう難しいものでもなく、5分も経たずに全てのポケモンを捕まえ終えると、博士は目を輝かせ、惜しみない賞賛と感謝の言葉を私に投げかけた。
「ありがとうございます! いやあ、助かりました!」
「そんな……お礼を言われるようなことじゃ……」
「何を言いますか! ポケモンを上手く捕まえることのできる人は珍しいのですよ!」
「……へ?」
予想外の言葉だった。
私の曖昧な記憶が正しければ、少なくとも、以前の場所において「ポケモンを捕獲する」ということは、何ら特別な行為ではなかった。世界中の多くの人々がポケモンを捕まえ、傍らに置き、家族のように共に生きていく。それが私の知る「普通」の社会だった。
だというのにこの地では、ポケモンを捕まえること自体が、一部の者しか持たない希少なスキルとして驚かれる。
つまり「ポケモンを連れている人間」という存在が、それ程までに珍しいのだ。
地域の違いによる価値観や認識の差異、なんてものはよくある話だが、恐らくは世界共通であった筈の認識さえ食い違っているとはどういうことなのだろう。
その後の話も聞く限り、やはりポケモンを捕まえることのできる人間は少なく、稀な才能として扱われているようだった。他にも幾つか引っかかる点があったため、博士に尋ねてみたところ、私の認識とは大きく異なる事実が浮かび上がった。
まず、モンスターボールはつい最近開発されたばかりであること。次に、ここでは人とポケモンはあまり親密な関係でなく、人々から恐れられたり、逆に特別な存在として敬われていること。
どちらの事柄も私に多大な困惑をもたらしたことには違いなかったが、何よりも私に衝撃を与えたのは__________この地、いや、この世界が「70〜80年前のシンオウ地方」だということだった。
博士から話を聞いていくに連れて、いつだか耳にした「その昔、シンオウ地方は今とは違って“ヒスイ地方“という名前だった」という話を思い出したのだ。かつてはポケモンに関して明らかになっていないことが多く、ポケモンは恐ろしい生き物として認識されることが大半だった。そんな風に誰かが話していたのを、不確かな記憶ではあるが覚えている。
その内容と、今実際に目に、耳にしている情報を照らし合わせれば、導き出される答えはただ1つ。
私はどうやら、シンオウ地方の遥か昔の姿__________“ヒスイ地方“に、迷い込んでしまったらしい。
認識の齟齬も、木製のボールも、すべてが過去の時代であることの証明だ。突拍子もない結論ではあったが、認めざるを得ない。
「……あ、あのっ……!」
「はい?」
「私、実は……っ」
未来から来た人間かもしれない。そう告白しようとしたが、咄嗟に言葉を飲み込んだ。
私は、この世界の人々がどういった倫理観や常識を持っているか、まだ何も知らない。「未来から来た」などと突飛なことを公言した場合、どんな目に遭うか分からないのだ。
異端者として捕らえられたり、迫害されたら。唯一の頼みの綱である博士に「ムラへ連れて行く話はなかったことにしてほしい」などと見捨てられてしまったら。
今後のことを慎重に考えればこそ、五里霧中の今、不用意な発言は避けるべきだと考えた。
「……いえ、なんでもないです」
「そうですか? 何か聞きたいことがあれば、いつでも聞いてくださいね!」
「ありがとうございます……って、あれ?」
隠し事をした負い目から、所在なく足を少し動かした、その時だった。
右足の側面に何かが当たるのを感じ、見れば、そこにはスマートフォンらしきものが横たわっていた。
しかし、私の知っているスマートフォンの形とは似ていない、奇妙な造形をしている。形状には違和感を覚えるものの、どういう訳か、自分のものだと直感的に理解できた。土を払いながら拾い上げると、画面に一件のメッセージが表示されている。
『アルセウスフォンと しめいをたくす』
『すべてのポケモンとであえ』
(使命?)
