初雪のはなし
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蘭学書を読み終えて眉間に手を遣る。
文机の横に置かれた盆に手を伸ばしかけて、湯呑が空であることを思い出す。
これを持って来たのはハルで、その後すぐに休むように言ったから今は既に眠りの中のはずだ。
ひとつ息を吐く。
この盆が運ばれてきた時、俺はハルを直視することが出来なかった。
話は昼に遡る。
水の流れる音が耳に届いて庭に目をやった。
薄紅の着物をまとったハルが薬草に水をやっていた。
「…茎が伸びて来ましたね」
薬草に話しかけているのを不可解な気持ちで眺める。
不意に鳥の鳴き声が聞こえた。
眩しそうにそれを見上げた瞳が細められる。
腰を上げ振り返ったハルがおれに気づいた。
「!…いつからそこに居られたのですか」
「お前が薬草に話しかけていた頃からだ」
「…お恥ずかしいところを」
頬が着物以上の紅色に染まる。
「調子はどうだ」
「おかげさまで、もうすっかり良いのです。今ならお江戸までだって歩けそうです」
「…元気になったなら良いことだ」
ここに連れてきた時、”治療のため”と屋敷の外に出ることを禁じた。
「…だが、外に出るにはまだ早い」
「っ、…申し訳ありません、出過ぎたことを」
「いや、いい」
”治療のため”という名目でいつまで誤魔化せるだろうか。
いずれは本人も不審がる日が来る。
本当のことを伝えた時、こいつはどんな顔をするのだろうか。
”もう病は癒えていて本来なら外に出てもいいが、俺がお前を手元に置いておきたいから外に出るな”
”本来ならお前はあそこまで苦しむ必要はなかったが、俺の我儘であえてあの状態まで陥らせた”
縁側に目を落とす。
いっそのこと、
「春が、来ましたね」
思考を遮る清廉な声に顔を上げる。
陽の光が黒い髪を艶やかに照らしていた。
”花が咲いたような笑顔”という比喩に初めて納得した。
その向こうに透けて見える、あまりにも無防備な全幅の信頼。
目を逸らす。
そうでなければハルを掻き抱いてしまいそうだった。
「…そうだな」
なんとかそれだけ言って踵を返す。
「お茶をお持ちしますね」
追いかけてきた声に返事をすることもできなかった。
…いつか。
あいつに本当のことを告げなければいけない日は来る。
”いっそのこと”の先に浮かびかけたことが、その日を遠ざけるとしても、一生誤魔化し続けることはできない。
それならばむしろ、傷が浅いうちに。
文机の横に置かれた盆に手を伸ばしかけて、湯呑が空であることを思い出す。
これを持って来たのはハルで、その後すぐに休むように言ったから今は既に眠りの中のはずだ。
ひとつ息を吐く。
この盆が運ばれてきた時、俺はハルを直視することが出来なかった。
話は昼に遡る。
水の流れる音が耳に届いて庭に目をやった。
薄紅の着物をまとったハルが薬草に水をやっていた。
「…茎が伸びて来ましたね」
薬草に話しかけているのを不可解な気持ちで眺める。
不意に鳥の鳴き声が聞こえた。
眩しそうにそれを見上げた瞳が細められる。
腰を上げ振り返ったハルがおれに気づいた。
「!…いつからそこに居られたのですか」
「お前が薬草に話しかけていた頃からだ」
「…お恥ずかしいところを」
頬が着物以上の紅色に染まる。
「調子はどうだ」
「おかげさまで、もうすっかり良いのです。今ならお江戸までだって歩けそうです」
「…元気になったなら良いことだ」
ここに連れてきた時、”治療のため”と屋敷の外に出ることを禁じた。
「…だが、外に出るにはまだ早い」
「っ、…申し訳ありません、出過ぎたことを」
「いや、いい」
”治療のため”という名目でいつまで誤魔化せるだろうか。
いずれは本人も不審がる日が来る。
本当のことを伝えた時、こいつはどんな顔をするのだろうか。
”もう病は癒えていて本来なら外に出てもいいが、俺がお前を手元に置いておきたいから外に出るな”
”本来ならお前はあそこまで苦しむ必要はなかったが、俺の我儘であえてあの状態まで陥らせた”
縁側に目を落とす。
いっそのこと、
「春が、来ましたね」
思考を遮る清廉な声に顔を上げる。
陽の光が黒い髪を艶やかに照らしていた。
”花が咲いたような笑顔”という比喩に初めて納得した。
その向こうに透けて見える、あまりにも無防備な全幅の信頼。
目を逸らす。
そうでなければハルを掻き抱いてしまいそうだった。
「…そうだな」
なんとかそれだけ言って踵を返す。
「お茶をお持ちしますね」
追いかけてきた声に返事をすることもできなかった。
…いつか。
あいつに本当のことを告げなければいけない日は来る。
”いっそのこと”の先に浮かびかけたことが、その日を遠ざけるとしても、一生誤魔化し続けることはできない。
それならばむしろ、傷が浅いうちに。