雛菊のはなし
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「もうここいらではっきりさせようと思うんだがね」
「…」
「この置屋の跡継ぎとあのバカ息子の妻が誰になるかってのは全然別の問題だよ」
…何の話?
「勝丸さんの引退話には続きがあるのさ。勝丸さんが引退して、今度はあたしがその役割を担おうと思ってる。そして、あたしの今いる女将の座は、」
おかあさんと目が合った。
「雛菊。あんたに継がせようと思ってる」
「…え?」
頭が真っ白になった。
「…わかったね、紗月」
「…」
紗月ねえさんの肩が小刻みに震えていた。
「…こんなひよっこを女将に据えようなんて、体が弱って頭までどうかしたんですか」
「体は弱っちゃいないさ。最近床に就きがちだったのは、あたしの薬湯に細工するどっかのネズミを泳がせて尻尾を掴むためだよ」
「…それって…」
「あたしが気づかないとでも思ったのかい。せいぜい弱らせて女将の座を乗っ取る腹積もりで、そのためにバカ息子を利用できると思ったんだろう。愚かすぎて小言も出て来やしないよ」
小言はものすごく出ている。
そんな感想はおくびにも出さず成り行きを見守った。
「あの朴念仁がそんな色仕掛けに乗ると思ったのかい。あいつには決めた相手がいるんだとさ。どうせ歯牙にもかけられなかっただろうに」
紗月ねえさんの頬がさっと赤く染まる。
兄さんが、心に決めた人。
兄に恋をしていったたくさんのおねえさん達が頭をよぎった。
13歳から花街をぶらぶらしていた兄は、物珍しさからかたくさんの芸者たちに声をかけられていた。
その中には本気になった人もいて、長屋に押しかけて来ることもあったと聞く。
けれど、あの人自身が恋をした女の人については聞いたことがない。
まあ、そんなこと、私には言わないだろうけれど。
「さて。こないだのお侍さんのお座敷であんたが泊まりをしたことは確証が取れた。禁止だと何度も言ったはずだ。それから、あたしの薬湯に混ぜてた薬も押さえた。長いこと飲むと神経がやられる薬だそうじゃないか。ここまで来りゃ、いくらバカなあんたでもわかるだろ」
おかあさんが何かを取り出した。
それは私達が置屋に在籍する証書とお給金を頂く時の封筒だった。
「紗月、今日限りであんたを除籍する。夜までに荷物をまとめてここを出て行きな」
おそるおそる紗月ねえさんを横目に見る。
ねえさんは呆けた表情でしばらく虚空を見上げ、手元に目を落とし、そのままずるずると畳に額を付けた。
「…ながいあいだ…おせわになりました…」
神経衰弱にでもなったかのように抑揚のない言葉を絞り出した後、ふらりと立ち上がり幽霊のように出ていく背中を、なんとも言えない気持ちで見送った。
「…」
「この置屋の跡継ぎとあのバカ息子の妻が誰になるかってのは全然別の問題だよ」
…何の話?
「勝丸さんの引退話には続きがあるのさ。勝丸さんが引退して、今度はあたしがその役割を担おうと思ってる。そして、あたしの今いる女将の座は、」
おかあさんと目が合った。
「雛菊。あんたに継がせようと思ってる」
「…え?」
頭が真っ白になった。
「…わかったね、紗月」
「…」
紗月ねえさんの肩が小刻みに震えていた。
「…こんなひよっこを女将に据えようなんて、体が弱って頭までどうかしたんですか」
「体は弱っちゃいないさ。最近床に就きがちだったのは、あたしの薬湯に細工するどっかのネズミを泳がせて尻尾を掴むためだよ」
「…それって…」
「あたしが気づかないとでも思ったのかい。せいぜい弱らせて女将の座を乗っ取る腹積もりで、そのためにバカ息子を利用できると思ったんだろう。愚かすぎて小言も出て来やしないよ」
小言はものすごく出ている。
そんな感想はおくびにも出さず成り行きを見守った。
「あの朴念仁がそんな色仕掛けに乗ると思ったのかい。あいつには決めた相手がいるんだとさ。どうせ歯牙にもかけられなかっただろうに」
紗月ねえさんの頬がさっと赤く染まる。
兄さんが、心に決めた人。
兄に恋をしていったたくさんのおねえさん達が頭をよぎった。
13歳から花街をぶらぶらしていた兄は、物珍しさからかたくさんの芸者たちに声をかけられていた。
その中には本気になった人もいて、長屋に押しかけて来ることもあったと聞く。
けれど、あの人自身が恋をした女の人については聞いたことがない。
まあ、そんなこと、私には言わないだろうけれど。
「さて。こないだのお侍さんのお座敷であんたが泊まりをしたことは確証が取れた。禁止だと何度も言ったはずだ。それから、あたしの薬湯に混ぜてた薬も押さえた。長いこと飲むと神経がやられる薬だそうじゃないか。ここまで来りゃ、いくらバカなあんたでもわかるだろ」
おかあさんが何かを取り出した。
それは私達が置屋に在籍する証書とお給金を頂く時の封筒だった。
「紗月、今日限りであんたを除籍する。夜までに荷物をまとめてここを出て行きな」
おそるおそる紗月ねえさんを横目に見る。
ねえさんは呆けた表情でしばらく虚空を見上げ、手元に目を落とし、そのままずるずると畳に額を付けた。
「…ながいあいだ…おせわになりました…」
神経衰弱にでもなったかのように抑揚のない言葉を絞り出した後、ふらりと立ち上がり幽霊のように出ていく背中を、なんとも言えない気持ちで見送った。