書かれている内容がよく理解できず、つい首を傾げた。
言葉通りに受け取っていいものか、と悩んでいると、博士が興味深そうに画面を覗き込んでくる。この世界の住人なら理解できるのかもしれない。そう思って期待したはいいが、博士もすぐに同じ角度で首を傾げたのを見て、静かにその期待を引っ込めた。
「これはなんでしょうか?」
「私もよく分からないんですけど……これが、いつのまにか足元にあって……」
鼓膜を震わせる大きな声に、私は思わず体を強張らせた。
泥のような微睡みから急激に覚醒へと向かう意識。弾かれたように押し開けた瞼から、一瞬の空白の後、目が眩むような強い光と色彩の奔流が押し寄せた。
「生きていますか!?」
酷く慌てたような男の声が聞こえる。すぐ近くに人がいるようだ。思考は未だ僅かに靄がかかり、事態の把握が追いつかない。それでもどうにか周囲の様子を探ろうと必死に五感を働かせる。
「くぽぉ〜!」
「プシュッ!!」
「ぴちゃちゃ」
そうして最初に視界へ飛び込んできたのは、こちらを覗き込むように並ぶ三体の生き物だった。三者三様の鳴き声を出し、その場から動くこともなく私を見つめている。
(……え……?)
(何、動物……?)
訳が分からない。質の悪い悪夢でも見ているかのようだった。
脳の奥に残る痺れのような感覚を振り払おうと、緩慢な動きで頭を振る。
このままでは不味い。本能的にそう察知した私は、うまく力が入らない手足に無理矢理力を込めて身体を起こした。
「…………っ」
しかし、強引に身体を動かした反動が出るのは早かった。まだ感覚の戻りきっていない両足ではまともに立つことすら叶わず、危うく横倒しになりかける。
「おっと、無理をしてはいけません! お手をどうぞ!」
地面へ逆戻りしそうになったその瞬間、頭上から先程と同じ男の声が降ってきた。驚いて顔を上げるより早く、私の視界を遮るようにして、よく日焼けた浅黒い手が差し伸べられる。咄嗟にその手を借り、眩暈に揺れる体を彼の腕の力頼りに引き上げた。ようやく少し人心地がつき、お礼を言おうと男の顔を仰ぎ見る。
柔和な微笑みを湛えた顔に、口元に薄く輪を描く髭。その肌は手と同じで浅黒い。独特見慣れない意匠の帽子を被り、体にはこれまた風変わりな白い上着を羽織っている。
「空から落ちてきて驚きましたが……よかった、生きていますね」
「あ……ありがとう、ございます……」
私が無事だと分かると、彼は安堵したように胸を撫で下ろす。右も左も分からないこの状況下で、彼の親切な態度はいくらか私の緊張を解いてくれた。
__________だが、小さく息を吐いたのも束の間、私は先の彼の言葉に交じる違和感に気づく。
(空から落ちてきた……?)
(どういうこと? だって私は確か……)
「……っ!?」
ここに来る前のことを思い出そうとした瞬間、頭が激しく疼いた。
脳の奥で火花が散っているような、金槌で何度も殴りつけられているような、言葉にし難い連続性のある痛み。堪えきれずに小さな呻きが漏れる。
「ぅ、っ……」
「お嬢さん? どうかしましたか?」
「……いえ、平気……です」
幸い、痛みはそこまで長引く事なく治まった。目に見えて様子のおかしい私に、彼は変わらず気遣わしげな視線を向けていたが、初対面の相手にこれ以上余計な心配をかける訳にはいかない。そう思い、弱々しくも首を横に振って彼の憂慮を退ける。
「助けて頂き、ありがとうございます」
「いえいえ。怪我はないようで何よりです」
「……あの、つかぬ事をお伺いしますが……ここは、どこですか……?」
「ここは始まりの浜、といいます。もしかして、空から落ちたショックで分からないのですか?」
始まりの浜__________その地名を頭の中で反芻し、過去の光景や経験から探し出そうと試みるも、該当する記憶は見つからない。それどころか、些か前から彼が口にしている「空から落ちてきた」という非現実的な言葉によって、私の混乱は更に深まっていく。
「その『空から落ちてきた』って、どういうことですか?」
「言葉通りの意味です。キミは、何もないように見えた空から突然落ちてきた。それと、そこに山が見えるでしょう? 少し前から、あの上の空に穴のようなものが空いているのです。ボクたちはアレを『時空の裂け目』と呼んでいるのですが……キミが空から落ちてきたのと、何か関係があるように思います」
「…………」
現実離れした話の数々に、思わず言葉を失ってしまった。
