私の勤めるモビーディック社は、社長のエドワード・ニューゲートが一代で成した、
BtoBからBtoCまで幅広く扱う総合商社だ。

私はその中のBtoC、個人向け営業に携わっている。
入社から３年、たいていのことは一人でできるようになってきた。
年度始めの慌ただしい空気を肌で感じながらフロアを急ぐ。

「お、シホ！お疲れ！」
「わ、久しぶり、エース！」

本社の廊下で久しぶりの顔に出くわした。
同期入社の中で今も本社で働いてるのは数人で、
その中でも営業職を続けているのは私とこのエースだけだ。

「お前も次の優績者旅行いくんだろ？」
「ってことはエースも行くの？」
「おう、売り上げ３位な」
「やるじゃん！」
「お前は何で行くんだ？」
「成約率と紹介件数とリピート率」
「…三冠かよ」
「どれも一位ではないけどね」

成績が良かった人だけが参加できる社員旅行があって、
GW前後に行き先も日程も選択自由な１週間の旅行が許可される。

「４年目で参加できるのってすごいことだって言われたよ」
「それ俺も言われた」
「光栄ですねえ」
「ほんとだな」
「あれエントリー締め切りいつだっけ」
「今週いっぱい。お前もう行き先決めた？」
「うーん沖縄かなあ、のんびりできそうだし」
「そこは海外じゃねえのかよ」
「言葉通じたほうがいい」
「俺はハワイか沖縄で迷ってる」
「へえ、なんで？」
「ほんとはハワイがいいんだけど、飛行機の移動長すぎて２食くらい食いそびれるだろ」
「…すごくエースらしいね」
「お前誰かと行き先合わせたりしてんの？」

この仕事をしてからお一人様力が爆上がりしていて、
最近では旅行はもちろん、そろそろ焼肉もひとりで行けそうなレベルに達している。

「してない。今回の参加者ほとんど接点ない人達ばっかりだし」
「俺もなんだよなー。知ってんのマルコぐらいだし、あいつ金沢行くとか言ってたし」

マルコさんはこの会社の人事部のトップで、食事中や大事な局面で寝るエースが
スムーズに仕事できるように取り計らってくれた人だ。
もとは産業医で就業環境の整備に長けていて、ビジネス誌から取材が来るようなやり手。
「大家族経営」を掲げるこの会社では呼び捨てやタメ口が日常だ。
私のように、一般的なビジネスマナーを社内に対して発揮する人は、ごく稀といっていい。
代わりに外部に対してのマナーは、恐怖を感じるくらい徹底的に叩き込まれる。

「じゃあ、合わせるか！沖縄」
「え？いいよ別に、好きなとこ行きなよ」
「いいじゃねえか、最近同期旅行とかできてないしよ！」
「あー１年ぐらいしてないかもね」
「決まりな！希望出しとけよ！」

私何も言ってないんだけどな。
ま、いいか、たまには誰かと一緒に旅行も。

「わかった」
「絶対だぞ！」

少年のような笑顔で念押しする同期を見ながら、
この笑顔向けられたらお客さんもひとたまりもないよね、と妙に納得していた。