第1章 雨のち迷子
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空が、濁っていた。
食べられるきのみや野草を探すため、人に見つかるリスクを冒してまで森の外へ出てきたというのに、この空模様では大した収穫も望めそうにない。私の運の悪さは、やはり筋金入りらしい。
低く垂れ込めた灰色の雲は、まるで何かを拒むようにヒスイの森に蓋をしている。まだ雨粒こそ落ちてきていないが、遠からず雨が降り出す事は容易に推測できるだろう。何より、鼻腔をくすぐる独特の匂いが、その予感を確固たるものへと押し上げていた。
降ってくる少し前に決まって漂う、まだ見ぬ雨の気配を孕んだ風の匂い。木々の隙間を吹き抜け私の下へと届く、乾いた土が湿り気を帯びていく匂い。不快かと問われれば首を横に振る程度には、私の肌に馴染む空気だった。
雲量が増していくに連れて、空は澱み、暗転に近しい感覚に支配される。かつては不気味にも感じていたそれが、今は私を匿うために空が下ろしてくれた粋な帳のように思えてならなかった。
「……あ、雨だ」
頬に弾けた一滴が合図だった。
それを皮切りに、灰色で埋め尽くされていた景色へ、織り込まれるように銀の雨脚が走り出す。一条、また一条と。
「雨、嫌いでしょ。帰ろっか」
「がう」
私の言葉に、相棒__________ウインディは低く喉を鳴らした。待ってましたとばかりに大きな尻尾を一振りし、その巨体を押し付けてくる。秋から冬へと移ろうこの季節にしか味わえない、冬毛に生え変わりつつある不揃いで柔らかな毛並みだ。
「ちょっと、熱い」
「わふ!」
肌寒い雨を前にして、この温もりを嫌う理由などどこにもない。ただの照れ隠しで出た言葉だということを、賢い相棒は見抜いているのだろうか。
ウインディはそんな私の天邪鬼を見透かしているのか、或いは単に甘えたいだけなのか。どちらにせよ、今この瞬間に感じている確かな安堵は、薄暗い帳だけがもたらしてくれたものではなかった。
「……もう、しょうがないな。ほら、行くよ」
「うぉん!」
少しのきのみと野草が入った籠を持ち直し、ウインディの毛並みをひと撫でしてから、家路へと歩みを向けた。ウインディは体をぴったりと私の隣に寄せ、歩調を合わせて歩いてくれる。
人里近くまで出向いたわりには、籠の中身は随分と心許ない。けれど、私の心は暗くなかった。理由など語るまでもない。
使い古した傘を差し、雨の中を1人と1匹が並んで進む。他の人間に見つからないよう、見つかっても顔を見られることがないよう、雨除けを装って羽織を被りながら。
そうして、私たちは安住の地へと急いだ。
♦︎
道すがら、ふと視界の端にコトブキムラの入り口が見えた。
「……っ!」
弾かれたように、すぐさま目を背ける。忌々しい光景から逃れようと、私の足は無意識に歩調を速めていたらしい。ウインディが慌てて私の後を追いかけ、その体を寄り添わせてきたところで、ようやく自分の動揺に気がついた。
「あ……」
「ごめん、置いてっちゃって」
「がうっ」
咎める色など一欠片もない、優しい声。私はなんだか堪らなくなって、ウインディのふさふさとした首元に触れた。
「……ありがと」
俯いたまま、掠れた声でそう呟く。そしてゆっくりと手を離した。
「ごめんね。今度こそ帰ろう、お腹も空いたし」
「わふん!」
再び歩き出した私の隣を、ウインディは自分の定位置だとばかりに並んで歩く。
家はそう遠くない。他人の目も、冷たい雨も届かない、私たちだけの我が家へ。
食べられるきのみや野草を探すため、人に見つかるリスクを冒してまで森の外へ出てきたというのに、この空模様では大した収穫も望めそうにない。私の運の悪さは、やはり筋金入りらしい。
低く垂れ込めた灰色の雲は、まるで何かを拒むようにヒスイの森に蓋をしている。まだ雨粒こそ落ちてきていないが、遠からず雨が降り出す事は容易に推測できるだろう。何より、鼻腔をくすぐる独特の匂いが、その予感を確固たるものへと押し上げていた。
降ってくる少し前に決まって漂う、まだ見ぬ雨の気配を孕んだ風の匂い。木々の隙間を吹き抜け私の下へと届く、乾いた土が湿り気を帯びていく匂い。不快かと問われれば首を横に振る程度には、私の肌に馴染む空気だった。
雲量が増していくに連れて、空は澱み、暗転に近しい感覚に支配される。かつては不気味にも感じていたそれが、今は私を匿うために空が下ろしてくれた粋な帳のように思えてならなかった。
「……あ、雨だ」
頬に弾けた一滴が合図だった。
それを皮切りに、灰色で埋め尽くされていた景色へ、織り込まれるように銀の雨脚が走り出す。一条、また一条と。
「雨、嫌いでしょ。帰ろっか」
「がう」
私の言葉に、相棒__________ウインディは低く喉を鳴らした。待ってましたとばかりに大きな尻尾を一振りし、その巨体を押し付けてくる。秋から冬へと移ろうこの季節にしか味わえない、冬毛に生え変わりつつある不揃いで柔らかな毛並みだ。
「ちょっと、熱い」
「わふ!」
肌寒い雨を前にして、この温もりを嫌う理由などどこにもない。ただの照れ隠しで出た言葉だということを、賢い相棒は見抜いているのだろうか。
ウインディはそんな私の天邪鬼を見透かしているのか、或いは単に甘えたいだけなのか。どちらにせよ、今この瞬間に感じている確かな安堵は、薄暗い帳だけがもたらしてくれたものではなかった。
「……もう、しょうがないな。ほら、行くよ」
「うぉん!」
少しのきのみと野草が入った籠を持ち直し、ウインディの毛並みをひと撫でしてから、家路へと歩みを向けた。ウインディは体をぴったりと私の隣に寄せ、歩調を合わせて歩いてくれる。
人里近くまで出向いたわりには、籠の中身は随分と心許ない。けれど、私の心は暗くなかった。理由など語るまでもない。
使い古した傘を差し、雨の中を1人と1匹が並んで進む。他の人間に見つからないよう、見つかっても顔を見られることがないよう、雨除けを装って羽織を被りながら。
そうして、私たちは安住の地へと急いだ。
♦︎
道すがら、ふと視界の端にコトブキムラの入り口が見えた。
「……っ!」
弾かれたように、すぐさま目を背ける。忌々しい光景から逃れようと、私の足は無意識に歩調を速めていたらしい。ウインディが慌てて私の後を追いかけ、その体を寄り添わせてきたところで、ようやく自分の動揺に気がついた。
「あ……」
「ごめん、置いてっちゃって」
「がうっ」
咎める色など一欠片もない、優しい声。私はなんだか堪らなくなって、ウインディのふさふさとした首元に触れた。
「……ありがと」
俯いたまま、掠れた声でそう呟く。そしてゆっくりと手を離した。
「ごめんね。今度こそ帰ろう、お腹も空いたし」
「わふん!」
再び歩き出した私の隣を、ウインディは自分の定位置だとばかりに並んで歩く。
家はそう遠くない。他人の目も、冷たい雨も届かない、私たちだけの我が家へ。
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