彼が指差した方角を見上げれば、確かに一際大きな山の真上、天を裂くようにして不気味な黒い穴が浮かんでいる。その中央には白い光が宿っており、穴全体は稲妻が走っているかのように不規則な明滅を繰り返していた。
俄かに信じ難い話だが、目の前の男が嘘を吐いているようには見えない。第一、素性も知れない不審な子供に、こんな荒唐無稽極まる嘘を吐く必要性などないだろう。空に浮かぶ裂け目、というものを実際にこの目にしている以上、信じる他ない。
「それにしても……なんとも言えない不思議な格好をしていますが……このあたりに知りあいはいるのですか?」
「いえ……」
「なるほど……大変ですね。では、行くあてはあるのですか?」
「……ありません。自分がどこから来たかも分からなくて……」
俯いたままそう言うと、彼は困ったように首を捻る。
「知りあいもおらず、寝場所もない……とてもお困りのようですが、そもそも生きていけるのですか?」
「……っ」
痛いところを突かれて口籠る私に、彼は腕を組んで少しばかり思案する様を見せた後、顔を綻ばせながら頷いた。
「わかりました! 困っている人を見捨てるわけにはいかないのです!」
「え、えっ?」
「ここは比較的少ないですが、危ないポケモンたちもいますからね。ムラに案内しますよ!」
「ありがたいですけど……いいんですか……?」
「もちろんです! お嬢さんを1人置いていくなんてできません!」
「……あ、ありがとうございます!」
願ってもない申し出だった。「ムラ」という響きからして、彼が普段住んでいる場所へ同行させてくれるのだろう。ありがたい事この上ない。
これで野宿は免れた。そう安堵していると__________
「ぽぉ!ぽっ!」
「プシュッ!」
「ぴちゃ?」
不意に、彼の足元から聞き覚えのある鳴き声が聞こえた。つい数分前に耳にしたものと酷似していたこともあり、反射的に目線を下に移す。
そこには、丸いフォルムでクチバシを持っているもの、背中から炎を噴き出しているもの、腹部に貝殻が付いているもの、それぞれ特徴の異なる3匹が佇んでいた。
「そうでした! このコたち 逃げたポケモンを追いかけてきたら、キミが落ちてきたのです…… このコたちはもしかして、キミの出現をわかっていたのでしょうか。そうだ、キミ、ポケモンは分かりますか?」
「はい。知ってます」
「よかった…… 空から落ちてきても、普通の人のようですね。そうです、このコたちはポケットモンスター、ちぢめてポケモンと呼ばれる不思議な生き物です」
彼の紹介に応えるように、3匹はその場で軽く飛び跳ねる。
「……ハッ! 肝心なことを聞き忘れていました! キミのお名前を伺っても?」
「ヒオウ、といいます」
「へえ! ヒオウくんというのですか! 不思議な印象の名前ですが、きっとステキな意味ですよね」
「ボクはラベンといいまして、ポケモン博士をしているのです。ポケモンたちのことを詳しく知るため、あれこれしている研究家なのです。いまはこのコたちを……」
お互いに名乗り合い、今更ながら自己紹介を終えて、彼が3匹のポケモンたちについての説明に移ろうとしていたであろう、その瞬間。彼が喋り終えるよりも早く、それまで大人しかった3匹が、突如として思い思いの方向へ一斉に走り出していった。
「えっ!?」
「オー! かわいいポケモンたち! どうして逃げだしたりするのです? 逃げたポケモンたちを追いかけるのです!! ああ、待ってくださーい!!」
「て、手伝います!」
状況は掴めないままであったが、彼__________ラベン博士が先程「危ないポケモンもいる」と口にしていたのを思い出す。
このまま見失う訳にはいかない。そう判断し、博士の後に続いて駆け出した。
♦︎
ポケモンたちを追って辿り着いたのは、草木や岩が点在する平地だった。3匹とも同じフィールド上にいたのは幸運に思ったが、ラベン博士は捕獲作業が不得手らしく、中々捕まえることができない。モンスターボールの数にも限りがあるからと交代を頼まれ、代わりに私が捕獲を試みることとなった。
その際に手渡されたモンスターボールは、私の朧げな記憶にあるものとは随分と異なっており、木製のように見えた。部分的ではあるが、やはり以前の記憶が幾らか残っているらしい。
そうして各ポケモンの名前や能力、特性を教えてもらってから臨んだ捕獲。
