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霧里のはなし

すんなりと目が覚めた。
一呼吸のちに隣の男が身じろぎし、目線を上げる。

この大商人は不思議な寝方をするのだ。
これまで十回を超える登楼でも、横になったのを見たことがない。
眠りにつく時は座椅子にもたれて目を閉じる。

「さすがだなァ」
「…旦那様と共に起きるのは、遊女の務めでありんす」
「フフフフフ、そうか」




帰りぎわ、身支度をされている時からどことなく違和感はあったのだ。
やけに朝餉の好みを聞かれたり、好きな花、好きな着物の柄、そんな、他の旦那様はまず聞かないようなことをひっきりなしに。
さいごに大門でお見送りをする刹那、ドフラミンゴ様は私の耳元に口を寄せて仰った。

「おれにはお前が必要だ」


心の中で首を傾げつつ、それならまたすぐにおいでなんし、と常套句を返して背中を見送る。
一連の違和感に合点がいったのは揚げ屋に帰ってからだった。

「あちきを身請け…?」
「あァ。あれだけ言われりゃ首を横には振れねぇよ」
「…おいくらでありんすか」

楼主様が眉間の皺を深くした。

「千両だ」


金銭感覚が麻痺してしまった私にも、それが信じられない金額だということはわかる。
町民は1両あればひと月暮らせるという。
千両あれば、一生働かずとも食べていけるはずだ。


「おまえの親元…連絡が取れねぇ以上は承諾したと見なされる。あとはお前が袖にするかどうかだ」
「…少しお時間を頂きとうござりいす」
「あぁ。すぐにとは言わないが考えておいてくれ」
「あい、わかりんした」

ぼんやりとしたまま部屋の鏡の前に座り、白粉を塗っていく。
紅を指にとり、唇に乗せずに思案に耽った。
唇を許したことのない人の元へ身請けされる。
身請けは花魁にとって嫁入りに等しい。

「霧里ねえさん、昼見世のおじかんでありんす」
「おしたく、お手伝いしんしょうか?」
「…あら、もうそんな時間」

招き入れたサクラとカエデは不安そうに私を見上げる。

「ねえさん…」
「心配はおよしなんし。あちきは大丈夫」



雨降りの今日は昼見世も閑散としていた。
格子窓の向こう側に雨粒が滴るのをぼんやりと見つめる。

「あんたは…少々燻ってるところかね」
「あら易者さん、お見通しでありんすな」
「ほうれ、ここの線、もやもやしとる時はそういう時だ」

易者が他の遊女の手相を見ているのにふと興味が湧いた。

「あちきも見ておくんなんし」
「あいよ」

差し出した手をしげしげと眺めた初老の易者はゆっくりと顔を上げて口を開いた。

「花魁、岐路に立たされとるね」
「…岐路?」
「ほら、ここの線。人生の転機に出る線だよ」
「…」
「あんたの手ェは強靭なひとの手ェだ。
 何を迷っとるが知らんが、せっかく掴める強運があるんなら掴んでみィ」
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