悪事の功名

スキ!ありがとうございます!

<悪事の功名①>



時々こういう夜がある。


前職ではモラハラ気質の人が多かった。ひとつひとつ見れば些細なことだったが、積み重なった未消化の憂鬱は時折膨らんでは私を覆う。
今朝その一つを思い出してから気持ちが晴れなくて、必要最低限の仕事だけしてさっさと帰宅した。
ちょっとでも面倒な案件に手を付けて行き詰ったり、同僚の誰かと深い話でもしようものなら泣き出してしまうような気がしたから。


鼻から息を吸う。
それだけで酩酊するようなウイスキーの香りに目を閉じる。
その奥に木の香りを見つけて、私にこのお酒を教えてくれた先輩のことを思い出した。

”女子力” ”結婚” ”仕事”、ただ女に生まれたと言うだけで、同年代の男性より求められることが多岐に渡る。
私にウイスキーを教えてくれた彼女は、そういうものを軽やかに飛び越えていく人だった。勇ましいメンタルを持っている割に、攻撃性を表に出しているのはほとんど見たことがなかった。いつも柔らかな笑みを湛えていて、この人の目には自分が好きなものしか映っていないんだろうな、と思わされた。職場の飲み会の場においてすら。

一度だけ彼女と2人で飲んだことがある。
その日も今日のように朝からもやもやとした気分の元で仕事をしていて、午後に彼女に声をかけられたのだ。今日飲みに行く?それとも早く帰って寝る?と、まるでこれからコーヒー飲むか聞くような気軽さで。
彼女が連れて行ってくれたバーでは、お酒とチョコレートが出されていた。わたしはあまり飲まないけれど、今のあなたに必要だと思って。そう言った彼女のおかげで私はウイスキーの飲み方も、憂鬱の晴らし方も知ることが出来た。

不意に着信音が鳴って体を起こす。
サボだった。

「お前今なにしてる?」

自分の爪に目をやる。ピンクベージュのネイル。ペディキュアは赤。下着は黒。それ以外は何も身に着けていない。

「…わるいこと」
「なんだよ、男漁りか?」
「サボの思う悪いことってそういうことなのね」
「じゃあ何してんだよ」

寝返りを打った。サイドテーブルにはウイスキーのボトルとグラス、紙箱に入ったチョコレート。

芯から落ち込んでいる時、店に飲みに行く余裕なんかなかった。
仕事用の武装を解いて、どこよりも脱力できる場所で。
そうして行き着いたのが、

「ベッドに寝転がってウイスキーとチョコレート堪能してる」

という、とても人に見せられない憂鬱の晴らし方だった。

「…悪いな」
「わるいでしょ」


これが彼氏なら、下着しか身につけていないことも匂わせるんだろうな。




ここに引っ越してきた日、好意を表された気もしたけれど、私たちお得意の言葉遊びの範疇だったとも取れて、はっきりとしないまま時間だけが過ぎていた。
その間に友達と言い張るには生々しすぎる夜を何度も経て、サボは私の部屋の合鍵を持ち歩くまでになっている。
恋人に限りなく近い存在ではあるけれど、互いに相手を縛る言葉を使わなかった私たちは、もしかしたら“都合の良い存在”になっているのかも知れない。

私だって、好きだけど。
子供の頃から好きではあったけど。
この器用な幼馴染が自分を、自分だけを好きだとどうしても信じられなくて。

…この人が恋をしたらどうなるのか、実は知らないし。


「今から行く」
「え、別に来なくても」
「ってかもう家の前にいるから」


その言葉と同時にガチャリと鍵が開く音がした。

→NEXT

[ ログインして送信 ]