作業自体はそう難しいものでもなく、5分も経たずに全てのポケモンを捕まえ終えると、博士は目を輝かせ、惜しみない賞賛と感謝の言葉を私に投げかけた。
「ありがとうございます! いやあ、助かりました!」
「そんな……お礼を言われるようなことじゃ……」
「何を言いますか! ポケモンを上手く捕まえることのできる人は珍しいのですよ!」
「……へ?」
予想外の言葉だった。
私の曖昧な記憶が正しければ、少なくとも、以前の場所において「ポケモンを捕獲する」ということは、何ら特別な行為ではなかった。世界中の多くの人々がポケモンを捕まえ、傍らに置き、家族のように共に生きていく。それが私の知る「普通」の社会だった。
だというのにこの地では、ポケモンを捕まえること自体が、一部の者しか持たない希少なスキルとして驚かれる。
つまり「ポケモンを連れている人間」という存在が、それ程までに珍しいのだ。
地域の違いによる価値観や認識の差異、なんてものはよくある話だが、恐らくは世界共通であった筈の認識さえ食い違っているとはどういうことなのだろう。
その後の話も聞く限り、やはりポケモンを捕まえることのできる人間は少なく、稀な才能として扱われているようだった。他にも幾つか引っかかる点があったため、博士に尋ねてみたところ、私の認識とは大きく異なる事実が浮かび上がった。
まず、モンスターボールはつい最近開発されたばかりであること。次に、ここでは人とポケモンはあまり親密な関係でなく、人々から恐れられたり、逆に特別な存在として敬われていること。
どちらの事柄も私に多大な困惑をもたらしたことには違いなかったが、何よりも私に衝撃を与えたのは__________この地、いや、この世界が「70〜80年前のシンオウ地方」だということだった。
博士から話を聞いていくに連れて、いつだか耳にした「その昔、シンオウ地方は今とは違って“ヒスイ地方“という名前だった」という話を思い出したのだ。かつてはポケモンに関して明らかになっていないことが多く、ポケモンは恐ろしい生き物として認識されることが大半だった。そんな風に誰かが話していたのを、不確かな記憶ではあるが覚えている。
その内容と、今実際に目に、耳にしている情報を照らし合わせれば、導き出される答えはただ1つ。
私はどうやら、シンオウ地方の遥か昔の姿__________“ヒスイ地方“に、迷い込んでしまったらしい。
認識の齟齬も、木製のボールも、すべてが過去の時代であることの証明だ。突拍子もない結論ではあったが、認めざるを得ない。
「……あ、あのっ……!」
「はい?」
「私、実は……っ」
未来から来た人間かもしれない。そう告白しようとしたが、咄嗟に言葉を飲み込んだ。
私は、この世界の人々がどういった倫理観や常識を持っているか、まだ何も知らない。「未来から来た」などと突飛なことを公言した場合、どんな目に遭うか分からないのだ。
異端者として捕らえられたり、迫害されたら。唯一の頼みの綱である博士に「ムラへ連れて行く話はなかったことにしてほしい」などと見捨てられてしまったら。
今後のことを慎重に考えればこそ、五里霧中の今、不用意な発言は避けるべきだと考えた。
「……いえ、なんでもないです」
「そうですか? 何か聞きたいことがあれば、いつでも聞いてくださいね!」
「ありがとうございます……って、あれ?」
隠し事をした負い目から、所在なく足を少し動かした、その時だった。
右足の側面に何かが当たるのを感じ、見れば、そこにはスマートフォンらしきものが横たわっていた。
しかし、私の知っているスマートフォンの形とは似ていない、奇妙な造形をしている。形状には違和感を覚えるものの、どういう訳か、自分のものだと直感的に理解できた。土を払いながら拾い上げると、画面に一件のメッセージが表示されている。
『アルセウスフォンと しめいをたくす』
『すべてのポケモンとであえ』
(使命?)
書かれている内容がよく理解できず、つい首を傾げた。
言葉通りに受け取っていいものか、と悩んでいると、博士が興味深そうに画面を覗き込んでくる。この世界の住人なら理解できるのかもしれない。そう思って期待したはいいが、博士もすぐに同じ角度で首を傾げたのを見て、静かにその期待を引っ込めた。
「これはなんでしょうか?」
「私もよく分からないんですけど……これが、いつのまにか足元にあって……」
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